最終章 帰還の我輩
王暦一一一八年七月、交易都市セントリーエルで起きた一連の事件は、百年前の『大災害』以来の、第一級相当大規模魔術テロとして歴史に名を残した。
狙われたのは学園塔地下、そこに眠る太古の遺産、『竜脈遺跡』。『祭壇』経由のマナを用い、元々あった結界術式を応用しての範囲式魔獣生成陣が組まれたとの見当が付けられた。
だが、犯人の最終的な目的は不明。最重要参考人として森の結界管理職に就いていた二名の金等魔術師の名が挙がったがいずれも見つかっておらず、未だ事件の全貌は明らかになっていない。
森からやってきた『超竜種級』を含む千八百余りの魔虫に関しては、そのほとんどが既に駆除・殲滅されており、継続的な被害の懸念は皆無。むしろ大規模な駆除による森林区の生態系の激変が指摘されており、環境魔術師による詳細な調査報告が待たれている。
都市区の被害は、災害基準におけるランクDに相当。魔獣の行動が極めて限定的であったため人的被害は二次的なもののみに限定されたが、施設・家屋などに深刻な損壊が確認されており、特に南区・及び騒動の中心となった学園区における被害は、完全復興までに五年掛かるとも、十年掛かるとも目されている。
学園塔の地下竜脈から流出した魔力量は、百年前のそれと比べると濃度・絶対量共に十万分の一を下回る基準だった。が、それでも土壌汚染は、魔的抵抗の薄い一般人に健康被害を及ぼすには充分な量であり、すぐさま学園全体、及び周辺の一部区画に結界封印処置が施された。
封印の開放時期は、目下の所未定。しかし少なくとも聖性魔術師による浄化作業には半年程度の時を要するというのが大多数の見解で、故にセントリーエル研究学術都市として危急の課題は、その間の学舎・研究棟の代替施設の斡旋だとされた。
そしてもう一つ。都市、及び国家として無視出来ない最大の問題が、一つ残った。
竜の存在だ。
魔獣の大規模襲撃と同じくして森を飛び立った『超竜種級』魔獣に対して迎撃を行い、共に消滅した古竜と思しき存在は、実際に『超竜種級』が討たれたこと・目撃証言からも明白であった。また、その後に現れた新たな船型個体に関しても、出現から程なくして討伐された事、『砲』に似た光の目撃証言があった事から、この古竜との関係が取り沙汰されている(最もこの説は、撃墜の瞬間の目撃者が皆無であることから猜疑的な意見も根強い)。
現代における『竜』とは、長い時の中で翼を失った『混血種』がほとんどだ。一部の地域では現在も信仰の対象となるなど『神』としての扱いを受けているが、これは古代における『十二竜』及びその係累とは全く違う種として認知されており、魔学的な分類では大型の魔性生物と同じ扱いだ。
が、稀に、先祖返りや魔獣化と似たプロセスを原因として『翼持ち』と呼ばれる個体が人里に現れ、甚大な被害をもたらすことがある。今回セントリーエルに現れた個体も、これに類するものだと考えられた。
故に『塔』の術師団と騎士団は、血眼になって消えた『翼持ち』の捜索を行った。これを放っておけば、いずれ再び都市が莫大な被害を被ることになると考えたからだ。
が、その成果は事件後二週間を経た今でも、何ら出ていない。
「やっぱなぁ……まずかったよなぁ……僕も調子に乗って『砲』とか撃っちゃったしなぁ……」
セントリーエル大森林奥部、竜脈の祭壇。その頂上の縁に立ち、森の木々を意味もなく眺めている我輩の右隣には、男が座っていた。
祭壇の縁に腰を掛け、顔を手で覆って嘆いているのは長身の優男だ。
美しい金髪がまるで魔力の粒子を放つような煌きを湛える、ローブ姿の人間体。
『怨絶竜』、ローランフリートその人だ。
……今さら嘆いても仕方がないだろう。やってしまった物は仕方がない。前向きに行こう。無理かも知れんが。無理か。無理だな。悪かった。無理だ。諦めよう。
「慰めなのかとどめなのかはっきりしない?」
強いて言うなら後者だな。ともあれ、
……それで救われた命があり、それで救われた人間が居た。遺跡の『蓋』がもう一枚突破されていたなら、魔力汚染は取り返しのつかない領域になっていただろう。ならば良いではないか。
正直ぎりぎりの所だった。レティシアの『蓋』への理解がもう少し深かったら、駄目だったかも知れない。
故に、それを食い止める一因になったローランの協力の意味は大きい。
「そ、そうかな? うん、そうだよね? 仕方なかったよね? だってちょっと世界滅びかけてたもんね?」
……まぁ、そもそも此度の騒動の原因は貴様の怠慢なのだから、その位の協力は当然だがな。
「き、キビしぃなぁ……」
しかし、と思うのは、
……何故それほどまでに人間に関わる事を嫌う? 別にいいではないか、少しくらい手伝ってみたって。……手伝わず世界が滅びることがあっても、手伝って滅びることなどあるまい?
