新たな旅へ。
気がつけばドタバタ結婚式を挙げてから、やはりドタバタとしたまま三ヶ月の月日が経っていた。
あの日からハチ子さん=綾女は、俺の部屋で暮らしている。
綾女は如月家の一人娘で跡取りもいなかったため、残された資産は綾女の口座の中に移されていた。
それはもう莫大な金額だった……らしい。
らしい……というのも、綾女はそのほとんどを未だ目覚めぬドリフターのために使ってほしいと、「セブン・ドリームス・プロジェクト」に寄付をしてしまったのだ。
もちろん綾女からは事前に相談されていたし、俺もその考えには賛成だ。
俺にだって、ちょっとは蓄えがあるしな。
それに月並みな台詞だが、綾女がいれば何でもいいのである。
「秋景殿〜」
俺がハート型のソファに座って珈琲を飲んでいると、キッチンに立つ綾女が少し困ったような声を出してきた。
ちなみに綾女の部屋着は、ストライプ柄のロングシャツに黒いレギンスである。
端的に言って、くぁわぁいぃ……俺の嫁は、超・絶・可愛いのだ。
「秋景殿〜」
返事を忘れていたようで、また名前を呼ばれた。
いやね、見惚れますって、ほんと。
この気持ち、世の男性には理解してもらえるはずだ。
「秋景殿!」
「うわっ、はい。なんですか、綾女さん」
俺たちは晴れて夫婦になれたわけなのだが、いまだに“〜殿”と“〜さん”が抜けていない。
お互い「アーク殿」と「ハチ子さん」が、言い慣れてすぎてしまったせいだろう。
「ラフレシア殿と鈴屋、今日帰って来るんですよね?」
ラフレシアも“〜殿”呼びだ。
なんでもラフレシアのたくましすぎる生き方に感銘を受けて、今では尊敬しているらしい。
彩羽のことはレーナの時から「鈴屋」と呼んでいたので、そのままのようだ。
「あぁ、そうそう」
「何時ごろなのですか?」
「何時だろ。そのうち、来るんじゃない?」
俺が首を傾げて答えると、綾女が俺の隣にトスンと音を立てて座る。
そしてそのまま、俺の腕にもたれかかってきた。
「相変わらずアーク殿は、てきとーですなー」
「それは言わない約束でしょ、ハチ子さん」
などという「アークとハチ子ごっこ」も二人きりの時間では、お決まりの流れである。
屋根の上がハート型ソファの上になっただけで、それほど変わっていない。
ちなみにこのソファは二代目で、初代はラフレシアが持っていってしまった。
現在ラフレシアは、彩羽と一緒に住んでいる。
「というかですね。ハチ子とアーク殿はぁ、まだ新婚旅行のようなもの、してないじゃないですかぁ?」
「そだね。色々とバタバタしすぎてたからな」
そう、俺たちは本当に忙しかった。
綾女には現実世界に復帰するためのプログラムがあり、記憶にない過去を知る時間も必要だった。
俺は俺でその次のステップ……仕事をするための準備をしていた。
それでも二人の暮らしは楽しく、それは失われた時間を取り戻すような……あるいはこれまでと変わらない幸せなものだった。
レーナでハチ子と過ごした時間、共に超えた幾つもの死線、斑鳩での二人旅。
まさにその延長線上に、俺たちの今があるのだ。
「だのに、あの二人の方が先に新婚旅行してるじゃないですかぁ」
「婚前旅行だけどな、いちおう」
何も知らずにこの会話を聞いた人は、誰と誰の婚前旅行だと混乱することだろう。
もちろん話の流れ通り、彩羽とラフレシアだ。
まぁ、混乱するよな。
俺もそうだったし。
何がどうしてそうなったのか、いまだに理解が追いついていない。
ただ、かなり前から彩羽はラフレシアに懐いていたし、逃げ回るラフレシアも本気では嫌がっていなかったように思える。
二人の間にどこで恋愛感情が生まれたのか、いつか聞いてみたいものである。
「色々と落ち着いてきたし、俺たちもそろそろ考えるかー」
「そうですね。忘れてしまった現実世界を……知らない現実世界を二人で見る旅……ですね」
俺たちにとって、それは冒険そのものだ。
まずはこの世界を、もっと知らねばならない。
「それで……落ち着いてきたということは、そろそろ話してくれるのですか?」
