カップチーノ × 猫系男子
○○系男子とカフェのシリーズ。第1作目。
「男の子とお茶をする」シーンを入れ込んだ、(私にしては)糖分多めのお話です。
(また、はがれてる……)
私の彫刻作品にかけてあった埃よけのシーツがまた、はがされている。犯人はもちろんすぐ下の床で、それを抱きしめながら寝ている男子生徒だ。
私はしゃがみこみ、その子のほっぺをつつく。ううん、とうなりながら、その子はくるりと寝返りを打った。
身長は多分クラスで1番小さいくらい。ぎゅっと丸まって寝てるからもっとずっと、幼く見える。赤みの差すほっぺた、あどけない寝顔。
彼は有名な問題児だった。
私は「工芸」の授業だけを担当する非常勤講師で、担任も持っていないし、「職員会議」の参加もない、気軽な立場だ。なので詳しくは知らないけど。授業に参加する女子たちのうわさで、三浦兄弟がいかに有名人か、っていうことは知っている。彼女たちによれば、彼らは「わんにゃん兄弟」というのだ。
兄。わんこ、2年D組三浦 樹は陸上部のエース。スポーツテストの20メートルシャトルランで130往復を越え、「いい加減終われ」と教師に言われるまで走り続けたっていう逸話を持つスポーツマンだ。以前は彼女がいたようだけど今はフリー。だけど最近告白すると「好きな人がいるから」と断られるらしい。
そして弟。にゃんこ。1年A組三浦蛍。めったに学校には来ないわ、来ていても寝ているわ、授業サボるわの問題児だ。部活はもちろん帰宅部。神出鬼没で警戒心が強く、特定の友達以外は男女問わず警戒をしていて、距離を詰められない。だけど甘いものが好きらしく、お菓子があると恐る恐る近づいてくるとか。
昨日は音楽室。ピアノカバーをはいでピアノの下で寝ていて、先生が思いっきり曲を弾いたら、ピアノの板に頭をぶつけて飛び上がって、逃げるように出て行ったという。
おとといは、体育用具入れのマットの上。これはバスケ部の先生に見つかって、蹴っ飛ばされて出て行ったらしい。
その前は、図書室。本棚と本棚の間の死角で、どこから探してきたのか古新聞に包まれて、ダンボールの上でホームレスよろしく寝ていたという。
もちろん、本場保健室のベッドにも出没するし、屋上でも寝転がっているらしい。
(どうしてくれよう……)
扇のようにバサッとついたまつげは一向に動かず、目が覚める気配がない。
そこで寝ていられると、私も作業できないじゃないか。
学生時代は決してまじめな生徒ではなかった私が、「工芸の先生」なんぞをやっているのは、この学校の理事でもあり私の恩師でもある前任の先生が、「空いている時間は美術準備室をアトリエ代わりに使っていい」って言ってくれたからだ。
私、森 紗依。26歳。本業、彫刻家のたまご。これでも大学時代の友人たちと組んで定期的に個展を開いたりもしている。もちろんそれだけでは食っていけるわけじゃない。それでも私はこれが本業のつもりだし、たとえ生徒といえども邪魔されたくない、という気持ちはある。
(お化粧でもしちゃおっかなー)
ほっぺをつつくだけでも、ゆで卵のようなつるんとしていて、かつ決め細やかな肌がうらやましくなる。それにちょっと痛い目にあえば、もうここに来ないかもしれない。
