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012◇彼女の工房


「パンの匂いだね」

 ミーヨが呟く。


 『(ほり)』沿いの道に出ると、水の匂いに混じって、パンでも焼いているような香りがした。


 ――もう夕方だし、腹も減った。


 下宿人を求めているという、ハンナさんの知り合いのお姉さんの工房は、「街の西の『濠』に沿った場所にあって、大きな煙突があるから見ればすぐ分かる」そうだ。昼間歩いた工房街からは、かなり離れたところだ。


 『冶金の丘(ここ)』の市街地は、『濠』から切り立つ石垣の上に造られてるので、水面はかなり下の方だ。転落防止の柵代わりなのか、縁には低い石積みがある。

 落ちないように気をつけながら下を覗き込んでみると、街の周囲をぐるっと囲んでいる『濠』は、何か白いもので綺麗に塗り固められていた。


 『濠』の幅は10mくらい。ところどころに緑色の塊が浮かんでる。浮き草っぽい。

 魚も……いるみたいだ。


 まだ正体不明だから、「なんらかの水棲生物」と呼ぶべきかもだけど。


 『濠』の向こう側には、森が広がっている。


 ほとんどが、幹まで緑色のブロッコリーみたいな木だ。

 昼間はとても鮮やかな若葉色だったのに、今はくすんだ色だ。ひょっとすると幹の表面の「葉緑体」が、光のあるところに移動して集中してるのかも知れない。


 そこは、自然の森じゃなく、計画的に人の手が入った人工林のようだった。

 区画化されていて、はっきりと森の年齢の違いが判るのだ。整えられた樹冠の青々とした若葉が綺麗な区画もあれば、小さな若木だけの区画もある。木が切り倒された後なのか、完全に丸裸になってしまってる区画もある。


「あの木なんて木?」


 ミーヨはあの木を見ながら「○立のCMソング」の鼻唄を歌ってたから、知ってるハズだ。


「……プ、プロペラ星の樹だよ」


 妙な反応だ。

 照れてる? 恥ずかしいのか? なんでだ。


「秋に『プロペラ星』みたいな()が、グルグル回りながら空を飛ぶんだよ」


 ミーヨが、何故か俺の「ある部位」をチラ見しながら言った。

 どうやら、子供の頃の「ジンくん」が「ち○こ」を振り回していた事を思い出してるらしい(笑)。そんで「実」って言うけど、それって「種子(たね)」だろうな、きっと。


 『地球』には、種子を遠くまで飛ばすために、いろんなカタチに進化した植物があったハズだ。その中には、鳥の羽みたいなヤツを回転させながら、滞空飛翔時間を稼ぐタイプがあった気がする。

 それが、この樹の場合は、完全にプロペラみたいな二枚羽らしい。


 竹とんぼみたいなのかな? ちょっと見てみたい。


「『冶金組合』で見た『★羽書蝶☆』の元になってる『羽毛紙(うもうし)』って、その実の羽を集めて作る『()し紙』の一種なんだよ」


「……圧し? プレス?」

「『ぷれす』? とにかく、谷間に(はさ)んで、しごくの」


「……へー」

 気持ちよさそう(笑)。


 でも、きちんと訊いたら、何かの(ノリ)を付けて蒸気を当てながら、2本の金属ローラーの間で何度も何度もツルツルになるまで、圧延(あつえん)して作る物らしい。


 そうなるともう、原材料は何でもいいんじゃないの? って気もする。


「同じ器械(きかい)で、薄皮重ね焼きの生地も作れるんだよ」


 んー? 「薄皮重ね焼き」って「パイ」かな?

 パイでええやん! 内心で、そう突っ込んだよ。


「あと、洗濯物の脱水も出来るんだよ」


 便利か! てか、食べ物と一緒なのはどーなの?


      ◇



    ぶヒぶヒぶヒ。



 森から、動物の鳴き声がする。


 てか、『地球』にもいる豚だ。その群れだ。

 どっか、おウチに帰るところらしい。飼い主さん(?)に追い立てられてる。


 にしても、クマか狼でもいるのかと思ってたら、「森のブタさん」か。

 中世のヨーロッパでは、秋に森で豚にドングリ食わせてたらしいけど……ミーヨによれば、この世界はいま初夏らしいのに……何か豚の食べ物になるようなものあんのかな?


