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我輩、猫の身空で世界を救う  作者: U輔
セントリーエルの怨絶竜
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第七章 災禍の予兆


 セントリーエル研究学術都市。それはセントリーエル交易都市の中央を丸く切り取った外壁の内側に聳える、世界最大の魔術学園の名だ。

 生徒、教員、研究者、及びその一部近親者併せて二万人が暮らすこの学園には、特殊な立地故に存在するある特色がある。

 地下に存在する古代都市。竜脈遺跡だ。

 竜脈の力を受けて発展し、だが手放された古代の遺物。今より遥か昔、人が竜と共にあった時代の名残。

 竜が人の元を離れ、急速に文化や技術が失われた事で管理が行き届かなくなり、やむなく地下に封印されたとされるこの施設が、街の、正確にはこの学園区の直下に眠っている。

 ……そして、竜脈から溢れてくる魔力――人が生み出す魔力と区別され『マナ』と呼ばれる――を利用してインフラを整えたのがこの街であり、その実権を握っているのが他ならぬ学術都市である、と。

 我輩は更に学園の資料を読み進める。

 元々この街で生まれた猫であったこちらは、この街以外の実情を伝聞でしか知らない。だがどうやら他の竜脈都市においては基本、竜脈は王城や城砦、軍事施設などの重要施設の地下に位置されているらしい。

 マナの利用、抽出についても、国と『協会』が権利を掌握。インフラや国家事業にしかそれを許可せず、故にこそ『塔』が竜脈に関する実権を握るこの街は魔術師の聖地として発展を確かにしてきた、という訳だ。

 ……『協会』から離れ自由に研究を行いたい現代魔術師にとっては、垂涎の環境である、という事か。

 と、

 ……。

 不意に傍らを抜けた風が木立を揺らし、乾いた舗装路面からは黄土色の砂が巻き上がる。

 我輩は今、セントリーエル研究学術都市南西区にある商業区画、その近くにあるベンチに座り、学外向けの案内パンフレットを読んでいた。昨日、モルガナと出会った場所だ。

 服装は学園の制服姿。サクラが短く加工したチェックの入ったプリーツスカートに、白のギャザーブラウス。暑いのでブレザーとローブは無しだ。装飾はリボンタイもネクタイも面倒なので付けていないが、『女の子ですから』と渡されたサクラの私物である赤い宝石のペンダントを下げている。

 時刻は昼前。丁度太陽が中天に差し掛かろうかとしている時刻で、正面の広場では就学前の子供達とその母親が。後ろの商業区で昼飯を求めて研究区から出てきた学生や職員達が、にわかに増え始めている。

 何故我輩がこんな場所でパンフレットを読みふけっているのかというと、

 ……どうしたものであるかなー……。

 先ほど、登園と同時に事務局へと出向き、各種書類の提出と手続き、そして簡単な案内と説明を受けてきた。それによると、

 ……お好きな研究室へどうぞ、とだけ言われたな……。

 学園、言うからには集団で同じ授業を受けさせられる類のものを想像していたのだが、どうも思っていたものとは赴きが異なるようだ。

 この学園では、様々な魔学者が日夜己の研究を行っている。研究資金と人手が足りている者は好きに自分の研究を進めているらしいが、そうでない者、つまり金や人手が無い者は自ら新しい研究室を開き、生徒を募っているというのだ。これがこの学園の基本システムであるらしい。

 つまり、学園などと呼ばれてはいるが、ここは魔術を教える学校と言う訳ではない。そうではなく、『魔術を修める志ある者』が金を出し、『現役の研究者』の研究に参加して実績を積むなり知識を蓄えたりする。学園はあくまでその『場』を斡旋するだけ、という理解が正しいようだ。

 魔学者にとっては資金と人手を同時に集めることができ、生徒は魔術研究の本場であるセントリーエルの魔術師を手伝いその技術を己の糧と出来る。更には許可さえあれば研究室を開くのに資格や実績は必要ではなく、審査に通れば一定の研究資金の貸付と場所の提供も受けることが出来るという。

 つまり、基本的に学生と魔学者の間の垣根は存在せず、故に誰もが平等に魔術の深淵の探求を行える、という訳だ。

 だが、

 ……我輩、特に魔術に関してやりたい事や知りたいことがあるわけでもないしなぁ。

 ローランの下で魔力量を上げる事にもなる『調整』を受けていたため、基本的な魔力容量が高いことは仕方が無い。しかし才能があるからといって、それを活かすような志があるか、というのとは別の問題だ。

 一応、いわゆる『学校』らしい授業を受けさせる教室もあるにはあるらしい。研究室を開くための準備の無い者がアルバイト的に開いているもので、魔術における基礎を教える場所だ。

 魔学における魂・魔核・魔力の在り方、魔術の成り立ちや特色や歴史、魔術行使において魔素がもたらす魔的現象の効率上昇理論エトセトラ。魔術探求を行うにおいて知っておかなくてはならない様々な理論を教えてくれるこれは学外の人間を生徒として受け付けるものもあり、人気講座の教師ともなれば、それだけで飯を食うに不自由しない程であるそうだ。

 我輩、魔術に関する基礎的な知識はあるが教え手がローランだったため、知識に少々偏りがある。故にこれに参加するのもやぶさかではないのだが、

 ……生徒の平均年齢、九歳と八ヶ月。流石にちょっと抵抗が……。

 我輩、猫的実年齢は四歳だが、そこは人としての価値観で行きたい。

 だが、いつまでもパンフレットを熟読していても生産的でないのも確かだ。

 ……よし。

 サクラへの義理立てとして登録手続きだけはしてみたが、やはり学園という場は我輩には向いていない。ここは当初の目的通り、レティシアの捜索に時間を当てたほうがよさそうだ。

