第三章 不明の懐古
ミルばっかりずるーい! 私も肩車! 肩車!
ダンセル、もっとよ! もっと早く走るのよ!
ミルネシア様……これ以上は。旦那様に叱られます。レティシア様も、お勉強はどうされたのです?
あれはもう飽きたわ!
な、なんと潔い……! い、いやしかし、サクラさんと約束したのでしょう? 夕飯までには終わらせると。
ダンセルがここでこうしている限り、ご飯は一生出来上がらないわ。つまり私も勉強しなくていいという訳よ。素敵ね?
何も素敵なことはありません……。さ、ミルネシア様も。私も庭の仕事がありますので。
むぅ、しょうがないわね……って、あ……。
次は私よ! ダンセル! 肩車!
……、あぁ、レティシア様。私、そういえば夕飯の仕込みをしなければならないんでした。後ほどまた……。
私も、お人形のミックのお散歩に行かなければならないの。ダンセル、また首輪の紐を自転車の後ろに括り付けてくれる?
ミルネシア様、そのお散歩はビジュアルがエクストリームなのでやめましょう。さ、お家の中へ。
え、え? ミルもダンセルもどうし……た……の……。
……………………レティお嬢様?
……!
レティシアが逃げました! 逃がしませんよ!
サクラさん、投げ縄はいけません! 投げ縄は!
……夢?
野鳥の囀りが郡を以て耳朶を叩き、家路を急ぐ子供達の影は長く伸びて壁を登る。
その昔、城塞都市として街道の守りを硬くしていたセントリーエルの外縁部には、所々その名残があった。それらが太陽の陰りを以て街を水底へ沈めれば、夕刻という時間が始まりを告げる。
我輩――ミルネシアが迎えられたハート家は、影に没しつつあるセントリーエル北西部、閑静な住宅街の一画に居を構えていた。
「ミルネシアお嬢様、着きました。我が家ですよ」
リース業者の刻印が付いた魔動馬車、その御者台から降りたメイド服の少女――サクラが、こちらに向けて手を差し出してくる。
……む。そうか……。
「お疲れですか? 少し、うとうとされていたようですが」
……そうだったか?
これからの身の振り方を考えてはいたが、呆けていた記憶は――。
……いや、何か……。
言われて見れば、何か夢のようなものを見ていたような気もする。何があるか解らない故、気を抜くつもりは無かったのだが。
「さ、お手をどうぞ、お嬢様。ステップが高いので注意して下さい」
サクラに手を引かれながら馬車を降り、我輩はその家の前に立つ。
古い家だった。三階建ての木造建築。正面から左に広がる庭は子供が走り回れる程度には広いものだが、垣根のすぐ向こうが隣家であるため窮屈な印象は拭えない。
メイドが居るのだからさぞ大きな屋敷かとも思ったのだがそうでもない。聞けば、先々代まではもっと大きな屋敷で何十人もの使用人が働いていたらしい。が、今の住人は三人の住み込みの使用人、そして現当主でありミルネシアの双子の姉である、レティシア・ハートの四人だけだという事だ。
……よくある『元貴族』の家柄か。
百年前の『大災害』に伴い、それまで国家を形作っていた貴族制度は撤廃され、国は大規模な制度改変を余儀なくされた。
故に、能力を持たず、お家柄だけで家督を保たせて来たステレオタイプの貴族はもう居ない。彼らの多くは地方都市、あるいは組織の末端の立場に追いやられ、それまでの咎を清算するが如く身を滅ぼしたと聞く。
「我がハート家は、幸いなことに『能力を持つ』側のお家だったようです。制度崩壊後、先々代までは王都で王宮剣術を教える由緒正しい役目を仰せつかっていたのですが、先代は――貴女とレティシアお嬢様のお父上ですが――剣術の才に恵まれなかったそうで。代わりに家督魔術である再生魔術に傾倒していった結果、魔獣研究で成果を成し、この街の学園で主席研究員の任を頂いたそうです」
とは、サクラの言葉だ。
……我輩の姉が現当主、という事は、両親は亡くなっているのか?
