121小さな掌7
二時間ほどしてからトキオが神殿から帰ってきた。楓程ではないが、魔力が高いらしいトキオは両腕に氷の神子と水の神子が作った腕輪を二本ずつつけることで、辛うじて魔力を抑え込むことが出来たそうだ。
しかし楓の魔力を抑えるほどの腕輪を作るのは時間がかかるという事情で、今回は快適な母子の触れ合いは叶わなかった。
「トキオさんだけずるい」
腕輪で制御された状態で旭を抱っこするトキオを楓は離れた位置から恨めしそうに見ている。
「じゃあ私はそろそろこの辺で失礼しますね。良ければまた旭ちゃんに会いに来てもいいですか?」
予定より長居してしまった命は家に帰ることにした。今からゆっくり歩いても夕飯には間に合いそうだ。
「もちろんだよ。今度は泊まりにおいで。色々作って待ってるよ」
「うむ、その時はまた一緒に風呂にでも入ろう」
「はい、旭ちゃんもまたね」
トキオと楓の申し出に命ははにかみながら笑うと、大きく頷いた。そして旭のぷにぷにのほっぺたを優しく突いてから頭を下げて玄関に向かう。
「送ってく」
「ありがとう」
命の後を追うようにトキワも彼女の腰に手を回すと、玄関のドアを開けてエスコートする。
帰りはトキワの提案で二人でゆっくり歩いて帰ることにした。命は見慣れない道をご機嫌で歩く。
「旭ちゃん本当に可愛かった。いいなトキワはあんな可愛い妹と毎日一緒だなんて!はー!赤ちゃんって最高!」
早口気味に命はトキワを羨む。トキワは口を挟むことなく、静かに命に歩調を合わせて歩いていた。
「もちろん、自分の妹も、みーちゃんもいくつになっても最高に可愛いんだけどね。あの子ももう十三歳か。あ、十三歳といえば私がトキワと初めて会った時と同じ歳だ」
血を分けた姉妹なのに命が十三歳の時と比べると、髪が肩甲骨の辺りの長さという所は同じだが、せいぜい一つにまとめる程度の髪型しかしなかった命に対して、実はいつもこめかみの辺りでツインテールにして、髪飾りを着けているせいか、少し幼い雰囲気もあるが、愛らしい笑顔とよく合っている。身長も平均的で、胸はまあまあ出てきているが、当時の命ほどは大きくない。
「もしもトキワが先にみーちゃんと出会ってたら、私とは違う関係になってたのかな?」
例え話だとわかっていても、命は自分で言っておきながら情けなくなってきた。周囲に自慢したい位可愛い妹が彼氏としてトキワを紹介したら、きっと自分は彼を好きになっても、一生想いを伝えないまま応援し続けるだろう。
「俺が実ちゃんにちーちゃんより先に出会っていたら、まあそれなりに仲良くはなると思うよ。明るくていい子だし。で、実ちゃんからお姉さんだとちーちゃんを紹介されたら……」
トキワの好意的な発言に命は胸がズキリとする。トキワから他人行儀にお姉さんと呼ばれた日には生きた心地がしない。
「一目惚れして、即口説いてる」
自信満々に笑うトキワに命はキュンとしながらも、勝手に妄想して落ち込んだ自分が恥ずかしくなってしまった。
「どんな出会い方をしても結果は同じだよ。俺がちーちゃんに出会えば、一目惚れして口説くよ。あとちーちゃんは知らないだろうけど、実ちゃん彼氏がいるよ」
「は!?いつ?誰!?」
実に彼氏がいることは命にとって青天の霹靂だった。しかもなんで姉の自分より先にトキワが知っているのかという悔しさもあった。
「一昨年の精霊祭で東の集落が主催だったから、俺も学校の出し物で参加してたんだけど、実ちゃんが同い年位の男の子と仲良く歩いていて、声掛けたら彼氏だって紹介してくれた。多分今も続いてるんじゃないかな」
ちなみに学校での出し物は演劇で大道具係をしたと話すトキワの声が命はショックで全く入ってこなかった。
「その彼氏ってトキワから見てどうだった?美形?誠実そうだった!?」
側から見たら痴話喧嘩の様な勢いで、命はトキワに詰め寄る。実に変な男が寄り付いていないか気が気でなかった。
「ごめん、一昨年のことだから顔は覚えてない。実ちゃんに直接聞いたら?」
「えー、教えてくれるかなー?今までそんなこと全然言ってこなかったのにー!」
グダグタ悩む命にトキワは思わず声を上げて笑い始めた。
「な、なに笑ってるのよ!トキワだっていつか旭ちゃんに彼氏が出来たらこうなるんだからねー!」
「えー、旭の彼氏とかどうでもいいやー。寧ろあいつ絶対ちーちゃんに懐きそうだから、さっさと他の相手見つけてそっちに行って欲しい」
将来の妻が妹と、家族と仲良くするのは家庭的には理想なのだろうが、トキワは面白くなかった。
「……もしかして、今日たまにトキワが機嫌が悪かったのって、旭ちゃんに嫉妬してたからなの?」
旭が泣き止まないから機嫌が悪いと思っていたが、まさか赤子である旭に嫉妬していたからとは思わなかった命は今更気づいて指摘した。
「そうだよ。自分でも心が狭いし大人気ないと思ってたけど、あんまりちーちゃんが旭、旭って夢中になってて、面白くなかったんだよ」
気恥ずかしそうにそっぽを向いて嫉妬していたことを白状したトキワが命は可愛らしく思えて、思わず彼の腕にしがみついた。
「うふふふ、旭ちゃんもみーちゃんも可愛いけど、トキワが一番可愛い!」
可愛いという所に少し引っかかりを感じつつも、命にとって自分が一番だと言ってもらえて、トキワは今日一日溜まったストレスが和らいだ気がした。
「ちょっと寄り道しよう」
命の手を引きトキワは歩道を外れ、薄暗い森の中に入った。恋人の突然の奇行に命は戸惑いを隠せなかった。
そして歩道から見えない所まで移動すると、トキワは命に抱き着いた。まさかイチャつくためにこんな所に移動するなんてと呆れながらも、耳元にかかる余裕の無いトキワの吐息に心臓をバクバクと跳ね上がらせた。
「一年位前かな?診療所に向かう途中でさ、森の方で気配がしたから魔物だと思って警戒して近づいたら、俺の同級生がイチャついてたんだよね。もうびっくりしちゃった」
幸い気付かれなかったので、黙って引き返した当時を思い出しながら、今こうして衝動的に同じ行動を取っているのは同級生カップルが羨ましかったのかもしれないと回顧しながらトキワは命の柔らかい唇に自身の唇を押し当てて、甘い感触を堪能した。
「ちーちゃん、大好きだよ。今まで離れてた分だけ沢山イチャイチャしようね」
口付けの余韻を楽しむように蕩けた瞳で真っ赤になった命の顔を見て満足すると、魔物を警戒してトキワは手を取り歩道へと戻った。
三年間様々な知識を得ながらお預けを食らっていたトキワは命と再会して、完全に欲望の箍が外れてかけてしまっていた。
一方で命は心臓が持つのか不安になりつつも、少し期待している自分が恥ずかしくて、家に帰ると水で顔を何度も洗い、顔の火照りを冷やすのに必死になっていた。