優しく微笑みながら見上げてくる綾女に、俺は思わず苦笑してしまう。
「ハチ子さんは、どこまでお見通しで?」
「ハチ子はー、アーク殿のことならー、なんでも知ってますよー」
「隠し事とかできないな」
「そーですよー」
綾女が甘えるようにして、俺の肩に頬をすり寄せてきた。
俺は小さく息を吐き、考えを口にする。
「俺、七夢さんところで、サルベージャーとしての仕事をしようと思う」
「はい」
「といっても、長期のダイブはしない。感覚共有エンジンも使用しない。安全で、リハビリの必要がないショートダイブだけだ」
「はい」
「俺にドリフターを引き寄せる力……というか、何らかの要素があるのなら、それで誰かを助けられるかもしれないし、それは使うべきだと思うんだ」
「……はい」
ドリフターを引き寄せる、そんな理屈で説明できないことを信じてはいない。
でも俺や綾女のような人を……誰かを助けたいという気持ちは本物だ。
ならば仮想世界で俺という餌をたらして、ドリフター釣りをすればいい。
俺にだって、それくらいの利用価値はあるはずだ。
「それでね、ハチ子さん」
「はい」
「ハチ子さんは、ここで待ってて……」
綾女が目を見開いて、真っ直ぐに見つめてくる。
あぁ、そうだよな。
知ってる……知ってたさ。
「……ってのは冗談で……一緒に来てくれる?」
「はい!」
満面の笑顔だった。
「アーク殿の背を守るのは、私の役目です。阿吽こそが、私とアーク殿の武器ですからね」
「そうだった。成り行き任せのな」
カカカと笑う。
このやりとりは、リザードマン・ニクス戦の時だっけか。
あの時ハチ子が受けた背中の傷は、今も綾女の背中に残っている。
結局それがきっかけとなり、現実世界の綾女=ハチ子だと紐付けできたわけだ。
全ての出来事が……全ての選択が、全て今に繋がっている。
それがきっと、運命の糸なのだろう。
「そういえば、凛殿と白露殿は、結局のところドリフターだったのですか?」
「あぁ、あの二人は……」
あの二人は何者だったのかという問いに対し、簡潔に答えるなら『地球人の生き残り』となるのだろう。
現在の地球は第二氷河期中だ。
かつて人類は、地上での生活が不可能と判断し、宇宙船へと移住することになった。
しかしその中で、地球に残ることを選んだ人達がいた。
地球に残るというのは、地球で死ぬという意味だ。
氷河期が本格化すると吹雪の影響で、地球との連絡は途絶えてしまった。
そして地上から、生物は確認されなくなった。
では、彼らは何者なのか。
彼らは、生活圏を地中の奥深くへと移すことに成功し、生き残った人類の末裔だ。
生き残った彼らは何世代もかけて、地上に向け通信機のついた掘削機を何度も送り込んだ。
宇宙へ移民した人類と、連絡を取るためである。
しかし、地表に張った厚く硬い氷と、強烈な吹雪による電波障害に阻まれ、孤立状態が続いていた。
そんな中、奇跡的にほんの数秒だけ通信サーバーと繋がった。
藁をも掴む思いで繋がったサーバーに潜り込んだのが、ダイバーの凛と白露だった。
二人は同じ地底でも、違う集落に住んでいたため、互いに面識がない。
凛が白露に対して言った『陽の光を知らぬ同胞』とは、『地底で生き延びた人間同士』という意味だったのだろう。
そうして二人は、別々の場所から『最果ての斑鳩』のサーバーに潜り込むことになったのだ。
しかしちょうどその時、運が悪いことに『最果ての斑鳩』は外部からのハッキングを防ぐために、七夢さんとラフレシアにより、クローズドサーバーになってしまった。
帰ることができなくなった二人は、斑鳩の世界で異物として消去されないよう、ゲーム内のキャラクターに溶け込みながら、なんとか管理者とコンタクトをとろうとしていた。
そして俺たちと出会い、今に至るのだ。
「この先どうするのかは、俺たちの知るところじゃないが……七夢さんがこの船を統治している組織に報告をして、そこから他の船にも情報がいって……いや、大変そうだなぁ」