問うと、サクラは目に見えて表情に陰を落とした。
「……お察しの通りです。つい三ヶ月前に、お二方共。申し訳ありません、もっと順序立ててご説明するつもりだったのですが」
どうやら、ミルネシアに――我輩にショックを与えない様、気を遣っていたらしい。
……立派なお父上だったのだな。
新興組織であるとはいえ、王国の二大魔術組織の一つである『塔』で主席研究員の座に就くのは並大抵の事ではない。
ハートの元当主は、さぞかし才覚溢れる人物だったか、それとも世渡り上手かだったかのどちらかだ。聞く印象からすると前者だろう。
「それはもう。魔術に関しては私共はなんとも言えませんが。――さ、どうぞ」
サクラに手を引かれ、我輩の身長より少し高い鉄製の門扉を抜ける。と、
「――! ……、――!」
十メートル程に渡って敷かれたの縁石の向こう、ハート家から、何か物を倒すような、崩すような、騒がしい音が響いてきた。そして、
「――レティシア様!」
大男が顔を出した。
身長は百九十を超えている。彫りの深い顔に濃い茶色の短髪。作業用と思しきデニム生地のパンツと白のシャツは年季の入ったものらしく傷みが激しい。その上、内側から盛り上がる彼の筋肉のせいでパツパツだ。そして、
……エプロンと片手にお玉とは、基本を押さえているな……。
強面だが、柔和な表情をする男だと思った。後ろを通っていた近所の子供が『わぁ、殺人鬼だ! 保存食にされるぞ!』と嬉しそうに走って逃げるのを聞いても、どうやら悪い人間ではないらしい。
そんな岩に似た男が、しかし我輩を見て、
「え、違……、嘘、ミルネシア様? なんで……?」
サクラと似た風に狼狽した。
死んだ人間が顔を見せたら、そのようにもなるか。サクラも今は平静を保っているが、森では随分と感情を乱していた。
と、サクラが左掌をダンセルに突きつけ、平坦な口調で、
「ダンセル、落ち着きなさい。私のように」
……サクラ、貴様結構いい性格しているな。
そうですか? と、メイドが本気で何の事か解らない顔という顔をしている間も、ダンセルと呼ばれた男は目を右往左往させている。
と、
「……おや、サクラ。お戻りですか。お嬢様は……おやおや、これはこれは」
と、ダンセルの奥から顔だけを覗かせたのは、眼鏡を掛けた初老の男だった。
薄い色の頭髪をオールバックに整えた、ダンセルとは対照的にスラリとした印象の長身だ。縦横に大きいダンセルとは違い、こちらは単に縦に長い。
モデルもかくやといったスタイルを、第一ボタンまできっちり留めた黒のシャツと赤のネクタイ、紺のベストとグレーのスラックスで覆ったその格好はステレオタイプな執事に他ならない。
「……シバ。私どもよりも長くハート家に務める執事です。……貴方は驚かないのですね、シバ」
「ほっほっほ、驚いていますとも。驚きすぎてどう言っていいか解らぬだけですよ」
シバは目を弓にした人当たりの良い笑顔でそう言った。
彼は、ともかく、と言葉を置き、
「中に入ったらどうですか? サクラも疲れているでしょう、何か飲むといい。――ミル様、に似た貴女は……紅茶でよろしいですかな?」
有り難い。猫なので特にこだわりは無いが、強いて言うならお茶請けに煮干が欲しいとも思う。だが、
……砂糖は二杯で頼む。
何故か反射的に、そう答えてしまった。するとシバは笑みを濃くして、腕を曲げ、恭しく一礼をしながら、
「――承知しております」
そう答えた。
ハート家の内装は、外装に見られた印象を大きく違えないものだった。小奇麗ではあるが使い込まれた、どこか古めかしい雰囲気を残す、それは不思議と懐かしさを覚えるものだ。
門扉正面の玄関から入れば、小物置きや調度品、観葉植物を置いた玄関ホールがあった。正面には奥へ続く廊下と、右側に階段。ダンセルがエプロン姿で左の扉へ消えていったのを見ると、そちら側がキッチンやダイニングになっているのだろうか。