 その手がかりも一応、無いではない。

 一昨日、サクラはこう言っていた。『レティシアの部屋から竜脈の祭壇を示唆するメモが見つかった』と。結局その日にレティシアは見つからなかった訳が、『祭壇』ではなく『森』にまで範囲を広げるならば、多少の心当たりがある。

 大森林の中には、人間が管理のために作り出した小屋が数軒建っているのだ。例の消えた結界魔術師もその内の一つを使っていたものであり、大森林の更に南は山岳地帯になっているため、そちら側にも休憩所としての山小屋がいくつか存在している。

 彼女、レティシアが家に戻らないつもりで竜脈を利用しようと思うなら、その内の一つを拠点として用いている、あるいは用いていた可能性は高い。サクラ達に教えれば『何故我輩がそれを知っているのか』となりかねないので言い出せずにいたが、我輩が単独で周る分には問題ないだろう。

 故に、後はそれらをどういう順番で巡ろうか、と言う話だけだ。

 我輩はそれ考えながら、ベンチから腰を浮かせる。

 と、

 ……!

 突然、先を上回る勢いの風が荒れ、舗装道路の砂が旋風のように舞い上がった。

 前触れもなく突如襲った嵐のような大気の乱れは、我輩の直上を影の形で通過した。そしてそのまま立ち上がったこちらの前にスタリと靴音を鳴らして着地すると、

「あら! あらあらあらあらあらあら奇遇ですわねミルネシアさん! 本当に奇遇ですわ! モルガナ・ジャスティですのよ! 私ちょーど! ちょーど今! 懇意にしている魔学者の研究室が終わって暇していた所でしたの! よろしければ昼食などご一緒に――」

 逃げた。



 一歩目から全力だった。

 昨日と同じように魔術戦など挑まれても面倒だ。故に今日はずっと彼女にでくわさないよう、細心の注意を払いながら行動していたのだが、まさか上から来るとは思わないではないか。

 利用できる魔力リソースの七割を脚力に。残り三割を循環系に回し、血液と魔力の流れを最適化する。

 そうする事で得られる物は強化の長時間行使だ。渡り鳥が長距離を飛ぶ際に使う魔力運用に似ているとローランは言っていた。

 ――。

 風は、猫の生き方のようだと我輩は思う。

 何よりも自由で、しがらみに囚われず、時に羽を休め、しかしどこまでも流れていく。そしてそこにあるのは、何者にも侵されぬという、誓いにも似た一つのルールだけ。

 故に、それはどこまでも流れていく。そこに他者が設定するような限界はなく、あるのはただ、

「ちょっとちょっとちょっとちょっと! な、何故逃げますの! カムバックフレンド……!」

 ……。

 舗装道路に植えられた並木の枝を蹴り、商業区の屋根上を行き、等間隔で並べられた魔力式街灯の支柱に足跡を穿ちポエムなどしたためつつ尚も駆けていると、しかし後ろの方から声がした。

 ……全力なのだが……。

 猫の動きを人の身で。そうして行える最大を叩き込んでいったのだが、振り切れなかった。高位の現象魔術師でも空を自在に飛べるような者は少ないと聞くのだが、結論だけ言うと才能って怖い。

 仕方なく我輩は道路の強化石材に踵の痕を穿ち、石片を散らしながらも速度を落とす。すると秒すら待たないタイミングで、コートの翻りを牽引したモルガナが背後に着地した。

 ……引き離せてすらいなかったか。少しばかりショックだ。

 普通、現象魔術で人を運べはしても、高速起動が出来るほどの出力は無いはずなんだが。

「ふ、ふふーん。風を使った移動術は私の最も得意とする所ですから、当然です。私に風の扱い方を教えてくれた方からも『お前の操風術は何かおかしい』と好評でしたの。直後引退されましたが」

 ……自覚が無いのが恐ろしいな。

 ともあれ、

 ……何の用だ。我輩は貴様との勝負に勝った。ならば『愉快な仲間達』への参加も強制される謂れはないだろう。

「何か楽しげなネーミングでカテゴライズされてますの……」

 しかし、と彼女は居住まいを正す。

「諦める訳には参りません。私は貴女に興味がありますの」

 ……やはりそっちの気が……。

「そうじゃありませんのよ! ではなく……貴女の、『技能』の事ですの」

 ……ああー……。

 強化魔術。四つの色等魔術に属さない、しかしだからこそ魔核がなくとも利用可能な、生物が進化の過程で生み出した『生存』のための技術だ。その意味で人が使う『技能』という言葉は的を射ている。人間は魔力を魔素に変ずることが得手であるが、動物は魔力をそのまま使うことに長ずる、という訳だ。

 我輩はそれを使う事が出来る。それも、普通であれば不可能な『魔術』との両立、と言う特性を以てして、だ。

 確かにその力は人間にとって有用であると思う。現状、人類における魔術師人口は全体の三割程度。両親が『そう』であれば適正は高い確率で遺伝するが、そうでない者は後天的に術師の素養を植え付ける必要があるのでこの数字は乱高下しない。

 だが、その『素養』を持たぬ者でも擬似的に『力』を扱えるようになるのが人間の言う『技能』だ。扱いによってはそれこそ、鳥のように空を飛ぶことも、獅子のように地を駆けることも思いのままかも知れない。