なんて。邪心が通じたのか、蛍くんはぱっと目を見開いた。
「おはよ?」
「!」
がばっと起き上がると、シーツを引きずりながら私の木工彫刻の後ろに隠れる。
新品の白いシーツを埃だらけの床に擦り付けるようにして転がる。
(いくら君が彫刻の後ろに隠れても、あんよとシーツがはみ出ているよ。)
その警戒のしようは、ちょっとでも近づこうならシャーっと毛を逆立てて引っかいてきそうだ。
「……誰にも言わないし、叱らないから出ておいで」
本当に猫に声をかけてるような気になってきた。ねえ、少年。いいんだよ、私は。君がどこで寝ようが。出席日数が足りなくなろうが。追試を受けようが。
(ただ頼むから。私の作りかけの作品の近くからどいて)
しかし、彼は微動だにしなかった。おいまさか、また寝てないでしょうね。
そう心配になって、私は思わず言ったのだ。
「おいしいクッキーと甘いカプチーノがあるよ」
もそ、とシーツが動く。さっきまで見えていた足が引っ込んで、彫刻の隙間から、頭だけが見えた。
被ったシーツの隙間から見えるまんまるの目。
ガラス球でも入れてるんじゃないかってくらい、水と光を蓄えた目。
何も言わないけど「本当に怒らないの?」って聞いてるみたい。
「いいからおいで」
私が立ち上がって、彼に背を向けて歩き出すと、ようやく蛍くんは彫刻の後ろから出て来て、私の後ろに付いてきた。
***
最寄り駅のコーヒーショップで買ったミルクウォーマーは、カプチーノを作るために買った。
カプチーノ。それはイタリア発祥の、朝に飲まれるコーヒーだ。
泡立てたミルクの上の方ふわふわの軽い泡の部分を押さえて、下の方「とろん」とした細やかで重いミルクをカップへ流し込む。ちょうどコーヒーの部分がカップの外縁に追いやられて、真ん中にミルクの塊が残る、というように。
爪楊枝で真ん中に残ったミルクを引っかくようにちょっと崩せば、1番簡単なハートマークの「デザイン・カプチーノ」の完成だ。
(ハートは、あかん。ハートは)
一瞬作りかけたマークを何気ない顔をして、ぐるぐるとかき混ぜてなくしさる。
外を見ている蛍くんにはばれていないだろうけど、あんまり立派にかき混ぜたので、カプチーノはただの「ミルクコーヒー」になった。
(だめだ、カプチーノはミルクの形が命)
あわててミルクウォーマーに残ったふわふわに泡立ったミルクをこんもりカップに足す。これはこれでカプチーノ。
絵が描けるくらい、ミルクがトロトロのカプチーノは、「キアーロ・カプチーノ」といい、ソフトクリームかってくらいにこんもりミルクの積んであるカプチーノを「ドライ・カプチーノ」という。
しかし、あんまりにも泡が不恰好だったので、私はチョコペンを出して泡の上に絵を描いた。
黒猫。君はやっぱりこれでしょ。
とっておいたクッキーと一緒にカプチーノを出すと。彼はまずその絵をじっと見て、
(あ)
迷わずスプーンで、ぐるぐるかき混ぜで消した。
「おれ、こういうキャラとか嫌い」
そうですか。いただきますも言わずに、第一声がそれか。しかし、ひとくち飲んで苦かったのか、ちょっと袖の余っているぶかぶかの制服の袖で口元を押さえる。
そして私をじっと見た。何だ。ずい、っとカプチーノをこちらにやる。
(なに、いらんってこと?)