「どうです? 何か思い出せませんか?」
と、サクラが尋ねてくるが、我輩ぶっちゃけ完全部外者なので思い出せるはずもない。
……どうだろう。
と、曖昧な返事をするに留める。
「ほほ、あまり焦ってお客様を困らせるものではありませんよ、サクラ」
と、我輩とサクラの後から玄関へ入ってきたのは初老の長身、シバだ。
「シバ。ですが……」
「彼女がミルネシアお嬢様にとても良く似ておいでなのは私も同感です。しかし、他人の空似というのは有り得ない話ではありませんし、何より彼女が困ってしまいます」
最初の印象となんらブレのない柔和な笑みを浮かべ、シバが言う。
「さ、サクラは着替えてきなさい。森林踏破用とはいえその服では彼女にも失礼でしょう。治療は私がしておきます故」
と、シバが我輩の左足に目線を落とす。
「……解りました。ミルお嬢様、少し失礼します」
サクラはそう言い残すと、廊下右の昇り階段へと消えていった。その背を見送りながら我輩はシバの顔を見上げ、
……森林踏破用?
「ほっほ、ぶっちゃけ私にも良く解らないんですが――我らには知られざる文化があるのですよ」
……深いな。
「まさしく。さ、こちらへどうぞ。まずは足を診ましょう」
言って、彼は廊下左の扉に手を掛けた。
シバに続いて扉をくぐると、そこはやはりキッチンを含めた、家人の共用スペースらしき空間が広がっていた。
入ってすぐに目に付いたのは、四脚の椅子が並んだダイニングテーブルだ。その向こうには庭へと通じる大きな窓が開け放たれており、夕方の風が西日と共に室内を満たし、カーテンを揺らしていた。
右側、細長いカウンターテーブルを挟んだ向こう側はキッチンになっており、その中ではダンセルが忙しなく動き回るのが見える。
そして左側、扉から最も離れた奥位置にはソファや調度品が置かれており、そこがリビングとしての共用スペースなのだろうと予測がついた。
どうしたらいいか解らず突っ立っていると、シバがこちらをダイニングテーブルに案内してくれる。そして救急箱を取りに行く、と言って扉から出て行った。
我輩が座るのは、西窓を背にするような位置のダイニングテーブルの一席だ。するとシバと入れ替わるようにしてダンセルが、
「……お嬢様、に似た方。夕食、もう少しお待ち下さい。本日はいい魚が手に入りましたのでスープにするつもりですが、何かお嫌いなものはおありですか?」
訊かれるが、我輩嫌いなものは特に無い。野生においての好き嫌いは命に関わるが故。強いて言うなら、
……葱の類は抜いてくれ。いや、なんというか……命に関わるので。
「……、承知致しました」
顔を伏せ、目元を隠しながらダンセルがキッチンに下がる。どうかしたのだろうか。何か妙なリアクションだったが。
するといつの間にか戻ってきていたシバが傍らから、
「ほほ、ミル様も葱がお嫌いでしたからな。偶然かも知れませんが、思い出してしまったのでしょう。ついでにいうとピーマンも人参も椎茸も牛蒡も駄目でした」
……それはやはり偶然なのでは。
「かも知れませんなぁ」
言いながら、シバが手際よく我輩の左足首に消毒と包帯を施した。満足するようにふむ、と頷くと続けてキッチンに下がり、今度は茶の準備を始める。
やがて彼は手馴れた動きで我輩の前にソーサーとカップを置き、紅茶を淹れた。先に言った通り、砂糖は二杯だ。
我輩、何故砂糖を二杯などと言ったのだろうか。紅茶もコーヒーも飲んだことなど無いにも関わらず反射的にそう答えてしまったが、しかし確かにこの口には合うようだ。
……。
猫舌故、ちびちびとカップを傾ける我輩の右やや後ろに、無言でシバが控えた。そう見られているようでは飲みにくいとも思ったのだが、
……すごいな、シバ殿は。まるで気配を感じない。
「ほっほ、呼び捨てで構いませんぞ。……まぁ、長いこと執事として働かせて頂いております故」
……どれくらい?
