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我輩、猫の身空で世界を救う  作者: U輔
セントリーエルの怨絶竜
8/27

第八章 巨人の竜伐


 その大型魔虫への最初の対応を行ったのは、主に黒等の環境魔術師で構成される、森林警護隊の面々だった。

 迷彩付きの改造ローブを纏った、森林踏破向けの軽装備部隊。常時における主な攻撃手段は魔術であるため、武装は腰に提げたボウガンのみ。自然物から魔力を捻出して魔術行使を行うため、ローブに多数下げられた試験管には現地採集した土や草が入っている。

 前兆は何も無かった。

 突如として森から野鳥の群れが飛び立ち、莫大範囲の木々が一斉に空へと舞った。砕けの音を誰もが知覚した次の瞬間には、土塊と樹木が洪水のように押しのけられ、その間から銀と黒の巨体が飛び上がった。

 地殻の破片や土の瀑布を振り落としながら、やがて高度一キロ程の空へ至ったそれは、

「……――――!」

 金属を叩いてかき鳴らしたような、不快な響きを持つ咆哮を街へと向けて放った。

 それを最も近くで見ていたのが、森の中で行方不明の魔術師の捜索と魔獣の討伐を行っていた彼ら警護隊だった。そして、森の生態調査と有害生物への対処が主な任である彼らの対応は迅速だ。

「――!」

 指揮官の鴇の声が響いた次の瞬間には攻撃の準備が始まっていた。

 原生生物とは何もかもが違う禍々しいフォルムは、それが食欲のみを理由として生きる魔獣種であるという証明だ。そしてそれが街の直近で発生し、その顎が街へ向いた状態で飛び上がったとあっては、生体調査も環境保全も二の次になる。

 準備された武装は、魔力付与による威力と射程の補強が施された術式ボウガンだ。直径十センチもの巨大な矢を放つこれは『塔』出身の術師が経営する工房の作であるため、高高度へと至った大型魔虫にも余裕を持って威力を届ける性能を持つ。

 先日の虫型魔獣が耐魔装甲持ちであったことを踏まえ、第一打には銃でも魔術でもなく、物理的な威力を持つこれらが選ばれた。

 撃った。

「――」

 同時に、環境魔術による魔力弾も少数放たれた。材料は試験管から取り出した、どこにでもある土くれだ。その中に溶け込んだ自然の魔力を、己の魔素で加工して威力とする。

 全てが当たる。

 巨大な矢による術式ボウガンの攻撃は、全てが正しく機能を発揮し、その装甲を穿ち、巨体を僅かに身じろぎさせた。だが、

「!」

 環境魔術師による土くれ弾は、その体に当たると同時に威力を散華させ、ただの土塊に戻る。

 耐魔力装甲持ちである証。故に、

「――!」

 指揮官の号令と共に、警護隊の集団の中から後方へ――街の方角へと飛び出した者達が居た。

 警護隊を構成する環境魔術師の中でも、身体能力に優れた隊員たちだ。彼らは今の攻撃結果を、街と森の間、丘陵地帯にある詰所で迎撃準備を始めているであろう外縁警備騎士団へと報告する任を負い、戦場を飛び出した。

「――!」

 再びの号令。

 第二打が放たれた。



 大型魔虫の出現地点から、二番目に近い場所にいたのはセントリーエルの南側、その外縁一帯を守護する騎士団の一部隊だった。

 森林警護隊の活動は基本、魔獣の出没、生体調査などの必要に迫られたタイミングに限られる。故に、平時において魔獣や不審者の発見・討伐を行っているのは、王国の正規戦力である、この外縁守護騎士団だった。

 支給品の魔術師サマーコートの上からプレートアーマーを着込んだ重装備。警護隊と同じくボウガンを腰に提げているが、大規模な移動を前提としていないためその他にも剣や槍、棒を提げているものがほとんどだ。

「……――!」

 大型魔虫の咆哮が木霊した。

 警護隊の術式ボウガンによる攻撃は、大型魔虫の装甲を削り、一瞬、その巨体を怯ませてみせた。その体の各所には極太の矢が深く突き刺さっており、所によっては緑色の体液を滴らせてすらいる。