カプチーノは君には大人すぎましたか。
じっと彼を見ると、恥ずかしかったのか。彼の顔はだんだん赤くなって。
しまいに、彼ははふっと、私から目をそらして、小さな声で一言。
「もうちょっとだけ、チョコかけて」
どうしよう。やだ、かわいい。
***
猫に懐かれた。
あれから3日と空けずに来られると、そうなんだろうな、とわかる。
たとえば、何を彫ろうかデッサンをしていたら、ふいに背中に温かみを感じて。振り返ると、わざわざ教室の椅子を持ってきて、背中越しに漫画を読んでいたり。
私が来る前に私の椅子に座って寝ていたり。
机の上に「お礼」というメモと一緒に飴玉が2つ置いてあったり。
蛍くんは一定の距離は取っているんだけれども、それでも確実に私のそばに静かにいるようになった。
それは、結構心地いい空間でもあったし、正直悪い気はしなかった。
そうして、1ヶ月ほど経ったある日のこと。
―― バンッ
「いやだ!」
珍しく美術準備室の扉が軋むほどの音を立てて、蛍くんが後ろをついてくる誰かに怒鳴った。
ぴゅっと、入って来て。蛍くんは教務机に座った私の後ろに隠れる。
「いいじゃん!」
間を置かずに入って来たのは、蛍くんと同じくらいの背丈の少年だった。
学ランの下にオレンジのパーカー。腕と指にはシルバーアクセサリー。髪の一部は赤くって、耳には貝殻のピアス。こりゃあ生徒指導の先生がはりきりそうな子だな、とぼんやり思う。
彼は私に向かって、いや私の後ろの蛍くんに向かって叫んだ。
「百歩ゆずって着ぐるみでも許す!」
なに、君たち面白そうな話をしているんだ。
「鈴太郎っお前馬鹿じゃねぇの!? 俺は絶対にいやだ!」
私はしばらく様子を見守ることにした。
(鈴太郎くん。君は「工芸」の選択してないね)
残念ながら、顔に覚えがない。学ランの校章が緑色だから、蛍くんと同じ1年生か。
教室に入って、初めて私に気付いたっていう顔で鈴太郎くんは近づいてきた。
近い。あれ、近いよ。
右手は教務机に。左手は、椅子の背もたれに。
「せーんせ、どいて?」
背が低いせいか、結構顔が近い。
「さわんな!」
私の椅子の後ろから、蛍くんが立ち上がった。そして背もたれを強引に後ろにやって、私をかばおうとしてくれたんだけど、君、君。そのほうが危ないから。椅子、倒れると思ったから。
しかし鈴太郎君は作戦通り、蛍くんが出てきてにやりと笑って、ピッと指を1本立てた。
「大賞賞金、図書カード5千円。」
「う」
「オレとお前が組めば優勝間違いなし。そしたらオレの分もやるよ」
どや、と大阪のおばちゃんのように迫る鈴太郎くん。
うん、この子はなかなかのやり手だね。どうするの、蛍くん。
つん、と顔を背けたままだけど、そわそわと体が揺れている。
猫で言えば、そっぽを向いているけど、耳はぴん、と立っている状態っていうところか。
だめおし、とばかりに鈴太郎君がこちらに手を伸ばしてきた。
「協力してくんなきゃ、先生にいたずらする」
「やめろって」
鈴太郎くんの手を、払いのけ「わかったよ」と蛍くんはうなづいた。
(いやあ、なんつーか)
子猫にかばわれたような気分だ。お姉さんは、ぜんぜん平気なんだけどね。
蛍くんは、連行される容疑者よろしく悲痛そうな面持ちだった。対して鈴太郎くんは、蛍くんの首にがっしり手を回し、最後教室を出る時に、「すまんね」とばからいに片手で私を拝んでくるような余裕がある。
私は「気にしないで」と、手を振っておいた。
「男の着ぐるみやらスカートやら見て、いったい誰が喜ぶんだ」
「女子」
それは、私も楽しみだ。
***
蛍くんもいなくなり、今日はようやくひとりになれた。
今日は授業もない。私は今日は制作をしに来たんだ。
コーヒーカップを片手にシーツを引っぺがす。クスノキで作った2メートルほどの彫刻だ。
それは「柱」だった。
小さな脚立の上に座って、脚を組み、カプチーノをすする。
日の光を含んでいるような、明るい色の木の肌。