「ざっと千年」
どうしようか。渾身のジョークだとすれば笑ってやるべきだろうが、人間の表情筋の動かし方がいまいち解らん。猫のも解らんが。
「……シバさんのジョークは無言で無かったことにするのが唯一の解決法です。さもなくば巻き込まれます」
「ほっほ、ダンセル。――君とは少々話し合いの必要を感じますな」
「……さて、出汁はうまく取れましたかね……」
サクラは早く戻ってこないだろうか。
「お待たせしました。……どうしましたか。何か不思議な空気ですが」
……いや、何でもない。
サクラが戻ってきたのは、それから数分も経たない内だった。
言っていたとおり、着替えている。先ほどまでのボロボロだったメイド服はコルセットが入ったように膨れたシルエットを持っているものだった。しかし新たに着替えたそれは、狭い家の中での動作性を重視した物なのか、少々コンパクトなフォルムになっている。
エプロンスカートだけを見るなら、我輩が良く世話になっていた商店街の魚屋『お魚戦国』の主人の物に似ていると思った。ついでに化粧も少し直したようだ。
「さて、全員揃った所で……シバも、ダンセルも、混乱させてしまい申し訳ありませんでした。私も正直寝耳に水な出来事だったもので、冷静さを欠いていたようです」
サクラが、我輩が座るダイニングテーブルの正面で、そう言って一礼をした。
……全員? 確かこの家には、当主であるレティシアという者が居るのではなかったか?
「……」
「……」
シバも、調理中のダンセルも、嘆息したように顔を伏せる。どうしたと言うのだろう。我輩何か聞いてはいけないことを聞いてしまっただろうか。
「……そうですね。シバにもダンセルにも、……貴女にも解るよう、順を追って説明致しましょう。と言っても語ることはそう多くないのですが」
一息。そして眉を立てた気丈な表情を作り、
「実は……レティシアお嬢様は、三日前から行方不明になっておいでなのです。今を以て、消息は掴めておりません」
我輩がサクラから聞いた話は、こうだ。
レティシアは、両親が死んでからここ三ヶ月――つまり四月の頭から、新たに『塔』内に参加することになっていた学園にも通わず、家に引きこもっていたらしい。
残った肉親を全て失ってしまったことから、心の復調には時間が必要だろう、との事で、使用人たちもレティシアの思うようにさせていたそうだ。
幸い彼女は数週間程で以前のような笑顔を見せてくれるようになり、父親の書斎で残された研究資料の整理などを行っていたらしい。そのため、学園にももうすぐ復帰するだろう、と、そう楽観していたのだそうだ。
そんな矢先、彼女は消えた。『心配しないで』という書置きを残して。
元々体が弱く、精神面での不安もあったことから騎士団への捜索依頼は即日の内に提出された。だが書置きがあったことから家出案件として扱われ、正式な捜索協力は得られなかったらしい。
そんな中、レティシアが入り浸っていた書斎にて、サクラが書置きとは別のメモ書きを見つけたのだ。
それは、内容こそレティシア本人にしか解らない書き方をされた研究用の秘密文書の類だった。が、唯一、場所を示すワードだけを読み取ることが出来たのだそうだ。
そこには『竜脈の祭壇』と書かれていたらしい。我輩とローランが先程まで居た場所であり、サクラと出会った場所。セントリーエルから程近い森林地帯、その山岳側に鎮座する魔術的な要所の名前だ。
森自体は、薬草や研究素材の類が多く摂れるため、一定の申請と許可の下でなら立ち入りが許されている場所だ。
だが祭壇だけは違う。これは世界の魔術の祖であり、人よりも古い歴史を生きてきた『古竜』を奉るための神聖な場所だ。その昔『竜脈』の魔力を操作する儀式を行ったとされるここは、街の地下に眠る『竜脈遺跡』に次ぐ重要度を持つ、国にとっても極めて意義深いな施設なのだ。
