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我輩、猫の身空で世界を救う  作者: U輔
セントリーエルの怨絶竜
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第六章 不理解の講義


 白い部屋がある。

 セントリーエル研究学術都市の南東区画、事務局内にある来客用の一室だ。我輩が先ほどまでいた体育館より東側に道を一本渡った場所にあり、また北の窓からは、高く聳える学園塔が壁のように見えている。

 部屋の内装は、来客用とはいえ極シンプルなものだった。革張りのソファと膝高のガラステーブルは見た限り高級品だが、それ以外の内装は至って平凡かつ簡素。上着や帽子をかけるラックと観葉植物、後は学園や街が出す広報誌や郷土史にまつわる歴史書などを収めた書棚があるくらいだ。

「いや、悪いですねこんな場所で。『塔』の研究室で出迎えても良かったんですけど、散らかってるし申請も時間が掛かりますし」

「いえ、お気になさらず」

 と、本当に気にしていない様子で白衣姿に笑顔を向けるのは、我輩の右隣でソファに身を沈めるサクラだ。

 彼女は、アーカムが不慣れな手つきで茶を用意し終え、ソファに座るのを見届けると、こう切り出した。

「……お忙しい所押しかけてしまい、申し訳ありません。ご迷惑でなかったでしょうか?」

「いやいや、とんでもない。忙しいのは事実ですけど、サクラさんの頼みでしたら喜んで時間を空けますよ」

「……その割には約束を忘れていたようですが」

「え、いやその、ははははは」

 誤魔化すの下手か。

「まぁ言い訳になりますが、ここ数日立て込んでましてね。ああ、先ほどご覧になったでしょう。虫型魔獣。ちょっとここ数日目撃報告が増えてましてね。ある程度の数までだったら許容範囲内なんですが……それで僕ら、黒等魔術科は大忙しで」

「ああ、それで」

 全部が全部そうではないが、魔獣の成り立ちと再生魔術の術式構成には似通った部分がある。実際、肉体の中にある『魂』を暴走させることで多大な魔力を生成し、人為的に魔獣を作り出す実験も行われているとの事だ。

「先生が生きていれば、大喜びだったでしょうねー……」

「ふふ、まったく。目に浮かぶようです」

 先生、とはハート家の先代――レティシアとミルネシアの父親の事だろう。確か魔獣の研究をしていたのだったか。

「本当なら森に詰めている、『協会』の金等魔術師……結界専門の、です。そっちが異常を報告していたはずなんですが、数日前から連絡が取れていないらしくて。王都から派遣されたお偉い魔術師様の仕事が適当なのはいつもの事、なんです、が……」

 彼は、不意に眉を立てた真剣な表情を作る。

「……今回ばかりは少し趣が違うようでしてねぇ、色々と。場合によっては『協会魔術師による魔術犯罪案件の可能性がある』、なんて上が色めき立っちゃって、大変ですよ、本当に」

「お察し致します」

 と、サクラが気を遣う。だが我輩は、今の彼の台詞の中に聞き捨てならないものを見出していた。

 ――結界魔術師と連絡が取れない?



 竜脈の祭壇、とは、表向きには『怨絶竜』を奉り、その威光を讃えて後世に受け継ごうと言う祭神輿のようなものだ。

 だがその実態は、セントリーエルの竜脈をある程度制御することの出来る端末装置としての機能を有した、れっきとした実用装置だ。

 百年前の『大災害』において竜脈が狙われた際、その必要が生じたために『協会』の主導で建設された。『竜』や『竜脈』に比べ歴史こそ新しいがその分現代魔術に沿った造りと機能を有し、少ないリスクで浅い範囲の竜脈操作が可能とあって厳重な封印が施されてきたのだ。

 故に、その結界の管理と維持には『塔』の魔術師ではなく、王都の『協会』が認めたとびきり優秀で有能な魔術師が『補佐』という名目で派遣される。実態的な部分は無論親切などではなく『監視』であろう。

