155湯けむり温泉旅行2
「あちゃ……」
早朝、命が秋桜診療所に出勤して診察室のドアを開けようとしたら、経年劣化により診療所のドアノブが壊れてしまった。そしてドアが開かなくなったため、桜の許可を得て命が蹴破ると、ドアは音を立てて大破した。
「まあ、明日から診療所の改修工事を行う予定なんだし気にするな。今日昼から大工さんと最終打ち合わせをするから見積もってもらおう。とりあえず目隠しにシーツでも張ってくれ」
桜の指示で命はドアの破片を片付けると、ドア枠に古いシーツを暖簾のように張って、午前の診察を乗り切った。
改修工事に向けて今日の午後を含めて八日間、診療所は休みとなる。書類関係や医療器具に衛生用品、桜の身の周りの物など事前に箱に詰まれた物を命の自宅に一時的に置くことになっているので、命は昼食後動きやすいように白いTシャツとジーンズに着替えると、せっせと自宅と診療所を往復していた。大きな家具以外の荷物を今日中に運び出さないといけないのだから大仕事である。
「こんにちは、改修工事の最終打ち合わせに参りました」
荷物を運んで命が自宅から出ると、人の良さそうな長身の二十代半ばの男性と、同い年位のポニーテールの女性が道具片手に診療所の前にいた。彼らは棟梁の息子夫婦で今回診療所の改修工事を担当してくれる大工だ。
「ヤマトさん、檀さんお待ちしてました。どうぞこちらへ」
命は夫妻を桜がいる診察室へと案内した。打ち合わせも三回目となると気さくな人柄の夫婦に桜と命もすっかり打ち解けていた。
「どうもお世話になります。早速だけどドアがぶっ壊れたんで追加で採寸と見積もりをよろしく」
シーツの暖簾をくぐってきたヤマトと檀に桜は壊れたドアノブを見せながら依頼した。
「これは……ドア枠は大丈夫そうだから新しいドアを取り付けるだけで済みそうですよ。蝶番も変えた方がよりいいかな」
ヤマトは採寸としながら状態を確認する。檀はそれを素早く記録している。
「予算内に収まりそうですか?出来れば役場からの補助とうちの修繕積立金内で収めたいんですけど……」
秋桜診療所は西の集落唯一の診療所のため、役場から毎月給与の最低保証金が支給されるのだが、それとは別に申請すると修繕補助が貰える。今回はその修繕補助金と桜と今は亡き命の父シュウが共同で積み立てていたお金を使って改修工事を行う。命も出そうとしたが、貯金が無いくせに出しゃばるなと断られてしまった。
「大丈夫ですよ。それにうちに身内がいるんですからサービスしておきますよ」
檀がにっこり笑うと、忘れないようにか赤い鉛筆で何か書いている。じつは彼らの工務店にはトキワが大工として就職しているのだ。しかしまだ結婚していないのに身内扱いでいいのだろうかと命は疑問に思った。
「明日からはトキワも連れてきますね。診療所のこともよく知ってると言ってましたしね」
「ちゃんと働いてくれるかな。心配だな」
ヤマトは気を利かせたつもりかもしれないが、トキワは命が絡むと落ち着きが無いので、命は事故が起きないか不安だった。
「普段のトキワくんてどんなんですか?」
桜の問いにヤマトは少し考え込んでトキワの仕事ぶりを思い出す。
「うちに入ってきた当初は口数が少なくて大人しかったけど、最近はみんなとも打ち解けて、明るく真面目に働いてますよ」
大人しいトキワが命はまるで想像つかなかった。普段のトキワと風の神子代行をしている時を足して割った感じだろうかと推測してみた。
その後桜が打ち合わせをしている間も命はせっせと荷物を運んだ。久々の肉体労働に着ていたシャツは汗に塗れて一つに束ねていた髪の毛もまるで水を浴びたようになっていた。しかし荷物はまだ半分、しかも重たい医学書や大量のカルテがまだ残っている。
男手のレイトがいれば捗ったかもしれないが、事前にお願いするのを忘れてしまっていたため、生憎ギルドに出稼ぎに行っていて留守だった。
一旦水分補給をしてお菓子を摘んでから作業を再開すると、打ち合わせを終えた桜も加勢しようとしたが、最近腰の調子が悪いと言っていたので命は断り、荷物運びを止めて一緒に診療所の掃除を始めた。
日が傾きかけてくると、仕事を終えたトキワが加勢しに来てくれたので、二人で荷物運びを再開することにした。
「ちーちゃんお疲れ様。頑張ってるね」
トキワは疲労困憊の命を労り頭を撫でてから、視線が彼女の胸へと行った。
「今日の下着はピンクなんだ。汗で透けてるよ」
ストレート過ぎるトキワの指摘に命は目を丸くさせ、サッと手で胸を隠し、慌てて自室へ向かい服を着替えた。
「桜先生なんで教えてくれなかったの!」
「すまん気づかなかった」
命は怒りの矛先を桜にぶつけるが、桜は命の服装に気づく余裕が無かったようだ。
トキワが荷物運びに加わった事で作業効率は格段に上がった。重たい荷物や家具に軽減魔術を掛けてくれた上でトキワは手際よく荷物が入った箱を運んだ。
一時間後、家具を事前に片付けておいた物置に置けば、荷物の移動は完了した。
「やったー!終わったー!トキワ、本当にありがとう!」
予想よりも早く重労働から解放された命はトキワに感謝して抱きついた。珍しく積極的な彼女にトキワの機嫌は急上昇だ。
「どういたしまして。そうだ!ちーちゃん、手伝ったご褒美に明日お昼にお弁当作ってよ」
明日の改修工事はトキワも仕事で参加する。一週間の工期の間、仕事の休憩の度に命の顔が見れる最高の現場をトキワは指折り数えて待っていた。
「いいよ。ちょうど私と桜先生も作業があるからお弁当を作っておこうと思ってたから、ついでに用意するね。リクエストとかある?」
「じゃあちーちゃんが作ったハンバーグ!」
「了解。大きいの入れてあげる。だから明日のお仕事頑張ってね」
「ありがとう、ちーちゃん大好き!」
「私も」
物置なら二人きりだとトキワは命の汗ばんだ首筋を舐めてから、彼女の顎に手を添えて唇を重ね、明日からの甘い時間に想いを馳せた。