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我輩、猫の身空で世界を救う  作者: U輔
セントリーエルの怨絶竜
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第十章 我輩の意味


 月明かりの下、我輩が駆け抜けるのは、暗闇が底を浸す木々の群の間だった。

 下草の類は少ないが幹の密度が高いため、十メートル先ですら見通しが悪い。大型の魔獣に出くわす危険を考えれば道程を急ぐべきではないが、そうも言っていられない事情がこちらにはある。

 ここは、大森林に北から入り、山側へと十五分程走った場所だ。軽い上り坂となる足元は行軍に支障を来たす程のものではないが、もう二十分も走ったならば勾配は急激にきつくなってくる。

 が、今の目的地はその手前にあった。故に憂慮は無く、

 ……ローランと共に暮らしていた時は、庭が如く駆け回ったものだが……。

 魔獣がうろついているとはいえ、隠れる場所は豊富にある。土地勘さえあるならば退屈の無い場所として、この森は我輩の記憶に刻まれていた。

 竜脈を護る結界は、やはり張りなおされているようだった。

 とはいえ『本職』の手配が間に合っていないのだろう、以前のように祭壇をピンポイントで守る空間隔絶系ではなく、大森林の外から広範囲に掛けるタイプの認識阻害系だ。これは魔的抵抗の薄い一般人を遠ざけるには効果的だが、結界の存在を認識出来ている魔術師を欺ける程のものではない。

 故に走る。

 ……。

 我輩は、この森に最近にも立ち入っていた。

 ……好きでそうしたのではなく、目が覚めたら立っていたというだけだが……。

 つい三日前の出来事。己が人の姿で初めて目を覚ました時の事を、遠い記憶のように思い返す。

 ……あの時も『こう』だったか? ――否。

 気が付かなかっただけだろうか。それともこの三日で『こう』なったのか。

 大気に満ちる魔力が異常なまでに『薄い』事に、我輩は違和感を覚えていた。



 それは、つまり大気中の魔力を糧とする魔獣や魔性生物の『食料』が減っている、ということだ。そして何故減ったのか、といえば、

「――」

 正面に、その証明が現れた。

 二体。黒色の体に月明かりを映し、耳障りな羽音をかき鳴らしながらこちらの足元を狙い飛んで来る『何か』だ。

 それは、体長三十センチ程。小型サイズの虫型魔獣だった。

 街に現れたものの同型が、僅かにタイミングをずらしながらも双方がこちらを捕捉し、襲ってくる。

 接敵は一瞬の後。狙いはやはり足元。高速で突進し、引っ掛けて転ばせようという魂胆だ。

 対応を入れるのは簡単だ、潰せばいい。だが一分一秒を争う今においては高速に乗った疾走を殺すのも面倒。億劫。故に、

 ――。

 僅かに跳躍。高速の流れの中で、虫型魔獣を足の下へ通した。

 後方へと流れていく視界から一体目の魔虫が消える。そうして得られた我輩の着地点には、僅かに遅れて突進してきていた『二体目』が居た。『それ』は、不意に己の頭上を覆ったこちらの影に驚いたように身を震わせるが、

 ……っ!

 そのまま両足を落としてプレスした。

 材木片を捻るような破砕音を付けて、その装甲が砕けて舞う。まだ生きてはいるだろうが、とどめを刺す必要はない。何故なら、

「――……!」

 我輩の背後方向へ飛んでいった一体目の虫型魔獣が、断末魔を上げた。

 ちらりと振り返り見れば、その体は牙を持つ口蓋に潰され、ひしゃげ、千切れるところだった。

 虎に似た体躯。我輩が先んじて生成していた従属体、『夜寄せの主』だ。

 その姿と同じくした膂力と敏捷が、魔力で変性した仮初の命を抵抗すら許さずに削り取った。だが、彼へと飛ばした命令はそこで終わるものでは無い。それは、

「――」

『夜』という概念そのものに偏在するその身が、不意に暗闇の空間に溶け落ちた。

 と、

「――……!」

 二体目。砕かれ、破片を散らし、地面に体を打ち付けて旋転していたその眼前にタイムラグも無く現れ、その身をも牙と爪の贄とする。

 断末魔が途切れ、終わりを告げた。

 後には我輩の足音だけが残る。

 疾走は止まらない。



 ……そうそう遭遇していいものではないのだがな、魔獣というものは。

 魔獣は、他の野生生物と比べたとき、突出して強力な性能を持つわけではない。成長に限界が無いために育ちすぎた個体は脅威となるが、大抵はそうなる前に自壊するからだ。

 だが、今日ここまでに遭遇した魔獣は既に七体を越えた。考えるまでもなく、空気中の魔力濃度の減少の原因は『これ』だ。

 魔獣の大量発生。

 街を襲った魔獣が人為的なものである根拠を後押しするものと考えていいだろう。つまり、何かしらの意図の元この森で魔獣の生成が行われ、それがために餌である空気中の魔力が少なくなっている、という訳だ。

 魔力濃度がここまでの薄さになり、そしてある程度の数の魔獣が森に蔓延っているのであれば、極論として人の手はもはや必要ない。食料不足に陥った魔獣達は何か指示をするまでもなく、この近辺で最も魅力的な餌場へと自然に流れていく。

 即ち、街だ。

 ……それ自体が目的ではないだろうが……。

 ここ最近に街で魔獣騒ぎが頻発していたのは、堪え性の無い一部の個体が早速に餌場を移したと、そういう事なのだろう。そしてその流れは、この森の魔獣が駆逐されるか、餌である魔力が自然に回復しない限り止まらない。

 普通であれば、こうまでになる前に手が打たれる。警護隊か、あるいは最寄の魔術組織が事態に気付き、間引きなどの対策が取られる。今回それが無かったのは、

 ……あの大型魔虫か……?