「あれだよな? デカい煙突って」


 たぶん金属を溶かすか、熱するかするための火炉の煙突だろう。一軒だけ目立つ煙突のある建物があった。


「みたいだね。いるかな、スウさん」


 お姉さんの名前はスウさんらしい。釣り好きなのかな?


「んー……?」


 その建物の正面に、ふしぎな物体を見つけた。


 どう考えても、ふしぎだ。


 『(もう)○の(はこ)』の京○堂なら「この世には不思議な事など何もないのだよ、関○君」と言いそうだけど、ここは異世界なのでふしぎがいっぱいなのかもしれない。


「なあ、ミーヨ」

「なあに、ジンくん?」


「このパンみたいなものって何? なんかいっぱいあるけど」

「みたいじゃなくて、パンだよ。ここパン工房だもん」


「だもん――じゃねーよ! 金属加工の工房じゃねーのかよ!?」


 まさかの展開だよ!!

 イヤ、ある意味安定のお約束展開なのか?


「いらっしゃい。あら、ミーヨちゃん。やっぱり来てくれたんだ」


 工房の中から出てきた女性は、たしかに綺麗なお姉さんだった。

 足元まである大きな白いエプロン姿で、今のところ体型が分からないのが残念だ。


 髪の色は――ちょっと失礼な言い方になるけど「焼き過ぎたパンの皮」みたいな色だった。


 その髪を、首の後ろで束ねている。

 髪とおなじような茶色い瞳が、俺たちを見ている。


 頬っぺたが白いけど……きっと薄力粉か中力粉か強力粉のうちのどれかだろう。全粒粉ではないはずだ。


「スウさん、こんばんは」


 ミーヨが女性に近づいて挨拶を交わしてる。


「わたしたちをここに置いて欲しくて、来たんですけど」

 遠慮がちに言うミーヨに、女性は興味深そうに訊ねる。


「男の子と一緒、って言ってたけど……その子?」

 女性は俺を見ている。じっと見られてる。


「ジンって言います。初めまして」

 しょうがないので挨拶する。


「スウです。会ってすぐで申し訳ないんだけど――ちょっと、手伝ってくれると嬉しいな」

「え? ハイ」


 甘え上手かっ。やるな、お姉さん。


「そこのパンを乗せた台車を押して、私についてきて」

「あ、ハイ」


 俺は『とんかち』をミーヨに預けて、お姉さんに従った。


 いいのか? これで?


「……あの、スウさん。わたしは?」

 ミーヨは呆気にとられてる。


「ミーヨちゃんはお留守番お願い。もうお客さんは来ないと思うけど、念のためね」

「はあ」


 二人とも、スウさんにペース握られてる。


「じゃあ、行きましょう、ジン君」

「ハイ。……じゃあ、ミーヨ。行ってくる」

「……いってらっしゃい?」


 ミーヨが、ふしぎそうな顔してる。

 この展開についていけないのだろう。


 ガラゴロと手押し台車を押して、スウさんに付き従う。

 ミーヨを置いてきてしまったけど、大丈夫だろうか?


 角を曲がって、暗い路地に連れ込まれるように二人きりになると、スウさんが俺に食いついてきた。


 ぐいっ、と腕を掴まれる。

 意外と力強い。イヤ、そう言うハンパなこっちゃなくて、凄い握力だ。パない。


「ね、ジン君。ミーヨちゃんの恋人なんでしょ?」

「あ、ハイ、いえ」


 キスは何度かしたけど……『俺』としてはまだえっちしてないので、どうなんだろう。微妙だ。


「いいなあ。いいなあ。いいなあ」


 スウさんが、ちょっとヘンだ。イヤ、初対面だから知らないけど。


「うちに下宿したら、いっぱいするんでしょ? いいなあ」


 するってナニをだよ?

