183爪に火を灯せ1
季節が秋へと移り変わり、普段なら穏やかに過ごせるはずだったのに、トキワは忙殺されていた。事の発端は一ヶ月前、高齢である風の神子の病が悪化し、伏せがちになったために急遽トキワが神子の務めを代行することとなった。
以来、大工の仕事が終わると神殿に直行して夕方の儀式をしてからそのまま泊まり、翌朝の儀式を済ませてから本業の職場へ向かうという目まぐるしい日々が続き、命との逢瀬はお預けとなっている。
更に休日も精霊祭が近づいているため、当日についての会議や準備にも追われている。今年は南の集落が主催で神殿がやることは無いと思いきや、神子達は毎年特別席で丸一日劇場鑑賞を行う務めがあるらしい。
「気付いてしまった……」
打ち合わせを終えた会議室で、トキワは酷く落胆した様子で補佐の紫にそう告げた。
「何がでしょうか?」
「これから一生……ちーちゃんと精霊祭デートが出来ない!」
去年は辛うじて命と後夜祭を過ごすことが出来たが、今後はトキワが祭に繰り出すと注目を浴びて混乱を招くため、命と過ごすことが出来ないことにトキワは気付いて動揺を隠せなかった。ただでさえ最近命の顔をろくに見れていないトキワにとって死刑宣告も同然である。
「それはお気の毒に。ところで本日のご夕食はいかがなさいますか?」
トキワの泣き言にすっかり慣れた紫は平然と流して夕食について尋ねる。
「牛ステーキ二百グラムセットを三人前。じいちゃんの様子を見に行くから風の神子の間に持って来て」
「かしこまりました」
食堂に向かう紫を見送ったトキワは風の神子の間に移動する。
「じいちゃん来たよ」
風の神子の間に入りトキワが声を掛けると、ベッドから手だけが上がった。どうやら起きているらしい。トキワは話をしようとベッドサイドに椅子を置いて座った。
「早く元気になってくれない?いっそ不老不死になってよ」
「無茶言いよって……」
あまりにも身勝手なトキワの言葉に風の神子は嗄れた声で力なく喋る。
「あーあ、風の神子か風の神子代行を代行してくれる人でも現れないかな」
「そんな奇特な人間がいたら私も心置きなく死んどるわ」
「まあまあ、そんなこと言わないで元気になってよ。まだ俺に教えてない魔術もあるんでしょ?」
「お前にはもう私の魔術の全てを教えたと思うぞ。あとまだ何かあっただろうか……ゴホッ」
話過ぎたのか風の神子は咳込む。トキワは優しく身体を起こしてあげてから水を飲ませた。
「……このまま私が死んだらお前に風の神子を継いで貰うことになる。その覚悟は出来ているか?」
トキワも薄々そうなることは分かっていた。他に風の神子のなり手がいない以上自分がやるしかないことを。本来なら直ぐにでも継いで風の神子を安心させるのが一番だということも分かっていた。それでもトキワは首を縦に振ることは出来なかった。
「無理だよ。俺にはちーちゃんと結婚して一生添い遂げるという夢があるから。ばあちゃん達みたいな別居婚なんて耐えられない。それに本業の大工の方も気に入ってるんだ。だから旭を生贄にするつもり」
「相変わらず残酷な奴よ」
トキワの妹の旭は兄と同じ風属性で銀髪持ちで強い魔力を持っているため、神子の条件を満たしている。なのでトキワは物心がつく前に旭を風の神子にしてしまおうと両親に提案したところ、強い反対を受けてしまった。それ以来トキワは神子の仕事で神殿に寝泊まりしているのもあるが、気まずくて家族と顔を合わしていない。
「確か命さんはナースだったろう?ならば神殿の診療所で働いて貰うのはどうだ?それなら一緒に暮らせる」
風の神子は度々お見舞いに来る命と話をしているうちに彼女について詳しくなっていた。それが面白くないトキワは冷たい視線を向ける。
「ちーちゃんは秋桜診療所で働きたいんだよ。ちーちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが始めて熊先生と桜先生が受け継いだあの場所を守りたいんだ」
秋桜診療所の改修工事に関わった時、トキワは老朽化した診療所から歴史と丁寧に掃除をされていたことから命達の愛着を感じ取って絶対守るべき場所だと感じていた。しかし実際問題桜の次の医者が現れないと廃業となってしまうだろう。命は甥のヒナタとカイリに期待しているが、トキワは自分と命の子供がもし医者になったらどうなるだろうかと夢想していた。二人の子供に自分がこの診療所の改修工事に携わったことを伝えたい。子供はいらないと思いながらも最近はそんなことばかり考えていた。
「お前も大人になったな。以前なら私の意見に食いついていたのに、今では命さんの人生ごと愛するようになったのだな」
「俺のちーちゃんへの歪んだ愛情を色んな人に叱られて心を入れ替えた結果かな。俺とちーちゃんの未来なんて二人だけの問題だと思っていたけど、身近な人達にとっても大事な問題だったんだね」
自分の思い描いていた命との結婚生活を命の家族達から散々ダメ出しをされ、次にトキワは両親にも語ったところ、そちらでも批判の嵐だった。普段息子に甘いトキオでさえ苦言を呈したのだから、自分の考えは相当常識を逸脱していたと痛感したのだった。
「ま、俺以外の風の神子が現れるまで頑張ってよね。あ、ステーキ来たー!」
ドアをノックする音が聞こえたのでトキワが返事をすると、紫がトキワの夕食をワゴンに乗せてやってきた。
「お前、そんなに食べるのか!?」
「余裕で食べるよ。牛肉を食べると背が伸びるらしいし!紫さんありがとう、いただきまーす!」
三人前のステーキセットに風の神子は驚愕した。トキワは平然とした様子でベッドの傍でまずはステーキに食らいついた。
「あー美味しー!じいちゃんも食べる?」
一般的には食欲が唆られるステーキの匂いではあるが、高齢で闘病中の風の神子には匂いだけで胃がもたれそうだった。
「いらん。はあ、お前みたいな奴が風の神子だと精霊の気も休まらんかもな。次の風の神子が現れるまで踏ん張らねば……」
風の神子はマイペースに夕食を楽しむトキワを横目に後もう少し待ってて欲しいと天国の妻に心の中で伝えたのだった。