 だが、撃墜に足りていない事は明らかだった。

「――」

 しばらく、空に浮いたまま攻撃を一身に受けていた大型魔虫が、移動を開始した。

 大森林上空へ飛び上がった巨体が、セントリーエルへと向けて進み始める。竜に似た翼に空気を取り込み、錆びた扉を開けるような音を鳴らしながら、それは当初ゆっくりと、しかし巨体故の急激な加速を以て己の身を前へと望む。

 放っておけば『これ』は森林を越え、街との間にある丘陵地帯へと身を進ませてくるだろう。そして田畑の空を越え、主に農業従事者が住む背の低い住宅地を超えて来れば、セントリーエルの城壁はすぐそこだ。

 街への侵入を許すことになる。

 警護隊からの攻撃は止んでいた。術式ボウガンはもとより、魔獣の装甲を抜くような矢はかなり特殊な部類の装備だ。出撃にあたっての仮想敵が小型魔獣だったこともあり、恐らく残弾が尽きて補給を余儀なくされているのだろう。

 だが、その旨もまた、警護隊の報告により情報として齎されている。

 故に、ここから先は騎士団の出番だった。

「……」

 騎士団は、基本的には防衛組織だ。

 王国によって構成・訓練が行われ、それぞれの街へと派遣される。そして魔術に長けたものは基本的に『塔』や『協会』など各自治体の魔術組織に属するため、騎士団は基本的には魔術を扱えない者の集まりだった。

 故に、その役割は専守防衛。他にも、日常警備・警ら・犯罪者の捕縛と移送・治安維持活動・要人護衛などその任務は多岐に渡るが、共通して言える事として、魔術系組織に比べ集団としての攻撃能力に乏しいことがあった。

 魔術が扱えないのだから当たり前だ。訓練内容として『技能』持ちはその習熟が必修化されてはいるものの、四つの色等魔術に匹敵するような性能を発揮できるものなど、数える程しか居ない。

 だが、だからと言って諦めるわけにはいかない。騎士団の存在理由は、王国の、街の、そして人々の守護にある。相手が巨大で、遥か一キロの空を飛んでいるからと言って、

「俺達が諦めちゃあ、街に被害が出る。そうなっちゃ明日のお天道さんに顔向け出来ねぇってもんだ。違うか? 皆」

 セントリーエルを囲む城壁跡より更に南に数キロ。農業用地から森林に向けて傾斜する、なだらかな丘の手前側にそれはあった。

 櫓だ。騎士団の訓練場としても使われる丘陵地帯に設えられた詰所脇、物見台からの声に、

「――応!」

 住宅地と田畑、そして街を守るように展開された、騎士団部隊八十名が凛と応えた。



 大型魔虫は、翼を動かして己を前へと進ませる。森林警護隊も装備を整え直して追いかけてきているだろうが、あと一分もしない内にその巨体は、騎士団が待機する丘下へと差し掛かるだろう。

 そうなれば、例え撃墜したとしても畑や住民への被害は免れない。故に、

「撃ち方用ォ――――意! ここで止めるぞ! あとの事は考えるな! 打ちつくせ!」

 櫓上、指揮官と思しき大男の声だ。

 騎士団の支給品であるコートは身につけておらず、内側から筋肉が盛り上げるのは白のカットソー。その上から纏ったオレンジのパーカーと迷彩柄のカーゴパンツは、まるでこれから街にでも繰り出そうかと言うようなラフな格好だ。

 ただ一点、腰の後ろに提げた、刃がむき出しになった二メートル程の両刃直剣が、彼が騎士団の所属だという事実を浮き彫りにする。

 外縁部隊の中でも南側に面するこの一隊は、魔獣が出没する大森林に近い場所で警護に当たる。そのため特に強固な装備と強力な武装、そして潤沢で経験豊富な人員を備えている部隊だった。錬度も、士気も、王都に詰める王立直衛戦士団に引けを取らない。故に、

