186爪に火を灯せ4
風の神子と事業の話で盛り上がり、おやつ時だったので命は風の神子のお言葉に甘えて紅茶とフルーツタルトをご馳走になっていたところで、唐突にドアが乱暴に開かれた。
「ちーちゃん……よかった。まだ帰ってなかった」
ドアを開けたのは民族衣装を意匠にした膝下丈の白いジャケットを羽織ったトキワだった。神子の仕事中の制服のようだ。トキワはズカズカと命の元へ一直線に進み、熱い抱擁を交わした。
「まったく酷いよ。俺に会うより先にじいちゃんと会うなんて……ちーちゃんは自分が誰の恋人なのか分かってるの?」
嫉妬心丸出しのトキワの発言に命も風の神子も苦笑せざるを得なかった。
「ごめんね、トキワのお仕事の邪魔をしたら悪いと思って」
「ちーちゃんが邪魔な訳無いだろう?邪魔なのは仕事の方だよ」
「はあ、お前は清々しいくらい命さんを溺愛してるな……仕方ない今日の所はお前に返してやろう。命さん、またいつでも来てください」
「は、はい。また来ます」
身を捩らせ命はトキワから離れると風の神子にお辞儀をした。
「じゃあ夕方の礼拝まで暇だから俺の部屋でイチャ……お茶しようね」
命に警戒されるかもしれないと思いトキワはイチャイチャと言いかけたが、お茶と言い直して命と手を繋ぎ、彼女の食べかけだったフルーツタルトと紅茶が乗ったトレーを空いてる手で持つと、自分の部屋へと誘った。
「紫さん、礼拝の時間になったら教えて」
「かしこまりました」
いつの間にか入り口にいた紫にトキワは声をかけ、風の神子の間を出ようとした。
「やっほー!御大お見舞いにきたよー!」
しかし風の神子の見舞いに現れた土の神子の要と雷の神子の雀、氷の神子の霰に道を阻まれた。
「げ、年増三姉妹!」
彼女達との遭遇にトキワは悪態を吐きながら、急ぎ命を背中に隠した。しかし命は神子たちの存在に気付くと、慌てて平伏した。
「あらーうふふ、なるほどね。トキワくんが会議が終わった途端飛び出して行ったから何事かと思って後をつけてたら……こういうことだったのね」
平伏す命を見て雀は彼女がトキワの恋人であることを察した。
「娘よ、面を上げなさい。そしてトキワ、お前はどけ」
吹雪を操って霰はトキワを突き飛ばして足元を氷漬けにして自由を奪った。トキワが持っていた紅茶とフルーツタルトが乗っていたトレーは無残にも飛び散ってしまう。
霰の命令で命は跪いたまま恐る恐る顔を上げて三人の神子達を見上げた。彼女達の麗しい姿に命は再び拝みたくなる気持ちをぐっと抑えた。
「ふーん、トキワが天使とか女神とか言うから絶世の美少女なのかと思ったけど普通じゃん」
要はしゃがみ込んで命の顔を一瞥すると面白そうに笑う。
「まあ普通だな。髪の色も普通の水鏡族だ」
「ちょっと普通とか失礼よー。確かに私たちの美しさと比べたら普通だけど」
霰と雀も口々に命の容姿に感想を述べた。決して褒め言葉では無かったが、雲の上のような存在である神子達から言葉を貰えた命は感激に震えていた。
彼女達と同世代の神子である暦は図書館の司書をして村人の冠婚葬祭も積極的に執り行なう親しみのある優しい炎の神子だが、彼女達は気位が高く、神子の行事くらいでしか村人に姿を現さない神子達だった。
「何か言いたそうね。発言を許すぞ」
発言の許可を霰から貰った命はまず何を言うべきか必死に頭の中を整理した。
「……この度は私の様な愚民にお言葉を下さり大変光栄です!」
そう言って命が再び平伏すと三人の神子達は顔を合わせて笑い出した。
「お前たち、からかうのも大概にしろ。折角命さんから敬ってもらっているのだから気品を持って接しなさい。まったく、ちょっとこっちに来なさい!」
風の神子に叱責されて肩を竦めた三人娘が大人しくベッドサイドに移動すると風の神子は説教を始めた。
「行くよ」
要達が風の神子に叱られている今の内にと氷漬けから脱したトキワはこっそり命を立ち上がらせ、彼女を横抱きして気配を消す魔術を施すと、今度こそ風の神子の間を後にした。
先日新しく移動したトキワが寝泊まりする部屋に辿り着くと、トキワはいそいそと鍵を開けて命と部屋に入り、邪魔されないように内鍵をかけた。以前に比べて広く家具も充実した部屋を命は思わず見回した。
「うわー、待遇が良くなったんだね」
「待遇というかこの部屋の方が風の神子の間が近いから便利なんだよ」
「なるほど。あ、覚えている内にこれ渡しておくね」
命はトートバッグからお金の入った封筒と交換ノートをトキワ差し出した。
「ん、今月の分確かに頂きました。全く律儀だなー。別にお金じゃなく身体で返してくれてもいいのに……」
妙なことを言うトキワに命は冷たい胡乱な視線を向ける。
「じゃあお金くれないとイチャイチャさせてあげないよ?それでいいの?」
ベッドに腰掛けて命が意地悪げに言うと、トキワは顔をしかめた。
「それは……なんか愛が無くて嫌だな」
「でしょう?」
トキワは命の隣に腰掛け彼女の肩に手を回して不平を言うとやんわりと押し倒した。以前の部屋より柔らかいベッドの感触に命は心地よさを覚えて目を細めた。
「じゃあ身体で払う話は無しでよろしく」
自らが提案した借金返済の方法の変更を却下してトキワは無骨な手で滑らかで柔らかい命の頬を撫でて、頭が枕元にくる様に彼女の背中と脚を支えて体勢を変えると、首筋に顔を埋めて匂いを楽しむ。
そして会えなかった時間を埋める様に命のふっくらとした唇に口付けた。
「あれ、もしかして寝ちゃったの?」
トキワはキスをしながら命の身体に触れたが反応が無かったので様子を窺うと、命が小さく寝息を立てていることに気がついた。
「何だか知らないけど疲れているんだね。まあいいや。久々にちーちゃんを近くで感じられるわけだし」
命を起こさないようにトキワは彼女に腕枕をしてから抱きしめると、幸せに頬を緩ませながら夕方の礼拝の時間まで添い寝をした。