 昨日街を襲撃したあの個体が、その存在を以て森林内の魔獣の行動を抑圧していたのだろう。それらの食事行動も最低限のものとなり、魔力濃度による違和感の発生をも抑えていた。

 だがそれが失われた今、枷を解き放ったかのように魔獣達は食事を再開した。そして餌の枯渇は時間の問題となる。

 これでは、いつ魔獣が街へと殺到してもおかしくない。

 控えめに言って、異常事態だ。

 ……まあ、我輩が気に留める問題でもないが……。

 大型魔獣の出現により、セントリーエルの警戒レベルは最大限にまで上がっているのだ。更には明朝の掃討作戦もある。ならばそれらは、我輩が憂慮することではない。

 故に走る。全力で。目的地は、

 ……竜脈の祭壇……!



 そこは、静寂と夜が支配する空間だった。

 森の中、不自然に開かれたドーム状。昼間には木漏れ日を届ける天蓋も、流石に淡い月明かりを落とす程ではない。

 暗い。

 ……。

 背後、我輩に続いて森を抜けてきた『夜寄せ』が、傍らに立って巨体の頭を摺り寄せてきた。なので我輩は手振りで『お座り』を命じてその場に待機させる。

 犬扱いが不服なのか巨体が抗議じみた視線を向けてきたが、しぶしぶと言った様子で命令には従った。

 ……素直なヤツだ。

 従属体の感覚系は、任意で術者と共有される。暗闇が全てを包む祭壇の全景も、『夜』そのものである獣の認識で見れば、アウトラインに色を重ねた不思議な風景として知覚された。

 奥に百メートル程進めば、そこには巨大な白い石材で出来た構造物があった。

 祭壇だ。

 その、遥か上にある石柱群を目指す階段の中ほどに、まるでこちらを待っていたかのようにしてその姿はあった。

 金刺繍の施された白のローブ。聖職者のような出で立ちだが、彼の本来の立場とは信仰する者ではない。信仰される者だ。

 魔術の祖。十二の神の一柱。怨絶竜。

 ローランフリート。その人間体だ。

「やあミルネシア。そう呼んでもいいよね?」

 相変わらずの、人好きする笑みで男が言う。ドーム状の空間の、何処にいても届くであろう良く通る声だった。

 魔獣が蔓延る緊張も、街が今持つ危機感も何も無い。故に我輩は、

 ……好きにしろ。

 そうとだけ応じた。



 我輩は、ローランが立つ祭壇、その階段下にまで歩を進めていった。 

「どうしたんだい、こんなところにまた。まさか君が人間に代わって結界の修復でもしてくれるとか?」

 ……無理を言うな。結界魔術は金等だろうが。

 そうでなくとも、結界魔術の構築は魔術刻印の完成度こそが肝要。アドリブ派の我輩とは相性が悪いのだ。

 そしてそれは、我輩の魔術の師であるローランにしても同じであったはずだ。

「……僕も結界魔術は苦手だからねー……侵絶竜のじーさんに昔ひどい目に会わされたからかな?」

 そう言ってローランは悪びれもせずに歯を見せる。しかし、

 ……昔、とは?

「うーん、八億年くらい前?」

 神話か何かか。ともあれ、

「なんの用だい? 里帰りって訳でもないんだろう?」



 我輩は、階段の中ほど――直線距離にして二十メートル程先――に立つローランを見上げた。

 細い体だ。とても原初の時代より生きる最古竜だとは思えない。だが、それは厳然たる事実。実際、我輩は彼の竜体を何度も見たことがある。

 全長千メートルを超える、白と青の巨体。現代まで生き残っている竜種とは、サイズも、存在感も、その内に秘めた能力も、何もかもが世界という単位で一線を画す存在だ。

 あの時は確か、ローブの裾が枝に引っかかったのを外そうとして上手くいかず、つい「えいやっ」とやったら竜体が漏れ出したのだったか。何を隠そう人間が『竜神の湖』と呼ぶ溜池はその時に抉れて生まれた。いかん。思い出すべきではなかった。

「……何故僕は『なんの用だい?』と聞いただけで半目で睨まれているのだろうか」

 ……気にするな。哲学の話だ。

 何せ、我輩は今ひどく冷静に物事を考えることが出来ている。つまりこれは哲学だ。違う気もする。

「……何か釈然としないが、まぁいいか。――察するに、君に起こったことについて何か手がかりを得たと、そういう事かな?」

 ……概ね相違ない。

 我輩にとっての今の優先事項は、元の体に戻る事、その為の手段は今やレティシアの捜索に収束しつつある。

 だが、我輩にはその前に一つ、確かめなければならぬ事があった。

 つまり、レティシアが何をしたのか。そして何をしなかったのか、だ。それが解らねば彼女への姿勢も決めかねる。

「しかし、僕から君に何かまだ……教えられる事があるのかな」

 ローランがそう言って眉を僅かに歪めてみせる。

 ……あるとも。

 それはつまり、

 ……貴様は、我輩が何をされたのかと尋ねた時、解らないと、そう答えたな。

「言った記憶があるね」

 ならば、だ。

 ……『我輩が、何をしたか』。それについては覚えがあるか?