 そして、件の『協会』魔術師が行方不明。なるほどそうであるならば、結界が消えた事も、にも関わらず昨日の時点で『祭壇』が無防備な状態で放置されていた事も頷ける。

 要は、誰も気が付いていなかったという事なのだ。それを察知する魔術師自身が消えてしまっていたのだから。

 ――そして、これを魔術犯罪案件の疑いあり、として『塔』はその金等魔術師の行方を追っている……と。

 ならば『術者』は――レティシアは、この結界魔術師が仕事を放棄した事に便乗して、竜脈に手を出したという事だろうか。

 それが偶然か、それとも意図してのものかは解らない。だが、一学生が単独でプロ魔術師の結界をどうこうした、というよりは信憑性のある話だとも思う。

 あるいはこの金等魔術師こそが『術者』であろうか。それはそれで、話がまた振り出しに戻ってしまうものであるが。

 と、その様な事を考えていると、そこまでサクラと目を合わせて話をしていたアーカムが不意にこちらに視線を送ってきた。そしてそのまま、

「……それにしても、驚きました。……本当にミルネシア君とそっくりだ」

 アーカムから見ても、我輩はそうであるらしい。

「ええ。……私は、本当にミルお嬢様なのだと、そう思っております」

「……一魔術師としては、こう言わせてもらいますがね。有り得ないことです、と」

「……」

「サクラさんサクラさん、何故笑顔のまま無言で立ち上がるんです? ちょ……説明! 説明をさせて下さい!」

「……まぁいいでしょう」

「……あ、相変わらずサクラさんはマウントが物理的ですね……!」

 以前にもあったのだろうか。あったのだろうな。

 だが、アーカムの見解には我輩も同意見だ。数多の状況証拠が無ければ、我輩もそう断じていただろう。

 黙って座り直すサクラを見て、ふう、とアーカムが一息を吐いた。

「まぁ、とはいえ……頭ごなしに否定する気もありませんよ。有り得ない、なんて言葉は、魔術師としては正しくも魔学者としては一番使ってはいけない言葉ですから」

 故に、

「まずはお話を聞かせて下さい。なるべく、詳細に」



 サクラは、我輩との出会いと、事の顛末を説明した。

 レティシアが蘇生魔術を試みたとなれば、何かしらの処罰は免れない。『塔』への招待も白紙に戻る恐れがある。だが、今サクラにとって――そしてハート家にとって大事なのは、彼女の手がかりを見つけることだ。我輩の存在が『何』なのかを知るのと同じく。

 その間、我輩は無言を貫いていた。サクラの話ではミルネシアは記憶喪失、という事になっているが、実際にはそうではない。ミルネシアとは関連も無い、赤の他人――というか猫――の魂が入っているのだ。個人的にはそうなった経緯もまた調べる必要のある事ではあるが、今何か余計なことを言って『我輩が何者なのか』という部分に論点が向かっても面倒であるし、信じてもらえるかも解らない。

 故に無言。

 そして、数分を掛けてサクラが顛末を話し終える。その間、アーカムは何度か頷きながらも、彼女の言葉に耳を傾けていた。

「――」

 そしてサクラが、一息ついたと言う様に目の前に用意された茶を一口含む。

「……」

 アーカムは、サクラと我輩を見たまま真剣な目つきで何事かを考えている。そして、

「……話は解りました。レティシアが蘇生魔術を、ね……。確かにあの子は、とびきり優秀な魔術師だった。なんともありそうな話ではありますが……とりあえず一個だけ言わせて下さい」

 眉間に寄せた皺を指でほぐしながら、

「………………今度からは、結界が消えていた、なんて一大事は、気付いた時点で『塔』に報告して下さい……」

 と、どうにかそれだけを搾り出した。

 もっともな話だ。だがサクラは、

「あー……いえ、まぁ、それどころじゃなかったんですよ。ハート家にとっては、お嬢様方が最優先ですから」

 と、笑顔で言い放つ。

 確かに、サクラが『祭壇』に辿り着いてからここまで、そう言った時間も精神的余裕もなかっただろう。個人的な見解としてはそれもやむなし、と言ったところだが、アーカムにとっては流すわけにもいかないと言う事だ。

「……お気持ちは解りますが……事は竜脈に関わることなんです。それを気が付いていながら放置したとあっては、最悪処罰の対象にも成り得ます。『塔』が事態を把握したのは今朝方だったんですが……それまでの間に、悪意ある人間が祭壇に近づきでもしたら……」

「それはそちらの怠慢でしょう」

「ぐうの音も出ませんね……!」

 アーカムはテーブルに額から倒れこみ、突っ伏して動かなくなった。

「ふ」

 ……何故サクラは勝ち誇った顔をしている……?

「学者を言い負かしたんです。自慢してもいいじゃありませんか」

 なるほど。……なるほど?