故に、ここだけはいかなる都合によっても立ち入りが許されていない。『塔』の上層メンバーでさえ、そうするには正等な理由と、それとは別に『協会』の厳正な審査と許可が必要だった。
だが、レティシアの居場所に関して他に手がかりはない。故にサクラは考えうる最低限の装備に身を包み、古竜を奉るとされる『祭壇』へと、急ぎ足を向けたのだった。
「……お話によると、祭壇は霧状の結界に包まれ、許可を受けた者以外は何をしても辿りつく事が出来ないとの事でした。しかし元々お嬢様はお体が余り強くない上、精神的な心配もあります。長く放っておく訳にも参りません。私はいてもたってもいられず、単身祭壇へと向かいました」
サクラは両目を伏せ、一つ一つの出来事を思い出すようにしながら語りを進める。
――体が弱かった、か。
魔力を操る魔術師としては珍しい性質だ。未熟が理由でなければ、体質によるものだろうか。
「……お体が弱かったと言っても、レティ様ももはや『塔』と関わる一角の魔術師。戦闘の心得も十全以上にありましたから、心配しすぎも良く無いと、そう言っていたのですがね」
とはシバの言。
「……シバさん、昨日今日と一日中お出かけでしたよね。どちらへ?」
ダンセルの、キッチンで手を動かしながらの問いかけに長身の痩躯が微笑のまま固まった。
不意の沈黙が二人の間に流れ、空気が何か一段階くらいよどむ。サクラはそれらから目を逸らすようにしてこちらに向き直り、
「……仲がいいですね。そうは思いませんか?」
……思ってもないことをこちらに振るんじゃない。
ともあれ、
「話進めますね? それでまぁ、駄目元で祭壇へと向かいました。……そこには入るものを拒絶する隔絶結界が張られている、とのお話だったんですが……私は何故かすんなりと、その最奥の祭壇へと辿り付く事が出来たんです」
……最初から結界が張られていなかった、と言う事か?
「はい、何故か」
「何かのトラブルでしょうかな……」
……。
――竜脈の祭壇、か。
我輩は、その言葉を頭の中で反芻する。
ハート家は、黒等魔術、その中でも再生魔術に特化した研究を行う血筋だったと聞いている。そして再生魔術は、蘇生魔術という奇跡を成し得る可能性が、我輩の知る限りでは一番高い。
生物の骨や肉を媒介に、魔力を使いその『生前』を再現する再生魔術。その再現度と『魂』の理解を深める研究は、蘇生のみならず、幅広い治療術式や人工魔獣の精製にも一分野を築いていると聞く。
であるならば、だ。
――レティシア・ハートが、結界を破壊し、竜脈に手を入れた『術者』?
目的はこの場合、言わずもがな。妹、ミルネシア・ハートの蘇生のためだろう。
しかし、事と次第によっては国家すら揺るがしかねない威力を擁するのが竜脈というものだ。それを管理する結界には、国が選別したとびきり優秀な魔術師が斡旋され、文字通り二十四時間体制でその警備にあたっているはず。
その警戒を潜り抜け、あるいは打倒し、祭壇へと至るのは容易な事ではない。否、例えそうされたのだとしても、異常を察知したなら代わりの警備が『塔』から派遣されて然るべきなのだ。
そう考えてみれば、確かにサクラが祭壇へと辿り着けたのもおかしな話。
――一体……。
この街で、『塔』で、祭壇で。何が起きているというだろう。
やがて、話を区切るようにしてサクラが薄く目を開けた。そこに涙を滲ませながら、
「そして、貴女を見つけました。ミルお嬢様」
レティシアが残した手がかりを求め祭壇へと赴き、しかしそこには彼女の妹である『ミルネシア』が記憶を無くして佇んでいた。それがサクラの目線から見た一連の事実だ。
成程、端から聞いていても『ミルネシア』が蘇ってきたのだと、そう誤解してもおかしくない話だと思う。
「……確かに、偶然とは思えませんなぁ」
「……ぐす」
シバも肯定的な意見を述べた。ダンセルが何に感極まったのかは解らないが、
……否、しかし……それでも『蘇生魔術』など、荒唐無稽を極めたような話だ。それは解るだろう?
