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三話 イロハのイでシージャック(その一)

 フェリーに乗船したのち、文太郎は大浴場で一日の疲れを癒やしていた。

 近場を行き来する船ではないので、船体構造は豪華客船となんら変わらない。

 客室はもちろんのこと、レストランやカフェなども設備されている。

 しかもこの五階に位置する大浴場に関しては、窓から外の景色を眺めることができた。

 とはいえ、今は日付が変わろうかという深夜、星は見えても海は見えない。

 それでも海上から見る星空は、宝石箱のように素晴らしいものだった。

 そして文太郎が風呂を済ませ、浴衣姿で客室に戻る途中のことである。


「お、ゲームコーナなんてあるのか」


 四階のフロアでゲームコーナーを見つけた。

 温泉街のホテルにあるような、なんだか古めかしいゲームコーナーだ。

 誰かが遊んでいる様子はなく、ゲーム機やパチンコ台からは、寂しげに音が聞き漏れている。

 そこにはUFOキャッチャーも設置されていた。

 景品は、ぬいぐるみや箱に入ったミニカーなどだ。

 ぬいぐるみは、かわいらしいキャラクター各種、女の子向けのものが揃っている。

 ミニカーに関しては、パトカーや消防車、ダンプカーなど、男の子向けのラインナップが用意されていた。

 なにせ丸一日かかる船旅だ。

 これならチビッコも暇を持て余すことはないだろう。


「ちょっとやってみるか」


 文太郎も試しに百円玉を入れてみた。

 UFOキャッチャーに興味はないのだが、エリコにぬいぐるみをプレゼントしようと思ったからだ。

 彼女は諸事情により、乗船してからずっと機嫌が悪い。

 だからこそぬいぐるみをプレゼントし、少しでも機嫌を直してもらいたかった。

 そして十分後。


「けっこう難しいんだなこれ……」


 文太郎はジュース用に持参した小銭を全部使い切っていた。

 それでも景品を一つだけゲットすることができた。

 手に入れたそれはダンプのミニカーだ。

 もちろん、ぬいぐるみを狙っていたのだが、偶然、アームがミニカーの箱を持ち上げた。

 エリコの機嫌は直らないだろうが、手ぶらで戻るよりはマシかもわからない。

 そして文太郎が客室に戻ったところ――。


「なんでおじさんと一緒に寝ないといけないわけ? 相部屋とか信じられないんだけど?」


 浴衣姿のエリコは、ブーブー文句を垂れながら畳に布団を敷いていた。

 機嫌はすこぶる悪そうだ。

 諸事情とは相部屋のことである。

 文太郎も自分の布団を敷きながら物申す。


「いいかエリコ、よく聞け。この客室を事前に手配したのは、俺が働く運送会社、『フンコロガシ運送』だ。だから本来は俺が一人で寝るはずだった」

「じゃあ、おじさん一人で寝ればいいでしょ」

「ところがだ。当日の今さっき、俺は追加分のフェリー代を自腹で支払うことになった。もちろんおまえの分の料金だ」

「お金ならあとから返すわよ」

「俺は金のことを言ってるんじゃない。出航直前にチケットを買ったら、ほかの客室に空きがなかったってことを言ってるんだ。だから相部屋で我慢してくれ」

「その話、本当でしょうね?」


 エリコは布団にでんと腰を下ろし腕を組む。


「あたりまえだ。なんならフロントに電話して訊いてみろ」

「なら我慢するわよ。その代わり、あたしに変なことしたら、おじさんの首が飛ぶから。それだけは覚悟しておいてよね」

「わかってる。俺だって仕事を失うわけにはいかないんだ」

「そうじゃなくて、おじさんの首を切り落として殺してやるって言ってるの」

「わ、わかってる……。俺だって頭を失うわけにはいかないんだ……。とくに亀の頭はな……」


 文太郎はひしひしと恐怖を感じたので、布団を壁ギリギリまで遠ざけた。

 まさにエリコのサイコボイスは研ぎ澄まされたナタ。

 首の切断は脅しかもしれないが、チンコなら一刀両断されてもおかしくはない。

