1 美少女を拾ったつもりが…1
「はあ、めんどくさ…」
木々に囲まれた道で大きくため息をつきながら、肩甲骨の辺りまで伸びた灰色の髪の毛をなびかせ、猫のようにツンとした赤い瞳を不機嫌そうに細めて歩く少女がいた。
彼女の名は命、年齢は十三歳。歳の割に大人びた体格で、同い年の少女達と比べて拳一つ分以上は高い、いわゆる早熟だった。
現在、武術鍛錬の為に訓練所に向かっているのだが、あまりやる気が無いためか、足取りは重い。
なぜ少女が武術訓練するのか。それは彼女たちが戦民族である水鏡族だからだ。とはいえ、現代において彼女たちが戦場に出る機会は無い。もちろん戦民族であることを活かしてどこかの国で騎士をしたり、傭兵や用心棒、冒険者になる者は少なくない。
それでも命のように子供のうちから武術訓練をするのは、魔物から身を守る為と、身体能力がずば抜けている彼女達の力を持て余さないためである。
命の将来の夢は、父親と叔母が経営する診療所でナースとして働く事なので、必要最低限の護身術を使えたらいいだろうと楽観視していて、訓練所に行くのも週に一度だけだった。
「あれ、誰かいる?」
あと少しで訓練所に差し掛かる頃、命は木陰から人の足が生えているのを見つけたので近寄って確認すると、幼い子供が息を荒げて木にもたれ、足を投げ出して座っていた。子供は水鏡族の中でも数える程しか存在しない銀色の髪の毛を持っていた。こんなに間近で見るのは初めてだったので、命はハッと息を呑んだが、気を取り直して声を掛けることにした。
「君!大丈夫?」
子供は自分の妹と同じくらいの体格だから七歳くらいだろう。髪の毛は肩まで届くほどで男か女かは判らない。命はそう判断しつつ、子供の額に触れた。
「熱がある…」
朝方の雨に降られたのか、子供の服は濡れている。命は鞄からハンカチを取り出し、子供の顔を優しく拭ってから、銀色の髪の毛をかき上げる。それにより長い睫毛に象られた溢れんばかりの大きな赤い瞳が不安そうに揺れたが、突然顔を触られて驚いたのか、命と目が合うと、目を丸くしていた。頰は青白く滑らかで、表情は強張っているが、年相応のあどけなさが存在する。
すごい美少女だ。
まるで絵本に出てくる精霊の様に美しい子供の可憐な容姿に命は感動すら覚えた。しかし惚けてる場合では無い、命は少女との会話を試みた。
「一人でここに来たの?」
命の問いに少女は小さく頷く。何か話そうとしてるが、声がかすれて聞こえない。集落の人間の顔は大体知っているが、この美少女は見覚えが無かった。そもそも銀髪持ちでこんなに可愛かったら、一生忘れないはずだと思った。
「行こう、手当てするから」
何はともあれ治療が優先だと判断した命は弱った少女を背負うと、訓練所とは反対方向に歩き出した。
命が向かった先は彼女の父と叔母が営む診療所だった。今日は休診日だったが、叔母がここに住んでいるので少女を診てもらう事にした。
「桜先生!」
「よう、ちー、サボりか?」
「違います!急患です!」
今日は暇らしく、読んでいた小説を閉じて命の叔母である桜はずり落ちていた銀縁のメガネの位置を直してから、呑気に出迎えて来た。しかし弱った少女を見るなり真顔になり、すぐに近寄り容態を確認した。
「熱があるな。ひとまずベッドに寝かせよう」
桜の指示に従い、命は少女を診察室のベッドまで運んだ。
「お父さんは?」
「暇だからって末っ子と薬草摘みに行った。それにしてもこの子、うちの集落の子じゃなさそうだな…しかも銀髪か」
「すごい美少女ですよねー」
同意を求める命に桜はニヤリと口角を上げて、首を振って否定した。
「ちーもまだまだだな。この子は美少女じゃない。美少年だ」
「え!?こんなに可愛いのに?」
桜の発言にこんなに可愛いのに男だなんて、自分が女である自信が無くなりそうだと命は瞠目してしまった。
「骨格で分かる。あと左耳にピアスがついている。まあ、顔だけ見たら間違えるのも仕方ないな。うちの集落の悪ガキどもとは正反対だからな」
そう言って桜はベッドに横たわる子供の左耳に横髪を掛けると、確かにエメラルドグリーンの水晶のピアスを着けていた。
水鏡族は何故か水晶を握って生まれて来る。その水晶は持ち主の潜在能力に合った武器へと姿を変えるという、何とも不思議な現象があった。
なので水鏡族の子供達は五歳になると、変現の儀という儀式を行い、初めて自分の武器と対面する。そこで水晶は変現の儀の際に子供の耳に男なら左、女なら右にピアスにして取り付ける事になっている。
更に武器だけでなく、水鏡族は水晶を媒体に魔術も使える。それは持ち主の属性に応じた魔術である。なお、属性によって水晶の色は異なり、命は瑠璃色なので水属性だ。
「なんならこっちも確認するか?」
「やめて下さい。身内に犯罪者はいりません」
少女改め少年のズボンに手をかける桜を命は咎めるように冷たい目で制止した。
「冗談だよ冗談…と言いたいところだが、服が濡れている以上着替えさせなけいけない。どうする?お前がするか?私がするか」
少年の体温を確認してからカルテに記録をしつつ桜は意地悪げに命に笑いかける。
「……他に誰かいないの?」
「ご存知の通り今日は休診日だ。ちょっと口開けて……あー喉が腫れてるな」
命と会話をしながらも、桜は少年の診察を続ける。熱の他に喉の腫れを確認すると、首筋に触れてた後に聴診器で胸の音も聞いて心音や肺に異常が無いと診断した。
「お義兄さん呼んでくる」
「婿殿ならりーと温泉日帰り旅行だろ?」
「そうだった」
命は三人姉妹の次女だ。義兄のレイトは姉である祈の婿で、マイホームが建つまで命達と同居しているのだが、今日は留守だった事を失念していた。こうなると男手は誰もいない。
「仕方ない。私がやる」
恥ずかしがっている場合ではない。命は意を決して別室にある子供用の着替えを用意してから、いつの間にか意識を失った少年の濡れた体をタオルで拭いて服を脱がし、出来るだけ裸を見ないようにタオルで隠しながら着替えさせた。