第四章 魔術師の少女
セントリーエルの街は、概ね五つの区画に分かれている。
居住区を主とする東区。海側からの外来客をもてなす西区。レジャー施設や観光スポット、商業区としての顔を持つ南区。工業・産業施設が立ち並ぶ北区。
そして中央を大きく円形に切り取り、外壁で隔たれているのが、中央学園区と呼ばれる場所だ。セントリーエルの名物、空と雲をすら貫き聳える巨大な『学園塔』を擁するのもこのエリアだった。
学生、研究員と、その家族併せて二万人が平時から暮らすこの学園区には、王都であるセントパレスに次ぐ規模で魔術に関する様々な人材、機材が集まってくる。それは他の大きな街や都市とは異なる、セントリーエルが有するある特色に起因していた。
それこそが『竜脈遺跡』。竜脈を擁し、過去の遺産をまるごと閉じ込めて封印される、地下遺跡だ。
これは、かつて人がまだ『竜』と共にあった時代の遺物とされる古代施設の名残であるとされていた。『竜』の力を失ったことで文明と技術が急速に衰退した結果、扱いきれなくなった技術・文化と共に放棄された太古の遺跡群。
だがここからは今も尚、その動力源である永久魔力機関『竜脈』に起因する膨大な魔力――即ち『マナ』が潤沢に溢れだしていた。未加工の状態では毒にもなるこれを街のインフラを支える柱として成立させているのは、ひとえにこの街を作った魔術師――即ち『塔』の創始者達の努力の賜物だと言える。
故にこそ、この街は他に類を見ないほどに魔術師中心の分化が形成され、世界最大の学術都市の形成に至ったのだ。
「とまぁ、この様な経緯があった訳です、ミルお嬢様。故に、この学園の研究員として招かれたことを先代は大層誇りに思っておいででした」
初夏の太陽が中天を過ぎれば、舗装された路面に落ちる影は段々と身を東へと伸ばしていく。初等科の子供達が帰路を急ぐ一方、地域の住民が利用する地元商店街などが賑わいを見せ始めるのもこの時間を過ぎた辺りだ。
昨日と同じワンピース姿の我輩と外出用メイド服のサクラが歩いているのは、そんな、俄かに活気を見せ初めた商店街の一画だった。
ドーミス通り。ハート邸があるセントリーエル北東部から中央学園区へと直通する中で最も大きな道路であり、地元住民向けの飲食店や商店が多く立ち並ぶ区画でもある。そのため、通行人は平日であってもそれなりに多い。
宿や外来向けの商店の類は、街を東西に横断するアーマン通りと南区の観光エリアに集約されているためにここにはあまり見られない。が、それらの場所から出向してきたであろう露天商、また屋台の類も見てとれるため、眺めていても歩いていても、決して飽きるものではなかった。
――我輩もよく、ここらで餌をねだったりしていたものだ。
『お魚戦国』の主人は元気だろうか。今の時間だと隣にあるストレートな名前の肉屋『生出汁』の主人と繰り広げる熱い献立誘致合戦が見られるかも知れない。
否、しかし今日の我輩の目的地はそこではない。サクラと共に我輩が向かうのは、
「セントリーエル魔術学園。先代が亡くなり、レティお嬢様が休学されてからは私も来る機会がありませんでしたから……少し懐かしさすら感じますね」
賑わいを見せる商店街を南東方面へと歩いていき、我輩達は中央学園区の西門へと辿りつく。学園であると同時に魔術関係の重要な研究施設をも擁する学術都市の最奥は、基本的にはおいそれと部外者が立ち入れる場所ではない。だが、
……ここはまだ、研究機関としての色が薄いのだな。
高さ五メートルを超えるであろう両開きの鉄扉も、今は開放されている。西門から向こうには、学生、研究者はもちろん一般来訪者も利用出来る食堂や売店、イベントスペースとしての広場などが見えていた。もっと奥へ行けば研究棟などが立ち並ぶのだろうが、ここから見える範囲に閉鎖的な雰囲気は見てとれない。
だが、そんなある種牧歌的ですらある光景に否を叩き付ける威容が一つ、我輩達の目には入っていた。
