172キミじゃなきゃ8
「よし、腫れは引いてる」
香の家を後にした命は次にトキワの家を訪ねていた。目的はもちろん旭に会う為だ。
その前に近くの商店で昼食にパンと飲み物を買って食べてから、念のため先程香に平手打ち打ちされた頬の赤みがなくなっているのを鏡で確認してから、玄関のドアをノックした。
「あれ、命ちゃん。トキワなら仕事でいないよ?」
応対に出たトキオは命の訪問に驚いていた。
「こんにちは、突然ごめんなさい。ちょっと近くまで来たから旭ちゃんに会いに来ました」
「ありがとう、でもごめんね、今から神殿に行くんだよ」
残念ながらトキオ達は今から出かけるらしい。命は内心がっかりしながらも、突然の訪問だから仕方ないと諦める。
「そうだ、命ちゃんさえよければ一緒に行く?義母も命ちゃんに会いたがってたし、旭とサクヤくんの遊び相手をしてあげてよ」
トキオの申し出に命はお気に入りの旭と更に闇の神子のサクヤと一緒に遊べるというご褒美に二つ返事で同行する事にした。
直ぐに出るということなので、命が外で待つ事数分、トキオたちが身支度を済ませて現れたので命、トキオと楓、そして乳母車に乗った旭の四人で神殿へ向かった。
「ねーね」
乳母車を覗き込むと、たまにしか会えないのに旭が満面の笑みで姉と慕ってくれたので、命は至福に顔をとろけさせた。抱っこをせがまれたので抱き上げると、そのまま神殿まで歩く。
「すまんな命ちゃん」
楓が謝るので、命は首を振ってデレデレの笑顔を浮かべる。
「いいえ、旭ちゃんを抱っこしてお出掛けなんて最高です!」
「それもだが、トキワの不始末。傷ついただろう?あいつは本当に周りが見えていない愚か者だ。全く人付き合いが嫌いな所は私に似なくてよかったのに」
顔をしかめて楓はトキワの結婚騒動について苦言を呈した。
「まあ確かにショックで寝込んじゃったけど、それ以上に素敵な出会いがあったから結果オーライです」
「……もしや今日うちの近くに来てたのは、件の同級生に会ったからか」
察しがいい楓の言葉に命は余裕の笑を浮かべて肯定した。
「そんなキャットファイトが繰り広げられていたとは。観戦したかった。で、勝ったんだよな?」
「うーん、そもそもあの子は風の神子になるためにトキワを利用したかっただけだから勝負と言えるのかな?」
「ほう、なかなか興味深い。話を聞かせてもらうか」
楓が香との決戦に興味を持ったので、命は出来るだけ特定を避けるように経緯を説明すると、楓にライバルの夢を応援するなんてどれだけお人好しなんだと飽きられてしまった。
神殿に着いてから光の間へ向かうと、光の神子と闇の神子に加えて大柄で赤い髪の毛に金色の瞳をした筋肉隆々の光の神子と同じ年頃の高齢男性がいた。
「なんだ父もいたのか」
楓の発言から彼が光の神子の夫だと分かり、命は緊張してしまった。
つまり彼はトキワにとって祖父である。以前トキワから聞いた話だと、彼は神殿寄りの東の集落で木こりをしていると言っていたので、年齢の割に逞しい体付きなのは職業柄なのだと納得した。
しかし光の神子の夫が水鏡族ではないことに命は意外性を感じた。
「そちらのお嬢様は?」
低く迫力のある声で光の神子の夫は初対面である命のことを尋ねた。
「聞いて驚け。この子はトキワの彼女だ!」
何故か誇らしげに胸を張り、楓は命をトキワの彼女として紹介した。
「なるほど、君がちーちゃんか。初めまして、トキワの祖父の烈火だ。君のことはよくトキワからめっちゃ可愛いと聞いていた。確かにめっちゃ可愛いな」
「初めまして、命です」
大きな手で烈火は握手を求めてきたので、命は照れながら応じた。熊のような体格のトキワの祖父に命は自分の父のシュウを思い出して懐かしくなった。
「父は元炎の精霊だ。母と結婚するために精霊から人間になったのだ」
「え?」
サラリと楓は説明したが、命にとっては理解の範疇を超える事実だった。
「楓さん、命ちゃんがびっくりしちゃってるよ。無理もないよね。私も初めて聞いた時は冗談だと思ったから」
トキオは以前同じ立場だったので、命の気持ちが理解できてフォローに回った。つまり烈火が元炎の精霊というのは事実だということだ。
「今は少し魔力がある普通の人間だ。まあ水鏡族ではないし、神官でもないから神殿で妻と暮らす事が出来ないがな」
「そ、そうなんですね。あ、旭ちゃん、サクヤ様、お姉ちゃんが絵本読んであげるねー」
少しというが絶対命よりは魔力があるのだろうと思いつつも、命は衝撃の事実から現実逃避するように仲良く遊んでいる旭とサクヤの仲間に入れてもらうのだった。
「楓さん、そういえばお義父さんが元炎の精霊だというのは神殿の重大な秘匿情報じゃなかったっけ?」
旭とサクヤに絵本を読んでいる命を横目にトキオは楓に声を潜めて指摘する。
「あ、そうだった」
トキオの指摘に楓は己の失態に気付き、気まずそうに目を泳がせた。
「トキオさんの言う通りだわ。秘密を知られたからには命さんには絶対嫁に来てもらうしかないわよね」
「そそ!私もそう思って教えたんだよ!」
光の神子の言葉に楓は調子良く乗っかった。まさか外堀を埋められているとは露知らず、命は二人の天使に囲まれて破顔しながら二冊目の絵本を読み始めていた。
旭とサクヤが遊び疲れて眠ってしまったので、命は光の神子に頼んで風の神子のお見舞いに寄ってから、神殿を後にして帰宅する。
充実した休日に頬を緩めつつも、ふと道中烈火が元炎の精霊だというのは誰にも言わないよう口止めされたのを思い出した。
トキワは光の神子と元炎の精霊の孫というとんでもないスペックを持っているのに、普通過ぎる自分が相手で本当にいいのか少し不安になる。
しかしトキワが側にいて欲しいのは自分なんだし、自分だって側にいたいと言い聞かせると、弱気になってしまった自分を戒めるように両手で頬を叩いてから家路を急いだ。