「――!」

 放たれた八十の矢は、互いに干渉することもなく、全て等しく大型魔虫の体に吸い込まれていった。

「――……!」

 連鎖する激音は、矢がそれぞれ鉄に似た硬度を穿った証明に他ならない。

 多重に連なる衝撃は、それらを互いに食い合い、しかし威力を相乗して上乗せする。全長五百メートルを超える巨体は下からの威力の連続に耐え切れず、わずかに空へ向けてホップした。

「……――――――!」

 断末魔にも似た叫喚が上がる。だが、

「止まらねぇかよ……!」

 それだけだった。大型魔虫は、夥しい量の矢を身に受けながらも、その進撃を止めることをしない。身をくねらせて鎧に食い込んだ矢のうち浅いものを振り落とすと、続けてセントリーエルへの前進を選ぶ。

 櫓上からの指揮の男の声が、わずかに苛立ちと怒号すら含んで、

「第二射は!」

「ありません!」

「なんだと馬鹿野郎ぉ! ちったぁ取っとけよチンパンジーか手前らぁ!」

「副団長が打ちつくせって言ったんですよ!」

「ばぁ――――――――か!」

「反論して下さいよせめて!」

 しかし、実際に撃ちつくしているのも事実だった。故に、

「じゃあ仕方ねぇ。カウンターはかましてやった、充分だ。お前ら、一斑二班を残して居住区へ後退。後ろの誘導組に合流して、下がりながら住民の避難に当たれ」

「了解しました! ……副隊長はいかがされますか!」

「俺か? 俺は……あっちだ」

 指揮官は、櫓下の騎士団員に指示を送ると、上空を進撃する大型魔虫へと視線を向けた。

 翼で空を叩き、分け入るようにして風を切る音は、振って来る波の連続に他ならない。

 だが、その腹には明確なダメージがある。先に警護団と、そして外縁部隊が積み重ねた太矢の絨毯爆撃の痕だ。

「……あれだけ打ち込んでりゃ、後はえいやと押すだけだ」

 そう呟くと、今度はひゅう、と息を吸い、

「――聞こえるか虫野郎ぉあ!」

 居住区内はもとより街中にまで、そして森から後退中の森林警護隊にすら聞こえるほどの大音量で、大型魔虫へと声を張った。

 彼は、己の声が遠くの景色にまで行き届いて反響してくるのを確認すると、満足そうに息を吐く。

 腰に提げていた巨大な両刃直剣に逆手で手を掛け、腰を落とし、

「セントリーエル駐屯騎士団副団長、そして同南部外縁守護部隊指揮官、ガレス・エマージだ!」

 名乗りを上げ、

「……覚えなくてもいいぞ!」

 斬撃が迸った。



 斬撃は人の形をして、上空にいた大型魔虫へ襲い掛かった。

 即ち、ガレスだ。彼が、魔力で強化した足の筋肉を以て己を吹き飛ばし、櫓の倒壊と引き換えに一キロの上空へと刃を届かせたのだ。

「――……っだらぁ!」

 方向は下から上へ。大型魔虫の腹を、正面側から切り上げる軌跡だ。

「一・撃・必・殺……!」

 彼の言葉通り、夥しい量の矢が突き立った魔虫の腹に、それらごと食い破るが如き衝撃が迷い込んだ。

 踏破する。

「――――……!」

 魔虫の甲殻が、苦悶を示す大音声と共に、腹を起点とした破砕を容認した。

 威力を以て証明される衝撃は、再び魔虫の巨体を空へと押し上げる。同時にガレスは反発力を受けて反対側――木々がまばらに生える丘の上側へと吹き飛ばされ、

「――……っ!」

 大地を食らわんと落下の軌道を辿る。強化筋力を以て生じた勢いは、同じものを受身として用いても完全には殺しきれない。だが、

「ガレス副団長だ!」

「本当だ! ガレス副団長だ! ――妹がメイドの!」

「ガレス副団長? あの、妹がメイドで美少女だという!」

「ガレス副団長! 妹がメイドだなんて、なんと羨ましい……!」

「てめぇら仕事しろォ――――!」

 森林から後退中であった警護隊が近くに来ていた。

 丘を滑るように駆けて来る彼らの内、幾人かが試験管から植物の葉のようなものを取り出し、それをガレスの落下地点へと放る。すると、

「――――」

 その場所の土草が急速に色を失い、直径十メートル程の乾いた色の窪地を作った。