 ――だが。

 これは、あくまでも『生物』が『生存』のために生み出したものである。

 故にその力が及ぶ範囲は『超常』の域には至らない。現実を改変し、自然を掌握し、世界を席巻する『竜』の力――『魔術』と比べれば、その性能には疑問を呈さずにはいられない。

 あくまでも『技能』で賄えるのは『己の体の強化』に留まるし、それで扱える事象の多くは、人の使う魔術でも代替が利く。単に俊敏な動きや強い力を望むなら、それこそどの色等魔術でも類似技術は存在しているのだ。

 故に、優秀な魔術師である彼女が、その仔細を執拗に求める。その道理が、我輩にはわからなかった。

 ……確かに我輩は、魔術と『技能』を同時に扱える。それがどうやら珍しいことなのだとも理解した。

 だが、

 ……『技能』とは、あくまで魔術を扱えないものが、代替的に獲得した劣化技術に過ぎぬ、と我輩は思う。それは便利だろうとは思うが、貴様が求めるに値するとも思わん。……何故貴様はそれに興味を抱くのだ?

 やはりレズなのだろうか。違うか。彼女は、

「……人類のためですわ」

 ……?

 何とも分母の大きい話だが、やはりよくわからない。

 何故彼女が『技能』の研究をする事が、人類の得になるのか。

 疑問に思い何も言わずにいると、 モルガナは眉を立てた決意に満ちた表情でこう切り出した。

「……私の魔学師としての目標は、誰もが平等に魔術を扱える世の中、ですの。才能や家柄、魔術適正・系統に縛られず、全ての魔術を全ての人が扱える世界。それが実現すれば、素晴らしい世の中になると、そうは思いませんか?」

 ……それは……。

 現状、四つに色分けされた魔術適正は、一人一色しか持ち得ない事が大前提だ。例え両親が別々の色の魔素の持ち主であり、子供がその適正を受け継いだとしても、発現する魔素色は一つでしか有り得ない。

 故に人が魔術で影響を及ぼせる『要素』も常に一つ。黒等なら有機物、白等なら無機物。そして銀等なら粒子、金等なら概念、だ。

 だが、過去、いつかの歴史上においてはそうではなかった事例が存在する。

 人に継がれる前の魔術の形。至高にして完全なる竜の力。

 ……精霊魔術か。

 竜が使っていた時代の、真なる魔術の形だ。その詳細は我輩をして明るくないが、全てを可とする万能の術として現代では理解されている。

「最終形はそれですが……私がまず目指すのは、『魔術を使えない』という不便の駆逐です。魂と魔核は誰もが持つ物なのに、それが魔素・魔術に変じるとなると、何故か行使能力に差異が出る。後天的に資質を開花させる事も研究されているようですが……莫大なコストと時間が掛かるし、純正の魔術師と比べるとやはり能力に差があるそうですわ。これらの差は、一体何から来るものなのか……」

 モルガナは、髪と同系色をした薄い色の瞳を半ば伏せ、物思いにでもふけるかのような表情でそう言った。その様子は、とても昨日我輩に向けて炎の塊を幾度となく放ってきた人物とは思えない。

 ……優秀な魔術師を集めているのはそのためか。

 彼女の『目標』は、通常の魔術師が目指すような『一つの魔術』の完成に留まらない。言うなれば『魔術』と言う『それそのもの』の完成を目指しているのだ。

 人手も知識も、どれだけあっても足りるものではない。

「故に」 

 と言いながら少女は目を見開き、満開の笑顔を咲かせながらこちらに顔を寄せ、

「この研究には貴女の存在が不可欠と、そう確信しております。貴女の体は今、いわば魔術を『使える』と『使えない』を混ぜ合わせたような状態にあると私は考えておりますわ」

 魔術を使える『魔核』と、それが未熟であるが故の『技能』。なるほど、この我輩の魂と魔核が如何なる状態にあるかを調査すれば、彼女の目標に手が届くかも知れないと、そう言う事だ。

「貴女の『魔術』と『技能』の併用、これは現代魔学に重大な否を打ち付ける福音に他なりませんわ! 是非! 是非とも私の研究に協力を!」

 ……近い。

 顔を尚も寄せてくる彼女に、少し背を反らせながらそう指摘した。するとモルガナは、あら、と言って一歩距離を取る。

 顔を赤くしているのは恥を感じたためかか興奮によるものか。

「失礼。……それで? どうですの?」

 ……どう、とは?

 何を求められているのか。解らず問い返すと、少女は表情を変えぬまま言った。

「色々飛ばして申し上げますと、ええと、うーん……解剖とか?」

 一歩目から全力だった。



「スト――――ップステイステイステ――イ、ですの!」

 が、左腕を向こうの両腕で深く抱きこまれて行動を阻害された。だが、一刻もこの場から離れる必要がある。そう感じた。

 ……離せ。話は終わりだ。そして我々はもう二度と会うことは無い。

「冗談ですの冗談! いくら私でもそんな、マッドサイエンな事! ましてや戸籍がある方に!」

 無かったらするのだろうか。するのかも知れん。金持ちだからな、庶民の感覚を当てはめてはいかん。

「だから、ほら、貴女が貴女の秘密を教えてくれたら、そういう事しなくて済むじゃありませんの! ね!」

 今度は脅しに来たぞこの女。しかし、

 ……別に、不親切で教えない訳じゃない。我輩にも解らん。それだけだ。

「え?」

 猫であった時であるなら、きっとローランが何かしたんだろう、と思えた。だがサクラの言を信じるのであれば、ミルネシアもまた似たような事を出来たはずなのだ。

 サクラは言っていた。ミルネシアは、魔獣を素手で打倒する程度には動けたのだと。そして学園に通えるくらいには黒等魔術の素質もあったのだと。それは良く考えずとも十三歳そこらの少女としては異常だし、だからと言って黒等魔術には原理的に自身を強化するような魔術は存在しない。