 ちょっと解らず我輩の思考が滞っている間に、アーカムが額を押さえながらも上半身を起こす。

「……はぁ。まぁいいです。今日の本題はそれではないことですしね」

 目を伏せ、前髪で表情を隠し、更に数秒。

「……結論から言いましょう。サクラさん。やはり、蘇生魔術が行われた、というのは考え辛いです」



 我輩にしてみれば、と言うか常識的な魔術師からすれば、それは当然と言っていい結論だった。

 だが、サクラにしてみれば納得の出来ようもない。実際、彼女はこれ見よがしに落胆した様子を身振り付きで表しつつ、

「そうですか……やはりアーカムさんではその程度ですか……先代が生きていれば……」

「と、棘がありますね何か……!」

 しかしアーカムは、そこで口を閉ざさず、指を一つ立て、

「……ただ、ですね。『それ以外の何か』が行われた、という可能性は、ありえるんじゃないかと」

 生徒に教えを施すような言葉遣いでそう付け加えた。

「それ以外……?」

 要領を得ないアーカムの物言いに、サクラが疑問符を落とす。

「……それを説明するには、再生魔術の成り立ちについて知ってもらわねばなりませんね。サクラさん、再生魔術がどういう魔術であるか、概要だけでも構いません。ご存知な事はありますか?」

 ……サクラ、これは。

「ええ。ガチガチの理系にありがちな知識マウントですね……」

 ……帰るか?

「いえ、一端泳がせましょう。不快指数が限界を超えたら帰ればいいんです」

「ちょっと一回無視しますけど、どうですか? 何か知ってる事あります?」

 改めて訊かれ、サクラは顎に手を当てて数秒を思考に当てる。やがて彼女は、どうにか、と言う風に言葉を搾り出し、

「……詳しくはちょっと。黒等魔術の一種で、動物の死体を蘇らせる、というくらいしか」

 確認するような口調でそう答えた。対するアーカムは、しかしそれに満足したように、

「概ね合ってますね。ですが、正しくは蘇らせるのではなく『作り上げる』のです。有機物への改変を行う黒色の魔素を使って。故に魔術的には、無機物への改変を行い作る白等魔術のゴーレムと明確な違いはありません」

 それは、我輩の認識とも一致する。即ち、

「必要な要素は『骨格』『肉体』『魂』の三つです。魔学における三要素。つまり、動物の『骨格』を用意し、魔素で練り上げた『肉体』を纏わせ、『骨』から『魂』を呼び覚まして完成とする。しかしこれはあくまで生物『らしきもの』でしかないんです」

 そう。それは魔力を使って練り上げた、という点ではゴーレムと同じものなのだ。ゴーレムに無い『魂』にしても、それは『骨格』に宿った残留思念を暫定的にそう呼んでいるだけ。故に、

「つまり、決定的に生物足り得ない。ましてやその内に込める『魂』に至っては、その『骨格』が持つ『記録』でしかないんです。再生魔術で使役する生物っていうのは、絶対的に元の生物とは違う『もの』であると言う事ですね」

 それを示すように、再生魔術で呼び出す従属体は肉体の一部が未完成だ。先ほど我輩が呼んだ『夜寄せの主』のように、生物には有り得ない、無数の虚が如き穴が開いている。

 アーカムが説明を一息に終え、だがサクラは、合点がいかない、といった様子で我輩に視線を送ってきた。

「……ですが、ここにいるミルネシアは、どう見たって普通の人間です。貴方の言うように生物の完全再現が不可能であるなら、彼女は一体なんなのです?」

「……他人の空似、と言うのが一番……ああ冗談です怒らないで下さい座って下さい」

 立ち上がったサクラを嗜め、アーカムが一息をつく。

「……実はね、レティシア君が行っていた研究っていうのは、その辺りが関係したものでして」

 つまり、

「再生魔術における『肉体』の完全再現。彼女は魔素だけでは足り得ない、魔術で作り出す肉体に不足した『何か』……『第四要素』を探していたんです」



 第四要素。それはローランから魔術のイロハを学んだ我輩をして、聞き覚えの無い単語だった。

 つまりは『骨格』『肉体』『魂』に次ぐ、未だ見つからぬ四つ目の要素、ということらしい。

「つまり、レティシアがそれを見つけ出していたのなら、蘇生魔術も可能になる、と……?」

 話を聞く限りはそういうことだ。だが、アーカムはそれを首を振って否定する。

「いえ、やはりそれだけでは不足します。『人』の再現っていうのは、再生魔術においても最も理解の進んでいない領域でしてね。倫理的な所もありますが……『魂』は『人間の骨格』からは抽出出来ないんです。ほかの生き物と違い、歴史上一度としてそれを成功させた記録がない。その理由がなんなのか見当すら付いていない。それが現代魔学の限界なんです」