 水分を弾いて出来た、百パーセント天然由来の砂クッションだ。そこに、

「おぶぅ」

 砂塵で出来た瀑布を空へと巻き上げ、大男が落下した。彼は口から砂を吐きながら即座に立ち上がり、傍らまで来た迷彩ローブの警護隊員に向かい、

「良い仕事だ、警護隊……! 俺には才能が無かったが、魔術は便利だな、やっぱ!」

 賞賛を口にする。

「ガレス殿の『技能』強化も大概であります……! 一体どうやったらそこまでの物に……?」

『技能』は、あくまで補助的に身体能力を補強するものだ。一を二にする程度の事はできるが、ガレスのものはケタが違う。それを警護隊員は尋ねたのだが、

「筋トレ……?」

「参考にならないであります……!」

 ともあれ、

「効いたか! 効いただろ! どうだ虫野郎!」

 と、ガレスが空を見上げる。先に斬撃を見舞った魔虫の行方を気にしてのものだ。しかし、

「……副団長殿、一つ気になるのですが」

「あぁ?」

「副団長殿がこちら――南側へ落ちてきた、という事は……魔虫はもしかして、逆方向へと吹き飛んだのではないでしょうか?」

「……………………あぁ?」

 ガレスの視線の先では、腹を砕かれた魔虫が破片と矢をばら撒きながら、セントリーエル南、田園地帯の空へと吹き飛んでいった。



 下から掬いあげるような斬撃は、魔虫の腹を下から抉った。

 ダメージは通った。しかし方向が悪かった。元々あった北への慣性も加わり、それはセントリーエル南の田園地帯、その上空へと放物線を描くように身を躍らせる。

 瞬間的に受けた多大な衝撃は、魔虫の目から光を奪ってもいた。

 気絶している。故に、その巨体は外縁守護部隊が築いた防衛ラインを軽々と超え、徐々に高度を落としながら放物線の終点を目指す。

 セントリーエル南壁外には、なだらかな丘陵地帯を用いて作られた田畑が広大な範囲に広がっていた。居住区まではまだ遠く、付近に建物らしい建物は存在しておらず、避難誘導班による人払いも済んでいるはずだが、

「わしの年収――――!」

 妙にストレートな叫びが遠くから響き、しかし大質量が大気を潰す際の轟音に掻き消されて空に散った。

 落ちる。



「ド根性見せろや虫野郎ぉあああああ――――――――ーー!」

「副隊長殿、敵! 敵ですあれ! 同感でありますが!」



 大型魔虫の目に、赤の光が戻った。

 衝撃を受けて意識を刈り取られはしたもの、それは一時的なものだったようだ。

 魔虫は、己の巨体が落下しつつある事実を認識し、再び翼に力を入れなおす。

 両側へと大きく張ったそれは、両翼を以て一キロ規模範囲の大気を食い、再びその身を空へと望んだ。

 田園地帯上空、三百メートルを以て立て直しを完了し、

「――――……!」

 一喝の後、進撃を再開した。



「……居住区への侵入を許したようです。あれでは撃墜は無理ですね」

 と言う遠見の術式具を使いながらのアーカムの台詞は、遠いながらも響きを伴い聞こえてくるいななきに半ば掻き消されていた。

 学術都市内、『塔』の東西南北に立つと、丁度それぞれの方向にある学園門までを一望する、幅広の園道が通っているのを見ることが出来る。

 西側においては、我輩がモルガナと出会った並木通りがそれだ。そして、今我輩が立つ『塔』の南側からもまた、対応する南門までの景色を一目で見通すことが出来た。

 即ち、事務局や研究棟など、いくつかの建物の間を通る幅三十メートルほどの園道だ。それは視線の先において広大な南グラウンドへと分け入っていき、最終的には学園南門へと辿りつく。

 だが今その景色には、常において見られない非日常が横たわっていた。即ち、

「大型魔虫。騎士団は撃ち漏らしたみたいですね。発生が唐突で装備も充分でなかったでしょうから無理もありませんが」

 南に見える巨影を遠見の術式具を使い眺めながら、アーカムは呆然を言葉に乗せながらそう呈した。

 加えその口から漏れたのは、

「……何を使った……?」

 ……?