 ――これは、気付いて言っているなー……。

 と、僕はそう思った。

 何せ、言葉の選び方が作為的だ。だが最初に作為的な話し方をしたのは僕の方なのだから、そこに意義を挟むことは出来ない。むしろ怒られるのはこちらの方だ。ちょっと確かめてみようか。

「……怒ってるかい?」

 ……は? 怒ってなどいないが?

 完全怒ってるねこれ。

 大体、僕は神話の時代からこちら、数億の時を重ねて生きる最古竜だ。確かに少し鈍かったり抜けてることがあると人(あるいは猫とか竜とか)からは言われる。が、そんな僕が魔術的な事態について、何が起こったか見当もつかない、なんて事あるわけがない。

 察しくらいはいくらでも付いている。それに気付かないあっちも悪い。僕は悪くない。怖いから言わないが。

 ともあれ、言い訳くらいはしておくとする。

「……あくまで、これは僕の想像でしかないことだ。『君』と言う結果から使われた魔術を逆算し、何が起きたのかを類推したものであるに過ぎない。それにしたって『蘇生術式を行使したものが居るかも知れない』と言う手がかりを元に作り上げた推論だからね、あの時点で語れる事は特に無かったのさ」

 加えて言うならば、

「それに……類推であるにしても、だ。その『何故』の部分に関しては、僕には推し量る事しか出来ない。証拠も無いから、それが真実であるかも解らない」

 これが推理小説であるなら、とんだ三文作品だ。何せこれは、僕の知識任せに凶器を見ただけで犯人を推測して当てるようなもの。しかもこちらは容疑者リストを見ていないので、『こういう事が出来たやつが犯人だ』と締めくくり、その後を読者の想像に丸投げしてしまうのだ。いやマジでどんな小説だよ。

 しかしそれを聞いたミルネシアが言うのは、

 ……構わん。不足があるなら、勝手にこちらで補完する。

 結構なことだと思う。だが、

 ――もう一つ、言っておかなくてはならないね。

 それは、

「ならば、覚悟しておいてくれよ? これが真実であったとしたら……」

 言う。

「君はもう、元の体には戻れない」



 ……。

 元には戻れぬ、か。

 半ば覚悟していたことだ。故に、そのローランの言葉は不思議なほどストンと我輩の中に組み込まれた。

 この現象の原因が何であるにしろ、元に戻るというのであれば使われた魔術の逆順を辿る必要がある。そしてどんな方法をとるにしろ、そのためには絶対に欠かす事の出来ない、大事な要素が一つある。

 元の我輩の体。あるいはその情報だ。

 そのものが残っていれば理想であるが、骨でも肉片でも何か一つが残っていれば、再生魔学的には問題ない。多少の不利はあるだろうが、理論的にはそこから元の体の情報を類推出来るからだ。

 だが、それらが残っていない、というのであれば、我輩の体をゼロから作り上げる必要があるため、難易度は格段に跳ね上がる。先日のアーカムの話でもあったが、それはもはや死者蘇生の領域に他ならないからだ。

 故に、我輩はレティシアの身柄を求めていた。我輩の体の情報が残っているとすれば、それは彼女の元以外には有り得ない。それにしたって望みの薄い線ではあるが、本当に無駄骨であるかは、問うてみなければ解らない。

 ……。

 だが何はともあれ、ローランの話を聞いてからでないと判断つかぬ話でもある。

 故に、我輩は彼の言葉に、首肯を以て応じた。



 ローランは、立っていた階段の段差に腰を下ろし、目を閉じて話し始めた。

「そう、あれは……雨が上がって間もない、蒸し暑い昼間の」

 ……そういうのはいい。

「そうかい?」

 少し帰りたくなったが、我慢だ。短気はいけない。表向きには。

「……経緯は想像する他無いがね。君の体には、二種類の魔術が使われた痕跡がある。……当初は解らなかったが、君の体が故人のものだと解って選択肢を絞っていった。そして今、可能性は一つだ」

 それは、

「不完全ながらも成された、『再生魔術の応用による蘇生魔術』。君の体を構成する二つの魔術の内の一つが、それだ。結果だけみればそれは失敗に終わったみたいだけど……生命魔術を頼らなかったのは正解だよね。きっと、失敗じゃ済まなかっただろうから」

 再生魔術が扱うのは、死体と魂という、あくまで物質でしかないものだ。対し生命魔術が扱うのは成立した『命』そのもの。それを作り出そうとする行為に付きまとうリスクは、リスクという言葉には収まりきらない。

 しかし、

 ……レティシアは、失敗したのか。

「蘇生、という意味ではね。当たり前さ。再生魔術の本懐は、かつて『あったかも知れない風景』を再現する回顧の魔術だ。『記録を蘇らせる術』、と言ってもいい。人間は、それを労働力や戦闘力として使うらしいけれど」

 故に、

「その、レティシア、という人に出来たのは……そうだね。精々、『ミルネシアという人間を元にした従属体の生成』。そのくらいだっただろう。無論、『魂』の宿るものではない」

 魂宿らぬ『それ』の生成くらいであれば可能であったかも知れない、というのは、アーカムからの情報にもあった事だ。

 ……だが、それは再生魔術によるものだろう。ならば、生体としては欠陥のあるものだったはずだ。

 魔術製の生体の特徴として、不完全な生命としての『虚』が体の各所に現れる、というものがある。それを回避するのはひとえに従属体としての『完成度』を高める他ない。だが『人』においてそれを成す事が至難である事は、先人が証明してきた歴史に基づいた事実でもある。

 ならば、やはりレティシアは未だ世界中の魔術師が到達しておらぬ『第四要素』へと手を伸ばしたのだということだろうか。

「うーん」

 ローランは何故か歯切れ悪く言う。

「それに関しては……まぁ、彼女自身の才能や、竜脈の助けもあったんだろう、きっと」

 ……だが、それだけでは不足する。才能や魔力リソースで覆る程、人間が重ねてきた魔術の歴史は浅くないだろう?

