185爪に火を灯せ3
命は一旦帰宅して少し早い昼食を取り、シャワーを浴びてから、白のブラウスと膝下の黒の細かいプリーツスカートに着替え、トートバッグにお金とノートなどを入れて、布に巻いた一角獣の角を持つと、神殿に向かった。
先ずは神殿の受付で風の神子直属の神官である紫を呼んだ。風の神子のお見舞いに行く際は、彼女を通せば会えると風の神子が取り計らってくれているのだ。
「いやーお待ちしてましたよ命さん。あなたがお見舞いに来ると風の神子も調子が良くなるんですよねー」
紫はまるで救世主を迎えるような目で命を見て歓迎した。風の神子の体調が思わしくないのだろうか。
「おや、何ですかそれ?危険物なら持ち込めませんよ?」
流石に目だったのだろう。一角獣の角に気付いた紫は不審そうに眺める。
「信じてもらえるか分かりませんが……これ、一角獣の角なんです。昨日偶然出くわしたら角をくれたんですよ。この角を使って薬を作れば、風の神子の病気もよくなるかなと思って持ってきました」
経緯を話す命に紫は信じられないと呆気に取られたが、少し考え込み始めた。
「あなたが人を傷つけるような嘘をつくような人だとは思わないので、本当に一角獣の角なんでしょうけど……一度こちらでお預かりしてもよろしいですか?水の神子に角の分析を任せて本物なら薬を調合してもらいましょう」
水の神子が薬学に精通しているのは村の中では有名な話だった。命も彼になら大船に乗ったつもりで任せることが出来ると思い、了承して紫に一角獣の角を手渡した。
「とりあえず風の神子の元にご案内しますね。いやーそれにしても一角獣に会うなんてすごいですね運がいい。でも攻撃してきませんでしたか?」
「いいえ、むしろ撫でてくれと寄って来て、仲良くしてくれました。角も試しにお願いしたら、自分で折ったのでビックリですよ」
「へえ、そうなんですね。風の神子代行て案外奥手なんだな……」
紫は意味深に小さな声で呟くと命を一瞥した。一角獣は処女を好むというから、おそらく彼女もそうなのだろう。しかし下世話ながらトキワの溺愛ぶりから処女ではないと思っていたので、意外性を感じた。
「何か言いました?」
「いいえ、それより着きましたよ」
風の神子の間のドアをノックして返事は無かったが、寝ていると見做した紫はドアをそっと開けて部屋の様子を窺ってから、命を中へと促した。
「では私はこの角を水の神子の元へ持って行って、その後は風の神子代行の補佐に行ってまいります。他の神官にお茶の用意をさせるので、ゆっくりして行ってくださいね」
紫が去るのを見届けてから、命は風の神子の眠るベッドへ移動して、近くの椅子に座った。風の神子の顔を覗き込むと、額に汗が浮かんでいたので、命は近くにあったタオルに汗を吸わせた。
「栞……」
苦しそうに亡き妻の名を呼び風の神子が弱々しく伸ばしてきた手を取り、優しく握りしめた。すると風の神子は命の手を握り返した後目を覚ました。
「大丈夫ですか?」
「命さんだったか……見苦しい所をお見せしたな」
風の神子が身体を起こそうとしたので命は背中に手を添えてから、水を渡して飲ませた。
「ふう、来てくれてありがとう。しかし顔が疲れているぞ。体調が悪い時は無理しないように」
病人に心配されてしまい命は苦笑する、自分でも目の下にうっすらクマが出来ていることには気付いていたが、化粧で誤魔化していたので、風の神子に指摘されるとは思わなかった。
「少し寝不足なだけです。ここだけの話……トキワには絶対秘密ですよ?」
「ああ」
「じつはちょっと借金があるので副業をしてお金を稼いでいるんです。この調子で行けば今年中には返せると思うので、頑張っています」
誠実そうな命に借金があることに風の神子は驚くと、のっぴきならぬ事情があるのだろうと予想した。
