187爪に火を灯せ5
今週も命が先週同様の仕事をこなした翌日、自宅に帰ると、今日は弓の訓練に行って、帰りに神殿に顔を出そうと思い家で動きやすい服装に着替えてから、紺のシャツワンピースとカーディガンと、簡単な化粧道具を大きめのバッグに突っ込んで、訓練場へ向かった。
弓の訓練では水鏡族一の弓の名手と呼ばれる大先輩がいたので、命は彼の動きを観察したり、自分の弓の動きを見てもらい、的確なアドバイスを貰ったりと、充実した時間を過ごせた。
来月には毎年恒例の弓使いだけで行う狩猟大会も行われるので、他の弓使い達も訓練に力が入っていた。
三時間程の訓練を終えると、シャワー室で汗を流してから、ワンピースに着替え、カーディガンを羽織ると、弓使いの仲間達と近くの食堂で遅い昼食を楽しんだ後、神殿へ向かった。
いつもの様に受付で紫を呼んでもらい合流すると、彼女はいたく機嫌が良かった。
「命さん、聞いてくださいよ!先週あなたから頂いた一角獣の角!あれを水の神子が分析した結果、やはり本物でしたよ!」
興奮気味に紫は一角獣の角の分析結果を報告してきた。命は嬉しくなり紫の手を取って、その場で二人で喜びに跳ねた。
「それで早速水の神子に薬を作ってもらって風の神子に飲んでもらった所…老化には効きませんでしたが、体調が改善されたんです!」
「よかった……」
更なる吉報を告げる紫は嬉しさで今にも泣き出しそうで、命も目を潤ませた。
「本当に命さんには感謝しかありません!さあ、風の神子に会ってください。お礼と先週お話しされた事業の話をなさるそうですよ!」
ニコニコしながら紫は命を神子関係者の通路へと促したその時、神殿の入り口から嘶きと共に神官達が動揺したような声が聞こえた。
「なんでしょうね。ちょっと様子を見に行きましょう」
紫と共に命は声がした神殿の入り口へ向かうと、額に傷がある白い馬が行手を阻む門番の神官を突破して、門から神殿までへと続く広場で暴れ回っていた。
「うわー、野生の馬でしょうか?参ったな」
馬を捕獲しようと神官達は奮闘するが、馬はのらりくらりと攻撃をかわして、神官達を蹴り飛ばしていた。
「あの傷、もしかしたらあの時私が遭遇した一角獣かもしれません。角を折った時に額に怪我をしてたはずです!」
確証は無かったが神官達が魔術を使い出したので、命は馬を守るべくカバンを放ると、広場に躍り出た。紫は無謀な命を止められず、悲鳴を上げた。
「攻撃をやめて下さい!この馬は風の神子を救った一角獣です!」
叫びながら命は魔術で結界を張って白い馬を背に神官達に立ちはだかった。しかし神官達が紡ぎ出した複数の魔術は強力で、命の張った結界は壊されて襲いかかった。
命は咄嗟に馬を庇い強く目を瞑った。しかし神官達の魔術は彼女達に直撃しなかった。負傷を覚悟していたので、肩透かしを食らったが、周囲を見回すと、命と馬が強力な結界に包み込まれていることに気がついた。
「……お前達の顔、覚えたからな」
怒気を含んだ声で睨み、神官達を震え上がらせたのは神子の羽織を身に纏ったトキワだった。結界を解除したトキワは命に急ぎ駆け寄り抱きしめた。
「紫さんが中々ちーちゃんを連れてこないと思ったら、まさかこんなことになっていたなんて……」
命が待ちきれず迎えに来たトキワが広場での騒ぎに気付き向かった時には、既に命が馬を庇って神官達の魔術を受ける寸前で、咄嗟に結界を発動出来たトキワは自分を褒めたかった。
「ごめんなさい……」
しおらしく落ち込む命が可愛くて、トキワはうずうずしたが、先程から馬が背中をバシバシと尻尾で叩いて来たので、睨みをきかせた。
「なんだこの駄馬は?」
「多分なんだけどこの子は一角獣で、その……」
ギルドの依頼先で一角獣に遭遇して角をもらったことはトキワに黙っていたし、紫にも内密にしてもらっていた命は言葉を詰まらせた。
