死の要求不満を解消したい。
生きたいという自分と死にたいという自分が常に居る。
そして体がある。
どちらに所有権を譲るべきか。
生きるというのは生物的に正しいことである。
生きていない生物は生物ではない。それはただの死骸であり、死を避けることが生物のすべてであり、死を望むことは悪である。
死ぬというのは自己中心的に正しいことである。
生きているうちは自分の損害を気にする必要がある。それはとても大変なことで、とても疲れることであり、生を望むこの体は悪である。
そもそも生物は死ぬことがゴールであり、悪いことではない。
しかし、自殺を健康な状態で試みても、恐怖や拒否感があり、なかなか出来ない。
死ねば得体のしれない希望も恐怖も不安も安らぎも疲労も快感も全部消え去る。
生きれば得体のしれない沢山のものを感じていなければならない。
そこで一つの折衷案が出された。
何も感じずに生きればそれは死にながら生きることができるのではないか。
だから、死にたくなったら何もしないのが一番である。
ずっとベッドや布団に居続けてもいいし、机に突っ伏してもいい。
考えてはいけない。感じてはいけない。
思考が勝手に行われることがストレスに感じるかもしれないけれど、それすらも無視してただひたすらに何もしない。
これで少しは不快感が薄まってくれるはずだ。
もしそのまま自分が消えたなら、それはそれで良いだろう。
世界に少しだけさよならだ。