 ですが、

「こと肉体の再現、という分野に限れば、その限りではない。勿論一筋縄ではいきませんが、これに関しては歴史上にも前例がある。そしてそれを元にした『第四要素』の選定と確立。それがレティシア君の研究テーマでした」

 つまり、アーカムの言いたいことはこうだ。

「蘇生魔術、という奇跡を、僕は否定します。だが、肉体の再生だけであるなら、元となる魔力のリソースさえ確保できれば、充分立証可能な段階にあるのでは、と、僕は思います」

 ……レティシアは、それ程までに優秀な魔術師だったのか?

「とびきりでしたよ。身体的なハンデを差し引いても、こと実技においては僕や先生よりも秀でていたんじゃないでしょうか」

 ……ほう。

 しかし無論、数百、数千年をかけて再生魔術師が見つけ出せなかったそれを、優秀とは言え一学生でしかなかったレティシアが見つけ出せるとは思えない。アーカムもまた同意見なのか、

「まぁ、その可能性がある、という程度の話ですけどね」

 と付け加えた。

「それに、それだけでは今そこにいる『ミルネシア』がその結果であるという証明にはなりません。彼女はこの通り『魂』を得て、立って動いているのですから」

 故に、

「やはり僕は、他人の空似説を推しますがね……そういう偶然も、天文学的な確率ではありますが有り得ない事ではありません。その場合『祭壇』で彼女が何をしていたのか、という話にもなりますが……」

 アーカムの視線が、一瞬胡乱げな光を帯びた。――ように見えた。見えた、というのは、本当に一瞬の出来事であったからだ。

 そして、黒等魔術科『主席』研究員の結論に、やはりサクラは不満げに目尻を吊り上げる。だが、一方で納得もしているのだろう。特に意見を差し挟むこともなかった。

「そう睨まないで下さいよ。その為に、シバさんから頼まれたセントリーエル及び近隣区域の行方不明者のリストの確認、そしてそこの彼女と元学生、『ミルネシア・ハート』の魔核の照合。僕の権限で、これを急ぎやってもらう事にしますから。そうすれば少なくとも彼女が『何』であるのか。そこのところははっきりします」

「ええ……うん、そうですね、ありがとうございます。よろしく、お願いします」

 そう言ってサクラは頭を下げる。対するアーカムは、ただ、と前置きし、

「覚悟しておいて欲しい。もしこのミルネシア君が本物のミルネシア君だとするなら……レティシア君は『禁忌』を犯したことになる。例え結界の消失という偶然に便乗したのだとしても、それは重大な規律違反。ただでは済まないでしょう。……それでもいいんですか?」

 アーカムの言うことは、シバも言っていたことだ。レティシアのした事がたとえ人類史を変える発見になったとしても、人間の世界には法とルールというものがある。

 つまりは、アーカムなりの最終通告なのだろう。

 サクラは、しかし昨日とは違い特に動じた様子は見せない。それどころか口元に笑みすら浮かべ、

「その可能性は、勿論あると思いますけれど。でも今は、レティシアを見つけるのが最優先ですから。……あまり時間を掛けてはいられませんし」

 レティシアは、真っ当な魔術師としては珍しく、あまり体が強くないという話だ。彼女が生きていると仮定するなら、帰ってこない、と言うのは何処かで動けなくなっていると言う可能性も充分に考えられる。

 故に行動は迅速に。そのためには手段を選り好みしてはいられない。そう言うことだ。

「……彼女も一端の魔術師です。生きるために必要なものは全て持っている。己の体の事だって解っているはず。無理をするくらいであれば、その前に帰ってきますよ」

 アーカムは、そう言って穏やかな視線を少女へと向けた。

 それを聞いたサクラは安心したように表情を崩し、

「……そうですね。そうです、本当に」

 かみ締めるように何度かそう呟き、

「……ありがとうございます、アーカムさん」

 そう言ってもう一度、頭を下げた。



 結論として、今出来ることは何もなかった。解った事といえば、やはり蘇生魔術は技術的に不可能、という事実の確認だ。

 ただ、レティシアはどうやら『完全な肉体の再生』を研究していたらしい。ならば彼女がその辺りに係累する魔術の実験を、竜脈を用いて試した可能性は現状かなり高い。だが、

「それだけでは、今ここにいらっしゃるミルお嬢様のことは説明が出来ない、と……」

 我輩達は今、学園を後にし、ハート邸への帰路を辿っていた。はっきりした時刻は解らないが太陽は先ほど没したばかり。街の至る所では魔力式街灯が光を宿し、住民それぞれの生活を照らしている。