 とはいえ、毛嫌いされたままとあっては、熊本までの道中、なにかと支障をきたしかねなかった。

 だから文太郎はミニカーをエリコにプレゼントした。


「なにこれ?」


 景品の箱を手に取り、眉を寄せるエリコ。

 文太郎も布団に腰を落とし、そんな彼女と向かい合う。


「UFOキャッチャーの景品だ。本当はぬいぐるみを取るつもりだったんだけどな」

「女のあたしがミニカーで喜ぶわけないでしょ。そもそもあたしは十五歳だし、子どものおもちゃに興味なんかないわよ」


 文太郎はそれを聞き、飲みかけた牛乳を吹き出す気分で立ち上がる。

 とんでもない爆弾発言が飛び込んできた。


「おまえ十五歳だったのか! 十五って言ったらバリバリの未成年だろ! おっさんの俺がそんな娘を連れ回してみろ! うらやまけしからんどころの話じゃ済まないんだぞ!」

「あ、間違った。あたし二十一歳だった」

「その若さで六歳も年を間違うバカがあるか! 二十一歳と十五歳じゃ、エロ本と絵本ぐらいのひらきがあるだろ!」


 エリコはあっけらかんと訂正。

 そんな彼女のおっぱいに向け、文太郎はビシビシと指を差す。

 よくよく考えれば、メロンのように成熟したおっぱいだ。

 そんなおっぱいが十五歳のものであるはずがなかった。


「とりあえず、こんなものはいらないわよ」


 エリコは景品の箱をそこらに放り投げ、布団の中に寝転がる。

 どうやら相部屋で寝る決心だけはしたようだ。

 文太郎も布団の中で寝る態勢を整え、世間話でもしてスキンシップをはかることにした。


「なあ、エリコ。熊本になんか用事でもあるのか?」

「それ言わないといけないの?」


 世間話さえ許されないこの空気。

 まるでこちらがお願いしてトラックに乗せてもらうかのような錯覚さえ覚える。

 しかし文太郎は懐の広いジェントルメン。

 これしきのことで腹を立てたりはしない。


「な~に、言いたくないならそれでいいさ。いちいち詮索するほど俺も野暮な男じゃないしな。なら、そろそろ寝るとするか。いい夢見ろよ、おやすみ」


 文太郎は壁のスイッチに手を伸ばして照明を落とした。

 窓を覆った障子からは月明かりが透け、墨絵のようにうっすらと室内を映し出す。

 照明を落としてもエリコからの異議申し立てはない。

 ついでにおやすみの返事もなかった。

 そんな彼女は背を向けて布団にくるまり、ほのかに石けんの匂いを漂わせていた。

 文太郎が鼻にするその香りは、発情をうながすエッチなホルモンと変わりがない。

 なにせ母親以外の女性と寝るのは初体験、心臓がバックンバックン言っている。

 これでは寝られたものではないが、文太郎はアルパカを数えて眠気を誘うことにした。


「アルパカが一匹……アルパカが二匹……アルパカが三匹……」


 そう小声でぶつぶつ数えていたところ――。


「ねえ、おじさん」


 エリコがおもむろに話しかけてきた。

 寝返りを打った様子もなく、口振りは凪のように穏やかだ。

 文太郎は目をつぶったまま、「どうした?」、と問い返す。


「おじさんは怖くないの?」

「怖いって、なにがだ?」

「トラック転生の被害者になるかもしれないってこと」


 エリコもトラック転生について把握しているらしい。

 それだけ社会問題になっているということだ。


「俺だって怖いさ。人を轢き殺せば俺の人生も終わっちまうんだからな」

「それなのに、どうして熊本までトラックを走らせるの?」


 その質問に対し、文太郎は揺るぎのない答えを胸に刻んでいる。


「エリコもネットで買い物することあるだろ。その商品を届けるのが、俺たちトラックの運転手だ。ネットだけじゃない。スーパーやコンビニ、服屋に本屋、そこらで売ってるものすべてが、日本全国からトラックで運ばれてくるんだ。つまり、物流は経済のかなめだ。人々の生活に直結する大切な役割だ。たとえ俺一人であろうと、その物流をストップさせるわけにはいかないんだよ」