それは、我輩が幾度となく重ねてきた疑問だった。そのたびにローランはのらりくらりとこちらの論をかわし、これまでその答えを得ることは出来ていない。
だがこのとき、ローランは、
「…………」
こちらの言葉を、肯定も否定も、そして適当にあしらうことすらしなかった。
……?
ここまで貫いてきた『不干渉』というスタンスを曲げた事に打ちのめされているのかとも思ったが、どうにも違うようだ。彼は祭壇の縁に座ったまま膝を使って頬杖を付き、こちらと目を合わせないまま何かを考えている。
……ローラン?
呼びかけるが、
「……ま、誰に怒られることでもない、か。あくまで『力』は使ってない訳だし、ね」
そう一人結論を付けて、また薄い笑顔を貼り付けた。
やはり答える気はないと、そう言う事だろう。
――ま、いいさ。
別に、答えが得られるとは期待していない。それに、答えを得たところで、我輩が何をどうするという事もない。
我輩は猫なのだ。ちょっと偶然が重なって人間になって竜に近づいて太古の魔術とか振るって世界救ってみたが、その魂のあり方は変わらない。無理があるか。いや頑張る。
……だが。
ローランの、『誰に怒られることでもない』という言葉を受けて思うのは、
……『落絶竜』の姐さんあたりは怒りそうだがな。それこそ、烈火の如く。
我輩は思いだす。修行時代、ローランの下を訪れてきた『聖性魔術』を得手とする絶竜の姿を。
それを聞いたローランは、
「……だよねぇ……」
言いつつ、両手を伸ばし、純白のローブが汚れるのも気にせず真後ろとばたりと倒れ込んだ。
しばらくそのまま、ローランは顔を覆って嘆いていたが、
「……それで? ハートの家の方は? どうなった?」
不意に寝姿のまま、そう訊いて来た。
……何だ、藪から棒に。
「いやまぁ、少し気になってね。何せ僕の『力』を受けた直系の子孫みたいなものだから」
……どうだか。
数億の時を生きる絶竜。人間から姿を隠した後だけ数えても万の時を越えてきた彼が今更そんな事を気にするとは思えないが、まあ別に隠す事でもない。
……変わらぬよ。我輩は『ミルネシア』本人だと魔核の一致で証明されたが、『レティシア』は依然、行方不明扱いのままだ。
と言うのも、遅まきながら、学園へ依頼していた魔核照合の鑑定結果が出たのだ。
セントリーエル研究学術都市、黒等魔術科『主席』研究員、アーカム・アライヴの御墨付き。魂の方はどうだか解らないが、この体と魔核は故人である『ミルネシア・ハート』本人の物に相違ないと、完全に証明されたのだ。それは、
……当然だな。この体は、レティシアが己の存在と引き換えにしてまで作り出した物なのだから。
一番驚いていたのは、誰あろう照合を行った本人であるアーカムその人だ。有り得ない事です、しかし先生の娘さんならあるいは……と、終始落ち着かない様子を曝していた。
もっとも、肝心の『魂』の方が記憶喪失扱いなので、これが『死者の完全蘇生』、という扱いを受けるかどうかは目が薄いと言う話だそうだ。しかし『再生魔術における、完全な人間の生成と魂の定着』というだけでも、充分な快挙となるだろうことは明白だ。
「では、レティシアの名は歴史に刻まれることになるのかな? 彼女の願っていたことの一つが叶ったことになるね」
生きている間に、何かを成し遂げる。そう願った彼女の思い。だが、
……いや。それは多分無いだろう。
我輩は間髪居れず答える。
「おや。どうして?」
――この男、もしかして解ってて訊いているのではないだろうな?
