152ニセモノ8
二人きりで話したい。
いつものように仕事終わりに命に会いに来たある日、トキワは真面目な顔をしてそう言った。
最近どこか余所余所しく、スキンシップも無いし、早目に帰ってしまうトキワに命は酒の飲み過ぎで酔って記憶を無くしたあの日、何かやらかしてしまったのかもしれないと気が気でなかった。
何度も家族に尋ねても言葉を濁されて、もう二度と酒を飲み過ぎるなと注意しかされず、命の不安は増すばかりだった。
子供なら素直に話すだろうとヒナタにも聞いてみるが、祈に言い聞かせられているのか、内緒と言われてしまった。
もしかしたらトキワが切り出すのは別れ話なのかもしれないと結論づけた命は約束した話し合いの日までずっと生きた心地がしなかった。
***
「嗚呼、ウェディングブーケ様……どうか私を破局の危機からお守りください!」
遂に話し合いの日、ここ数日間命は魔術で水分量を調整してドライフラワーにして自室に飾っているウェディングブーケに跪き指を組み、懸命に祈っていた。最早迷信に縋り付くしか無かったのだ。
約束の時間から十分が過ぎた頃、命が自室のベッドに寝転がり、貴族の婚約破棄ものの恋愛小説を読みながらイメージトレーニングをしていると、呼び鈴が鳴った。遂に死刑執行の時間が来たと命は怯えながら玄関のドアを開けると、やや緊張した面持ちのトキワが立っていた。
「ごめん、少し遅くなった。これあげる」
トキワは命にお菓子の入った箱と色とりどりのスイートピーの花束を渡して来た。朝からわざわざ港町まで行って買って来てくれたのだから、別れ話は杞憂だろうと命は心の中でほっとした。
「わー、ありがとう!折角だから一緒に食べよう?お茶入れるね。適当に座ってて」
命は台所に行ってお湯を沸かしてティーセットを用意するとお菓子の箱を開けた。中にはバターがふんだんに使われたクッキーがギッシリと敷き詰められている。次にお湯が沸くまでの時間を使い命は花瓶を取り出すと、スイートピーを生ける。
「はっ、これってもしや……」
色とりどりのスイートピーはまるで蝶々のようで春らしくて可愛らしいと思ったが、さっきまで読んでいた恋愛小説でスイートピーは別離という花言葉があると書いてあったことを思い出し、更にクッキーはサクッとした関係、つまり友達でいようと主人公が別れた婚約者に贈られたらお菓子だったと更に思い出し命は思わず花瓶を落としそうになった。
「やばいやばい、どうしよう……」
これは偶然だ、わざわざこんな手の込んだ真似をするわけないと自分に言い聞かせながらも、命は完全に動揺していた。
その後は記憶がなく気付けばソファ前のサイドテーブルにスイートピーを生けた花瓶を置いてから、紅茶を淹れてクッキーと一緒にトレーに乗せてダイニングテーブルに置き、二人で向かい合って席についていた。
今日は二人で話がしたいからとトキワが事前に光にお願いしていたらしく、光は祈達の家に遊びに行っている。実はイブキとデートらしい。つまりこの家には命とトキワの二人しかいない。
震えた手でティーカップに紅茶を注いで命はトキワに差し出してから自分にも注いでから口にする。
「薄っ……ごめん、茶葉の量間違えた」
「いいよ、折角ちーちゃんが俺のために淹れてくれたんだし飲むよ」
トキワの優しい言葉に命はいつもなら嬉しいのに、今日は距離を置かれているような気分になった。クッキーも普段なら美味しくて、サクサク食が進むのに、一枚がとても重い。
「……じつは今までちーちゃんに黙ってたことがあるんだ」
命がクッキーを口にしなくなると、トキワが話を切り出した。黙っていたことという言葉に命は様々な最悪なパターンを考えて、ダメージの軽減を図る。
じつは他に好きな人が出来た。
じつは村を出ることにした。
じつは命に飽きて来た。
じつは行きずりの女を孕ませてしまった。
じつは男の方が好きだったみたいだ。
じつは……
「十歳の頃からちーちゃんと結婚するために、マイホーム資金を貯めてました」
「へ?」
全く予想していなかったトキワの言葉に命は呆気に取られてしまった。
「そしてこないだギルドの依頼達成報酬が入金されて目標額に到達しました。今日はちーちゃんに見せたいから記帳しにギルドに寄って来たんだ」
トキワはギルドが運営する銀行の預金通帳を命に手渡した。通帳を開くと、今まで見たそとの無い金額が記帳されていて命は目玉が飛び出そうになった。
「思ったより依頼達成報酬が大きかったから、結婚式の費用もこれで賄えそうだよ。だからちーちゃんはお金のことは一切気にしないで身一つで俺の所にお嫁に来て」
「……私にそんな価値があるのかな?」
トキワの貯金額に驚き命は先程までのマイナス思考を引きずって自分を卑下してしまった。
「俺にとってちーちゃんはお金よりもずっとずっと価値があるよ。だからさ、今日は俺とちーちゃんの未来について一緒に話そう」
自分も近々話したいと思いながらも二の足を踏んでいて言い出せなかった命はトキワから切り出してくれたことに安堵しながらも、もし意見や価値観が合わなくて決裂したらどうしよう。少なくとも子供については意見が違うので、再び破局の危機だと震え上がるのだった。