我輩はハート家の面々の顔を順に眺め、最後にサクラの目を見て視線を固定した。
……我輩が『ミルネシア』だと、そう判断した根拠はあるのか? サクラ。
「……それは……」
「……それは簡単な事ですな」
応えたのは、しかしシバだった。彼は我輩の傍らから身を乗り出し、紅茶のカップに追加を注ぎながら言葉を紡ぐ。
「……貴女の見た目は、そういう『有り得ない事』を信じてしまう程にミルネシア様と瓜二つですから。髪色は少々異なりますが……それ以外は、亡くなられた当時となんら変わらぬお姿。そう思ってしまったサクラを責められはしません」
……それ程に、か。
我輩の言葉に、サクラとダンセルが何度も首肯して応じた。
そういうことです、とシバがまた頷き、
「……さて、次は貴女のお話ですかな」
後ろに控えた彼が、こちらの肩を軽く叩いた。
「先ほどは他人の空似かも、などと申しましたが……言いました通り、貴女は我々の記憶にあるミルネシア・ハートそのものだ。しかし貴女には、己が誰であるかの記憶が無い。現状、そう言う事でよろしいですかな?」
……。
実際には、我輩には記憶がある。だがそれを言っても俄かには信じ難い話であるし、何より我輩にも目的があった。夕餉だ。違う。元の体に戻ることだ。
そしてそのための、現状の把握。
つまりは、我輩が何故こうなったのか、と言う事だ。
我輩が祭壇で目覚めたこと、国家にとっての重要施設であるその場所から結界が消失していたことから、何かしらの魔術行為があったのは明白だ。更には『ミルネシア』の事を知る人物、つまりサクラが、最良ともいえるタイミングで祭壇にやってきた。
これを全て偶然と片付ける事が出来るであろうか? 無論、答えは否だ。
更には、祭壇という場所の手がかりを残し、『塔』に誘致されるほどの優秀な再生魔術師であり、二年前に妹を、三ヶ月前に両親を亡くしたばかりの少女、レティシア・ハート。
彼女が、少なくとも何かしらの事情を知っている可能性は非常に高い。
いくつかの不可解は勿論あるが、我輩が元の安寧を取り戻すには、このまま彼女の行方を追うのが最も近道だと思える。ならば、
――騙すようで気が引けるが……。
否、目的のためには手段を選んでは居られない。夕餉だ。違う、元の体に戻る事だ。それに、たとえ真実を話そうとしたところで、それもまた蘇生魔術に近しい荒唐無稽さを持つもの、と言うのは確かなのだ。
選択の余地はない。
故に我輩は、シバの質問に首肯で応じた。
……その通りだ。現状、何がなにやら解らない。我輩がこの家の者だという事も、二年前に死んだのだという事も。……無論、何故あの場にたたずんでいたのか、と言う事も。
あながち全部嘘ではない。我輩には、現状が何も解らないのだから。
「……そうですか。ではやはり、いやしかし……うーむ」
シバは顎に手を当て、数秒を掛けて何事かを呟いていく。だがやがて深い溜息を吐くと、
「……やはり、貴女は『ミルネシア』であると、そう考えるべきなのでしょうな……」
その言葉に嬉しそうに声を上げたのはサクラだった。
「やっぱりそう思うでしょう!」
彼女は、跳ねるように身を揺らし、手を叩いて喜びを表現する。
「シバはやはり理解力がありますね! 年の功というものでしょうか。いえ、別にシバが老人だと言っている訳ではありません。単に長く生きていることは害ばかりではないんだなと、そういう意味でして、つまり」
「サクラさん、サクラさん。沼にハマってます。底がないヤツ」
「ほっほ、無視でいいですかな?」
シバが笑顔で二人を一瞥し、