 街の北西部を貫くドーミス通りの客層も、買い物目当ての主婦や子供達から全く別のものへと変遷していた。即ち、食事や行楽を目的とした仕事・学校帰りの作業着姿・ローブ姿へと。全体に漂う活気自体をそのままに、漂う香りに酒気を含ませたような印象だ。

 サクラは昼間と変わらずメイド服だが、我輩の方は焦げた服のまま出歩くのもどうかと、サクラが何処からか用意してきたジャージに着替えている。グレー地に赤のラインが入ったシンプルなデザイン。見ると、左胸に有名なファッションブランドのロゴが付いている。

「やはり、ミルお嬢様とは関係の無い他人である、という可能性の方が高いということなんでしょうか……」

 ……。

 歩きながら、サクラは先ほどアーカムから聞いた情報を復習するように口の中で転がしていた。それはまるで、納得出来ない事実を時間をかけて飲み込もうとしているように見えて、

 ……もしも。

「はい?」

 我輩は、気になっている事を尋ねてみることにした。

 否、それは最初に確認せねばならなかったことだ。夕食という甘美な誘惑に気をとられ、ハート邸の使用人たちの好意に甘えてしまった結果、後回しになっていたこと。それは、

「なんです? ミルお嬢様」

 ……我輩が、ミルネシアでなかったなら、貴様達はどうする?



 それは仮定という体を繕ってはいるが、我輩にとっては厳然たる事実だった。

 こちらにはこちらの目的がある。彼女らには彼女らの目的がある。だが今のところは『レティシアを探す』という点においてそれらは一致し、故にこそ我輩はハート邸に厄介になっている。

 だが、その理由がなくなった時、彼女らはどうするのか。

 ……我輩が本当にミルネシアに似ているだけの、赤の他人だったなら。そうでなくとも、レティシアが研究していたのは人間の肉体を単に『再現』するだけの技術。この『中身』までもがミルネシアである証拠など何処にもない。

 否、

 ……むしろ話を聞く限りは、そうでない可能性の方が高いようにさえ思えるではないか。

 事実、我輩は彼女らとはなんら関係のない赤の他人だ。というか他猫だ。それが明るみになったなら。

 サクラは、シバは、ダンセルは。一体、どうするのだろうか。

「……そうですね。その可能性は、あると思います……が」

 サクラは、我輩の質問に何を訝しがることもなく答え始めた。それはまるで最初から用意してあったかのように、

「まず、貴女が本当にミルネシアではない、似ているだけの誰かだったら。貴女を、本当の家族の元に帰してあげなくてはなりません」

 ……だが、我輩はあの森で一人佇んでいたのだ。記憶もなく、手がかりもなく。

 それは一部、事実だ。

 ……我輩に帰る場所などあるのだろうか。本当の家族など居るのだろうか。もしそうであったなら、我輩は……。

 それも、一部事実だ。野良猫である我輩に帰る場所などない。ただ、また流れるだけだ。

「……その時は」

 言う。サクラは、我輩に向ける横顔に、弓にした目を貼り付けて、

「ウチの子になっちゃいましょうか」



 ……。

 まるで拾ってきた猫でも扱うような物言いに、我輩は呆気にとられた、もっとも、まるで、でも何でもないのだが。

「それは、貴女の『中身』がミルではない誰かだったとしても同じです。帰る場所がないのなら、ウチが受け入れます」

 サクラはさも当然の事を言っているかのように、メイドらしからぬ、歯を見せた笑みでそう言った。

 ……そんなこと、貴様が決めていいのか? ハートの当主はレティシアだろう?

「当主はレティですけど、未成年なので。あの家の資産管理は私とシバで行ってるんですよ。だから問題ないです」

 ……とんでもないメイドがいたものだな。

 それは一般的には乗っ取りと言わないのだろうか。

「勿論、レティの許しは要りますけどね。でも、レティだって良いって言うに決まってますよ」

 ……その根拠は?