 判ってるから訊かないけど(笑)。


「あの、まだ決めたわけでは……」

「私にはお兄ちゃんがいてね、いまは夫婦でお嫁さんの実家に里帰りしてるんだけど……その二人、もう毎晩毎晩すごかったの」

「……はあ」


 ……そんな事言われてもなあ。


「スウさん……」


 イヤ、下手に『綺麗だからモテそう』とか言わない方がいいな。


「私って綺麗だからモテそうでしょ?」

「…………」


 自分で言い出したぞ、おい。


「聞いてた?」

「ハイ。スウさんってめっちゃ綺麗だから、めっちゃモテそう、です」

「ふふっ、ありがと。あ、ここが一軒目」


 パンの配送先に着いたらしい。

 二段になってる台車の下の段からパンの詰まった編みカゴを取り出して、スウさんはその宿屋らしい建物の裏口に向かった。


「…………」


 あぶねー。俺、食われないよね?


 パン屋の一人娘って言ったら、フツーはふ○ふゆ系……イヤ、ゆるふわ系のほわわんとした女性(ひと)じゃないの? 物凄い握力だったよ? そんで、欲求不満こじらせた肉食系な感じだよ?


 しかも、ミーヨは「わたしたちよりちょっと年上のきれいな女のひと」と言っていたけど……近くで良く見ると「かなり年上」だったよ。


 一体どうしたら……逃げようかな。


「おまたせ、ジン君。次に行きましょう」

「ハイ」


 台車を押すと、車輪に違和感があった。

 なんか金属製のマンホールのフタみたいな物の真上だったらしい。見ると、標識を兼ねてるらしく「東西南北」が記されていた。コレを探しながら歩けば、ミーヨのいる工房に戻れるな。西の端っこだったし。


 俺はイザという時のための、逃走経路を確認する。


「ジン君って一晩に何回くらい出来るの?」


 またナニか言い出したよ。


「聞いてた?」

「…………」


 逃げたい。


「いえ、あの、つい最近体調に大きな変化がありまして、試してないのでまだ分からないというか」

 俺はなるべく誠意をもって誠実に答えた。


「でも、一回だけってことはないでしょう?」

「イヤ、その……」


 ミーヨさんによれば、今までは2回だったけど、『身体錬成』で1.5倍にパワーアップして、3回になってるかもしれないのだ! とかアホな事考えてる場合じゃないよな。


「私にも一回分くらい分けて欲しいなぁ……なーんて、冗談。あ、ここが二軒目。ちょっと行ってくるから、絶対に逃げちゃダメよ!」

「…………」


 それ冗談じゃないだろ? アカンぞ、この女性(ひと)


 うーむ、どうしよう?


 ちょっと迷ってると、

「祈願。★励光(れいこう)☆」

 不意にそんな声がした。


 見ると、建物のカドに付いてる街灯みたいなものが、ほわんと青白く光り出してる。キラキラした魔法の星が見える。明かりの下にはおばさんがいた。イヤ、通りすがりの全然知らない人だけど。


「こんばんは」

 挨拶してみた。


「はい、こんばんは。『水灯(すいとう)』は若い人が点けてね」

 そんな事を言われた。


 てか、『水灯(すいとう)』って何?

 昨夜も見たけど……なんかの液体が入ったガラス球が光ってるんだよな。この世界には月が無いようなのに、それはまるで地球の月みたいな、冷たい冴えた青白い光を放ってる。


 そんで、どうやらこの世界の街灯は、気付いた人がてんでに勝手に『魔法』で点灯させるものらしい。一種のボランティア的な感じかな?


 でも、俺『魔法』使えないしな。


 立ち去ったおばさんと入れ違いに、また違うおば……イヤ、スウさんが戻って来た。


「おまたせ。さ、行きましょう、ね、腕組んでもいい?」


 腕におっぱいを押し付けられるお約束の展開か――と思ったら、そこに意外な助けがはいった。


「お兄さ――ん! 探したよ、鍋置いてっちゃダメだろー。持ってきてやったよー!!」


 声に振り向くと、そこには猫耳ちゃんがいた。

 『卵入り肉団子』の鍋を手にしている。戻って来たのか? 鍋。


「おお、猫耳ちゃん!」


 あいかわらず、わしゃわしゃとした癖のある金髪の美人ちゃんだ。


 でも……あれ? 頭部に猫耳が無い。


「もう『一日奴隷』の罰は終わったから、猫耳ちゃんじゃねーよ」


 そうだったのか。


「じゃあ、ウ○コちゃん」

「……!!(赤面)」


 なんか悔しそうに赤い顔してるけど、「ウ○コ! ウ○コ!」って連呼してたよな?