 彼女は生命魔術にも特化していたのだろうか。確かに同じ黒等魔術ではあるが、年齢を考えればそれはそれで異質な才能と言える。

 いずれにしろ良く解らないことだ。そしてそれらは人間としては充分以上に非凡なのだと、モルガナの様子を見ていれば理解出来た。

「……ふ、ふふふふ。教える気はないと、そういう事ですのね……!」

 が、向こうは向こうで何か勝手な解釈をしている。やだこの人怖い。元からか。しかし、

 ……。

 よく考えれば、魔術と『技能』を同時に扱う生物が、他にも居たのだと言う事に思い至った。

 竜だ。

 そして、ローランの手ほどきを受けた猫である我輩もまた、その非凡に収まる性能を得ていた。

 竜が常ならざる能力を持つのは解る。彼が後天的に作った『魔核』で魔術を行使していた我輩が同様の力を得るのも、まぁ解らなくはない。

 ならば、ミルネシア、とは一体何なのだろうか。否、彼女がハート家の娘であることに疑いは無いのだが。

 ――。

 違和感がある。言葉に出来ず、理論で賄えず、しかし無視できない和を違う感触。

 ――何が……。

 解らず、そしてモルガナはこっちの思いを知らず、

「否、こっちは元々そのつもりで貴女を学園に来させるようサクラさんにお願いしましたの。魔術師が己の技術と神秘を明かさぬは道理。ならば盗み取るまで。それもまた、正しい魔術師の有り方ですもの!」

 と、我輩の腕を固めたまま、宣言するように輝く目を向けてきた。

 ……。

 やること自体は無茶が過ぎるし、それで迷惑を被るこちらの身にもなって欲しいとも思う。魔術師らしいと言えば魔術師らしいのだろうか。

 だが、

 ――根底にある物は、人の世の役に立ちたい、という……一応は、善意だな。

 理不尽を振りまき、勝負を仕掛け、他者に恭順を強制する。その姿勢も周りへの対応も不条理が服着て歩いているようなものだと思ったが、どうやらそこには彼女なりの矜持が存在するらしい。

 理解こそ難しいが、そうと解っているからこそ戦闘という手段で周りを巻き込もうとするのだろう。

 魔術師は、時として容易に道を踏み外す。此度に竜脈を侵した『術者』のように。それは、彼らが戦闘畑にしろ研究畑にしろ、その目指す極致に『己』以外が無いからだ。

 優秀な自分。最強である自分。極端な話彼らがそれを成すならば、己以外を切り捨ててしまえばそれで済む。

 だが、モルガナが目指す先にあるものはそれでは達成することの出来ぬ『世界』だ。全ての人類が魔術を扱える世の中。己も他者も巻き込んで、全部を含めて『最高』へと至ると言う、そんな『世界』。

 なればこそ、彼女は『捨てない』。きっと、最後の最後まで。

 故に、

 ――協力する義理はないが……邪険にする理由もない、か。

 解剖はともかく、だ。それに、断っても彼女はきっと諦めない。こうして騒ぎ、最終的にこちらは納得させられてしまうのだ。

 我輩はいずれ猫の身に戻る気満々だが、まあそれまでの暇つぶしくらいにはなるだろう。

 だから、

 ……まぁ、好きにしたらいい。我輩もまた、好きにするが故。

 嘆息混じりに、そう言った。



 ……そう嬉しそうな顔をするな。ただ、我輩は貴様の邪魔をしない。それだけだ。

 笑顔を咲かせて我輩に身を寄せる少女に、そうとだけ告げる。対する彼女はその内心を隠そうともせず、

「ならば、好きにさせて頂きますわ」

 そう言って我輩の腕から離れ、こちらの隣にステップを踏みつつ並んできた。

 ただ突っ立っているのもなんだと、当てもなく歩き出す。

 場所は、先ほど少し走ったものの、まだ商業区の中だった。飲食店の並びが連続する中程の区画。左手すぐ近くにはクレープの屋台の昇りや軽食を食べるためのテーブルとパラソルが見える。

 ……四六時中付きまとうつもりか?

 迷いなく我輩の隣を歩くモルガナに、そう聞いた。だが彼女は呆れたような表情を返し、

「私はどんな暇人ですの……。さっきも言いましたでしょう? 今の目的は、昼食ですの」

 そういえばそんな事も言っていた気がする。すぐ逃げたので忘れていた。

「貴女、その後はどうするつもりですの?」

 ……その後?

「昼食の後です。貴女、さっきまでベンチで暇をもてあましていましたわよね」

 そういう事か。つまり、この後何か予定はあるのか、という事だ。

 ……見ていたのか?