「メイドの勘は当たるんです」

 無かった。

 ……何故だ?

「うん?」

 ……何故、一晩共に過ごしただけの我輩にそこまで言える?

 普通ではない、と思う。確かに我輩はミルネシアに瓜二つなのだろう。それで感情移入してしまうのも理解出来る。だがこの少女は、我輩がミルネシアでなくてもいいとさえ言ったのだ。

 昨日会ったばかりの赤の他人にそうまで言える人間は、猫視点でも珍しいと感じる。今や我輩がミルネシアであると百パーセント信じている訳でもなさそうだ。

 ならば、何故そこまで言えるのか。

 サクラは、こちらの質問に呆けたような表情を浮かべることで答えた。少し考え、こちらから顔を逸らし、やがて、

「……きっと、先代と奥様だったら、そうするだろうな、と思ったんです」

 口元だけに笑みを作り、

「実はですね。私も、ダンセルも、シバも。あの家に拾われた身なんです。シバは先代より前の当主の時だったそうですけど」

 ……それは……。

「孤児でした。一番古い記憶は、兄と二人、この街の孤児院の前で凍えてる風景です。ちゃんとした施設だったので最低限の生活はさせてもらえましたけど、何処へいくのでも兄と一緒に、って意地になってたので、引き取り手も仕事も中々見つからなくて。兄はもうすぐ十六になる頃だったので、院を出なければならなかったんですが」

 ……。

「そんな時、先代が私達を引き取って下さったんです。いつかきょうだい二人で暮らせる家や仕事が見つかるまで、使用人として働いてくれたらいい、と仰って。……結局私はメイドとしてハート邸に残り、兄は騎士団に志願して離れ離れになっちゃったんですけど」

 ……優しい御仁だったのだな。

 ゲイル・ハート。先代の黒等魔術科『主席』研究員。

「いえ、アレは優しいなんてものじゃなかったです。甘いです。甘々です。そんな犬や猫拾うみたいに孤児なんて拾うものじゃありません」

 全くその通りだと思う。だが、

「でも、先代がそういう人だったから、今の私がある。今の兄がある。感謝しているんです」

 だけど、とサクラはわずかに顔を伏せ、

「先代は亡くなって。だから、私思ったんです。誰かが先代の意思を継がなくてはならない。先代が助けるはずだった誰かは、私達が助けていこう、って」

 ……私達、とは。

「私と、レティと、シバと、ダンセルです。皆で決めた、だからこれは総意ですよ、ハート家の。さっきはああ言いましたけど、ちゃんとレティも含んでの『私達』ですから。問題ないです」

 ……ありがたい話だな。

 甘い話だ、とも思うが。

 ……自覚しているか? 誰も彼もを救う事など出来はしない、と。

「解っています。でも『全てを救えない』からと言って、『全てを救わない』なんてのは間違いです。少なくとも」

 だから、

「手が伸ばせる限り、私達は先代の思いを受け継ぎます。それが私達の……先代に対する恩返しです。だから貴女は、何の憂いもなく、私達の世話になっちゃって下さい」

 それは彼女達なりの矜持なのだと思う。全てを救えはしない。それを偽善と蔑むものもいるだろう。

 だが、この少女とその家族は、紛れも無くその『偽善』に助けられ、今を得ているのだ。そしてそれを、他人にも分け与えようとしている。

 それを迷惑に感じる者など居はしない。

 だから、我輩は一言、

 ……感謝する。

 とだけ答えた。

「いえいえ」

 少女もまた、そうとだけ応じた。



「ああ、そう言えば」

 そしてまたしばらく歩いていると、サクラが唐突に手を打ってこちらを向いてきた。

 ……?

「これ」

 そうして我輩に差し出してきたものは、

 ……封筒?

 それは、幾枚かの紙の入った無地の封筒だった。使われている素材がぶ厚く、開けないことには中身は解らないが、

 ……これは?

 その前にサクラに詳細を尋ねる。すると、

「明日までに内容に目を通しておいて下さい。そして、これも」

 言いながら、持っていた紙袋の口を開け、見ろと言わんばかりに差し出される。それは学園を出る前、サクラが事務局に寄って受け取っていたものだ。

 ここまで特に気にも留めていなかったが、どうやらその中身は、

 ……服?

