139秋の神子総選挙8
まさか精霊降臨の儀の練習がこんなにも過酷だなんて、トキワは思いもしなかった。
風の神子代行として儀式を引き受けた日、神官から渡された練習スケジュールは大精霊祭当日の三週間後まで毎日びっしりと詰まっていた。そのため、トキワは職場に赴き親方に事情を説明して、精霊祭が終わるまで仕事を休むことになってしまった。親方のイワオとおかみの緑は休んでる間給料は出さないが、名誉な事だから頑張れ当日を楽しみにしていると笑って送り出してくれた。しかし新人のくせにまたもや長期間休むことにトキワは後ろめたい気持ちを感じた。
次に神殿に泊まり込みになるので、自宅に戻り着替えを取りに行くついでに両親にも説明すると、楓の魔力を制御する腕輪が順調に作用してるから旭の育児は問題ないと、こちらも笑顔でトキワを送り出してくれた。しかし楓はそのまま風の神子になって神殿から一生出てくるなと嫌味たらしく笑った。その姿は思い出すだけで眉間にシワが寄る。
「トキワ大丈夫?疲れてない?」
大精霊祭まで残り一週間。休憩時間にトキワがぼんやりとしていると暦が心配そうに様子を見に来た。
「ありがとう、暦ちゃんこそ大丈夫?風の神子の代わりに俺が入ったから突然進行とか演出が変わって大変なんじゃないの?」
「え、何言ってるの?精霊降臨の儀の進行と演出は元々トキワがやるの前提で作られているのよ」
まさか自分が引き受けるのが前提に事が進んでいると思わなかったトキワは風の神子と光の神子の策士ぶりに寒気がした。
休憩が終わり練習再開となった。前回の大精霊祭経験者は光の神子しかおらず、他の神子達は上は三十三歳の水の神子のミナト、下は一歳の闇の神子と若い世代ばかりだった。
今回闇の神子は幼子なので特にすることはなく、光の神子が抱いてお披露目するだけで、光の神子は最後に満を辞して登場して光の魔術を使い会場全体を光で包むという美味しいとこ取りをするだけなので、特に練習を必要とせず練習場には一日一回顔を出す程度だった。
残された若者達は様々な演出を行う。トキワが行うのは両手剣に風を纏わせての剣舞と、魔術で風を起こして事前に用意されている花びらを会場全体に舞い散らす演出、そしてミナトとの模擬戦だ。演出家の神官が言うには、美男子同士の模擬戦は史上最高に盛り上がるはずだと鼻息を荒くするが、トキワはどうせなら模擬戦じゃなく、実戦でミナトを倒したかったなと過激な思想を巡らせていた。
女性陣は炎の神子の暦と氷の神子、土の神子と雷の神子の組み合わせで模擬戦をするらしい。練習風景を見学するとなかなか興味深い戦い方をしているので、自分の戦闘スタイルにも取り入れられないかと、トキワは必死に観察していた。
「トキワくん、次は私たちの番だよ」
ミナトから声をかけられトキワは顔をしかめながら立ち上がると、左耳のピアスに触れて水晶を両手剣の姿に変える。それに倣ってミナトも斧槍を象る。
「お手柔らかにね、おっさん」
神殿に缶詰め状態で鬱憤が溜まっていたトキワはミナトを挑発すると、剣を構えて模擬戦へと臨んだ。
***
「どうしよう……」
トキワが家に来なくなったので、命は仕事を終えてから神殿に来ていた。精霊降臨の儀の練習を真面目にやっているのか、体調を崩してないかなど心配なのもあるが、自分自身が少し寂しくなって、気付けば昨夜作ったチョコチップクッキーを手土産に神殿を訪れていた。しかしどうやって会って渡すか全く考えてなかった。
本来神子個人への贈り物は身内以外禁止されていている。何故ならば信者からの差し入れを受け入れたら、各神子への貢ぎ物に異物や毒物が入ってないか確認する作業に時間がかかるからだ。
自分はトキワにとって身内だろうか?命は考えた。恋人という関係は身内と言える気がしない。やはり血の繋がりのある親子や兄弟に親戚、契りを交わした夫婦、あとは姻族が身内として妥当だろうと考える。
仕方ない諦めようと命は家に帰ろうとしたが、折角ここまで来たのだからいつか訪れようと考えていた中庭のバラ園に行ってみようと思いついて、一般開放されている中庭へ向かった。
「わあ、きれい」
手入れが行き届いた小さなバラ園は色とりどりのバラが咲き誇っていた。
「ここでトキワのお父さんはお母さんにプロポーズしたんだ……」
以前楓からトキオとの馴れ初めを聞いて以来、命はここに来たかったのだ。こんな所でプロポーズされたら受けずにはいられないなと命は口元を緩めた。
「あれ、命ちゃんだ」
背後から声をかけられて命が振り返ると、話題の中心だったトキオが荷物片手に立っていた。
「トキワのお父さん、こんばんは」
「こんばんは。どうしたの?もしかしてトキワに会いに来てくれたの?」
トキオの問いに命は素直に頷く。
「元気にしてるかな、て思って。差し入れを持ってきたのだけど、私は身内じゃないから無理だったから帰ろうとしたところで、そういえば中庭のバラ園に行きたかったなって思い出して現在に至ります」
命は頼りなさげに笑って説明した。
「そうだったんだ、ありがとう。じゃあ一緒に会いに行こうか?ちょうど顔を見に来たんだ。今トキワは大精霊祭まで神殿に泊まり込みで練習してるんだよ」
確かにトキオと一緒なら父親だし、元々神子関係者なので会う事は可能だ。彼の申し出を受けようか命は悩んだが、明日も仕事で時間もないので、首を横に振った。
「差し入れだけ渡してもらえますか?もう帰らないと行けない時間なので」
「そっか、わかった。しかしトキワ残念がるだろうな」
「あはは、目に浮かぶや。それじゃあ私はこれで」
命は笑ってごまかすと、足早に神殿を出て帰路へと着くのだった。そしてトキワは頑張っているのに邪魔をしてはいけないと悪い方向に気を遣い、大精霊祭当日まで神殿に赴くことは無かった。