『塔』だ。
魔術的な細工により強化、補強されて出来た、直径二百メートルの巨大な円柱状。その建造は所々に展望層の張り出しを見せつけながらも空を貫き、その中ほどから上部を厚い雲に閉ざしている。
学園区、ひいてはセントリーエルの中央を席巻する、通称『学園塔』と呼ばれる建物だ。
それは『協会』のしがらみや派閥争いから逃れ、ただ己の研鑽のみを目的とした魔術師達が興した新興組織であり、その研究所そのもの。時に成層圏をすら越えて延びているとも噂されるこの超常の建造はおよそ八百年もの時を経てなお揺らがず、この地に建っているのだと言う。
……やはり……すごいものだな。
そう感想する。初見ではないが、ここまで近づいて見るのは久しぶりなので何処か当てられた気分にもなろうというものだ。
「ええ。この街に住む者なら誰でも毎日見ているものですが……やはり近くに来ると一層凄まじいですね。……と」
と、サクラは、並び歩いていた我輩から一歩先行し、門左横の警備員詰所へと近づいていく。
「おや、サクラさん」
「こんにちは、ムーイ様」
サクラに気が付き、バイザーの位置を直しつつ詰所の中から一礼を送ってきたのは、白髪が混じる中年の警備員だった。
見覚えのある制服からアーマー類を取り外した簡易装備を見るに、騎士団からの出向らしい。しかし場所柄故か、着込んでいるのは団の支給品である魔的抵抗を高めるサマーコートではなく、似た性能を持つ魔術師ローブだ。そのため彼の佇まいからは魔術師めいた印象を強く受ける。
「どうも、お久しぶりです。ゲイルさんとユーラシアさんのお葬式以来ですか。……聞きましたよ。レティシアさんはまだ……?」
「……ええ。……お気遣いありがとう御座います」
と、ムーイと呼ばれた男へとサクラが会釈を送る。ゲイルとユーラシアは、確かミルネシアとレティシアの両親の名だったか。
「お兄さん……ガレス副団長も心配されてましたよ。『レティシアはオレのもう一人の妹みたいなもんだからな』とか言って」
「あら、ふふ」
副団長、とは、もしかして騎士団の副団長だろうか。それがサクラの兄だとは、少々の意外を感じる。
「……思ったより元気そうで良かったです。あまり根詰め過ぎないで下さいね。いつものお転婆ですよ、きっと。今にひょっこり帰ってきます」
「ええ」
と、ひとしきり言いあったところで、ムーイが我輩に気付いた。
「そちらの方は?」
「ええ、……ちょっとした知り合いでして。実は今日伺ったのは、その関係でアーカムさんに会いに来たんです」
我輩は、前髪で顔を隠すようにしながらムーイに会釈を送った。ここまでの道程では大丈夫だったが、レティシアに似てると感づかれても面倒だ。
「ああ、そういえば来客申請出してましたね。ちょっと噂になってましたよ。あの方、人を呼ぶのも人に呼ばれるのも滅多にしないから」
「そうなんですか?」
「ええ。まぁ、『塔』に居る魔術師の方は大概そんな感じですけどね。あ、解っていらっしゃるかとは思いますが、制限エリアには立ち入らない様お願いします」
「ええ、ありがとう御座います。では」
サクラと共に再び会釈を送り、詰所の横を通って学園内に入る。
門を超えた先には、雲を突き抜けて聳える学園塔を背景に、どこまでも続くような並木通りが広がっていた。外側からは塀で隠れて見えなかったが、右、南側には大規模魔術演習にも使われる多目的グラウンドが。左、北側には一般開放された広場と、来客・近親者用の宿泊施設の外壁が広がっている。
……バレないものなのだな。
我輩がそう言ったのは、先ほどの警備員との一幕を指してのことだ。年齢も身長も違うとは言え、レティシアを知っているなら何か言われると思ったのだが。
「そうそう解りませんよ、他人には。髪色は結構違いますし」
それに、とサクラは続け、
「バレてもどうってことないですから。堂々としてましょう」
……説明求められても面倒ではないか?