思うが、話の腰を折ってまで糾弾する気もない。故に我輩は言葉を続け、
……それは……レティシアが、『己』を対価として『ミルネシア』を作り上げた疑惑があるからだ。
ある意味、というか、それは完全には間違っていない。実際にはその上で、我輩という別角度からの魔術的アプローチがあって偶然的に完成に至った物なのだが。
……『生贄』や、過剰な『対価』を要求する魔術は、現代魔術においては認められていない。再現性が不明であるし、それを試す事も出来ないからだ。倫理的に。
「……難儀なものだね、人間も。魔術というのは、最初からそういう物であったはずなのだけど」
……そういう時代じゃない、ということだろう。もっとも、『レティシア』はまだ行方不明なだけで死んだとはされていない。評価としては保留扱いになっている訳だが……。
「彼女が生きて見つかるはずもない、か……」
レティシア・ハートは、あの時『塔』を覆う風と共に消えた。
「本当の事、家の人には言わないのかい?」
……それは……。
ローランの言葉を受け、我輩は自分の左、足元を見る。
そこには、黒い塊が丸まって寝ていた。短めの突起は尻尾。木々の間から降り注ぐ木漏れ日を受け、すやすやと寝息を立てるその姿は――。
「……君は」
考えていると、ローランから声が掛かった、調子を整えるような間を作ってから、言葉を紡ぐ。
「……どうするんだい? これから」
……どう、とは。
「君の体は、結果論ではあるが代々のものと同質の『竜魂の柱』として成立した。竜の力を、完全では無いが継承したんだ。その役目を続けていくつもりはあるのかい?」
……役目……。
それは、
「人ならざる魔術による『介入』に対する、人ならざる魔術による『修正』。あるいは竜脈を護り、継いでいく事だ。今回のようなものはかなりのイレギュラーではあるが、ね」
竜はかつて世界を護り、しかし人の手により排斥された。
それでも尚、人の世に残された可能性――今回のような有事に対処するため現れる『護りの力』こそが『竜魂の柱』と呼ばれる存在だ。
通常とは大分異なる経緯を辿ったが、結果として我輩は『そういう存在』として成立した。
それを続けていく、という事はつまり、この命ある限り『世界』のために身を滅ぼせと、そういう事だ。
……出来んと言ったら?
「また代わりを育てるさ。その場合君からは、竜としての力を魔核ごと剥奪することになる」
……それはつまり、死ぬということではないのか?
「そう言うこともある」
死ぬまで働かされるよりはその方が楽かも、だ。しかし、
……選択肢は、元より無いだろう。殺されるのは無論御免だし、我輩が帰る体は、既に失われてしまったのだから。
我輩が目標としていた『元の体に戻る』という事には、猫としての体が必要だった。が、失われた。他ならぬ我輩の手で、魂移植の際の『贄』としてしまったのだ。
精霊魔術で一から作ることも出来るかも知れないが、我輩の魔核と合致する物を用意出来るとも限らない。せめて『情報』の一欠片でも残っていれば考えようもあるのだが――。
「うーん、それがそうとも限らないんだよね」
……何?