 彼は、やはり言いにくそうに口ごもりながら、

「その通りだね。ああ、その通りだ……うん、いや君さ、これ、本当に聞きたい?」

 ……もったいぶるな。覚悟は出来ている。

 それは、彼女が『技術』ではまかないきれない奇跡を成し遂げた理由となる部分の話だ。

 我輩はそれを黙って促す。やがてローランは観念したように、

「つまりそれは…………『材料』にもよるだろう、という事だ。そしてそれが、猫であった君がこの魔術に巻き込まれた最大の理由なんだと思う」

 魔術における従属体。その『材料』とは、大概は術者自身の魔力を指す。錬金魔術、付与魔術においてはそれを鉱石や木材で賄うこともあるが、今ここでローランの言う『材料』とは、そういうものではない。

 つまり、

 ……『生体』か。



 つまりは、、極めて新鮮な『生物の肉』だ。哺乳類の物であれば更に好ましいだろう。

 ……そうか。やはりレティシアは……。

「生体変換。『生贄』の禁忌。それを以て、レティシアはミルネシアの肉体を作り出す事に成功した」

 アーカムは言っていた。生体の精製は、難易度こそ高いが『魂の抽出』と違い成功例がある、と。

 それはつまり、生き物の体を材料とする事だ。経緯から言ってレティシア自身の肉体が使われた可能性もあったが、彼女はそれを我輩の体を用いて行った、という訳だ。

「無論、君の体だけでは足りないだろうからそれなりの数を用意したんだろうね。人間一人を形作るのに、全て小動物を使ったと仮定して……数十匹単位だろうか。なんとも手間のかかる話だ」

 レティシアが望んだものは家族。禁忌であれど、その面倒を惜しむ理由はないだろう。

 しかし、

 ……それで出来たのは、『ミルネシア』の体一つ。召された魂の遡上も骨に残る『記録』の抽出も、過去の魔術師達と同じく成功には至らなかった、という事か。

 蘇生の魔術は完成しなかった。それをクリアするためにレティシアが何を用意していたのかは解らないが、何にしろ彼女は失敗したのだ。

 だが、

 ……事態は、そこで終わらなかったんだな?

「その通り。つまり、先ほど言った、君の体に確認出来たもう一つの魔術の形跡だ」

 ローランは、口元に笑みを浮かべながら言う。

「レティシアの蘇生魔術は失敗した。それにしたってその『結果』であるミルネシアの生体再生は素晴らしい出来だったはずなんだが、彼女は作り上げた『体』をその場に放置して何処かへ行ってしまった、何故だかね。これもまた経緯は推し量る他術は無い」

 ……ああ、それは……。

 恐らく、

 ……きっと『要らなくなった』のだと言う事だ。

 レティシアの最終目的は何であるのか。ずっと気にしていた事だが、ここに来てそれが『妹の蘇生』であったという線が消えた。

 彼女が健在でありながら『ミルネシアの体を放置していった』という事実が浮かび、そうである事に矛盾が生じたからだ。

 ――だとするならば、レティシアの目的は……。

「……要らなくなった?」

 ……いや。こちらの話だ。進めてくれ。

「そうかい? ……まあ、そんな訳でレティシアはこの場を離れた訳だが……しかしその場には、まだ生きている者がいたんだ」

 彼はこちらを見据え、

「多分、レティシアは街で弱っていた『それ』を偶然見つけ、素材の足しにするために運んできたんだろう。だが、再生魔術の素材として消費される段階で、『それ』は幸か不幸か術式から弾かれ、生き残ってしまったんだ」

 単に材料の量が充分だったからなのか、それとも他に要因があったからなのか。それもまた、予想するしか出来ない事だ。

「加え、瀕死の重傷を負っていた『それ』には偶然にも魔術の素養があった。猫であるにも関わらず、ね。つまりは己が生き残る術を自ら行使する手段があったんだ」

『それ』は、生き残りたかった。何にすがってでも、たとえ今の体を捨てることになったとしても。

 我輩はその時の事を思い出せない。うっすらと覚えていることすら何も無い。ただ一つ確かに言えることは、

 ……我輩が同じ状況にあれば、同じようにする、だろうな。

 ローランは口端を上げた。

「『それ』は、レティシアとは別種の天才だったんだ、本人にそのつもりは無かったけどね。無意識に竜脈の力を借り、ある術式を行使した。足りないリソース、至らない知識は、己の体を『生贄』として補った。生きるという意志は何よりも強く、魔術の成立を後押しするからね」

 生き残るため、必死だったという事だろう。『それ』の願いは、いくつもの偶然と状況が重なり合い、そして形を成したのだ。

「放置されたミルネシアの体へと、その者は『転生』した。魂と魔核が馴染むまで少しの時を要しただろうが……死にかけていた間の記憶のいくつかを置き去りにしながらも、やがて覚醒に至った」

 つまり、

「『何かをされて』その体になったんじゃない。君は、他ならぬ『君自身の魔術』によって、今の体を得たという事だ」



 ローランの説は、結果から逆算した予測ではあるが、大勢を外すものではないだろう。今ある選択肢から不可能を廃し、可能を拾っていった結論として、無理のないものだと思える。

 それが、我輩の体が既に失われ、元に戻る事は出来ない、というあまり好ましくない結末を綴るものだとしても。

 ……この体は、魔術で作られたもの、というのは間違いないのか?