「それは…………………………その時になったら考えましょう」
結構このメイド刹那的だな。ともあれ、
……アーカム・アライヴ、だったか。これから我輩が会う男の名は。
吾輩は、昨日シバから聞いた男の名を出す。サクラは吾輩の半歩前を歩きながら、
「ええ。『現』セントリーエル魔術学園、黒等魔術科『主席』研究員……つまり先代、旦那様の後釜です。元生徒でもあった、との事ですが」
と、簡単に答えてくれた。
我輩がこの学園へと足を運んだ理由は主に二点。蘇生魔術という物の現実性をその道のプロに尋ねること。そして我輩の体の魔核を故・ミルネシアのものと照合するためだ。
魔核、とは、全ての人間に大なり小なり備わっている、人体魔学における遺伝子であり、心臓であり、脳のような機関を指す言葉だ。個人個人で全く違う構造を持ち、魔術適正が何に属するか、即ち魔力がどの色の魔素に変換出来るかがそれぞれで違う。そして『魂』から魔力の抽出を行う機関でもあるため、それは文字通り魔術師という存在の才能や能力を端的に示すバロメータでもあった。
これの性能が悪い者は魔力を上手く魔素に変換することが出来ず、魔術を満足に扱うことが出来ない、らしい。自然界において、一般的に人間以外が魔術を使えない――竜は例外だが――とされているのは、魔核の生成が基本、胎内で母から受けた魔力の多寡によって行われるためだ。つまり、遺伝。
ミルネシアもやはり黒色の魔素を持ち、ハート家の家督、再生魔術の適正があったらしい。そのため幼い頃から亡くなるまでの間は学園にも通っていたそうで、過去の記録を漁れば魔核の照合が可能だという訳だ。
……面識はあるのか? その、アーカムという男とは。
吾輩は、歩みを進めながら、メイド服の背中に声をかける。
「ええ、幾度も。五年程前からは先代の助手として働いておりました事もありますし……レティお嬢様とミルお嬢様とも教師と生徒の間柄だったはずですよ」
……そうか。
『塔』にも研究室を持つ、魔術学園『主席』研究員。つまりはこの世界で最も優秀な黒等魔術師の、ひいては再生魔術師の一人ということだ。再生魔術の祖たる『怨絶竜』の元で二年を暮らした我輩としても気になる人材であるが、
……生粋の魔術師は、己の研究に確固たる自信を持っていて、気難しい人間が多いと聞く。また、貪欲だとも。本当に我輩が蘇生魔術の成功例だとしたら……何か面倒なことにならないだろうか。実験体にされるとか。
我輩は、丸めがねを掛け、白衣に黒やら赤やらの染みを付けたニヤけ顔の骨ばったやせぎすの男を想像した。流石にそんな物語然としたマッドサイエンティストはいないだろうが、妙な嗜好を持った人物に体を弄られるのも面白くない。
だがサクラは、そんな我輩の物言いに口元を緩め、
「ふふ、大丈夫ですよ。アーカムさんは研究畑のお人ですけど、謙虚なお方ですから。以前生徒の一人が偶然四千年前の化石から擬似魂の抽出に成功した時は、それを聞くや否や速攻でその生徒に土下座して弟子入りを懇願したそうですよ。男泣きで」
……それを面倒と言わず何と言おうか……。
「うーん、まぁ……大丈夫でしょう。何かあったら私がお守りします。今日のメイド服は護身用でもありますので」
……何が?