「ブラウスと、ブレザーと、スカートとソックス。それとリボンタイ。そして学園術師を示すローブです。モルが着ていたコートタイプも申請すれば用意してもらえるみたいですが、とりあえず基本セット一組だけ。もう一組、着替え用は明日以降学園で受け取れるみたいですから直接受け取って下さい」

 ……………………これは?

「見ての通り、学園の制服です」

 サクラの言い分に、理解が追いつかない。我輩の? つまり、

 ……学園に通えと?

「はい。一応、ハート家の遠い親戚、って事にしておきましたので、名前はミルネシア・ハートで問題ないです。レティシアに似てることも突っ込まれはするでしょうが『親戚皆こういう顔なんですよ』とか何とか言っておいて下さい」

 ……いや苦しいだろうそれは。親戚はいいが、戸籍などどうしたんだ?

「……メイドに謎は付き物なんですよ?」

 聞かない方がいい気がしてきた。だが、

 ……我輩、あまり魔学に興味はないのだが……。

 魔術に関する基本的なことはローランから学んでいる。ヤツはガチ古竜であるために少々偏りがるのは否めないが。

「そう言う子、最近増えてるそうですよ? とりあえずの箔付けのために学園入る、みたいな」

 そう言えばモルガナもそんな事を言っていた。

 ……世も末だな。

「時代、と言う事でしょう。それに適正のある子供を学園に入れないと周りから色々言われるんですよ。ましてやウチは前『主席』の血縁ですし」

 だから、

「安心して通ってください。ミルネシア……生前の、ですけどね? 彼女もあまり勉強は好きではなくて、もっぱら術師団の戦闘演習に顔出してたみたいですよ」

 ……十歳の子供が?

「入学当時だと六歳でしたかね。魔術師としては珍しくないみたいですよ? あ、まあ、でも従属体と一緒に飛んだり跳ねたりしてたんで、再生魔術師用の指南書の中身書き替えたりしてたらしいですけど」

 ……それ後続に迷惑が掛からないか?

「よく解りましたね。ミルネシア以外の再生魔術師が全然挙動再現できなくて、結局その指南書は今伝説の奇書として道場の神棚に奉られてるみたいです」

 何がどうなってそうなったのか少し気になったが、それよりも思った事は、

 ……ハート家の血筋はどうなっている。

 姉もそうだが妹もちょっとピーキーだ。それとも両親の教育が良かったのだろうか。

「まあ、そんな感じなので。あまり気負わず、気楽に学園内ぶらついてみるくらいでもいいんじゃないでしょうか。やる事なければ、アーカムさんに頼んで何か仕事でも紹介してもらえばいいですし」

 そう言うとサクラは、早速、と言う感じでブラウスを取り出し、我輩に肩を合わせたりし始めた。

 ……いや、しかし、突然そう言われてもなぁ……。 

 入学に問題がないことは解ったが、我輩、猫であったので勿論集団生活などした試しが無い。

 これまで、周りの人間は我輩を『ミルネシア』だとして扱ってくれてきたのでどうにかしてきたが、この我輩が人間の集団の中で滞りなく生活を送れるだろうか。

 答えはノーだ。無理に決まっている。

 それに、我輩の目的はあくまで元の姿に戻ること、そしてそのためにレティシアを見つけ出すことだ。学園に通うのであれば、その時間でレティシアの捜索を行う方がよっぽど有意義に思える。

 だが、サクラの中ではもはや決定事項のようで、今度はスカートを手にして歩きながら『もう少し短い方が可愛いですよねぇ。今夜はちょっと頑張っちゃいますか』などとウキウキだ。

 ………………。

 やはり、不安でしかない。それをサクラもまた察してくれたのか、

「……ミルお嬢様、あまり気乗りしないですか?」

 ……ああ、うむ……正直、魔術というものにも余り興味がないしな。

 嘘ではない。我輩は、ローランの下から逃げ出したのだから。

「まぁ、少し考えてみて下さい。アーカムさんも、貴女には才能がある、と仰ってくれてましたよ?」

 ……うむ。

 などと言いながら歩いているうちに、ハート邸へと辿りつく。



 ……レティシアがひょっこり帰ってきていたりしたら、色々考える必要もなくなるのだがな。

「もし帰ってきてたら、ダンセルがじっとしていませんよ。多分屋敷の前で私たちのことを待ちながら『ああ! サクラさん! お嬢様が! お嬢様が!』なんてやってるはずです」

 そんな気もする。

 だが、我輩達を待ち構えていたのは、レティシアでもダンセルでもなかった。

 ……ん?