 ともすれば風の中に溶け落ちてしまいそうな、空耳やも知れぬと思えるほどの呟きだ。

 それは魔獣の製作者に対しての言葉だろうか。いや、しかし、それを言うなら『どうやって』ではないのだろうか。

 あれ程の大型魔獣。たとえ魔力リソースが確保出来たのだとしても、進化をくりかえす形の成長は数日や数週間であそこまでのものを成しえない。そのための『手段』を疑問に思うのであれば納得がいく。

 しかしそれをアーカムに確認する間もなく、

「……あまり効いてないみたいですね。もう街に入ります」

 魔虫には、恐らく騎士団の対応があったのだろうと思われる攻撃が、確かな牙として届いていた。

 だが、挙動に乱れこそあれ、その進撃には一切の迷いを伴わない。

 ともすれば致命傷。それ程の傷を腹に負いながら、しかし大型魔虫は尚も飛ぶことを諦めない。その高度を半分以下に落としつつも、だ。

「目的はなんですの……? あの魔獣は、どうして突然、こんな……」

「発生原因ははっきりとは言えませんけれど、目的は恐らく……この『塔』でしょう」

 アーカムは、遠見の術式具を覗きながら答える。

「食欲ですよ。より強大な個体に進化するために魔力を求めいるんでしょう。小型の魔獣にも、街中の魔力式街灯や優秀な魔術師を優先して襲う習性が見られました。だけどあれはそんなものじゃ満足しない。だから『ここ』を目指す」

「そうか、竜脈ですのね……!」

 学園、より正確には『塔』の直下だが、そこには竜脈を抱く遺跡がある。古代の人々の遺産。万を超える時を経て蓄えた魔力を街の至るところへと送りインフラを支える、大都市における生命線だ。

「本能か『何者か』の指示があったのか解りませんが、それを理解しているんでしょう。祭壇や森の常在魔力で満足出来ないのはサイズ故、ですか。とにかく、あれはここに向かってくる」

 そのアーカムの落ち着き払った態度に、しかしモルガナが眉尻を下げた表情を浮かべ、

「で、では、避難しませんと! 騎士団が撃ち漏らしたのならきっと『塔』が戦力を出します! そちらに任せて私達は……」

 ……モルガナ、それは違う。

「え?」

 我輩は、右の手首に提がる腕輪を左の指で遊びつつ、視線の向こう、南部に広がる広大なグラウンドに目をやった。必要とあらば我輩も出し惜しみをする気はないが、どうやらそれは要らずに済みそうだ。

 グラウンド。否、正確にはその地下だろうか。

 ……。

 そこに居る『もの』を、我輩の魔的感覚が敏感に感じ取る。どうやら極めて限られた『一部分』でしかないようだが、そうであるにも関わらず絶大な存在感を示しているのは流石の一言だ。

 ……これが潤沢なマナの補助を受けた『塔』の本領だという事か。

 モルガナの言う『塔』の戦力、とは、即ち優秀な魔術師だ。そしてその頂点とは、四つの色等魔術を極めた『主席』研究員を指す。モルガナの父もそうだと言う。そして、

 ……避難するというのなら、この男は最初からそうするさ。そうしなかったのなら……。

「ミルネシア君、君は察しがいいですね。気苦労とかあれば相談に乗りますよ、ええ。……慣れてますから」

 人の世であれば苦心もしよう。だが我輩生来は猫であるが故、気にせず生きていこうと決めている。

 そう、つまりは、

「『塔』は戦力を出しましたよ、ここに。……僕です」

 瞬間。

 世界が揺らめいた。



 我輩は、それを見た。

 大型魔虫の巨体はもはや街の外縁壁内にまで入り込み、セントリーエルの空を我が物の様に闊歩する。その体はこれまでの道程で傷を負った辺りから装甲片と緑色の体液を撒き散らしており、『アレ』がそうしてまで得たいものとは、つまり『塔』の地下にある莫大な魔力だ。