「ええ、少し前から。パンフレット見ながら悶絶していたようにも見えましたが……特に当ても無いんですのね?」

 実際にそうだったので首肯で応じた。するとモルガナは、歯を見せた人懐っこい笑みを作り、

「ならば早速なんですが、ちょっと興味のある研究室がありますの。……ご一緒しません?」



 それは、学園の北西部にある施設郡だった。

 商業区から園道を一本横切り、北側へ歩を進めること数分。『塔』を囲む外壁を迂回しながらも更に歩いていくと、やがて東側に『第二講堂』と『学園書庫』と呼ばれる建物が見えてくる。その二つの建造物の間にある路地を抜けるとたどり着くそこは、

「『研究区』と、そう呼ばれるエリアですの。広く生徒を募り門戸を広げる南東エリアとは違い、本職の研究者達が己の権限でスタッフを集め、本格的な探求を行う……そういう魔学者が集まる、学術都市の肝ですわ。このエリアに研究室を持つことは、『塔』へと誘致されるための登竜門とさえ呼ばれていますの」

 確かに、商業区などで見かけた学生や研究者達とは異なる雰囲気がそこにはあった。事務局裏手に見えた南東エリアの研究室は、表面をガラス張りにしたり、看板や昇りを掲げてアピールをして出資者・生徒を多く募っていた覚えがある。

 だが、それに比べこのエリアの建物は全体的にシンプルで彩りが少なく、人通りもあまり無い。研究室の代表の名前を掲げた看板がそれぞれの建物に備わっている事が唯一の装いと言ってもいいが、それも飾りというよりは単に表札を掲示するような趣だ。

 それらを見て思うのは、

 ……モルガナ、貴様、一応はまだ学生寄りの身分だろう?

 あのような公共の場で仲間集めをしていたのだから、そう言う事だ。正式な研究室が開けたのなら学園を通して公募を行える。

 ……名門の出である貴様自身はともかく、我輩のような素性の知れない者を連れてきて良かったのか? 付き合いであれば、今までに集めた仲間がいくらでもいるだろう?

 それは、純粋な疑問だった。我輩も魔学者の端くれを自称出来るくらいの心得はあるが、逆に言えばあるのは『心得』だけだ。

 実績も何もない我輩は、およそこの場に相応しくない。否、『ハート家』の血を理由にしたとしても、より相応しい同行人はいくらでも捻出が出来ただろう。

 よもや、本当に四六時中我輩と行動を共にするわけでもあるまい。故にそれを問うたのだが、

「ええ、と……まあ、そのー……」

 ……?

 モルガナは、何やら歯切れ悪く言葉を濁す。

「まあ、いいじゃありませんの。今日は交流を深めましょう、と言う事で付き合ってくださいな」

 女子会か何かか。

「これから行く研究室、かなり高名な人物の主催ですのよ? 普通であればおいそれと参加できるものではないのは確かなんですが、何ですの? 自分へのご褒美ー! みたいな」

 女子会か何かか。しかし、

 ――高名な人物、か。

 余計に我輩が訪れて良い場所なのか、と言う不安が助長されるが、まああれこれ考えていても仕方あるまい。やる事もなく途方に暮れていたこともまた事実なのだ。

 やがて、

「こちらです」

 研究区に入り数分。モルガナが案内してくれたのは、向かって左手にある、灰色の建物だった。

 見上げるような高さを持つものだが、窓が無いため階数や内装がいまいち予測出来ない。規模だけを考えるなら何かしらの倉庫か工場かとさえ思える趣だ。外壁はのっぺりとしており、見た目の感覚だけではどうにも質感がつかめない。単純な強化補助の付与魔術のほか、形質・錬金系を複合した特殊な術式建材が確かこういうものだっただろうかと思い出す。

 手前、表札にあった代表の名前は、『オルガミスト・ゾーエン』。ゾーエン、とは、確か著名な聖性魔術師の家系だった気がするが、詳細はよく解らない。

 入り口へ至る幅の広い階段を上がっていけば、ガラスで出来た両開きの扉が我輩達を出迎えた。それを潜った先にあるのは石材の壁と床で構成された、四辺それぞれが五メートルほどと言う広さを持つ灰色の部屋だった。

 そこには、調度物も何もない。あるのはただ一つ、我輩の腰程度の高さを持った、直径二十センチ程の円柱状の装置だ。

 ……結界魔術を用いた遠隔通話装置か。

「ご存知でしたの? 何だつまらない」

 ローランのところに似たようなものの小型版があった。使用された形跡が無かったので何故かと問うと『いやぁ、侵絶竜のじーさんが昔持ってきたんだけど使い方が解らなくてね。子猫の遊び道具にしてたら壊れちゃった』とかふざけたことを――待てよく考えるとあれ壊したの我輩なのでは。

 気にせず行こう。

「――」

 モルガナが、表面に手を翳して魔力を流す。どうやら会話などの機能を省いた、呼び鈴としての役割を持つ簡易版らしい。すると、

「――」

 円柱の正面――つまりガラス扉の逆側にあった壁が、石材の擦れる音をかき鳴らしながら左右に割れ、

「――」

 中から長身の男が現れた。

 ネイビーブルーの乱れ髪。ストライプのシャツ、黒のスラックス、サスペンダー。

 そして赤黒い染みのついた白衣。色素の薄い瞳に、軽薄そうな笑みを貼り付けた細面。

 即ち、

「やぁ、待ってましたよ、二人とも。……セントリーエル魔術学園、黒等魔術科『主席』研究員、アーカム・アライヴです。歓迎するよ。ようこそ、僕の研究室へ」



「ここは、名前だけ使わせてもらってるけど実質的に僕の所有するスペースでね。『塔』の方が費用とスタッフの心配しなくていいし設備も整ってるんですけど、――今回は僕の個人的な興味も含んでるから」

 と言うアーカムの説明を聞きつつ進むのは、通話装置があった部屋と似た雰囲気を持つ、しかしどこまでも続くような奥行きのある通路だった。

 等間隔で並んだ左右の扉、そして同じだけ設置された暖色の魔力灯だけが、その無機質な空間に否を穿つ。が、何故だか灯火は全く足りておらず、通路は数十メートル先を見通せない程に薄暗い。極端な例を出すなら、大陸の北端にあるという魔術犯罪刑務所の独房通路などがこういう空気を放つのではないだろうか。

「歩かせて申し訳ないね、こんな辛気臭い場所を」

 こちらの思いを察したのか、アーカムが気を遣う。

「かまいませんの。押しかけたのはこちらですから」

 ……押しかけた?

