四話 イロハのイでシージャック(その二)
場所はトラックデッキ。
そこは大型車が駐車場のように積載されており、文太郎のトラックもここに止められていた。
犯人はその丸太を積んだトラックの横であぐらをかいている。
荷台下の燃料タンクに百円ライターを向け、徹底抗戦の姿勢を見せていた。
給油口を開けているので、いともたやすく燃料に引火するだろう。
ちなみに大型トラックはディーゼルエンジンなので、ガソリンではなく軽油が燃料だ。
そして文太郎のトラックに搭載された燃料タンクは二つ。
一つの容量が三百リッター、計六百リッターの軽油が満タンとなっている。
そんなものに引火すれば、各車両に飛び火すること間違いなし。
想像を絶する大規模火災を引き起こす。
犯人はそれを脅しに使い、このフェリーをシージャックしたのだ。
文太郎はトラックの前方から十メートルほどの距離を保ち、エリコから伝えられた作戦を開始する。
「おい、タケシとか言ったな。おまえをトラックで轢けばいいんだな?」
「そうだお。ボクをトラックで轢き殺せばいいんだお。じゃないと燃料タンクに火をつけるんだお」
タケシというハゲ散らかしたデブ。
彼の豆粒のような瞳には、本気だぞ、という意思がマジマジと宿っていた。
「よし、わかった。俺はおまえをトラックで轢く」
「わかればいいんだお」
タケシは満足げにうなずいた。
そんな彼に対し、文太郎は指を突き付けて念を押す。
「でもなタケシ、これだけは言っておくぞ」
「なにかお?」
「俺はおまえをトラックで轢くだけだ。そこに『殺す』という文言は付け加えないからな」
「どうしてだお? ボクはこれから死ぬんだお?」
「俺には殺意がないからだ。それに殺すなんて言葉を口にしたら、あとあと面倒なことになる」
文太郎は自分の背後に指を差した。
遠くから見守るのは、船員を数名引き連れた、エドワード・スミス船長。
そしてエリコである。
つまり、ここには証人がいるということだ。
「おじさんの言いたいことはわかるお。殺すつもりで殺したら、おじさんは殺人犯になっちゃうってことだおね?」
「まあ、そういうことだ」
文太郎はそう肯定したものの、作戦の思惑は別なところにある。
あくまでもこれはタケシに対してのミスリードだ。
「それでもかまわないお。トラックに轢かれるだけでボクは死ねるんだかんね」
「じゃあタケシ、そこで横になってくれ」
「わかったお」
タケシは後輪のタイヤの前で仰向けとなった。
頭から轢き殺されるベストポジションだ。
今なら彼を取り押さえることができるかもしれない。
しかし、万が一ということもあるので、文太郎は当初のとおり作戦を遂行する。
「ブオーン! ブオンブオンブオン! ブオーン!」
文太郎は口でエンジン音を轟かせ、四つん這いとなってタケシとの距離を縮めていく。
もちろん人はトラックではない。
その代わりとして、ミニカーを手に持って走らせている。
そう、UFOキャッチャーでゲットした、ダンプのミニカーである。
なにも本物のトラックで轢くとは約束していないし、取り決め上はなんら問題はない。
それにダンプカーは荷台が傾斜するだけで、車種としてはトラックに分類される。
『殺す』という文言を省いた理由も、ミニカーでは人を轢き殺すことができないからだ。
こうしてタケシをミスリードで誘導し、差し迫った大規模火災を回避する。
それがエリコの考案したミニカー大作戦である。
「おじさん、そこでなにしてるんだお?」
タケシはアホ面を浮かべて首だけを持ち上げた。
なにせミニカーを走らせているのだ。
彼がアホ面になるのも無理はなかった。
「トラックでおまえを轢こうとしてるに決まってるじゃないか。ブオンブオン」
「でも、それミニカーだお?」
「そうだ。これはダンプカーというトラックのミニカーだ。ブオンブオン」
三十五のおっさんがエンジン音を口で奏で、四つん這いでミニカーを走らせている。
これはある意味、文太郎自身の戦いでもあった。
羞恥心がハンパない。
「おじさん、ミニカーじゃボクを轢き殺せないんだお?」
「そうだな。ミニカーじゃ人を轢き殺せない。だが俺は、おまえをトラックで轢くという約束だけは守るつもりだ。ブオンブオン」
「そんなのずるいお! ミニカーで轢くなんて聞いてないんだお!」
「黙れッ! このハゲ散らかしたデブ!」
タケシは憤慨したように身を起こそうとしたが、文太郎は鬼の一喝でそれを制止した。
そしてミニカーを走らせながらその正当性を訴える。
「俺は本物のトラックで轢くとは言ってない。おまえを殺すとも言ってない。それに対しおまえは、『それでもかまわないお』、と了承したじゃないか。あそこにいる人たちが証人だ」
文太郎は背後に顎先をツンと向けた。
そちらでは、エリコや船長たちが、
「ちょっとそこのハゲ! 自分で言った約束ぐらい守りなさいよね!」
「そうだ! ハゲの君は男として約束を交わしたじゃないか!」
「船長の言うとおりだ! 大人しくミニカーに轢かれろ、このデブ!」
などと、罵倒を織り交ぜ応援の声を上げている。
そんな彼らのバックアップがあるからこそ、タケシを強引に捻じ伏せることができるのだ。
「で、でも……ボクは納得できないんだお……」
「でももへったくれもクソもあるか。ここに証人がいる以上、おまえの反論はいっさい通らない。わかったらそこでじっとしてろ。今すぐトラックで轢いてやる。ブオンブオン」
文太郎はアクセルを吹かし、蛇行運転をともない、タケシとの距離をグングン縮めた。
片やタケシはというと、
「それがおじさんの積み重ねてきた論理……『理』……ってやつかお……」
などと、わけのわからないセリフで敗北感を滲み出している。
そんな彼の手元からは、百円ライターがコトリと床に落ちた。
もうミニカーで轢く必要はなくとも、これは男が交わした約束。
男気あふれるジェントルメン(文太郎)としては、その誓いだけは必ず厳守する。
そして――。
「ドーン」
文太郎は衝突音を口にし、タケシの頭にミニカーを激突させた。
コツンとぶつけただけなので、頭がこれ以上バカになることはないだろう。
そんなタケシはすでに戦意喪失しており、抵抗してくる気配はなかった。
「今だ! あのハゲをロープで縛り上げろ!」
「はい、船長!」
それを待ち構えていた船長と船員。
彼らはタケシの体をロープでグルグルに巻き、担ぎ上げるようにして連行していった。
それを見て、文太郎はほっと胸を撫で下ろした。
そして、ミニカーを片手にエリコのもとへ歩み寄る。
「エリコ、ありがとよ。おまえがいてくれて本当に助かった。それと、お礼と言っちゃなんだが、これは俺からのプレゼントだ。受け取ってくれるか?」
一度は断られたミニカーを、文太郎はもう一度エリコに差し出した。
なにをプレゼントするかは問題ではない。
ここでバシっとかっこよく決めることが重要なのだ。
すると彼女はパチリと片目をつぶり、
「ミニカーはいらない。だって、あたしは十五歳の女の子なんですもの。だけど、文ちゃんの気持ちだけは受け取っておく」
と、憎たらしい笑顔とジョークを交え、文太郎のプレゼント(男気)を受け取った。