馬はトキワの顔をねっとりと舐め回し、彼が怯んだその隙に前脚で突き飛ばすと、命に甘える様に頭を彼女の頬にすり寄せて来た。
「やっぱりあなただったんだ。あなたの角のおかげで風の神子の体調がよくなったよ。ありがとう」
甘える馬の頭を命は優しく撫でて感謝を伝えた。
「でもなんでここに来たのかな?」
「もしかしたら命さんを気に入って契約しに来たのかもしれません」
タオルをトキワに手渡してから紫は推理した。
「幻獣は稀に気に入った人間と契約したがると言い伝えられていますからね」
「そうなの?」
命が尋ねると一角獣は目を細めて、今度は彼女の柔らかい胸を鼻先でふにふにと突き始めた。
「契約すると言われてもどうすれば」
「ここまで友好的なら、名前を付ければ成立すると思います」
紫の説明に命は何となく名前を思い浮かべた。
「じゃあ、むぐっ……」
一角獣に名前を付けようとした命の口をトキワが手で塞いだ。一角獣が余計なことをするなと言わんばかりに彼の腕に噛み付くが、決して手を離さなかった。
「契約しないで。紫さん、ちーちゃんは魔力が少ないから、こいつと契約したら体が持たない」
「えっ、そうでしたか。それは迂闊でした。すみません。幻獣と契約すると、毎日魔力を与えなくてはならないのです」
まさか紫も風の神子代行の恋人である命の魔力が少ないとは思いもせず、謝り頭を下げた。
「しかしどうしましょう?このままだと一角獣は命さんに付き纏い続けるのでは?」
解決策が見つからず三人はしばし沈黙したが、トキワが命の口から手を離して、距離を取って左耳のピアスの水晶から両手剣を生み出した。
「待って、何するつもりなの?まさか一角獣を殺すつもり?」
命は慌て一角獣を庇う様に抱きしめた。
「それもいいけど、仕方ないから俺の魔力と血を与えて強制的に契約を結ぶ」
トキワ自身にとっても不本意な契約だが、命が付き纏われるよりはマシだと思い、トキワは右の手の甲を剣で傷をつけて血を滴らせた。
「喰え。俺と契約したらちーちゃんと一緒にいられるぞ」
まるで悪魔が契約を持ちかける様な雰囲気でトキワは一角獣に血を差し出したが、一角獣はそっぽを向いた。
「こうなったら力でねじ伏せるか。ちーちゃんどいて」
「嫌、暴力は止めて」
舌打ちをしてトキワが両手剣を構えたので、命の一角獣を抱きしめる力も強くなった。
「あっらーん、なんか楽しい事が起きてそうと思ったら白いお馬さんがいるー!」
緊迫した空気の中、甘い声を発して現れたのは雀だった。すると雀に気付いた一角獣は鼻息を荒くして、あんなに懐いていた命を振り払って、コツコツと足音を立てて雀に近づき、彼女の前に平伏した。
「可愛い!ペットにしてあげる。名前は……ディエゴ!」
雀が名前を付けると、一角獣が光り輝いた。どうやら契約成立らしい。そして光が収まると、雀の豊満な胸にすりすりと鼻先を擦り付け始めた。
「さあディエゴ、ブラッシングをしてあげるわ。うふふ」
先程の騒動がまるで無かったかの様に雀と一角獣のディエゴは神殿の馬屋の方へと消えて行った。
「どうやら巨乳から爆乳に乗り換えたようですね」
「なるほどね」
紫の推測に命は納得して思わずポンと手を叩いた。どうやら一角獣は胸が大きな乙女が好きだったようだ。
「さてと、トキワ……これから私達はやらねばならぬことがあります。それはなんでしょう?」
魔術で水を操り、トキワの手の甲の切り傷を洗いながら命は問いかけた。
「……怒りに任せて高圧的な態度を取ってごめんなさい」
トキワは神官達に深々と頭を下げて、先程の自分の非を謝罪した。命は彼の心の成長を喜び、優しくトキワの背中を撫でると、自分も神官達に無謀な行動を取ったことに対して頭を下げて陳謝した。