「誰もいないと思っていた、地球の人なんですもの。かなりの大事になるんじゃないですか?」
「とりあえず安定した連絡手段を構築して、救出作戦を考えるとかだろうけど……まぁもう、俺たちの手から離れた一件さ」
綾女の肩に手を回し、少しだけ指先に力を込める。
とりあえず今の俺は、この柔らかく暖かな感触が、俺の手の届くところにあればいい。
「アーク殿は、どこにいっても、冒険者なのですね」
「ハチ子さんは、どこにいっても、俺のそばにいてくれるよな」
俺の速攻カウンターに、綾女が顔を真っ赤にする。
「そんなの……当然じゃないですか。だって、ハチ子はずっと……」
俺の頬に、綾女の柔らかい唇が押し当てられる。
「アーク殿のものなのですから」
そう言って綾女は俺の首に手を回し、強く強く抱きしめてくるのだ。
これにて「ネカマの鈴屋さん2」も完結です。
あのイラストを再掲した理由は、まさにこの結末に直結していた構図になっていたからです。
長かった、本当に長かったですね。
当初の予定では、もういくつか先の門(中華圏の街)まで書こうと思っていたのですが、あまりに長くなってしまったのでやめました。
それでも、長かったですね。
結局あー君は、ハチ子さんと結婚しました。
ちなみに作者は、ハチ子さんが暗殺教団を抜ける話を書いた時に、これはハチ子さんと結婚するだろうなと思っていました。
みなさんの予想では、どうだったのでしょうか。
立場上、一番不利だったのはアルフィー=ラフレシアです。
とにかく登場が遅く、十分に人気を得た正ヒロインの鈴屋さんと、準ヒロインのハチ子さんの後という、なんとも不利な状態でのスタートでした。
作者の目から見ても、よく健闘したと思います。
とくにラフレシアになってからは、その魅力が一気に爆発していたように思えますし、アルフィーもラフレシアも愛すべきキャラクターになりました。
そして、鈴屋さん。
結局のところ、最も不遇な……今風に言うと負けヒロインです。
序盤は生き生きとその魅力が爆発していたのですが、鈴屋さんの心情を描くと物語のオチに直結してしまうため、深掘りできないという縛りがあり、そこが不遇でした。
その点ハチ子さんはガンガン深掘りができ、アルフィーもラフレシア以降は深掘り可能となるため、差がつく一方でした。
「ネカマの鈴屋さん2」では、すぐにあー君の「ハチ子さんへの気持ち」を尊重し、身を引いてしまいます。
あー君の幸せを第一に考え、自分は妹としてずっと繋がりを持てればいい……となってしまったのは、仕方のない流れだったのかもしれません。
本来の彩羽は少し内向的で、身内に対しての悪戯が好きな普通の女の子です。
悩みを忘れ、ただ楽しく過ごしている時にだけ地が出るのですが、その時の輝き方は凄かったです。
鈴屋さん推しの方には「ネカマの鈴屋さん2」は不要な話かもしれません。
物語のピークは斑鳩前であり、「ネカマの鈴屋さん2」はハチ子さんのための長い外伝のようなものなので、盛り上がりとしては少し欠けます。
それでもハチ子さんとの結末を見たい一心で書いていましたし、みなさんもここまで読んでくれたのでしょう。
さて、今後の「ネカマの鈴屋さん」なんですが……
・アフターストーリー
その後の話です。
基本はやはりラブコメで、本編に関わるような話も多少あるかもです。
・サイドストーリー
レーナ時代や、斑鳩時代の、サイドストーリーです。
どの辺りの時間軸の話なのかを説明した上で、追加のお話を書いていきます。
ネカマの鈴屋さんのドタバタとした、お馬鹿なラブコメが見たいんだよーって人にオススメな、純度100%のラブコメです。
面白ければ、漫画の方にも行くかも?
いずれも単話、もしくは、三話くらいの短いものになると思います。
不定期で、気ままに掲載していく予定です。
ここまで長い物語を読んでいただき、本当にありがとうございました。
この先は、この長い物語の余韻であり、ボーナスステージです。
私と同じく気ままに、能天気な話を楽しんでいただければ幸いです。