思うが、深くは追求しないでおく。
と、言っているうちに吾輩とサクラは、学園西側にある並木通り、その中程に設置されたベンチの前にまでやってきた。
北には相変わらず広場が見えるが、南側にあったグラウンドは、いつの間にか建物の郡に遮られて見えなくなっていた。それは、
「飲食店の並び。そして正面に見えるのは……カフェ『岩窟王』。プリンに酢を混入したアグレッシブな創作スイーツ『プリ酢ン』でコーヒーブレイクを楽しむ人気店だそうです。世も末ですね。……ここが待ち合わせ場所で間違いないと思うんですが」
その建物郡は、どうやら一般来訪者向けの商業区画の様だった。テーブルや椅子をオープンスペースに並べたカフェや喫茶店、また小物類を扱う雑貨屋や、格安で有名なアパレルブランドの看板も見てとれる。
見れば、授業を終えた学生らしき姿が思い思いに買い物や食事を楽しんでいた。客層を見るに、一般客だけでなく、授業終わりの生徒や教師陣も利用しているらしい。
「……まだ来られていないようですね。研究室が長引いているんでしょうか」
しばし辺りを見回していたサクラは、そう言うとベンチを手で示し、
「少し座って待ってて頂けますか? 事務局が近くにある筈ですので、ちょっと聞いてきます」
と、スカートを揺らしながら走り去ってしまった。
……どうしたものか。
夕刻へと傾いていく初夏の日差しの中、吾輩はベンチに腰を降ろしてサクラを待つ。
……段々暑くなってきたな。
一昨日まで雨が降っていたとは言え、暦の上では既に夏。晴れ渡る空から降り注ぐ日差しは、ただそれだけで肌を刺す攻撃力に他ならない。
家を出る時にサクラが日焼け止めを塗ってくれたが、この白い肌をこのまま日光に晒し続けて良いものだろうか。じわりと浮き上がる汗も肌を伝い落ち、銀色に煌く髪は頬に張り付いて気持ちが悪い。
……カフェ、か。
我輩は、ベンチの後ろ側、オープンペースにテーブルとチェアを並べた一角を肩越しに眺めた。
猫であるときは興味など無かったが、こうも暑いと意味もなく視線の一つや二つは送りたくなろう言うもの。
……メニューに煮干の盛り合わせなどないものだろうか。あるいはバッタとか。
あったらすごいが、そうでなくとも喉の渇きは抑えようがない。見れば、先ほどサクラが説明してくれた『岩窟王』の店先にもテーブルセットがパラソルと共に設置されており、何組かの学生がコーヒー片手に談笑する様子が見てとれた。
と、
……?
『岩窟王』の店先、入り口となるガラス張りの扉に、何か張り紙がしてある。そこには、『新メニュー次々爆誕中! 本日のオススメ:鰹オレ』とあった。
……何だと……?
ちょっと意味は解らないが非常に興味を惹かれる言葉の羅列だ。それはもしかしなくても新しめの出汁の一種なのではないかと思わなくもないが、鰹に罪は無い。張り紙の下の方に『一日限定五杯』と書いてあるのを見るに売れていないようだがむしろ好都合というもの。
……金は無いがな!
しまった。今日、出かける時に『何かあってはいけないので』とサクラに渡されそうになった小遣いを断るべきではなかった。一時間前の我輩カムバック。正確にはお小遣いだけカムバック。
と、過去の己に恨み言を重ねていると、
「――貴女、見ない顔ですわね?」
女の声が、我輩に語りかけてきた。
ベンチに座る吾輩に話しかけたのは、見知らぬ少女だった。
身長は吾輩より少し低い、百四十五センチ前後。妙に裾が長い季節はずれの魔術師コートを肩から引っ掛けている以外は、魔術学園の一般的な制服である白シャツスタイルだ。ただしスカートが極端に短く改造されており、リボンタイの替わりに短めの猫柄のネクタイを着けている。良い趣味ではないか。
釣り上がった目に宿る意思の強さが顔立ちに強く出ているが、薄く塗ったリップが少女らしさを際立たせているために威圧的な印象は特に無い。艶のあるピンクベージュのツインテールは、日光を受けて輝きを増すことで、ピンクダイヤにも似た上品な色合いに昇華されている。
だが、
……寝癖が付いているぞ。
「だ、第一声がこれですの……! 生来のものです! 直らないんですの!」
毛先が撥ねる髪質故か、髪型も相まって外見年齢を引き下げる要因になっていた。身長はこちらの方が高いが、恐らくこの体……ミルネシアの今の年齢と同じ、十三歳くらいではないだろうか。
少女はこちらの指摘に顔を赤くし、「やっぱりお父様に頼んで遠方のオイルを取り寄せてもらいますの……?」などと呟きながら己の髪先をいじっている。
……何か用事があったのではなかったのか?
ベンチに座りながら、彼女の意識をこちらに引き戻す。
「……はっ、そ、そうでしたの。コホン。……貴女、見ない顔ですわね?」
……そこからやり直すのか?