クスノキは、日本では数百年の樹齢をもつ巨木も多くあり、ご神木として祭られていることもある。
人との付き合いも長い樹だ。木肌が美しいため衣類を入れる家具として、あるいはその柔らかさから造船の原料にも、壁にも床にも使われてきた。
両手でカップを持ったまま、私は木と向き合う。
ノミと金づちを使って、荒く削っている状態だ。柱は竹の節のように数段の階層に分かれていて、それぞれに階層で描くモチーフが違う。
集中して製作したら、しばらく冷静になって向き合って、対話する。
先へ進むのに、どこかタイミングがある。
今、ここを掘り進める、という声が胸のうちで響くから、そうしたらそこに刃を当てていく。
ここに立つ私と、受け止める樹と、そしてどこかに漂う作品の魂を捕まえて、ミノにそれを預けて、掘り出していく。
時々、ぴったりと何かが重なる時がある、「何かを創る」のではなく「無駄なものをきれいにそぎ落とした」と思ったら、そこに作品ができていたというように。
「……はあ」
どれほど時間が経ったのか、カップがすっかり冷たくなっていた。
そして気が付けば脚立の足元に、よく見る子猫がこてんと寝ている。
***
起こさないように気を付けながら、脚立から降りてカップを作業台に置く。
こちらに背を向けて寝ている蛍くん。いわゆる天使の輪ができるほどの光沢がある髪に目を奪われる。本当に黒猫の毛並みみたいだ。思わずさらさらの黒髪に手を入れて撫でてしまう。
「どうして、君は。いつもそんなに眠いの?」
「……よる、バイトしてるから」
答えた。起きてたのか。起きていても、彼は私の手を拒まず、こちらに背を向けたままだ。
予想外だった。バイト。
寝る前に夜更かしをしているわけでも、眠りが浅いわけでもなく、本当に夜型の生活スタイルで生きている子なんだ。
「なんでバイトしてるの」
「旅に出たいから」
「なんで?」
「理由要る?」
むっくり起き上がって、彼はこっちを見た。
床に座ったまま、向き合うといつもよりも背が高く、距離が近く見えるから不思議だ。
向き合ったまま、それでも手の感触が気持ちよかったから、私は彼の頭を撫で続けた。
彼はまぶしいような、わずらわしいような、少し顔をずらしてむくれたけれど、それでも拒むことはなかった。
「確かに君は、いつかどこかに行っちゃいそうだよ」
好きなところに行って、好きなことをしそうに見える。
どこにいたって大丈夫そうに見えるし、誰にだって好かれるだろう。
彼は不思議な少年だった。
今風の高校生に見えない。独りでも、リラックスして、泰然とそこに立つ姿はどこか威厳すらあったし、すべてを見通しているようにも見えた。
本当に、猫みたいに自由だ。
「どっか行っちゃいそうなのは、先生でしょ」
撫でていた右手をつかまれた。
蛍くんは、さっきまで私が見ていたクスノキをじ、っと見る。
そして、私に向き合う。あのガラス球みたいな目が、まっすぐこっちを見る。
きれいな目だなと、見とれていたら、体が傾いた。
(あれ?)
つかんでいた私の右手が、ゆっくりと引っ張られる。
困惑したまま、それに従っていると、今度は私を引っ張っているのとは逆の手を伸ばして、私の頭に触れた。
小さな手。細い指が、地肌に触れる。耳を通って、私の頭を撫で上げる。
何度も、何度も。
緊張感なく、あまりに自然に触れられたから、なかなか思考が働かない。しばらくしてようやく、「あれ、これ誰かに見られたらやばくないか」と思い当たった時、撫でていた手が、後頭部に回った。
(うわっ)
さらに引っ張られて、バランスを崩す。
真っ白な開襟シャツ。細い首筋。鼻筋に触れるくすぐったい髪の毛。
ぎゅっと、抱きつかれた格好だ。
耳元で、ささやかれた。
「だから、俺が見張っててあげてるんだよ」
他に懐かない猫が、私だけに懐いた。
破壊力は抜群だ。
カップチーノ × 猫系男子 了
次回は、「タピオカロイヤルミルクティ × ぶりっ子系男子」。
鈴太郎くんのお話です。