「それは間違いないと思うよ、『そういう構造』になっているからね。もっとも、そこまでの完成度のものは近代ではお目にかかっていないけれど……まあ、禁忌と竜脈の力を借りたとしても、レティシアという少女は本物の天才だったんだろう」

 ……生物としては、どうだ?

 我輩には不安があった。何せ材料が本物の『肉』であるとはいえ、魔術で編まれたものであることには変わりないのだ。ある時突然ガタが来ても、医者に治せるとは思えない。

「言ったろう? レティシアは、少なくともこの分野においては天才と言っていい逸材だ。僕が保証しよう。人間そのものだよ、その体は」

 ……そうか。

 少なくとも、この体で今後を生きるに不自由はしない、ということだ。

 ……感謝する。聞きたいことは聞けた。

 レティシアの行方の手がかりを得られなかったのは残念だが、収穫はあった。そして、確信出来た事もあった。

 彼女が『ミルネシアの体を放置して何処かへ行ってしまった』という事実。そしてそこから類推できるその『理由』だ。

「それで? 君はこれからどうするつもりだい?」

 ローランが、こちらの目を見て問うてくる。

 が、そんなものは決まっている。それは、我輩がこの森にやってきたそもそもの目的なのだ。

 ……レティシアを探す。

 元来そのつもりだった。ここにはその手がかりを求めに来たのだから。

「何故だい? 君、もう元には戻れないと解ったんだからその必要はもはやないだろう。それに彼女、家にも帰ってないんだろう? 魔獣の餌にでもなったんじゃないか?」

 ……それは無い。恐らくな。

 有り得る話だとは思う。だが、我輩には確信があった。レティシアが家に帰らないのは、帰れないのではない。まだ目的があり、それがまだ成されていないがために『帰らない』のだ。

 ……ヤツにも聞きたいことがあるからな。故に探す。

「……そうか。ならば何も言うまい」

 ローランは答え、だがすぐに居住まいを正して、

「……だったら、急いだほうがいいかもよ?」

 ……うん?

「森が騒がしい。動物達がおびえている。君ももう察しているだろう? 魔獣達が色めきたっているんだ」

 それは確かに、我輩にも覚えのあることだった。魔獣の数が異常に多い。そしてこの場に餌がなく、近場に新しい餌場となり得る魔力溜まりがある。ならば、

「飽和の時は近い。そしてそれ以上に……ああ、これは予感だ。竜という立場を用いて言うのであれば、予言だと言ってもいい」

 それは、

「何かが起こるぞ? これまで以上の事が、これまで以上の規模で。そしてそれは……人の介入を待たずして、だ。つまり」

 ……討伐隊の突入に先んじて、という事か。

 即ち、夜明け前だ。そしてそれは、

 ……間もなく、か。



 東の空が僅かに白み始めた黎明の時間。セントリーエル大森林、その北側にある丘陵地帯に集結したのは、魔術師、騎士団員総勢六百名から成る討伐部隊の面々だった。

 分隊規模に分けられた集まりが、およそ六十強。それぞれが今作戦のために配給された装備や糧食、及び持ち場・役割の確認と、司令部テントへの報告を行う流れが生まれていた。

 装備は、術式強化ボウガンが四百。その専用術式矢が三千五百。魔術火薬による物理弾頭のライフル、ショットガンが合計八十丁。騎士団の面々は剣、槍、棍などの近接武器をそれぞれ用意しており、これは魔獣相手を想定するならば先に現れた五百メートルクラス、準竜種級を相手取ったとして決して引けを取らないであろう規模の戦力を意味していた。

 半日も無かった時間で組織出来たにしては充分だと言える。街の護りをおろそかにせず、且つ、何より迅速な召集と即時の出撃が求められた今回の編成においては、今現在考え得る最大戦力が整えられたと言っていいものだった。

 夜明けは近い。これより装備の最終確認が行われた後、分隊を森林地帯へと順次投入。発見即時討伐の、人造魔獣掃討作戦が開始される――はずであった。



 その時、森に程近い位置、最初に森へ投入されるはずだった十二分隊の待機位置が、俄かに騒がしくなった。

「――!」

 敵襲、という意味の号令。そしてそれは、集められた討伐部隊の最後方に設けられた司令部テントからでも視認出来るものであった。

 全長三メートル強。銀の装甲。複数枚から成る翅を震わせ、鎌状になった前足を振り回し、後ろ側四本の足で立ち上がる。それは『鎌持ち』と呼称される、虫型魔獣の代表的な形態の一種だった。

 湧くようにして森林から出でて、そして、

「――……!」

 昂ぶる。

 人の身の二倍近い体長とそれに三乗する質量の襲撃に、部隊の前線が色めき立つ。即時の対応を迫られ、視線が『鎌持ち』に集中し、だがそのタイミングを見計らったかのように『次』が現れた。