「うるさいですの。……随分と良い生地の服をお召しのようで。失礼ですが、どちらの家の者ですの? 魔術適正は何をお持ちで?」
……ああ。
なるほど、と、合点がいった。
この少女は、まぁ見た目通りだがこの学園の生徒のようだ。そして自画自賛するわけではないが我輩はかなり目立つ外見をしている。丹精な顔立ち。ブルーサファイアの瞳。そして何より、粒子を放つかのような鮮やかな銀髪。
一回見れば忘れないであろう美少女を、しかし彼女は見覚えが無い。故に不審に思い、声をかけた。そんな所だろう。
……期待を裏切るようで申し訳ないが、我輩はこの学園の生徒ではないのだ。魔術師でもない。ここへは……まぁ知り合いに付いてきただけでな。
我輩は魔術師として『塔』に登録はされていないはずなので、別に嘘を吐いているわけでもない。だが少女はこちらの言う内容に納得をしていない様子で、
「嘘ですの。あなたのような美しい髪色の持ち主が、魔術師でないはずはありません」
……なんだと?
心外だ。嘘を吐かないように気を遣ったのだぞ。まぁ本当の事も言っていないのだが。
「魔術師の才能を決定付ける魔核の性能の一つ、魔素の変換効率やその色は、実際の魔術を見せてもらわないことには判別出来ません。ですが、魂が生成する『魔力量』だけであれば……ある程度外見での判別が可能です。たとえば、髪の質とか」
……なんと。
知らなんだ。何せ猫だったので。
「私もそうですが……芳醇な魔力量の持ち主の髪は、粒子を纏うような煌きを放つそうですわ。光を受けてプリズムで返す水面のように。あるいは、穢れを知らない宝石のように」
そうなのか。だが、
……自分で言ってて恥ずかしくないのか?
「うるさいですの。そして、貴女のその髪……正直、妬ましく思います」
少女は、目の端を俄かに吊り上げ、
「一目見ただけで解りましたわ。流れる清水のような、宝石の色を持つ木綿のような……しなやかで、瑞々しく、目を惹いて離さない星海の美しさ。一級の才覚をお持ちの証明ですの。それで魔術師でない、等とは言わせません」
……なるほど。
確かに、この髪色は元のミルネシアとも少し異なる、とシバが言っていた。我輩は『少々特殊な事情』で、魔力の精製量が相当に高い。猫であった時には魔核の性能が邪魔をしてあまり自覚出来なかったものではあるが、それが人間としての体を得た結果、髪質という形で現れた事は不思議ではないだろう。
だが、そうだとして――我輩が魔術師であったとして――、それが何だと言うのだろう。我輩が魔術師でない、と主張するのは簡単なのだが、そこがはっきりしないと解ってもらえる努力も出来ない。
「ふふ、驚いているようですのね、私の美しすぎる論調に。褒めてもいいんですのよ? ジャスティ家の人間は、惜しみない素直な賞賛を拒みませんわ」
……賞賛を拒む人間などいるのか?
「……うるさいですの。細かいことは置いておくべきです」
だが、
……ジャスティ家か。
猫であった我輩の耳にすら入ってくる、それは銀色の魔素を扱う名門の名だ。家督魔術は現象魔術。炎や風といった自然現象を、それらを構成する粒子に働きかける事で自在に操る高等魔術だ。
「あら、ご存知でしたのね、私が銀等魔術師の家の者だということは。であれば私が何故、優秀な魔術師である貴女に声を掛けたのか。それもご推察頂けたでしょうか」
……いや知らん。帰れ。
「す、少しは考えてから物を言いませんの!」
結構正論で物を語るなこの娘は。それでは将来苦労するだろうに。正しいはずなのだが。
……ふむ。
だが、少女の言うことももっともだ。故に、彼女がこちらに話しかけてくるそれらしい理由を推察してみる。
……察するに、我輩と――つまり優秀な魔術師と、関係を作っておこう、ということか? 家のために。
先ほどこの少女は、自分を語る時己の名ではなく家の名を使った。家督を大切に思っている証拠だ。故の推論だったが、
「当たらずとも遠からず、と言ったところですわね」
……遠まわしな物言いだな。
「それは失礼しました。性分ですの。……つまり、私が言いたいのはこういうことですわ」
一呼吸置き、
「――私と勝負をしなさい」
その言葉の意味を我輩が理解するまでには、数秒の時を要した。
………………。
「ふふ、驚いて物も言えなくなってしまいましたか? 安心なさい。大抵の方はそういう反応をします」
……泣きたくなる日はないか?