 文太郎がトラックに積んでいるのは、シラカバの丸太である。

 北海道では珍しくもない樹木だが、熊本でそれを必要としている人がいるのだ。

 それに今回の仕事は自社の倒産に大きく左右する。

 社長や経理の智子さん、社員たちの命がかかっている。

 トラック転生を目論む転生志願者が怖いからといって、断れるような仕事ではなかった。


「文ちゃんって立派な人なんだね」

「そんな褒められるほどのもんじゃないぞ。俺はただ、トラックの運転手としての義務を果たそうと――」


 そう言いかけて、文太郎はエリコの方へ寝返りを打った。

 なんだか今、とてもラブリーな響きが聞こえたような気がする。


「エリコ、今なんて言った?」

「立派な人なんだねって」

「そこじゃない。その前になんて言った?」

「ぶ、文ちゃん……」


 エリコは恥じらうように口ごもり、布団の中でぎゅっと体を縮めた。

 文太郎の耳が危ない電波を受信したわけではなかった。

 頑なにおじさん呼ばわりしていた彼女が、はじめて、『文ちゃん』という愛称で呼んでくれたのだ。


「ククッ……文ちゃんだってさ……クククッ……」


 文太郎もあまりの嬉しさで口から感情が込み上げてくる。

 手で塞いでそれを必死に我慢しているが、ホクホク笑顔が止まらない。

 するとエリコはガバッと布団から立ち上がり、


「そう呼べって言ったのはそっちでしょ! なにも笑うことないじゃない!」


 怒声を上げて枕を文太郎の頭に投げつけた。

 ズドン、と効果音が鳴るほどの重い一撃だ。


「や、やめろエリコ! 俺はバカにして笑ったわけじゃない!」

「じゃあなんで笑ったのよ!」

「愛称で呼んでくれて嬉しかったんだ! だから笑いが込み上げてきただけだ! まるで口から屁が漏れ出るようにな!」

「完全にバカにしてるじゃない! よくもあたしをからかってくれたわね!」


 エリコは血管ぶち切れそうな勢いで座卓を両手で持ち上げた。

 その目の前には亀のようにうずくまる文太郎がいる。

 そして、彼女が万歳の格好から座卓を振り下ろそうとした、そのとき――。


『乗客の皆様にご連絡いたします』


 突然、船内アナウンスが告げられた。

 そのアナウンスは、年長者と思われる男性の声だ。

 文太郎とエリコは揉め事を一時中断し、天井を見上げるようにアナウンスの続きを待つ。

 今はもう深夜の0時を越えている。

 こんな夜更けに船内アナウンスで歌を歌うバカはいない。

 おそらく、なにかよからぬ事が起きた。


『私は本船の船長を務めております、エドワード・スミスと申します。本船は現在、シージャックされています。繰り返しお伝えいたします。本船は現在、シージャックされています』


 文太郎の不安はズバリ的中した。

 なんと、このフェリーは何者かによってシージャックされてしまったのだ。

 まだ下船もしていないし、トラックを走らせてもいない。

 そんなイロハのイで、早くもクライマックス級の大事件が訪れた。

 文太郎はひとまず室内の照明をつけ、アナウンスの続きに耳をかたむける。

 エリコは難事に備えてか、浴衣の帯をぎゅっと締め直す。


『犯人の数は一名です。その者はトラックデッキ――つまり、トラックなどの大型車を積載するスペースに立てこもり、車両の燃料タンクに火をつけると脅しています。なお、犯人からは犯行声明文が出されています。今からそれを、原文のままで読み上げたいと思います』


 犯行声明文を読み上げることは、犯人からの指示かと思われる。

 今は乗客の命に関わる緊急事態。

 ゆえに船長は犯人の指示に従っているのだろう。

 すると船長は、苦渋の声色で犯行声明文を読み上げていく。


『ボクの名前はタケシだお。ボクがどうしてシージャックしたかというとね、この船に乗ってるトラックの運転手に恨みがあるからだお。もう少しでトラック転生できるところだったのに、あの運転手がそれを邪魔したんだお。だからボクは要求するお。心当たりのあるトラックの運転手は、今すぐここに来るんだお。そしてボクをトラックで轢き殺すんだお。もしボクの要求を断れば、トラックの燃料タンクに火をつけて、この船を木っ端みじんに爆破してやるんだかんね』


 以上が船長の読み上げた犯行声明文である。

 文太郎は宝くじが当たる勢いで心当たりを感じた。

 犯人はトラックの下で寝ていた、あのハゲ散らかしたデブだ。

 というか、『だお』、の二文字がすべてを物語っている。

 あのデブは執念深くトラック転生を目論んでいるらしい。

 しかし、これは困ったことになった。

 要求のとおりにするならば、犯人をトラックで轢き殺さなければならない。

 いくら乗客の命に関わる緊急事態とはいえ、お巡りさんに怒られるのは必至。

 さらには精神的ダメージを負った自分も、二度とハンドルを握れなくなってしまうのだ。

 かといって要求に従わなければ、犯人が燃料タンクに火をつける。

 そんなことになれば、フェリーの大規模火災は避けられない。

 トラックデッキには、おそらく百台以上の大型車が積載されているので、あっという間に火の手が燃え広がってしまうだろう。

 船が木っ端みじんになることはないだろうが、人命の犠牲は計り知れなかった。

 その途方もなく重い選択肢が、自分の手に委ねられている。


「くッ……俺はどうしたらいいんだ……。どうしたらこの船を救うことができるんだ……。てか、トラックの運転手の俺が、なんで海の上でこんなピンチになってるんだ……」


 さすがにこの展開だけは予想すらしていなかった。

 なにせここは海の上。

 普通に考えれば、トラック転生の『ト』の字も出てこない。

 それなのに、トラック転生とシージャックのダブルコンボだ。

 一介のトラック運転手ごときに、どうにかできるレベルではない。

 文太郎は激しい苦悩にさいなまれ、体をもたれるようにして壁に拳を叩きつけた。

 すると――。


「文ちゃん、あたしにいい考えがある」


 まるで任せろと言わんばかりに、エリコが文太郎の肩に手を乗せた。

 そして彼女はパチリと片目をつぶり、右手の親指をグッと突き出した。


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