横、腕を広げて寝そべるローランがこちらを見て言い、それを見下ろす構図となる我輩と目が合った。
彼は、口元に薄い笑みを浮かべながら弁舌を弄するように片手を掲げ、
「そもそも、『自分』を代償として魔術を行使する、なんてのは、生贄文化がマジしてた時代からしても『異彩』なんだよ。当たり前さ、結果が自分で確認出来ない以上意味は無いし、あったとしても技術体系として発展のしようが無い」
……それは、そうだが……。
ローランは我輩の困惑にも構わず、
「要するにこういう事さ。『君の魂』が『ミルネシアの体』に移植された事実は、『君の肉体の消失』を必ずしも意味しない、と」
……。
ローランの言う事は解る。現状、魂移植が行われた証明はあっても、それによって我輩の肉体が消費された証明は無いのだ。だが、
……貴様が言い出した事だろうが。我輩の体が術式の代償として消費されたであろう、というのは。
それらの知識と『何が行われた』かの予測は、彼がこちらに齎したものだ。それをローラン自ら否定するのは道理に合わない。
「あの時点ではそう思っていた。だが、そうだとすると不自然な点が一つある」
それは、
「レティシアが使った『生贄』が『人間』だった、という事だ」
確かにそれは、ローランにとっても予想外の事実であった。だがそれが何故不自然なのかと、そう一瞬思ったが、
……そうか。
すぐに思い至る。
……我輩は、本来必要ではなかったのか。
「その通り」
当初ローランの想定では、使われた『生贄』は何かしらの小動物だと思われていた。猫である我輩を含め、数十も集めてしまえば単純な物量として充分な数になる。
だが、そうではなかった。レティシアが用意した『生贄』とは、紛れも無く人間の体だったのだ。生成の際にある程度目減りすると仮定しても、魔術師二人分のそれがあれば量としては充分だった筈だ。
そこにわざわざ我輩を――猫一匹を加える必要は無い。
「故に、僕はこう考えた。君を祭壇へ運んでいったのは、レティシアではない。それ以外の『誰か』であると」
……それは……。
ローランの話す説は、あくまで事実に基づいて考えられた、予測と予想を重ねて作り上げたものだった。
だが今彼の口から出でた内容は、それにしたって荒唐無稽が過ぎる。何せ、あの場に『第三者』の存在があった事を提唱するものなのだから。
大体、
……誰が? 一体何のために?
否、それをローランがどう答えるか、というのは解りきった事だった。何故なら彼の語るその仮定の『誰か』の行動は、あまりにもピンポイント過ぎるのだ。
明確な目的に沿った、明確な行動。それはつまり、
「『結界を消した人物』が、『君が魂移植の術式を使う事を期待して』、と言う事かな」
……。
我輩はローランの語った言葉を、己の中で吟味する。
レティシアの行動に端を発し、解決に至った今回の事件。これは、いくつもの偶然が折り重なって構築されていた。
一つ、『都合よく結界が消滅していた事』。
一つ、『二人の金等魔術師が都合よくレティシアの思惑通りに動いてくれた事』。
そもそもこの『二つの偶然』が無ければ、ミルネシアの肉体の再生術式も、父親の研究を用いた魔獣の生成術式も、全てはレティシアが抱いた空想のままで終わっていたはずなのだ。
更には『事件の解決』までを一連の流れだとするならば、『竜の魂を得たあった我輩』が『ミルネシアの生成』に居合わせた事も、その肉体が『「血族」の流れを汲むものだった』事もまた偶然だ。
これらがそう都合よく重なるものだろうか。否、そう言う疑いを抱く事は、つまりそこに『第三者の存在』を疑うローランの説を肯定する事にもなる。ならば、
……本当に、何者かが……?
結界を消し、魔術師を唆し、結果として街を危機に陥れ、しかし『血族』の肉体の前に『我輩』を配置して『柱』の成立をも後押しした『誰か』。
そういう人物が、一連の出来事を裏で糸引いていた。そう言う可能性が出てきたのだ。
しかしそれは、普通に考えるならば、
……訳が解らないな。
トラブルを引き起こし、しかしそれを解決する者の出現を手助けする。これはそう言う話だ。
矛盾するような目的を持った、姿無き『第三者』。
全て仮定の話だが、そんな存在が本当に『あの現場』に居たのだとすれば、
……その者は、我輩が『何』なのかを解っていた事になる。
つまり、それが竜の師事を受けた猫である事を、だ。だとすればその目的は、
……我輩の『魔核』か。
魔術学において、人間、ひいては竜を含めたあらゆる生物の体は、三つの要素で構成されている。
再生魔術とも関わりの深いそれら。即ち『骨』、『肉』、そして『魂』だ。
だが、魔術を扱うにおいて必須とされる『魔核』は、これらとは由来を異にする。『魔核』とは生物がこの世に生じた後、母親の胎内で潤沢な魔力を浴びることによって後天的に発生、成長を遂げるものなのだ。
そしてそれは、魔力を生成するエンジンである『魂』とは無関係に、『肉体』に宿ることになる。つまり、
……移植によって『魂』の抜けた後の我輩の体には、ローラン、貴様が神的反則技で後天的に製造した、特別製の『養殖魔核』が丸ごと残されていたことになる。……この『第三者』の狙いは、それか?