 蓋である『塔』は邪魔なだけ。そして、それを取り除くために必要な武器は己自身。そういうことだろう。

 魔虫は、都市の上空を横断する。見た目にゆっくりと、しかし巨体故の確かなスピードを以て。

 やがてその身は学園区への入り口である南門、そして先にある南グラウンドの上空へとその顎を届かせた。

 だが、

「――――」

 その、行く手を阻む者が現れる。

 最初にあったのは陽炎だった。

 遠く、そしてあまりにも現実離れした巨大な魔虫の姿に、我輩の目がおかしくなってしまったのかとも思った。だが、

「何……ですの……?」

 同じ現象を、モルガナまでもが知覚していた。

 我輩は『技能』で、モルガナは風を操作した望遠魔術で相手を視認している。故に、両者の視覚が同時に異常を来たしたとは考えにくい。

 だからこそ、それは現実に起こった現象だと理解できた。

 遠く、学園南グラウンド上に、大規模な陽炎現象が生じている。そしてそれは、

「否、陽炎では……ありませんの……!」

 揺らめきは水面に落とした波紋のように大きく広がり視界を塞ぎ、それはまるで莫大な壁が生じたのと同等だ。だが、やがて同じく波紋が収束する様子に似て、落ち着きを取り戻していく。

 その落ち着きは波紋が塞いでいた景色を次第次第に取り戻しつつ、しかしその内側に色を伴っていた。

 朱の色だ。

 揺らいだ大気が元に戻るにつれ、朱色をした『何者か』をその懐に抱き、顕現させていく。それは、

 ……巨大な……腕……?



 その腕は我輩の見る前で、陽炎の中から突如現実へと発生した。

 右肩から先だけが、地面から生えているかのような有様だ。全体に『虚』を開けるのはそれが魔術による再現体である証明。だがその全高はそれだけでも全高三百メートルを下らない巨大なものだ。

 身に付けるのは、鉄と皮製と思しき朱色の篭手。陽光を映して妖しく煌くその美しさは、あらゆる美辞麗句を並び立てて尚足りず。

 様式は、東洋で言うところの『武者』に似た者であると思われた。

「腕……そしてあれは……刀……ですの……?」

 更に目を惹いて止まないのは、その手が握る片刃の曲剣だ。

 美しい波の文様を刃に描き出すのは、独特の反りに日を映して煌きを絶やさぬ白銀だ。モルガナが言う『カタナ』という響きは、その篭手と同じく東洋の武器の名だっただろうか。確か東の港街でも生産が行われていたはずだ。

 それもまた、腕と縮尺を同じくして巨大。恐らく四百メートルにも届こうかというそれは、もはや個人が手に執る武器の範疇に納まらない。

 正しく兵器に等しい有様だ。

 そしてそれを操るのは、我輩の傍らに立ち、魔術行使の証明である黒色の魔力光を滝のように放つ一人の男。

 黒等術科『主席』研究員。

 現代魔術師最高の頂に立つ、その一人。

 アーカム・アライヴ。

「『巨人族』の骨。右手の指先と思しき化石が発掘されまして。そのままじゃ再現出来なかったので物理的な復元やら儀式紋の掘り込みやら色々やって、ようやっとここまでこぎつけました。竜脈の使用許可だけで後二ヶ月かかる予定だったんですが――緊急事態、ってことで唐突にその許可が降りまして」

 巨人族。機嫌よく、場違いな上がり調子ではあったがアーカムは確かにそう言った。モルガナは、顔に我輩以上の驚愕と放心を貼り付けて、

「そ、んな……巨人族、ですの? ……実在しましたの?」

「ええ、まあ、実在した証拠は見つかってなかったんですけれどね? 眉唾ものの化石自体は見つかってまして。再生してみれば一発だったんですけど中々どうして許可や申請、準備やら何やらが大変で。で、『今』『ここで』『証明された』、と。いや、マジモンだったんですねぇ。今度の学会でのネタがようやく見つかりました。ラッキー」

 と、何やら歴史に名を残すタイプの大発見を事もなけに言っているが、言うは易しとはこの事だ。

 ――化石だと? 肉体の滅びから何千、否、何万年経っている? それも一部しかない骨から、生前の武具まで抽出再現?