「一体何の借金だ?生活に困っているのなら私が支援するが」
金銭の支援を申し出た風の神子に命は慌てて首を振った。偉大なる神子にお金を貰うなんて恐れ多かった。
「その必要はありません!生活には困ってる訳ではなく私個人が贅沢品を買い物をしてトキワに借金しただけです」
「なんだ、あいつに借金したのか。その位買ってやればいいのに甲斐性の無い奴だな」
トキワを卑下する風の神子に命は更に首を振った。
「そんなことありません!トキワはお金を出してくれるって言ってくれたけど、私が意地を張って断って折衷案として私がトキワにお金を借りる形になったんです!」
「そうだったのか。まあ無理だけはするな。命さんが倒れたら元も子もないぞ」
「はい、気をつけます」
風の神子を心配させてしまった命は反省して、来週の休みはギルドの依頼を受けるのは休み内職と酒場でのアルバイトだけにしようと心に決めた。
「……命さんさえ良ければの話だが、私が死んだら遺産を相続してはくれないか?」
「えっ!」
突然の申し出に命は目を丸くさせて思わず立ち上がって短く声を上げた。
「ご存知の通り妻に先立たれ子供もいない私には相続人がいないから、妻の目に似ている君に遺すのも悪くないと思った。生活に困っていないとは言うが、豊かではないのだろう?」
「いやいやいや、頂けません!それに本当にお金に困っている訳では無いんです!今の生活に満足しています!」
「トキワに借金をしておきながらよく言うよ……」
「それは、贅沢品を買ったからで、普段はそんなことないんです!遺産はいりません!お気持ちだけで充分嬉しいです!」
貯金が出来ていないのは事実だが、風の神子から遺産を相続しないと生きていけない訳ではない。命は必死に弁明した。
「謙虚だな。トキワだったら大喜びで相続しただろうに。ああ、想像するだけで腹が立つからあいつには絶対やらん。しかし他の神子と違い研究や事業を行わなかったから金だけは腐るほどある。神殿に全額寄付するのもいいが、今更だが私の意思で何かしたい気持ちもあるんだ」
自分が風の神子として務めて得た財産は生きた証の一つだろう。それを後世に生かしたいと願う風の神子の姿勢に命は改めて尊敬の念を抱いた。
「でしたら、今から財産を使ってどんなことをしたいか一緒に考えましょう。例えばどんな人に使いたいとか」
「どんな人に使いたいか……そうだな。それこそお金に困っている若者を支援できたらいいと思っている。私も若い頃は栞と慎ましく生活していて、もうすこしお金があればと思う日があった」
命の提案に乗っかり風の神子は財産の使い道を考える。
「しかし、無条件に支援したら資金はあっという間に尽きるし、簡単に大金を手に入れるのは夫婦のためにならないな」
「そうですね……でしたら小額を希望する若い夫婦に配って思い出作りの予算にしてもらうのはいかがですか?」
「いい考えだな。些細な日常に彩りをもたらす手伝いをする訳だな。候補に入れよう。命さん、机の上にメモと筆記用具があるから書いてくれ」
風の神子の指示で命は計画をメモする。新しいことを考えていく内に風の神子の目は輝き始めていた。
「ちょっと思いついたんですけど、村を出て学校に通いたい若者を支援するのはいかがですか?村を出て進学するのはお金がかかって、とても気軽に出来ることではありません」
実際命も進学時には大金を家族に支援してもらった。家族が出してもらえるならすぐ学べるが、生活に余裕がない家庭は学ぶことが叶わない。それを支援する事業を提言した。
「なるほど、それもいいな。近年村に医療関係者が不足していると言うし教師も少ない。知識のある村人が増えるのは水鏡族にとって有益だ。これも候補に入れよう!」
その後も風の神子と命は学校の学力向上や戦闘訓練所の整備などと様々な事業について語り合い盛り上がった。