「……しかし、そうであるなら。ミル様を蘇らせたのは、当然……レティ様、という事になりますなぁ」
言うと、喜んでいたサクラも、嗜めていたダンセルも、途端に表情を硬くした。
そうだ。現状、それが問題なのだ。
「……蘇生の魔術は、過去多くの人間が挑戦し、身を滅ぼしてきた呪われた魔術。現在では禁忌とされており、『協会』は勿論『塔』ですらもその行使を禁止しております。明るみに出れば……レティ様は、無事では済みますまい」
その通りである。蘇生の魔術はそれほどまでに危険が伴う。故に罪にも問われる。そして、そうで無いとしても――。
「……だからなんだというんですか、シバ。レティシアは、己の身も省みず、愛する家族を取り戻そうとしたと、そう言う事でしょう。その事自体が罪だとでも言うんですか、貴方は」
メイド服の少女が、目に胡乱な光を湛えながら抗議する。だが、
「……そうではありませんぞ、サクラ。私の言いたいことはそうではない」
つまり、
「蘇生魔術が限定的にでも成功したのなら、何故レティシアお嬢様はこの家に帰って来られないのですかな? 我々が待つこの家に。――『協会』と『塔』が蘇生魔術を禁忌としているのは、それが罪だからではありません。先にも述べたように、多くの人間が身を滅ぼした、危険な魔学だから、なのです」
何も無いところからは、物質も、現象も生まれない。それらを得るためには対価が必要で、それを踏み倒すのが魔力、そして竜脈だ。
それでも届かない領域に手を伸ばしたい時、かつての魔術師は、より多くの『対価』によってそれを叶えようとした。
時にそれは――『生贄』と、そのような名で呼ばれた。そして、
――『生贄』として消費される『何か』。それは『自他』を問わぬ。つまり、
「可能性の話として聞いて下さると恐縮ですな。つまり……レティ様は、もう……」
――この体を作り出すため、己を犠牲に魔術を編み上げた――。
魔術を以てして成しえない。竜脈を以てして尚届かない。そんな奇跡を成し遂げるものがあるとすれば、もう、それでしか有り得ないのだ。
無論シバの言う通りそれは『可能性の話』ではある。
だが、
「そんな訳ない!」
怒声にも似た女の声が、ハートの家を殴打した。
声の主は勿論、我輩の正面。メイドの衣装に身を包んだサクラだ。
化粧と態度も相まって、随分と大人びた印象を受ける少女。しかし彼女は今、何を憚ることなく涙を流し、眉を立てた表情でシバを睨んでいた。
「レティシアが、そのような……身を滅ぼすようなことを是とするはずがありません! あの子は……あの子は、誰よりも……!」
「……サクラさん」
ダンセルが、サクラの肩を後ろから抱きとめる。そして我輩の方を目線で示し、
「あ……」
それに気付いたサクラが、大粒の涙を一粒、床に落とした。
――その犠牲の結果が、我輩かも知れぬのだからな。
「も、申し訳……、私、あ、あの……っ、ぅ、部屋に、も、戻ります……!」
言い残し、サクラはダンセルの手を解いてキッチン横の扉から飛び出して行ってしまった。
後には残されたダンセルの大きな手だけが残り、所在無げに宙を漂う。
……愛されていたのだな。この家の姉妹は。
解らぬことは多い。だが、そのことだけは強く理解出来た。
「ええ。そして私共もまた、家族としての愛を注いで頂きました。使用人としては模範的な関係とは言えませんが……良いものです」
その台詞に、ダンセルもまた大きな頷きを作る。
「しかし、何ですな。……ああ、ミル様、とお呼びしても?」
……構わない。
他に呼び様もないだろうし、な。
「ではミル様。……貴女は、どうなさるおつもりですかな?」
……どうする、とは?