「稀に……あ、いえ! そんな事はありませんのよ! 私名門の令嬢ですから!」
関係があるのだろうか。しかし、
……勝負だと?
「はい」
はっきりと、少女は胸を張って答える。どうやら冗談ではないようだ。
……つまり、こういうことか。自分と勝負をして、負けたなら……。
「ええ、負けたなら……」
……何かいやらしい事をしろと……。
「ち、違いますのよ! 何ですかその何かの導入みたいな展開! と言うか同性ですのよ!」
突っ込みが丁寧だ。流石は良家の娘。関係ないか。
……では何だ? 今時勝負、などと……古式ゆかしい魔術師でもあるまいに。
貴族や特権階級が当然だった一昔前までならば、こう言った交渉事は頻繁に行われていたと言う。つまりは戦闘を手段とする、互いの家の格付けだ。
負けた者は勝った者に従う。負けた家は買った家の傘下に入る。閉鎖的な社会を築いていた魔術師が信頼出来る協力者を得る場合、相手を恭順させる、と言うのはとても有効な手段だったのだ。
だが、今はそう言う時代ではない。己の研究を秘匿していては賛同者も出資者も得られない。で、あるならば『協力者』が信頼のおける者である必要も薄く、ならば技術だけを貸してくれる民間の魔術業者でも充分に事足りる。そうでなくとも、ここは全国から優秀な魔術師が集う『塔』、そしてそのお膝元である魔術学園だ。共に魔術を学ぶ同志を集めるには事欠かぬだろうし、然るべき手続きがあれば、学園側に技術者を斡旋してもらうことも難しくはない。
にも関わらず、少女は戦闘を以て何を図ろうと言うのだろう。まるでかつてあった、非効率的な風習になぞらえるようにしてまで。
――まさか本当に優劣を決めるため戦おうというのでも無いだろう。ただの戦闘狂でもあるまいに。
彼女は言う。
「古式ゆかしい、結構じゃありませんの。互いのどちらがより優れたる魔術師であるか。握手の代わりに図ってみるのも、一興ではありませんの?」
これやはりただの戦闘狂では?
我輩は少女の言葉を聞く。
「もっとも私は、下に付け、とは言いません。魔術師は己の魔術を世界で最良のものと信じ、励むもの。……大体、今時それを無理に迫っても大したメリットはありませんもの。ただ……」
彼女は一瞬、噤むように唇を食み、
「私の力を見た貴女が、我がジャスティ家と繋がりを持ちたい、と考えるのは、仕方のない事ですわ」
……それは……。
言い方がかなりサドいが、彼女が求めるものはやはり『恭順する他者』ではなく、『信頼出来る協力者』なのだ。
戦闘はそのための手段。勝負はそのための序列決め。
要は、『私達は協同者だが、その舵は自分が取る』。そう言った関係を構築出来る仲間集め。そう言う事だろう。
……随分と理不尽な理論だな。相手の意思はないがしろか?
「昨今、多いんですのよ。確たる目的もなく学園に入り、才能を持て余している学生が。これはその有効活用。慈善事業ですのよ?」
最低限の正当性はある。だが、
……そうまでして、貴様は何を求める?
戦いを得てまで、彼女は仲間を集める。己に無いものを持つ仲間を。それは大前提として、『魔術師』としての同志、協同研究者だ。
ならば、当然それには果たすべき目標がある。この様な賛同を得難い方法を使ってまで、己の目に叶う『仲間』を集める目標が。
それは何か。彼女は我輩の疑問に、
「……私に勝てたなら教えますのよ?」
……なるほど。
その言葉には、確固たる実力と自信が垣間見えた。否、そうでなくては、この様な道場破りじみた喧嘩売りはしないだろう。
一体『何』を目指しているのかは解らないが、面白い少女だと思った。きっと本当に実力もあるのだと思う。
優秀な魔術師が集う街、セントリーエル。その中において尚際立って名を馳せる家、ジャスティ。
当主である彼女の父親は、確か『塔』が誇る四人の『主席』の一人だ。きっと将来は、彼女もまた国を背負う様な人材に育つに違いない。
だが、
……悪いが、遠慮させてもらおう。
「えっ」
メリット無いしな。
さて。サクラはまだ戻ってこないのだろうか。我輩も事務局とやらに向かってみるか?