 我輩が疑問を放つと、アーカムへ向けた笑顔を絶やさぬままモルガナがこちらを向き、

「ちょっと、興味深い調べ物をアーカム氏が依頼されたと小耳に挟みまして。同席させて欲しいとお願い致しましたの。懇切丁寧に」

 ……押し切られたのか。

「いやぁ、ははは。……はは……」

 アーカムが乾いた笑いを放つ。だがすぐに引きつった頬を緩め、

「ま、手伝いが欲しかったのは本当ですよ。ジャスティ君が来なければここの持ち主――オルガミスト君に頼もうとしていたんですけど、彼も色々と忙しいみたいで。ほら、昨日話しましたよね?『協会』の金等魔術師と連絡が取れない、ってヤツ」

 覚えている。結界の管理と維持、異常の報告などを行う任を担った魔術師が、ここ数日連絡を絶っている、という話だ。

「その魔術師、金等だけあって結界術に関する造詣はあるんですが、実のところ元々は聖性魔術師でして」

 ……聖性魔術?

 それは結界魔術や形質魔術と同じく、概念に働きかけを行う金等魔術の一種だ。空気中の魔力や魔素を感知・操作することに優れ、また意思や感情といった目に見えない物すら対象とする。

 結界の担い手として派遣されたのであれば、結界の造成・維持に長けた結界魔術の専門家が派遣されて然るべきだ。

 ――それなのに何故聖性術師が?

 思っていると、それを察したアーカムが口を開く。

「疑問に思うのも当然です。……実は、かつては優秀な魔術師の代名詞であった結界管理役も、今は昔の話らしくて」

 話すのも嫌、と言うように口を横に広げ、

「どうやら王都で政争に敗れ流されてきた左遷組だった……という事のようですね。専門の聖性魔術師が結界の管理に就くなど、屈辱以外の何物でもないですから。そこに己の魔力リソースを割けば自分の研究もままならない。まぁ、見せしめの意味もあったんでしょう」

 それに、

「純系の結界魔術師は貴重ですからねぇ……。勿論彼らもまた、元は高い身分と実績を持つ優秀な魔術師。その実力や人格に疑問を差し挟むべきではないのでしょうけれど……魔獣被害の原因はそれだ、として、『塔』上層部は今回の問題を『協会』との派遣争いの材料にする気満々ですよ」

 なるほど。理解は出来ないが納得は出来た。

「……金等魔術師が、職務を放棄して行方不明になっている、と、お父様が今朝、出掛けに珍しく愚痴っていらっしゃいました。何を大げさな、とは思ってたんですけど……そんな事情がありましたのね」

「まぁ、今の段階じゃあ『何か怪しい』くらいの認識ですけどね。何せ件の魔術師が痕跡すら残さず消えてしまったんですから。故に、君たちもこれは他言無用で頼むますよ? 今大急ぎで代わりの結界魔術師を要請してる所です」

 と、そうこう話しているうちに、アーカムが左手にある扉の前で立ち止まった。どうやら目的の部屋にたどり着いたようだ。

「さて。実は今日のサンプルは、今の話にもちょいとまつわる一品でしてね。回収の後、民間の――といっても学園内のですけど――研究室が検分を行っていたんですが、『あ、これちょっとヤバいんじゃね?』となって僕の所に流れてきたものです」

 ……早急に『塔』内の魔術師による精密調査の要あり、という所か?

「そっちの方がカッコいいですね。今度はそう言います。――ともあれ」

 アーカムが、鉄で出来た扉を押し開く。

 そこにあったのは、机や魔力灯などのいくつかの構造物だった。しかしその中でも特に目を引いたのは、

「検分台の上にある物、見覚えあるんじゃないですか? ……昨日君達が細切れにした、虫型魔獣――その死骸ですよ」



 部屋の中は、ここまで通ってきた通路と似た雰囲気を纏っていた。

 違うのは、圧倒的に物が多いことだ。魔獣の亡骸が乗った台以外にも、キャスター付きで移動できる魔力灯、何かのケースや瓶を並べた棚が複数、何かの装置を載せたラックが複数、バケツ、ゴミ箱、そして壁際には水道。全体的に薄暗い雰囲気も相まって、これではまるで、

「拷問部屋のようですのね。滾りますわ……!」

 何かフレキシブルな感想が聞こえたようだが、前半は概ね同意だ。

「いかにも魔術師が好みそうな部屋ですよね、これ。もっと明るくていいと僕は思うんですけれど」

 現役最高の魔術師の一人が何か他人事の様に語っているが、

「ともあれ、魔獣です」

 ……。

 足が全て取り外されており、胴が二つに千切れ、口吻が引っ張り出されてはいるが、サイズやフォルムは虫型としてはかなりポピュラーなタイプだ。生きていた頃にして、およそ体長三十センチ。元となった虫は恐らく藪蚊だと思われるが、棘や角の付いた外殻が新たに発生しているので、見た目はどこか甲冑の篭手に近い。

「これ、電気の魔力を弾きましたのよね……私は初めて見ますが、耐魔力の魔獣も今は増えてますの?」

 言いながら、モルガナがその頭部の棘を指先で突いている。

「いや、かなり珍しいです。だから僕が調べたかったんですが、さっき言った下の研究室には少しばかり借りがありまして。耐魔力特性を持った魔獣だ、って聞いた途端、横から掻っ攫われてしまったんですよ。遺憾なことに」

 ……借りとは?

