115小さな掌1
命が故郷の水鏡族の村に戻り、秋桜診療所で働き始めてから一週間が経った。医療学校に通う前までは簡単な手伝いしか出来なかったが、今では専門的な診察や治療の補助も意味を理解した上で行うことが出来て、桜からも感謝された。それが命のやりがいへと変わり、日々精進する為にも診療時間が終わってからも、桜と話し合う時間が増えた。
今日は乳児検診に訪れる患者が多かった。命は乳児の体重や身長、体温などを測って記録したり、母親が桜から診察や指導を受けている間、乳児を抱っこしてあげたりと奮闘した。
「はあ、可愛かった……」
昼休憩に入って命は桜と昼食を取りながら、午前中の乳児達を思い出して悦に浸る。
「お前昔から赤ちゃん好きだよなー」
「うん!きっかけはやっぱりみーちゃんかな」
命は妹の実が生まれ、初めて対面した時の感動を今も覚えていた。それもナースを目指したきっかけの一つかもしれないと感じていた。
「昔兄さんと義姉さんにもっと赤ちゃんが欲しいってねだってたのが懐かしいな。果てには私にまで頼んでたよな」
桜は子どもの頃の命を思い出して笑う。無邪気で幼かった姪も今ではこんな立派に、しかも自分と同じ仕事をしているのだから不思議な気分にもなった。
「いやーでも南の、同級生の赤ちゃんまで検診するとは思わなかったな」
つい先月、命の親友である南と幼馴染みのハヤトとの間に女の子が誕生した。今日は一ヶ月検診に来ていた。命も手紙のやり取りで妊娠は知っていたが、待合室で顔を合わせた時は二人で思わず声をあげた。
「まあお前たちももう十九だろ?村の若者は結婚が早いからそんなもんだろう。というか、お前ももう結婚すると思ってたぞ」
先日トキワと無事家に辿り着き、家族みんなで夕食を共にした時、トキワは神妙な面持ちで命と結婚を前提に付き合うことになったと告げた。しかし命を除く一同は結婚じゃないのか、ていうかまだ付き合ってなかったのか、という反応だった。
「あはは、私もそう思ってた。まあお互い仕事も始めたばかりだし、準備と様子見かなー」
「そうだったな。しかしまさかトキワくんが大工になるとはな」
「うん、私も初めて聞いた時は驚いた」
トキワが選んだ仕事は大工だった。去年レイト達の家が建設されている様子を見学していたら、親方に声を掛けられて意気投合して、学校卒業後から働いているらしい。日給制で雨の日は休み、工期が迫れば休日返上などと、不安定ではあるが、そこは内職の魔石作りや休日にギルドの依頼をこなすことで妥協したようだ。
因みに先日命を迎えに行くために長期に渡って仕事を休むことになったわけだが「お前はまだ新入りだから戦力外だし、こういう時は女の方を選んだ方がいいから行ってこい。給料が出ないのは我慢しろ。帰ってきたらビシバシしごく」と親方が快く送り出してくれたとトキワが帰りの汽車で命に話してくれた。
「やっほーちーちゃん、桜先生!ご機嫌いかが?」
昼休憩中だからか遠慮なしに祈が診察室に入ってきた。レイトは仕事、ヒナタは幼稚園なので一人家で過ごすのが退屈だったようだ。
「ちょっとお姉ちゃん!休んでなきゃダメでしょう?」
命は祈を叱りながらも、現在第二子を妊娠中の祈の身体を心配して、肘掛け付きの椅子にクッションを敷いて座らせた。
「うふふ、ありがとう。こないだは本当にごめんね。普段は気を付けてしてるんだけど、盛り上がって忘れちゃう日もあるじゃない?まさかそれが当たっちゃうなんてねー!」
「身内の赤裸々な話は聞きたくない」
真顔で命は姉夫婦の事情をシャットダウンすると、昼食のパンを齧る。
「それにまあ、トキワが来てくれて色々助かったし。お迎えの件は結果オーライだよ」
下宿先でのエミリア誘拐事件もトキワが早く到着していたから被害が最小限に抑えられたと思っている。多分命一人でも解決は出来ていたが、下着姿で町を闊歩することになっていただろう。汽車の火事についてはレイトと祈がいた方がもっと早く消火出来た気もするし、ミノタウロスの件に至っては認めたくないが、勇者のおかげで苦労していないが。しかしトラブルはあったが思い返せば、トキワとの二人旅は楽しいものであった。
「トキワちゃんもちーちゃんが帰ってきて前みたいに明るくなってよかった。あの子ちーちゃんがいない間、あんまり笑わなくなってて見てるこっちが辛かったわ」
「そうだったんだ……」
祈はその時のトキワを思い出したのか目に涙を浮かべた。随分と寂しい思いをさせたのだなと命は少し心が痛んだ。
「ところで今度の休み、行くんでしょ?トキワちゃんのお家にご挨拶!いやー私もレイちゃんの実家に行った時は緊張したわー!レイちゃんのご両親と八人のお兄さんお姉さんとその家族が一同に集結しちゃってさー!流石の私も食事が喉に通らなかったわー」
レイトは九人兄弟の末っ子で、兄と姉の全員が家庭を持っていたため、レイトの結婚の挨拶がてら親族一同で集まり、宴会騒ぎだった話は命も祈から聞いていた。
「その点お前はご両親と妹さんだけで良かったな。まあ、神殿の方の親族もってなったら、中々しんどかっただろうけど」
桜の言葉に命は頷く。光の神子の祖母と炎の神子の叔母、そして去年叔母と結婚した水の神子などを中心とした名だたる面子で食事なんて、味がするわけがないと思った。
「ま、トキワのお父さんとお母さんとは顔見知りだし、私的にメインイベントは旭ちゃんとの初対面なんだけどね」
先月生まれたトキワの妹である旭との初対面を命はずっと心待ちにしていた。
「トキワに似ている赤ちゃんなんて最高に可愛いに決まってるよねーはあ、楽しみ」
「そんなにトキワちゃんに似た赤ちゃんが楽しみならさっさと結婚して自分達で作ればいいのにねー」
「だよな」
祈は桜に意見を求めると、桜も同意する。しかし旭のことで頭がいっぱいの命にはその会話は届かなかった。