154湯けむり温泉旅行1
休日の昼下がり。命は自分の部屋のベッドで壁を背もたれにして読書をしていた。今日の本は神殿の図書館で借りた温泉地が舞台のシリーズ物のミステリー小説だ。
「ちーちゃん、これ何?」
最近ようやく命の部屋に入れてもらえるようになったトキワが命に膝枕をしてもらいつつ暇を楽しんでいると、机の上のチラシに気付いて手に取り、再び命の膝に頭を預けた。
「これは温泉旅館のチラシだよ」
「だから秘湯温泉旅館殺人事件なんて物騒な本を読んでたんだ。でも温泉かー」
思えば温泉旅行なんて行ったことが無かった。それどころか楓が昔は事情があったにせよ元々出不精なので、家族旅行なんて日帰りでも無かったし、今更行くのもめんどくさいと思った。
だが命と二人きりで行くというのなら話は別だ。遠方なら誰にも邪魔されず手を繋いで観光して、夜は温泉旅館に泊まってしっぽりする。チラシの絵を見て妄想するだけで気分が高揚する。
「いいな、すごくいい……」
チラシを眺めながら妄想を繰り広げているトキワをよそに命は本を読み進めていく。
「……」
しばらく妄想をしていたトキワだったが、次第に身体が疼いて命の太腿を撫で回し始めた。
「くすぐったい止めて」
読書を邪魔されて命は苛立った声を出したが、トキワに本を取り上げられ、やんわりと組み敷かれてしまった。
「髪の毛、伸びてきたね」
トキワは命の髪の毛を指に絡ませて口付ける。去年命が村に帰ってきた時は首の半分にやっと届く位の長さだったが、今では肩に届く位になっている。
「トキワは長い方が好きなの?」
「そうだなー、なんていうか髪の毛が長いちーちゃんの方がなんていうかしっくりくる。初めて出会った時が長かったし、短いと先代の闇の神子の時を思い出しちゃうからな……」
命が先代の闇の神子からの攻撃で負傷した時、長かった髪の毛が切り落とされてやむなく短く切ったことがあった。トキワはその痛々しい姿を連想していたようだ。
「そっかー、じゃあこれからも伸ばそう。ただ乾かすのが大変なんだよね。前はお義兄さんが家にいたから楽だったけど」
レイトが祈と結婚して同居になり、家を建てて出て行くまでの間、濡れた髪の毛を乾かしてもらうのがすっかり日常になっていて、一種のコミュニケーションになっていたなと命は顧みる。現在はトキワが貢いでくれている風魔石を利用してるが、消耗品なので毎日使うのは贅沢な気がしてあまり使えなかった。
「結婚したら俺が乾かすからそれまで辛抱してね」
そう言ってトキワは命に覆い被さると、彼女の唇を堪能する。密着しているのでお互いの胸の鼓動が伝わる。命は今まで余裕が無くて自分ばかりドキドキしていると思っていたが、回数を重ねる内にトキワも平気そうに見えてじつはドキドキしていると気づき、彼を愛おしく思うようになった。
「ねえ、今度泊まりで一緒に温泉に行こうよ?」
先程のチラシですっかり気分が乗ってきたトキワは命を温泉に誘う。
「えー、温泉はちょっと……」
あまり乗り気じゃ無い返事にトキワは命の右耳に輝く瑠璃色のピアスに唇を寄せる。
「一緒に観光や食べ歩きしたり、夜と朝と一緒に部屋についてる露天風呂に入ったりしたいな」
耳元でチラシで得た情報を元に旅行プランを囁いてくるトキワに命は心拍数が上がってきた。
「……ところで将来結婚するにあたり確認したいことがあるんだけど」
温泉旅行の話題を避けたかった命はトキワと結婚するための話し合いが増えていたので、そちらに話題を逸らす。
「こ、婚前交渉についてどう考えてるの?」
これまで何度も勢いで関係を持ちそうになりながらも未遂で終わっていたが、本気で結婚するならばそこははっきりしておきたいと思い命は問いかけた。
「ありだと思っているよ。それはもう今すぐにでも」
とても本能に素直なトキワの考えに命は吹き出したくなるが顔を逸らして堪える。
「ちーちゃんも子供が欲しいなら慣らしていた方が痛く無いかもしれないし」
「いらない派の人間が何言ってるの?」
命はトキワの言葉の矛盾を指摘すると、気まずそうにトキワは目を泳がせる。
「それはその、避妊すれば……」
「それでも出来ちゃう時は出来ちゃうよ?避妊は百パーセントじゃないの。その時は産むよ?絶対堕ろさないよ」
診療所にも望まない妊娠をした女性が稀に現れる。桜はしっかり女性の話を聞いてサポート体制についても説明して、出来るだけ産むよう説得するが、それでも堕ろす時の処置ほど後味が悪いものはないと命は桜とよくぼやいていた。
「……くっ、わかった!どっちの選択もちーちゃんの体に負担が掛かるから。今は一線を超えない程度にイチャつく!ただ俺の気持ちに整理がついたら婚前交渉もありになることは覚悟して」
これは己の欲望に打ち勝ったと言えるのだろうか。正直な所負けてくれた方が子供が欲しい命にとっては都合が良かったかもしれないが、結婚前に子供が出来たら各方面から雷が落ちると思うので、これで良かったのかもしれない。
しかし一線とは一体どの辺りまでなのか。なんだか聞くのが怖かったので、命は今日のところは追及するのはやめて、そういえば浮気の一線についても今後のため話し合うべきだと思い口を開いた。