「結論だけ言うと彼らの研究室を一度吹き飛ばした事がありましてね」

「まぁ恐ろしい」

 わざと言っているのか貴様ら。しかし、

 ……珍しい特性はともかく、なんら普通の虫型に見えるが、な。

 だが、そうではないらしい。珍しい研究対象としてサンプルを持っていった研究室が、わざわざアーカムにその再調査を依頼してきたのだ。これはただ事ではあるまい。

「僕にもそう見えます。が、彼ら曰く……『魂』の痕跡が見つからなかった、との事で」

 ……何?

「魔獣は、普通の生き物が変異して成るものです。外から受けたにしろ、内から生じたにしろ、何かしらの魔力の影響を受けて、ね。故に、魔獣は生き物としての定義から外れた異常体ではありますが……魔学的、医学的な構造としては、他の生き物と変わらないはずなんです」

「それなのに、生体魔学における三種構造の一つ……『魂』の痕跡が無かった……?」

 それはつまり、

「この魔獣は『生きていなかった』。死んでいた、って事になりますね。故に、あるはずの魂が存在しなかった」

 だが、

「死んだ生き物がどんなに魔力を受けたところで、それが勝手に生き返って動き回ったりはしません。ならばこれは、別のアプローチから魔獣への変異を遂げたと思う方が自然でしょう」

 死んで魂の無くなった虫が、何かしらの外的影響を受けて魔獣化した。そう言う事だ。

 ……その原因は?

「まぁ、それをこれから精査していくんですけどね。予測でいいなら、いくつか見当が付きますよ。例えば――」

 その言葉を魔獣をまじまじと観察していたモルガナが引き継ぎ、

「死体を操る、という意味では再生魔術。生物でなくなった『物体』に加工を施して魔獣化するのであれば……錬金魔術や付与魔術が該当しますでしょうか」

 ……おい、それは。

 再生魔術。錬金魔術。付与魔術。無論、黒と白よりも汎用性の高い銀等、金等の魔術も手段としては充分だろう。だが何が使われたにしろ、街を襲ったこの魔獣の出所は、

「……人の手よるものと、そういう結論を出したわけですね。この魔獣を回収した研究室は」



 その後、アーカムによる魔獣の精密検分が行われた。我輩達は、機器の操作や必要な事項の記入、そして『塔』と騎士団へ提出する資料作成などを手伝っていく。

 とはいえ、やることと言えば先に結論を出した研究室の裏づけ作業だ。それに加え、この魔獣の生成に関わったと思しき各種魔術的な観点から、何が行われたのか、何が行われたと考えられるのかをまとめていく。

 結果として解った事は、

「いやぁ、駄目ですねこれ。全然解らない。ははは」

 一通りの部位の解剖と検分を終え、ゴム手袋に付いた体液を拭いながらアーカムがそう言った。

 ……。

「いや、本当なんですって。これ、魂の痕跡が無い以外は普通の死骸なんですから」

「アライヴ氏の言うとおりですわ。でも、これ……」

 アーカムの言葉に、モルガナが同意する。だが、彼女は何かが腑に落ちない、とでも言うように改めて死骸を見回し、

「……あまりにも、普通の死骸すぎますわ。例えば再生魔術であれば骨格に刻印が。錬金魔術であれば媒介となる貴金属が埋め込まれているはずですが……魔獣に変異してしまっているせいで、そういった類が見当たりません。かと言って、付与魔術で魔獣化を促すには多大な魔力を外から浴びせる必要がありますが、変異の過程にそういった痕跡も見当たりませんの。先の検分の結果通り、魂の痕跡が無い、というのは確かなようですが……人為的な介入があった根拠としては少し弱いですわね?」

 ……モルガナ、貴様昨日はその虫を見てピーピー泣いていた気がするのだが……。

「泣いていません。心の汗です。いえ、作業台に乗っていればもうただの研究対象ですから。まな板の上の食材みたいなものですわ」

 そういうものだろうか。

 すると、アーカムが関心したように頷きを作り、

「はは、ジャスティ君は優秀ですねぇ。そう、これだけでは、『人為的な魔力行使があったかも知れない』程度の根拠にしかなりません。ですが……」

 と、アーカムは両手にはめていた手袋を外す。そして、

「……一通り調べ終わったし、もういいでしょう」

 魔獣の足、その六本あった内の一本を手に取った。

「――」

 アーカムが、その一本を目線の高さまで掲げ、目を閉じる。すると、

「!」

 魔獣の足が、まるで空気中に溶けるようにして、光の糸となってほどけていく。

 ……な……、

 我輩の驚愕にも構わず、それはまるで砂を落とすようにして止まらない。やがてほどけはアーカムの指が触れる部分を起点としつつも逆端に到達し、魔獣の脚は完全に消えてなくなってしまった。

「こ、れは……」

 モルガナが、我輩に倣うようにして驚愕に口を開く。

「……この魔獣の体が、魔素によって構成されていた証拠です。よほど強い魔力を与えたのか、魔獣自体の活動が停止しても形を保っていたのは素直に驚きですが……」

 モルガナは目を見開き、口をぽかりと開けた唖然の表情で、

「信じられませんの……既に魔術として消費され、砕けるだけであるはずの魔素が、ほんの一瞬とは言え光として視認出来るなんて……竜脈発生のマナ、それに勝るとも劣らない密度の大量の魔力が注がれた証拠……」