「あら?」

 ハート家の敷地への門扉前。そこに何か違和感があった。

 その正体には、すぐに思い至る。

 ポストだ。ハート邸の郵便ポストに、おおよそその中に入りきらないであろうサイズの物が無理やりに差し込まれていたのだ。

「何ですかね。配達は基本、夜には来ないはずですが……」

 言いながら、サクラがそれをポストから引き抜く。裏の取り出し口からは出ないので、差込口から直接、だ。

 しかしそれは、よくよく見ればポストに入っていて然るべきものだった。即ち、

「封筒……とても大きいですが」

 縦二十センチ、横三十センチといった特大サイズの、白地に金の模様があしらわれた高級感ある奇妙な封筒だ。外側から見るに、差出人の名前は記されていない。

 控えめに言っても妖しい雰囲気の漂うものだった。故に少々の警戒を表情に表しながら、サクラが中身を検める。

 すると中からは、封筒と同じサイズの、これまた金の模様があしらわれた便箋が顔を出した。質感を見るに羊皮紙だろうか、やはり金のかかったものであるように思う。

 と、

「あら」

 それを見たサクラの目が、驚きに見開かれた。そして、

「あらあらあら」

 目を弓にし、眉尻を下げ、その表情がどこか呆れたような、しかし嬉しそうな笑顔に染まる。

「これ、見て下さいますか、ミルお嬢様」

 と、巨大な便箋をサクラがこちらに差し出してくる。そこには筆と思しき筆記具で書かれた大きさと勢いのある文字が、罫線の一切を無視して踊っていた。それは、

『学園に来なさい。燃やされたくなければ。モルガナ・ジャスティ』

 ……………………………………………………何故。

 何故。語彙も死のうと言うものだ。

「主語が不明ですが、色々飛ばして言いますと、ええ。帰り際、制服を受け取りに行った時に事務局で会いまして、その際に少し話しました。今お召しのジャージも彼女が用意してくれた物ですよ?『お詫びですの』なんて言って」

 ………………何か言いたいことはあるか?

「ええ、一つ」

 それは、

「……もうお友達が出来たんですねぇ」

 ……これ、犯罪予告なのでは?



 僕は、自分の保管庫にあるいくつものフラスコに目を走らせた。

 白く、広い部屋だった。講義用の机を並べたなら悠に百席は設けられるであろうスペースには、ガラス製の容器とそれを並べる棚が、通路さえ圧迫して林立している。

 棚数にして、横に十二列、奥に十五列。僕の所有する保管庫の中でも規模自体は中程度だが、『塔』内部にあって頻繁に訪れることもあり、汎用性の高いものを選りすぐって保管してある場所だ。

 黒等魔術科の『主席』研究員、そして再生魔術を修める者として、自らの手足として動かすのは学生でもなければ金で雇ったスタッフでもない。

 薬液に浸されたそれらは、『塔』の筆頭魔術師としてのコネと財力を使い集めた、様々な生物の『骨格』だ。

 僕はその中の一つ、高さ一メートルほどの円筒形をした、汎用中型容器に入ったものに目をやる。

「……」

 一言で言えば、それは犬だった。牙があり、胴があり、足があって尻尾がある。

 胎内に浮かぶようにして背を丸めて溶液に浮かんでいるものの、体長は五十センチ程である事が伺える。それは何処の町でも見かけことの出来る、ペットとしても人気の高い中型犬に似た姿だ。

 だが、その犬にはおかしなところが一つあった。

 それには後ろ足が無いのだ。それも欠落しているのではない。その骨格を持つ生物は、元々その位置に足が生えていないのだ。

「……『影縫いの獣』。獲物の落とす『影』を渡る移動法を持つ魔性生物。魔獣以外では数少ない『魔食動物』だね」

 僕は、己の魔力を魔素に変じながら、その容器にある物を投じた。

 ティーカップだ。追跡対象となる人物の匂いが染み付いた一品。

「……」

 白の陶器は、溶液の表面に飛沫を立てて落ちるとすぐに浮かび上がる。が、やがてその内側に水を満たすと、己の重さに引かれて骨の入った水底へと急速に沈んでいく。

 そして、カップが、ガラスの容器の底に音を立てる。と、

「――」

 まるで骨が呼吸でも打ったかの様に。

 泡の弾けが、静まり返った保管庫の空気に音を立てた。


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