「……あたし、ドロレスっていいます。そう呼んで下さい」


 少し躊躇(ためら)いながら、そう言った。

 なんか、対応がちゃんとしてる。やっぱ、やればできる子じゃん。


 すると、「猫耳ちゃん」改め「ウ○コちゃん」改め「泥レスちゃん」か。

 キャットファイターか?


「ね、ジン君。その子は2号さん? まだ、若いんじゃないの。出来るの? したの?」


 また、スウさんがなんか言い出したぞ。


「お兄さん、あたしに肉団子くれたおでこのお姉さんは? その人誰? 浮気? したの?」


 サンドイッチでサンドバック状態だぞ。


「と、とりあえず早く配達すませましょうよ。あ、ドロレスちゃん。鍋ありがとう。もう暗いから、早く家に帰った方がいいぞ」

「お兄さん、あたし行くところがないんです! 今日街頭で『一日奴隷』させられてたのも、無銭飲食したからなんです。どうか、あたしを妹だと思って助けてください」

「思えねーよ! あの爺さんがいただろ? あの人頼れよ」


「……お爺ちゃんは死んじゃいました」

「…………ウソだろ?」


「ウソです。なんか組合長さん誘ってお酒飲みに行っちゃいました」

「ウソかよ」


 『冶金組合』の組合長さんか……お気の毒さま。


「それでですね。『おめぇも、オレの孫なら自分のことくらいなんとかしろ! このク』……そのぉ、ク――で始まる下品な言葉を口にして去っていきました」


 寸止めセーフだ。イヤ、アウトかも。


「じゃ、あなたのお父さんとお母さんは?」

 スウさんが割り込んできた。


「いません。遠い空の下にはいるんですが、そばにはいません。誰もあたしを助けてはくれないんです」


 ドロレスちゃんは空を見上げながら言った。どうも芝居くさい。


「まあ、じゃあ、あなたも私の家に下宿する?」


 スウさん? 俺まだ決めてませんから。


「え? いいんですか?」


 ドロレスちゃんは両手の指を組んで、お祈りポーズでスウさんに迫っていく。


「ええ、もちろんよ! 下宿代はジン君が出してくれるそうよ」

 スウさんはドロレスちゃんの両手を上からがしっと掴む。


「言ってないです、そんなこと」


 冗談じゃないよ。

 てか、二人とも聞いてないし。


「お姉さま……」

「ドロレスちゃん」


 二人で見つめ合ってる。背景(バック)に百合の花が咲き誇ってる。

 ほっとくとキスしそうだ。


「やっぱり下宿の話なかったことにして下さい」


「「ええ――?」」


      ◇


 その後、しかたなしに配達を最後まで手伝ってから、スウさんのパン工房まで戻った。


 なんか、オレンジ色の「豆球」みたいなものが空中に浮いてる。

 『魔法』の照明らしい。ちっこい。


「あっ、ジンくん。お帰り――っ」


 ミーヨが俺を見つけて、心配そうに近寄って来た。

 ああ、ミーヨの広いおでこを見ると、心がなごむなあ。


「あれ? スウさんは? ん? この鍋は?」

「ああ、買い物してくるらしい。この鍋は数奇な運命を経て俺たちの元に戻って来た『卵入り肉団子』が入ってた鍋だよ。中身はドロレスちゃんがひとりで全部食べたらしい」


 俺は付き合いきれないので台車と鍋を持って、まだ『水灯』とやらが点いてない真っ暗な路地に入り込んで、二人を振り切って逃げて来たのだ。俺の右目の『光眼(コウガン)』の「暗視機能」で夜なのに安心なのだ。


「ドロレスちゃん?」

 ミーヨがきょとんとしてる。


「あの、猫耳つけた『一日奴隷』の子いただろ。その子」

「あー……また会ったの?」


「うん、予期せぬ再会だったけど、ピンチの時に現れて助けてもらった」

「『ぴんち』? よく分かんないけど、そうなんだ?」


 説明不足か、釈然としていないようだ。


「で、ミーヨ。やっぱりここに下宿するのやめとこう」

「えっ!?」


      ◇


 かと言って他に行く当てもなく、いろいろとその後もドタバタしたものの、俺とミーヨはそのまま工房に下宿する事に決まってしまった。


 そして、空いていた二階の一室をあてがわれた。外で見た『魔法』の照明器具も、ランプも無いような部屋だった。


 寝台の上で向かい合って、

「ミーヨ。これからも、やら……よろしくな」

「うん。ずっと一緒にいようね」


 そんな会話を交わした。


      ◇


 数日後の早朝。


 『日の出鳥』とかいう日の出と同時に鳴き始める生きた目覚まし時計に叩き起こされます。なんでもこの鳥の卵を材料につかうパンもあるそうで、裏庭で飼っているそうなのです。