 三十センチクラスの小型魔虫だった。それは数十という数で森から高速の飛翔音付きで飛び出してきており、『鎌持ち』へと意識を引き付けられていた幾名かの隊員がその突進をまともに受けた。

 彼らは倒れないまでも体をその場に縫いつけられ、結果、目の前の三メートルの体躯への対応を一歩遅らせる羽目になる。

「――……!」

『鎌持ち』の、金属の軋みにも似た鳴き音が部隊の隅々まで行き渡る。

 鎌が振られ、その道筋に立っていた部隊員二人が血煙と共に数メートルを舞った。

 緊張が走り、だが、

「――」

 それぞれの分隊長が指示を叫び、その周りの隊員が『鎌持ち』への注視を強くする。

 これは個人にとって脅威ではあるが、部隊にとって問題となるものではない。今ここに集った精鋭達は、この程度であれば単騎で相手取って不足しない実力の持ち主たちばかりなのだ。

 最前線の隊員の内幾人かが倒れた二人を後方へと運び、幾人かが術式ボウガンを構える。それを後衛として、騎士団の『技能』持ちがそれぞれの近接武器を構え、『鎌持ち』が誇る三メートルの巨躯へと突貫した。

 槍が二本、剣が一本、その体に突き立ち、緑色の体液を迸らせる。

 押せる。問題はない。

 と、その時だった。

「――――…………!」

 先とは比肩にすら値しない大音声が響き、その音色が部隊の面々へと浸透された。



 それは、群だった。

 後の報告によれば、三メートル級の『鎌持ち』がおよそ四十。及び、その二十倍の数の小型魔虫が、波の規模で森林から飛び出して来たのだ。

 何処に潜んでいたかは解らない。それは余りにも唐突に、降って沸いたが如く軍勢という言葉を体現した。

『鎌持ち』を隊長として、小型を雑兵として。彼らは魔獣であるが故に連携という強みを持たず、しかし数でそれを補う大軍隊だ。

 部隊の側から、何故という意味の怒号と行けという意味の鼓舞が響く。それらが数百の羽音と重なった大オーケストラは、混乱を体現して波のように人の垣根をこえていく。

 そしてそれらの後ろから、更なる存在感が追加された。



 木々の群れを、莫大圧で上空へと吹き飛ばす。

 土塊の怒涛と森の弾け音が、BGMとして鳴り響く。

 それらの現象を背景に、せり上がるが如く君臨したのは、

「――――…………!」

 五十メートルを越える、巨大な魔虫の姿だった。

 サイズ自体は、先日に学園までを踏破せしめた竜翼の大型魔虫程ではない。言うなれば中型。だが、同じ様な竜翼を持ち、似た様な存在感を発揮して森中に屹立した姿は、部隊に焦燥と禍乱を与えるに充分な威容を誇っていた。

 そして、立ち上る音の膨大は尚も終わらず、

「――――!」

 連鎖する。

 正面側、最初の一つを皮切りにして、

「……!」

 西側に一つ。

「……!」

 東側に一つ。

「……!」

 そして西側、先ほどよりも少し離れた場所にまた一つ。

 四だ。

 そうして、中型四体。『鎌持ち』四十体。小型八百体の即席侵略群が、討伐部隊の眼前に成立した。



 その大音量は、森の遥か奥、祭壇広場の冷たい空気をも振動させた。

 連鎖し、叫び、勝鬨を上げんとして尚も全てが繋がっていく。

 森が打撃され、空間を騒がせ、空が圧倒される。

 木々から飛び上がる野鳥の群れと、下草を揺らす小動物の音がそれらに追加された。

 止まらない。

 ……すさまじい量だな。あれら全てが、騒ぎも起こさず森に潜んでいたというのか?

 我輩の疑問には、しかしすぐさまに答えが用意された。

「小型はそうだろうね。『鎌持ち』と中型はちょっと現実的じゃないから……恐らく『型』だけ成立させて、魔力を注がず置いておいたんだろう。『誰かさん』の存在が前提になるけど」

 ……熟成か。

「うーん、なんかもうそれでいいや」

 何か諦められた感が。ともあれ、

 ……人間でどうにか出来ると思うか? あれらが。

「人間にも、優秀な魔術師はいるんだろう? そうでなくとも魔獣は食欲しかないからね。究極、避難に専念すれば人的被害はそう出ないと思う」

 ……だが、被害が出なければいい、という問題でもないだろう。

 言って、我輩はローランに背を向けた。

 レティシアを探しに行く予定だったが、あそこまでの騒ぎを見過ごすわけにはいかない。それに、今我輩が森に居ることが後に知れれば、要らぬ疑いを被ることにもなるだろう。

「行くのかい?」

 ……ああ。

「何故?」

 ……。

「君は……ミルネシア・ハートは、一般市民だろう。ならばこのまま避難すべきだ。関わるべきじゃない」

 ローランの言う事はもっともだ。我輩は、多少魔術の心得こそあれ一般市民。騎士団と魔術師の混成部隊がそうそう遅れをとるとは思えないし、出撃不可を受けているとはいえ、いよいよとなればアーカムも動くだろう。