「そう。そして、魔獣の体が魔素で構成されていたとするならば……」

 つまりこれは、

「魔術による密造魔獣を使った、魔術テロ。目的は解りませんが……『塔』に報告しなければなりませんね」



 ……。

 この魔獣は、魔素で構成されたものだった。

 それには、この魔獣のサイズが小さいものだとは言え、耐魔力性能すら獲得するほどの大量の魔力が必要だ。そしてそれを成すには人が扱う魔術では足り得ない。加え、

「……信じられない程の完成度ですの」

 魔術を用いて作られた生体の従属体は、完全な生物でないが故、身体の何処かに『虚』を生じる。完成度に反比例してその全体に対する面積比率は下がっていくが、特に脳や心臓の付近にそれが顕著となる傾向がある。

 だが、この個体には少なくとも表面上、それが無かった。つまり、

「使われたのは恐らく、竜脈魔術。『塔』直下のものを利用出来たとしたら世も末ですからね、普通に考えて何処かの『経路』から不正アクセスを受けたんでしょう」

 と、アーカムが推論を語る。

「新たに『ライン』を開いたのでなければ、大森林の『祭壇』を使うのが手っ取り早いですのよね。だとすれば」

「ええ。その結界を管理しており、今現在行方不明になっている金等魔術師の疑惑が深まった、ということになるでしょう……け、れど……」

 と、アーカムは言葉尻を濁し、我輩の方を一瞬だけ横目で見た。

 それは、時間にして四半秒にも満たないものだ。が、我輩にはその意図する所を理解することが出来た。

「……けれど? 何ですの?」

「いや、何でもありませんよ」

 ……。

 結界を張った魔術師は、金等の魔術を扱う。概念を改変する、現行四つに分類される色等魔術の中でも最も高等とされる魔術だ。魔獣がその技術を用いて精製されたのであれば、話として違和感はない。

 だが、我輩の中にはもう一つ、明確に浮かぶ疑念があった。

 レティシア・ハート。

 再生魔術を扱う中でも、生体の生成に長けた優秀な魔術師だ。

 即ち、完成度の高い魔獣を用意しうる、もう一人の存在ということ。彼女の父親は先代『主席』にして、魔獣生成の権威だったとも聞く。推論の結果がそちらへ向かうのは、自然な事だと言わざるを得ない。

 ……。

 今、結界管理の魔術師が行方をくらませているこのタイミングで、彼女までもが行方知れずだというのは本当に偶然であるのか。

 と、魔獣の死骸から思わぬ情報を得、意図せぬ沈黙が降りた時だった。不意に、

「――!」

 激音が響き渡った。



 金属を、鉄のハンマーで叩いたような音だった。

 かき鳴らし、不快を植えつけて耳に障る大音が、何処からか響き渡ってきたのだ。

 場所はここではない。何処であるのかはこの研究室の中からでは伺い知ることが出来ないが、少なくともこの建物の中ではないだろう。

「ななななな、何ですの!」

 モルガナの顔が驚愕に染まり、キョロキョロと部屋の中を見回すが勿論そこには何もない。

「咆哮……?」

 アーカムがそう呟く。

 我輩もまた、同じ印象を受けた。だがそんな訳はない。何故なら、このような大きな声を発する生き物など、『竜』かそれに順ずるものでしか有り得ないからだ。そして『竜かそれに順ずるもの』とは、即ち第一級魔的災害を認定する条件でもある。

 即ち、百年に一度クラスの大災害だ。故に有り得ない。だが、

「!」

 アーカムが、魔獣の死骸もそのままに部屋の扉を開けて駆け出した。モルガナと我輩もまた、それに倣う。

「――」

 無機質な長い廊下を抜け、突き当たりにある装置にアーカムが手を翳す。間髪入れず開き始めた強化石材の扉の間に身を滑り込ませ、ガラスのドアをくぐり抜ければ、そこはもう外。丁度研究室の入り口の正面側――つまり南側にある学園塔の巨大な影が、閉鎖空間から出たばかりの我輩達を出迎えた。

 だが今、その雄々しくも荘厳に突き立つ、セントリーエルのシンボルに思いを馳せている余裕は無かった。何故なら、

「竜……ですの……?」

「いや、違う。……魔獣です」

 学園塔から視線を左にずらした先。即ち、真南に近い方角だ。

 セントリーエルの南部には、標高千五百メートルほどの山がある。そしてその麓にある森こそが、竜脈の祭壇を擁し、様々な魔性植物や錬金鉱物が採れるセントリーエル大森林だ。

 その、丁度直上くらいの位置だろうか。あまりにも遠いために縮尺がよくわからないが、数十キロ以上も離れた場所であるはずのここからでもはっきりと視認出来る、あまりにも巨大な姿があった。

「……大きさがケタ違いですけどね」

 アーカムが、額に汗の玉を浮かせながらそう言った。



 銀とも黒とも付かない硬質の体表は、太陽の光を受けて鈍く光る。毒をもつ花弁のように、あるいはライオンの鬣のように棘や角を咲き誇らせるのは、顔面を覆う兜のような外殻だ。

 丸く長い腹に六本の足を下げたフォルムは、おおよそ虫のものであると言ってよい。だが、通常の個体において虫の特徴を色濃く残す翅は、もはやその原型をとどめていなかった。

 顔面の鬣と同じ素材で出来た骨組みに、薄い皮膜を貼り付けたそれはもはや翼だ。その形は蝙蝠にも似て、モルガナがそう誤解するのも無理ないほどに、竜のそれを連想させた。

 体長、目測でおよそ五百メートル。翼を広げた全幅は、恐らく一キロを下らない。

 大型魔虫と呼べる姿。そして、

「――――……!」

 金属質の咆声を一喝。

「――」

 進撃が、始まった。


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