 と言いますか、完全に『地球』のニワトリです。呼び名が違うだけのようです。


 さっそくパンの仕込み作業が始まります。

 俺とミーヨは、ちょっと寝不足気味だったのですが、頑張って工房に行きました。


 パン工房は、小売りするパン屋としての店舗と大きなパン工房が併設したつくりになっていました。

 スウさんは元々はパン屋の看板娘だったのが、工房を担当していた兄夫婦の不在によって、店を開店休業状態にしたまま、一人きりで工房だけを回していたそうなのです。


 しかし、それはどう考えても不可能な感じでした。

 お兄さん夫婦の里帰りというのは、人手不足解消のために、奥さんの出身地の村での、働き手の募集も兼ねているそうなのです。


 そこに現れた俺とミーヨは、下働きとしてこき使われる破目になりました。

 スウさん独特のペースで、気がつくといつの間にか役目を押し付けられているのです。


 本当はこの街の地理に詳しい人を雇って、パンの配達や小麦粉や薪といった物資の搬入を手伝って欲しかったらしくて、俺たちが『冶金の丘(このまち)』に来たばかりだと告げると、スウさんは大袈裟に天を仰いで、ひとしきり嘆いていました。

 イヤ、もともと空いてる部屋を間借りするだけの下宿人なんだから、そこは違うだろう――と思うのですけれども。


 そのあとも、なにかブツブツ言ってましたけど、神を呪っていたのかもしれません。

 つい先日リアル神様らしき存在とお会いしている俺としては、なんと不信心なと思うばかりです。


 ……それと、恋愛ドラマとかで意味深な会話の後、いきなり時間経過があるのって、「あの後ナニかしたんじゃねーの? したんだろ? おい」って思うじゃないですか?

 どう考えても「ヤっちゃってんだろ?」とかゲスな感じで突っ込み入れたくなるじゃないですか?


 なので正直に言いますと、しました(笑)。ハイ。


 でないとスウさんのお誘いに乗っかりそうでしたから。

 その夜、ドアの外に人の気配のようなものがあったりなかったりしたのは……きっと気のせいだったに違いないと思われます。いずれにせよ、ミーヨさんは声を押し殺すタイプだったので、スウさんの懊悩をムダに掻き立てる事がないようでした。


 とにかく、一緒に旅する相手と、しっかりと信頼と絆を深め合う事が出来て、たいへん喜ばしく思っております。

 ミーヨさんからは「やっぱり1.5倍って凄い!」という感想をいただいたのですが、一体何の事だったのでしょう?


 その詳細に触れる事は、控えさせていただこうかと思います。


      ◇


 大きな煙突のある広い建物の一階の大部分が、パン工房になっていまして、前日に用意しておいた粉・水・薪が置いてあります。大きな煙突の根元は、俺が想像していた鍛冶場の火炉ではなく、パン焼き用の大きな石窯でした。


 小麦粉は『魔法』で動く石臼で()くそうです。『魔臼(まうす)』だそうです。「魔法式碾臼(ひきうす)」だそうです。水車とか風車じゃ無さそうです。


 スウさんが、丼のようなフタ付きの陶器を手にやって来ました。

 中には白いパンツ……じゃなくて、パンをふっくらさせる『魔法』の「白い粉」が入ってるそうです。


 なんかヤバそうな話ですが、その正体はドライイーストとかベーキングパウダーみたいなものだと思われます。詳しくは知りませんが、アルミニウムが入ってないのを祈りたいです。


 スウさんが、巨大な木製のボウルに小麦粉と白い粉を水と入れ、丁寧に混ぜてから、水を注いで()ね始めました。このボウル、かなりの大きさなのに木目(もくめ)が一切ありません。不思議な事です。