「私共は、何よりサクラは、貴女を本物の『ミルネシア』だと信じております。しかしそれはそちらにとってはこちらの都合。望むのであれば、相応の施設や病院を紹介させて頂きますが」
……。
我輩の目的は、元の体に戻る事だ。だがそれを馬鹿正直に言う訳にもいかない。故に言うべきは、
……我輩は、レティシアに会ってみたいと思っている。
「……それは何故?」
無論、我輩が元の体に戻るための手がかりを得るためだが、それ以上に思う事がある。それは、
……『今の我輩』を作った者、かも知れぬ人物だからな。少し話してみたいと思ったのだ。
シバに告げたそれは、建前でもあり、そして本音でもあった。
彼女が何を思い、何故危険を犯してまで『蘇生』などという術式を試みたのか。そして、
――彼女が、何故その際に、ハート家の者を――『家族』を頼らなかったのか……。
誰にも何も言わず、レティシアは姿を消した。それは危険な術式に家族を巻き込むまいという気遣いであるようにも思えるが、ここまでに我輩が得た『彼女』の印象と比べ、若干の違和を感じたのだ。
体の弱かった少女。家族と共に生きてきた少女。妹を、そして両親をも喪った少女。そして、それらを乗り越え、残された家族と共に生きていくと決めた少女。
そんな彼女が、本当に自ら一人で罪を背負い、妹を蘇らせようとするだろうか?
否。その結果らしきものはここにある。他ならぬ我輩の体、と言う形で。
故に、その行為自体に疑問はない。あるとすれば、それを成した理由の部分だ。
不理解がある。懸念もある。
その解消のためには、彼女が何をして、そして何をしようとしているのか。
それを知る必要があるのだと思ったのだ。
「……解りました、ミルネシア様。貴女がそう思われるのであれば、私共はそれを手伝いましょう。元より、サクラが貴女を逃がしはしないでしょうが」
我輩の答えに満足したのかは解らないが、シバはそう言って嘆息を零した。そして、
「それに先ほどはああ言いましたが……こうなった以上、レティシア様の捜索は続けるつもりでしたからな。少なくとも『竜脈の祭壇』という場所が手がかりとして有用であることは証明されたのですから」
……当然だな。
実際に、『我輩』という手がかりらしきものは得られた。ならばレティシアの存在もまた、『この先』にあるのかも知れぬ、という予測は当たり前に成り立つ。
「そしてもう一つ。貴女がレティシア様と会いたい、と仰るのであれば」
シバはそう言って指を一つ立て、
「明日、サクラと共に、ある場所へ行って頂きたいのです」
……ある場所?
皺の刻まれた顔を、ゆっくりとした動きで頷かせた。
「そう。現状、貴女が誰であれ、そこにレティシア様の何かしらの魔術的行為があったのは明白。その手がかりを得ることは、またレティ様の手がかりを得ることに繋がるはず」
……そうか、つまり。
合点が行った。
確かにあの場所ならば、我輩の体に『何があったのか』正確に調べることが出来るかも知れない。更には、この体の魔核をミルネシアの物と照合し、実際に蘇生魔術が行われたのか、そうでなかったのか、それすらも判別することが出来るかも知れないのだ。
それはそのままレティシアの行方の手がかりとなり、我輩の目的――元の体に戻る手がかりを得ること――とも矛盾しない。
それは、全ての魔術が集まる地であり、また、生まれる地。
全国的にも類を見ない規模でこの街の中心区を丸ごと切り取る、巨大教育機関であり研究施設。
セントリーエル研究学術都市。通称を、
……魔術学園、か。