「いやいやいやいやいやいや」
否、入れ違いになっても面倒だ。であれば、アーカム・アライヴの居場所を誰かに尋ねてみるのもありだろうか。
我輩はベンチから腰を上げると、特にあてもなく歩き始める。方向は東。サクラが向かった方角だ。じりりと照りつける太陽が舗装路面に陽炎を立てているのが見えて嫌になるが、仕方が無い。
「ちょ、待――待って欲しいですの!」
アーカムの元へ向かえば、入れ違いになったとしても最終的には合流出来るはず。なんだったらサクラが来る前に聞きたいこと全て聞いてしまってもいい。
「む、無視しないで下さいな! 箱入り娘のメンタルの弱さ舐めないで頂けますか!」
……。
先ほどからこちらを引きとめようとくるくる回っていた少女が、遂にこちらの腕にしがみついてぶら下がり始めた。プライドとか無いのだろうか。本人に言ったら怒りそうだが。
……プライドとかないのだろうか。本人に言ったら怒りそうだが。
「言ってますの! 半目付きで! ……効きます!」
仕方が無いので歩みを止めてやる。今の我輩はか弱い少女の身であるが故、この細腕では彼女の体重が少々キツい。猫であったとしてもキツい。
……何だ、まだ何か用か。我輩こう見えて忙しいのだが。
「そうは見えませんでしたの! 当てもなく歩き始めたように見えましたわ!」
……ご明察だ。すごいな。褒めてやろうか。
「こ、この人悪びれる様子が全くありませんわ! ファンタスティック……!」
とはいえ、このまま纏わり付かれ続けても疲れるだけだ。それでは互いに不毛というもの。故に我輩は、大きなため息を吐いて元居たベンチに腰を掛けなおした。
傍らに立ったジャスティ家の少女は、心底安心した、と言う風に胸を撫で下ろし、呼吸を整える。
「も、問答無用ですのね……! ますます気に入りましたわ……!」
今のやり取りの何処に気に入る部分があったのかは解らないが、
……何を言っても無駄だ。我輩は貴様と勝負事などする気はない。
大体、彼女の言う『協力者』は体の良い奴隷だ。良くてパシリ。雇い主がジャスティ家ともなれば働き口や名誉を求める魔術師にとっては助けにもなろうが、我輩にそれを求める得はない。
「ジャスティ家と繋がりを持てるんですのよ? 魔術師にとってこれ以上のメリットがありますか!」
胸を張って言われても、興味ないものは興味ない。大体、
……先ほども言ったが、誤解がある。我輩は魔術師では――。
「どうしても貴女がその気にならないと仰るのであれば、ベットを引き上げましょう。貴女が私に勝つことが出来たなら……、貴女の望みを一つ、何でも叶えて差し上げますわ!」
……。
……。
……。
……何?
今、彼女は何と言った?
望みを何でも? そう言ったのかこの少女は?
「ジャスティ家は、この街における魔術の名門。お父様もまた優秀な魔術師で、『塔』にて銀等魔術科『主席』研究員の座を任されておりますわ。その力をフルに使い、貴女が思う、贅の限りを体験させて差し上げましょう!」
なるほど、ジャスティ家の力を使えば、大抵の望みは叶えられる。それは真実なのだろう。
だが、そうであれば――一つ、確認せねばなるまい。そう思い、我輩はベンチから腰を浮かせる。
「……ん? やっとやる気に……は?」
立ってみれば、やはり少女の身長は我輩より少し低いくらいだ。故に彼女の目を見て話をするとなれば、やや上の位置から見下ろす格好となる。
……何でもと。そう言ったか、貴様?
「……い、いいい言いましたがそれが何か? というか、か、顔が近いですの……!」
威圧するような我輩の物言いとアクションに、少女が不平を漏らすが――大事な事だ。確認のためならば仕方がない。
……それはつまり『他ならぬ貴様自身』が、『我輩の望み』を、『何でも』! ……叶えてくれる。そういう意味で捉えて問題ないな?