「だろうねぇ」
と、ローランは軽い調子でこちらの論を肯定した。
「ま、どれもこれも予測に過ぎないけれどね。とは言え君の体を祭壇に持ってきて得られるものなんて、それくらいしか考えられないし」
それはいわば、
「『竜製の魔核』。急造なもんでピーキーではあろうけど、今の君の魔核に近しい性能くらいは発揮出来るはずだよね」
と言うか、まあ、
「そのために造ったんだしね?」
そう言ってローランは得意気に胸を張った。
そしてそうであるならば、
「……『魔核』は、まぁ手間をかければ単独で抽出も出来るかもだが。余計な時間かけるよりかは、その肉体ごと持って帰った方が楽だよね。即ち……猫である、君の体ごと、ね」
そしてここに来て、話が元の場所に帰ってきた。
即ち、もしかしたら我輩の肉体がまだ失われていないのではないか、と言う事だ。
……。
これは、あくまでも可能性の話だ。今までの論、その全てがことごとく合っている、などと言う保証はどこにもない。
だが、我輩の体がまだ現存している目が、確かにあるのだ。
……どんなに信じられずとも……可能性が無いよりは大分マシ、か。
それに、例えこの予想が間違っていたのだとしても。結界を消したのがレティシアではなかった以上、これを成した『第三者』の存在は確かなものなのだ。
それはつまり、結界の消失に端を発したこの事件、これは未だ終息を迎えていない、と言う事。
で、あるならば、
「ま、選択は二つに一つ、だろうね」
ローランが寝姿のまま、右の指を一つ立て、
「一つ。『役目』から逃れたい。故に『元の体に戻る可能性を探るため、謎の「第三者」を追う』」
そして左の指をも立て、
「もう一つ。『役目』を続ける。故に『此度の一件に決着をつけるため、謎の「第三者」を追う』」
さあ。
「――君は、どちらがいい?」
帰る家の明かりは、オレンジ色だと好ましい。何故なら暖色には、心を落ち着かせる効果がある――らしい、からだ。
……ハート家。
かつてのレティシアとミルネシア、そしてその両親が住み、今は我輩が住まわせてもらっている家だ。
今の住人は四人。我輩と、メイドのサクラ。執事のシバ。そしてコック兼庭師として働くダンセルだ。
皆、血は繋がっていない。我輩に至っては元故人であるし、その実、何の関係もない部外者でもある。訳が解らん。だが、
……家族。
その言葉を思う。
我輩がこの家に居てもいいのか。そう考えない日は無い。全てを話し、この家を出て行くことも考えた。だが、
「――」
我輩の腕の中で、小さな鳴き声が聞こえた。
尻尾の短い、艶のある毛を持つ黒猫だ。目は金色で、全体的には痩せ型。とは言え引き締まった筋肉をしているので、そう不健康そうには見えない。
性別はメスで、年齢は二歳。……くらい、だ。多分。恐らく。肉体的には。
それは年齢にこそ差異があるが、かつての我輩に良く似た外見をしていた。そして、
「――……ッ」
猫が、抗議をするように腕の中で身をよじらせ、前足でこちらの胸を叩いてくる。
それはまるで我輩に、余計な事は考えるな、とでも言い聞かせているようで、
……解っているさ。そう騒がずとも。
レティシアについて、本当の事を話す。そう思いはしたが、それは『本人』から抗議があり、却下された。
……あの最終局面。レティシアの体も我輩の『紋章』も剥がれ、砕けていく中……『拾い集めて構成し直す』のは随分と骨が折れたが……。
何せ拾い集められたのは、どうにか猫一匹分、というくらいだ。人一人作り直すには、全く足りなかった。
精霊魔術がいくら万能だからと言って、『もの』が魂と肉体に関することである限り限界はある、と言う事だ。
……。
我輩は、確かに殺した。人間としての『レティシア・ハート』を。
そしてその結果として、ハート家には少し欠けて、だが少しを取り戻した歪な平穏が戻った。だが、
……ああ、しかし、いずれは本当の事を言わなければならないだろう。
それがいつになるのかは解らない。我輩にもこの体で成すべき目的が出来てしまったが故。
だが、
……その時は、貴様が自ら話すといい。
猫は目を閉じて寝たフリをしている。だが、我輩はそれに構わない。
……まぁ、通訳くらいはしてやるさ。
何故なら。
我輩。
猫であるが故。