 陽炎の中から立ち上がったそれは、黒の穴こそ六割を超える割合で空くものの、まぎれもない干渉力を備え完成された再生魔術だった。

 竜脈の恩恵を授かっているにしろ、その素材の劣悪さに対する再現性の高さ、この距離から術式を制御する極めて優れたる技量には、ただただ息を巻く他ありえない。

 しかし、

 ……骨が偽者だったらどうするつもりだったのだ? 他にも動ける『主席』がいるのか?

「ええ。『塔』にはジャスティ教授も詰めてるはずですから」

「……お父様、つい今朝方から王都に出張だと仰って出ていかれましたよ?『協会』の方と会食だとか」

「……結果オーライ……!」

 駄目だったかも知れん。

 ともあれ、

「まぁ、大丈夫だったと思いますよ、多分」

 と、アーカムが、微笑を崩さずに我輩を見る。正確には、こちらの右手首に嵌る腕輪を、だ。

 ……。

 食えない男だ。やはり信用ならん。

 彼は表情を保ったまま、己の右腕をゆっくりと振り上げた。

 それに伴い、巨大な腕もまた、正面に魔虫を見据えながらその肘を曲げて溜めを作っていく。その途中に刃が地面を穿たぬよう、手首の捻りも随伴し、そして、

「そいやっ」

 アーカムが、右腕を、まるでボールでも放るかのような軽い動きで振りぬいた。

 激音は一瞬の遅れを伴い、しかし確かな大気の揺れを届け、

「――――!」

 大型魔虫が、寸分の狂いもなく左右に分かたれた。



 分断された大型魔虫が、衝撃に耐えられず自壊していく巨腕と共にグラウンドへと沈んでいくのを、我輩は見ていた。

「……」

 音があり、空が見え、そこに散る緑色の滝が粉塵と干渉し合って渦を巻いている。

 既に魔力光を散らし再生魔術の制御から手を離したアーカムは、振り返って『塔』へと歩みを進めながら、言う。

「……ミルネシア君」

 それは、我輩にだけ聞こえる声だった。呆けた顔で空間へと溶けていく腕を見つめるモルガナには聞こえない程度の声量で、

「ここまで来たなら、事態は一気に動くでしょう。『塔』は確証が無くとも対応を打たざるを得ないし、何者か解らぬ『あちら側』にしたって、手をこまねいている筈はないですからね」

 だから、

「時間が無い。そう思っておいて下さいよ? この件に……」

 言った。

「レティシア君が関わっているにせよ、いないにせよ」



 七月三日、正午過ぎに起きた大型虫型魔獣襲撃事件は、セントリーエル交易都市に大きな衝撃を与えた。

 魔獣の性能自体はサイズに比して極めて低く、また魔力の摂取以外に行動原理が見られなかったことから、当初これは『自然災害』であるものとして扱われた。だが、黒等魔術科『主席』研究員・アーカム・アライヴの進言により魔獣の死骸の精査が行われると、これが人為的に作り出されたものであることを示すいくつかの証拠が見つかったのだ。

 これにより、魔獣が目指していたと思われる『塔』、あるいはその地下に存在する『竜脈遺跡』を狙った、人造魔獣を用いた魔術テロであるとの疑いが浮上。同時に、その魔術行使に竜脈魔術が使われた疑いが強いこと、敵が五百メートル級の準竜種相等戦力の行使が可能であると目されることなどから、此度の案件を、即時の対応・殲滅を要する『第二級魔術犯罪案件』と認定する事を『塔』の調査チームが提案。『塔』上層部及び『騎士団連盟』もこれを容認し、『協会』も数時間遅れでこれに応じた。

 それにより、『塔』の魔術師と騎士団の精鋭を中心とした掃討部隊が即日結成。大型魔獣の襲撃からおよそ十七時間後、七月四日の夜明けと同時に、大森林に潜伏していると思われる事件の首謀者の捜索、そして残存戦力の掃討作戦が行われる運びとなった。


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