「ジ……ジャスティ家の女に、に、二言はありませんわ……! だから、少し離れ……と、吐息がかかる……!」
言いつつも自分の顔を手の甲で覆い、こちらの視線から逃れようとする。羞恥か緊張か、顔が耳元まで赤くなっているようだが、そちらの気があるのだろうか。
が、どちらにしろ逃がしはしない。言質をとるまでは。
我輩は少女の左手首をこちらの右手で奪い、またその細い腰を左腕で抱いた。顔を庇っていた手を無理にどければ、彼女の視線が今度は泳いでこちらから逃れようとする。
だが遅い。
視線が逃げた先に顔を割り込ませ、その意識を半ば強制的にこちらに寄せる。かち合った互いの目が、互いの顔を映して固定された。
ここまでくれば、もはや彼女に退き口はない。故に我輩は確認を口にする。距離が近いため囁きかけるような形になるが、まあ構わないだろう。往来ではあるが。
……それはつまり、こういうことだな……?
「ひ」
少女が身を震わせた。怖がらせているようでもあるが、必要なことだ。
「ま、まさか、貴女。女性の身でありながら、私の身体を――!」
何の導入だそれは。違う。そうではなく、
……あの店の、限定五杯『鰹オレ』を馳走になる、でも良いのだろうか……!
「……………………は?」
我輩は、再度、確認の意味も込めて念押しをする。
……あそこだ。見えるか? あの『岩窟王』というカフェ。本日、限定五杯で鰹オレなるものを販売している。ちょっと詳細は知れないが、それを馳走になりたい。
「………………………………はぁ」
何かリアクションが薄いようだが、どうしたのだろうか。まさかあのメニューの魅力が伝わっていないのか。
この少女は、望みを叶える、と言ったが、それは家の力を駆使してのことだ。良家の娘である彼女に現金の手持ちが無いとは思えないが、伝えた望みが今すぐに叶えられないという事もありえなくはない。
だが、それでは駄目だ。何故ならあのドリンク――飲み物だろうか。飲み物だろう。固形物ではないはずだ。多分――は、本日限定五杯。こうしている間にも売り切れてしまう可能性はあるし、明日以降に店に出るとも限らないのだ。
だから確認をした。『貴様自身が、今この場で望みを叶えてくれるのだろうな』、と。
少女は、我輩に腰を抱かれたまま、言葉を探すようにして口を開いたり閉じたりしている。そして、
「な、何やらアグレッシブなメニューの名が聞こえましたが……そんな事でいいんですの? 本当に?」
……二言は無い。今の我輩のにとって最も大事な事はあのドリンクを馳走になることだ。
「わ、我がジャスティ家の名誉が現在進行形で汚されている気がしますの……!」
そんな事はない。ジャスティ家。充分以上の名家だ。重要度は鰹とタメを張る。
とにかく、言質はとった。故に我輩は、何故か腕の中から逃れようとしない少女の体を開放してやった。
……今の言葉、忘れるなよ?
すると、彼女は何故か名残惜しそうに我輩の肩に添えていた右手を上腕に滑らせるが、やがてそれも離し、
「…………貴女、本当に綺麗な目をしていますのね。それに髪も……。私も女性としてこの髪には誇りを持っていましたが……貴女には負けますわ」
……貴様の髪も、そう劣ってはいないと思うぞ。光を抱き込んで輝くピンクベージュ。美しい霜降り肉のような。
「褒めているつもりですか……!」
少女が愕然とするが、言葉を間違えただろうか。難しいものだ。
「……まぁ、とにかく。ドリンクの一つや二つ、ご馳走するに問題はありませんわ。グラス入り出汁の出る固形の何かをドリンクと呼ぶのかは解りませんが」
……交渉成立か。
「ええ。ならば……ああ、そういえば、自己紹介をしていませんでしたわね」
そういえばそうだった。我輩が先に名を聞かれた気もするが、うやむやになっていた。
少女は、我輩の前で居住まいを正し、名門令嬢らしく恭しい会釈を伴い、こう名乗った。
「私の名は――モルガナ・ジャスティ。魔術の名門、ジャスティ家が長兄であり、次期当主。誇りある銀等魔術師の家系として現象魔術を引き継いでおり、現在はこのセントリーエル研究学術都市に籍を置いております。そして」
彼女、モルガナは下げた頭をそのままに、こちらを上目でねめつけるようにして、こう言った。
「――貴女を屈服させる者の名ですの」