 街はいずれにしろ護られる。だが、

 ……納得がいかん。

 それは、

 ……人も魔獣も、生命としての構造こそ違うが、単に異なる形をした一介の生命に過ぎない。

 魔獣を生命と定義するかどうかは魔学者の間でも意見が分かれるが、そもそも生命の起源とは他ならぬ『竜』。

 それと比べれば、魔核の有無や構造の違いなど誤差でしかない。

 ……故に、両者の間に争いが生まれるのは至極当然。いずれどちらかが滅ぶのもいわば道理。……しかし。

 しかし、

 ……これは違う。

 魔獣の大量発生と、その急激な進化とこの一斉蜂起。

 これには、両者の種としての構造を無視した『思惑』が介在している。

 それがレティシアの仕業によるものなのかは解らないが、その『思惑』が今、牙の形でセントリーエルの街を襲わんとしているのだ。

 魔獣も、元はそこらに居る生物だ。人も、ただその生活を営んでいたに過ぎない。

 それらが、ただ一人の考えと野望の元に損なわれようとしている。それは、

 ……理不尽と言うものだろう。

「……君の、一番嫌いな言葉だね」

 然り。そして、

 ……それだけではない。魔獣達、そしてそれを『操る者』の目的は、単に破壊ではないと思うのだ。

 それは、

 ……恐らく……竜脈遺跡。

 古代の忘れ形見。二度と戻らぬ忘却の城。無限の魔力。かつての記憶。

 竜脈遺跡。竜脈と重なり合う形で地下に封印処理されたそれこそがこの『黒幕』の目的なのではないかと、我輩はそう考えた。

「……何だって?」

 ローランが、意外を表情に形作る。

 一連の騒動の意図が単に膨大な魔力だったならば、それは既に達せられているはずだ。結界が消されたのはローランも気付かぬ内の事。その間、祭壇を経由して『経路』から抽出される魔力は、本体からの物ほどでないにしろ使い放題であったはずなのだから。

 ならば、目的は単なる魔力リソースの確保ではない。

 その真は恐らく、『竜脈』それ自体だ。かつての栄華を象徴し、だが今は完全封印状態にある遺跡そのもの。

 ローランは納得いかぬ、とでも言うように、

「……何故、人があの遺跡を狙う? 他の竜脈都市なら解る。そこに眠るものは、万を超える遥かな昔の記録そのものだからね。人によっては万金に値する価値を持つだろう。だけど、ここの遺跡に眠るものは……」

 ……それこそ、想像するしかないだろう?

 見る者によって、ものが持つ価値は変遷する。そういうことだろうかとも思う。

 そして、

 ……そうであるならば、これこそが我輩の『役割』だと、そう言う事だ。

 言いながら、右腕の『腕輪』を掲げて見せた。

 それを見たローランは、ふ、と息を零し、

「いいのかい? 君が僕の元を離れた理由は……」

 ……別に、役目が嫌だった訳ではない。我輩が我輩でなくなる事だけは御免こうむる、と言うだけだ。……今となっては、その心配もなくなった、がな。

 我輩は我輩である。それを譲る事が出来なかったが故、我輩は逃げ出した。

「そこんところ、僕は見誤ってた、って訳だよね。失敗したなぁ」

 ……何、結局無駄にはならなかった。

 しかし、と思うのは、

 ……我輩は、『竜魂の柱』の代わり……だったのだろう? もしも我輩が戻らなかったら……そうでなくとも我輩が育つ前に何か問題が起きたなら、その時はどうするつもりだったんだ? まさかとは思うが……貴様が?

「僕は無理だよ。表向き、十二竜は討たれた事になってるからね。その時は……そうだね、おとなしく滅びを待つ事になったのかも知れない」

 ……おい。

「冗談だよ。ま、そうなる前に、他の竜のところの誰かが対処しただろうよ」

 だが、その場合はその『対処』にタイムラグが生じる事になる。つまり、少なくともセントリーエルは無事では済まなかっただろう、と言う事だ。

 否、

 ……我輩が『これ』に抗じきれずとも、結果は同じ、か。

 大量の魔虫。そしてその『思惑』を操る黒幕。

 いかに我輩に腕輪とローラン直伝の再生魔術があるのだとしても、個人で出来る対処には限界がある。

 こちらは、体自体はか弱い少女のものに他ならないのだ。極端な話、小型の魔虫の一撃ですら不意に受ければ致命傷。

 だがそれでも、

 ……既に選択は成された。

 故にこそ、我輩はここにいる。ならば、

 ……行こうか。祓えぬ理不尽など存在しないのだと……証明するために。



 我輩は猫である。

 かつての話だ。黒い毛並み。金色の瞳。何処にでもいる、少々小柄な、普遍的な猫であった。名前も無かった。

 その時から、不思議に思っていた。人間の世界には、何と理不尽の多いことかと。

 しがらみ。家柄。運命。そしてそれらによる妥協。優秀な人間が埋もれていくのをごまんと見てきた。正しい行いが、そうでない行いに潰されていくのを捨てるほど眺めてきた。

 そうして得られた結論はいつも同じ。我輩に、それらを祓う力など無いのだという事だ。

 何せ猫だ。ある方がおかしい。

 いくらそれを納得できずとも。いくらそれを、不思議に思っても。

 抗いきれない荒波にただ飲まれていく人間を、我輩はただ見ていた。そうする事以外、選択肢が無かったからだ。

 だが、そうする中で得たものも、確かにあった。

 炎だ。

 燻りであり、揺らめきであり、形のない陽炎でもあった。それは不納得の中で人の営みを見ているしか出来なかった我輩の中に、確かな形を持って降り積もっていった。

 その炎が解き放たれることは、決して無いはずだった。

 猫であるままでは、決して。



 ……ところで。

「うん? どうした? いいのかい、急がなくて」

 我輩は、祭壇から離れるように一歩を踏み出そうとした所で、不意に思い出した風を装って足を止めた。

 ……今回の一件、竜脈魔術を誰も使えなかったのなら、何も問題は無かったんじゃないかと思うんだが。

「あー……」

 竜脈が正しく管理されていたのなら一連の事件は起こらなかった。その莫大なリソースが無ければ『蘇生』を試みる術式は元より、原生生物を魔獣へと変じる企みもそれによる襲撃も、全ては手段なき妄想として終わりを迎えていたはずなのだ。