 ある程度、生地(きじ)が出来上がると、()ねるのに力がいるようで、

「ふんぬー!! どっせいっ、どぅおりゃあああ!」

 といった美人らしからぬ気合の籠った声が、スウさんの口から洩れます。


 非常に残念です。

 引きます。


 捏ね終えた生地は、いったん「寝かせる」そうです。


 そう言えば、一緒に下宿するのかと思っていたドロレスちゃんという女の子(見た目は俺たちと同年代だけど12歳)は、最初の晩に一泊した後、お爺ちゃんの元に帰って行きました。

 自分も、スウさんに下僕のようにこき使われそうな気配を察したみたいで、逃げるような勢いでした。


 ただ、そのあとも工房に遊びに来るようになっていて、実は昨夜もここに泊ったようです。


 ですが、そのドロレスちゃんは、まだ起きてきません。

 まあ、子供ですから、寝かせておきましょう。


 それはそれとして。寝かせ終わった生地を、スウさんがマウスパッドみたいな刃の包丁で切り分けて、形を整えている間に、俺とミーヨは石窯で薪を燃やします。


「祈願。★点火っ☆」


 ミーヨの『魔法』が火を吹きます。

 薪の上に乗せた「もじゃもじゃ()」というもじゃもじゃした藻を乾燥させた物が、火口(ほくち)となります。見た目は燃えそうにないのに、めっちゃ燃えやすいです。昔、何かの実験で見たスチールウールみたいです。

 薪をガンガン投入します。重い鉄製の「火かき棒」でグイグイ奥へと突っ込みながら、薪をガンガン投入します。


 しばし待ちます。


 薪が燃え切った後で、灰を()きのけて、パン生地を石窯に入れ、余熱で焼くらしいのです。

 直火(じかび)かと思ってましたが、余熱でした。


 それにしても、工房は暑いです。今はムギ刈りの季節だそうで、初夏にあたる気候のうえに、余熱でパンが焼けるほど熱を蓄えた大きな石窯が目の前にあるのです。熱くないわけがないのです。

 俺は、生まれたままの全裸になりたいのですが、まだ会ったばかりの女性がいるため、ほんの少しだけ躊躇(ためら)われます。ですが、隙を見つけて必ず服を脱ごうと思っています。


 スウさんが、成形したパン生地をでっかいシャモジのような器具で石窯の奥に押し込みます。

 鉄のフタを閉めて、焼きあがるまで待つのですが、どうやって時間を計るのだろう? と思っていましたら、スウさんは窓際に置いてあったガラス器具のような物を、ひっくり返しました。どうやら「砂時計」のようです。


 そしてスウさんは店の外に走り出しました。なんでも「ここは西の端だから東の濠まで行って戻って来る」と丁度いい時間なのだそうです。

 スウさんは意外と体育会系で肉体派なのかもしれません。

 服を脱いだら、筋肉のヨロイを着てるのかもしれません。


 そんな彼女の、自己鍛錬を兼ねたタイムアタック・ランのスタートを見送った後、ミーヨはまだ起きてこないドロレスちゃんを起こしに行くと言って工房から出ていきました。


 全裸になるチャンスです。


 俺は着ているものをすべて脱ぎ捨て、ぐーんと背伸びしました。



 俺は……もういい加減、()に戻ろう。


      ◇


 素肌が涼しくて、気持ちいい。


 ――と思ったのは一瞬で、デカい石窯が蓄えてる熱エネルギーには勝てない。


 やっぱ暑いよ、ここ。


 ああ……まだ、眠い。

 血液が下に下がってて、頭に行ってない感じだ。


「ただいまー」

「うう、まだ眠いです。あ、お兄さん、おはようございます」

「ジンくん。ドロレスちゃんのパン残ってるよね?」


 スウさんが戻って来たのと、ドロレスちゃんを起こしに行ったミーヨが工房に入って来たのは、ほぼ同時だった。


「……ああ」


 俺は、オールマイティーな返事をして、みんなの方を振り向いた。

 ちょっと時間差があって、俺様の俺様もみんなの方を振り向いた。


「「「きゃ――――――っ!」」」


 その日、俺はみんなのヒーローになった(※ウソ)。


      ◇


「だって、暑かったんだもん」


 そう言ったら、全裸でいた理由としては、一応納得してもらえた……?


      ◆


 ピンチの時に現れるのは、ヒーローだけとは限らない――まる。

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