 全ての始まり、そして原因であると思しき結界消滅は、恐らくレティシアが行ったものなのだろう。手段は未だ解らぬが、そうでなくては理屈が通らないのだからそこに異論を差し挟む余地はない。

 その管理を行っていた結界魔術師にも責はあろう。彼らを派遣した『協会』にも咎はあろう。だが、

 ……結界の管理は、あくまで人間が勝手に行っているもの。そうであるからと言って、貴様が役目をサボっていい道理にはならないはずだな?

 竜脈の護りと管理は、『十二竜』が人間のあずかり知らぬところで自らに課した、いわば責務だ。

 人の元を離れた竜達が、何故そうまでしてその関わりを絶ち続けているのかを我輩は知らないが――竜脈とは基本的に、人の魔術で管理が利くものではないのだ。

 故にこそ、その役目は重要だ。そもそも『血族』とは、彼らが止むを得ず『表』に姿を現す必要が生じた際のいわば代理人。守護が正しく全うされていたのなら、我輩の出番も本来は無いはずだったのだから。

 だが、今回その『出番』が回ってきてしまった。これはひとえに、セントリーエルが擁する竜脈を護る『怨絶竜』、ローランフリートの怠惰に端を発する。ならば、

 ……貴様、この一件に……どう責任を取る?



 我輩の言葉に、ローランはすぐには二の句を継がなかった。

 ただ黙り、しかしすぐに目に光を戻し、

「……いやいや。そうは言うけれど。この時のための『血族』で、その時のための『君』だろう? 責任を果たせと言うのなら、僕は二年をかけて君を育てた。それで充分じゃないのかい?」

 なるほど、正論だ。一見。だが、

 ……うるさい。いいから認めろ。

「せ、正論が通じないねこの子は……!」

 猫だしな。それに、

 ……例え手口が巧みだったとしても、その防ぎようが無かったのだとしても。竜脈が侵され、結界が消され……その事実に一時でも気付かなかったのは、貴様の落ち度だと思うがな?

 すぐに気が付けていたのなら、また対処のしようもあっただろう。それこそローラン自身が誰に知られる事なく『術者』を祭壇で捕らえてしまう事だって出来たかも知れない。

「……それには、まあ、ぐうの音も無いね……」

 ローランは気まずそうに、こちらから目を逸らしてみせる。

 ……ならば、だ。

 我輩はローランを舐めるように上目で睨み、

 ……少しくらい、手伝いがあってもいいだろう? 罪滅ぼしに、な。



「……いや」

 その提案にローランはしかし、否定を返した。

 僅かながらにでも間が開いたのは、己の責任を自覚しているからだろう。だが我輩の論はそれでも、その重い腰を動かすに足るものではなかったのだ。

「……確かに僕らが姿を見せ、解決を図るのは簡単だ。それこそ赤子の手を捻るように上手くいくだろう。ひょいとね。いや、もう、こう、すっ、とだね。いやむしろ音すらしない。『……っ』てな感じだ。『……っ』、『……っ』」

 ちょっと後半が理解出来んが、まあ問題はない、と言う事だろう。多分。

 だが、ローランは音の選定に満足がいったのか、やがて口元に険を作り、

「だけど……駄目だな、やはり。僕が関わる事は出来ない」

 それは、

 ……何故だ? 何故そうも頑なに、人間との接触を拒む?

 竜達は、かつて人間に裏切りにも近い手打ちを受けたと聞く。故に、それを恨みに思う気持ちは当然だ。

 だが彼らは事実として、『人を護るため』未だ竜脈の管理を行っている。それも人知れず、歴史の中から姿を消してまで。

 それは矛盾だ。表に出て来ず、しかし護りの力としては責任を果たそうとする。それが何故なのか、我輩の修行時代にも幾度か訊いてみたが、ついぞ答えは得られなかった。

 今も、

「……そうである事しか出来ないから、だよ」

 そう言って、確かな明言を避けるのみだ。

 ……貴様がそのつもりなら、まあそれでも構いはしないがな。

「ただ」

 しかしローランは、そう言って言葉を区切った。迷いを得るような数瞬を逡巡に当て、仕方が無い、とでも言うように首を掻きながら、

「まあ……君の言うことももっともだ。僕がしっかりしていれば、今回の一件は起こらなかった。弁解の余地はない」

 故に、

「あくまで間接的に。君一人ではどうしようも出来ないと判断出来るような、そんな異常事態でのみ、だ。それで良いというのなら……少しだけ、力を貸そう」

 ……充分だ。むしろそうでなければな。

 竜の力。世界を形作った原初の生命。そうそう振るわれていい力でない事くらいは我輩にも解っている。

 だが、これで約束は取り付けた。準備は出来た。

 後はもう、流れに任せる他ないのだ。

 我輩は今度こそ、森の入り口、今現在巻き起こっている騒ぎの中心点へと視線を向けた。


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