鐘の音(8)
「ふふ」
はにかんで笑うハチ子が、愛おしい。
きっと俺も、同じように照れ照れして笑っているのだろう。
「ところで……」
ハチ子が顔を上げて、視線を月へと移す。
つられて、俺も見上げてみる。
真っ白な満月は、まるでスポットライトのように、俺とハチ子だけを照らしていた。
というか……本当にスポットライトなのでは?
「ここは、舞台のようなものなのでしょうか?」
「たぶん、そうだろうな。そういや、この演出はいつまで続くんだ?」
「一応ですね、ハチ子は演者らしく、空気を読んでアーク殿と呼んでいるのですが」
「俺もだ。レーナだし、この格好だしで、ハチ子さんって呼んでる」
なんとなく、二人で立ち上がる。
この後どうすればいいんだ、という意思表示だ。
すると、おそらくこの場を演出した本人の声が、どこからともなく聞こえてきた。
「呼び名なんて、愛着のあるほうで呼んだ方がいいダロ?」
ラフレシアだ。
当然、どこかで見ているのだろう。
「そうなると俺は、アルフィーじゃない方の名前で呼びたくなるんだが?」
「そっちの方が、愛着あるノカ?」
「今となっては、そうだな」
しばしの無言。
そして何やら、机をバンバンと叩く音が聞こえた。
「なんだ、アレ?」
「おそらく、嬉しくて悶えているんだと思います」
「えぇ、なんで?」
「相変わらず鈍感ですね、アーク殿は♪」
そして、また笑われる。
「おい、アルフィー。この公開処刑プロポーズみたいなの、いつまで続ければいいんだ?」
「もうちょいダ。二人とも手を繋いだママ、一歩前に出ろ」
思わずハチ子と、顔を見合わせる。
そして二人で首を傾げながら、一歩前に進んでみる。
「もう一歩、前ダ」
言われるがまま、もう一歩前に進む。
「マダだ。もう一歩ダ」
なんだ、これは。
まさか、落とし穴とかないだろうな……と怪しんでしまう。
ラフレシアならマジで、そんなオチを用意しそうだぞ。
不安になりハチ子の方へと視線を向けると、なぜか頬を赤らめて下を向いていた。
そして……進みましょう……と、ほんの少しだけ手を引いてきた。
俺はハチ子に促されるまま、さらに一歩前に進む。
「ラスト、もう一歩ダ」
もはや牛歩で進む、スゴロクのようだ。
ここまできたら、深く考えるのも馬鹿馬鹿しい。
ハチ子とタイミングを合わせて、最後の歩を進める。
すると、目の前が真っ暗になり……
リンゴーン!
リンゴーン!
大きな鐘の音が、オペラホールの中で鳴り響いた。
そして視界いっぱいに、真っ白な光が広がっていく。
「うわっ!」
あまりの眩しさに、手で光を遮る。
その光も徐々に引いていき、うっすら目を開けて状況を確認してみる。
「ここは……」
またしても、場面の転換だ。
とりあえず、外ではない。
天井はとてつもなく高く、立派な絵が描かれている。
真っ白な大理石の柱がいくつもあり、奥には立派なステンドグラスが見えた。
どうやらここは、大聖堂のようだ。
「なぁハチ子さん、ここって……」
顔を横に向ける。
そして俺は、思わず言葉を飲み込んでしまった。
そのあまりの美しさに……その姿に……。
ハチ子は、純白のウェディングドレスに身を包んでいたのだ。
「アーク殿……よくお似合いです」
ベールの下から覗く艶やかな口元から、ハチ子の声が聞こえた。
顔は見えないが、ハチ子で間違いないようだ。
見れば、俺の姿も燕尾服になっている。
これはARの処理がかかっていない、リアルに着ていた衣装だ。
ということは、だ。
ハチ子はウェディングドレスを着て、ここまで来たということになる。
いや……さすがに、それはないか。
きっと、ここで無理やり着替えさせられたんだろう。
なら俺もここで着替えれば良かったのでは……と、やはりラフレシアの悪戯心を感じ取ってしまう。
「良かったです。もしプロポーズされなかったら、ハチ子はとんだ恥をかくところでした」
いや……。
いやいやいや……本当にその通りだ。
こういうことは、先に言っておけよ!
ラフレシアめ……後で罰ゲーム決定だな。
「二人とも、顔をあげて」
唐突にすぐ目の前から、声が聞こえた。
二人で顔を上げると、そこにはネイビー色のドレスを着た鈴屋さんが立っていた。
それはまるで、女神のような姿だ。
「あー君」
「うん?」
鈴屋さんが優しく微笑む。
「あなたはハチ子さんを……悲しみ深い時も、喜びに充ちた時も……共に過ごし、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」
え……これってまさか?
プロポーズだけじゃなく、式まであげるのか?
いやいやいや……ちょっと、待て……
いくらなんでも、先走りすぎ……
いや……
今さら、なにを迷うことがある。
俺は、もう決めたんだ!
「誓う……いや、誓います!」
鈴屋さんが、満足げに頷く。
「ハチ子さん。あなたもまた、ここにいるあー君を、悲しみ深い時も、喜びに充ちた時も、共に過ごし、 愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」
「はい、もちろん……誓います」
ハチ子がはっきりと、そう答える。
「では、指輪の交換を……」
鈴屋さんが、すぐ横にある小さな台に、手の平を向ける。
そこには小さな指輪が、二つ飾られていた。
俺は小さめの指輪を手に持つと、ハチ子の左手を軽く持ち上げる。
ハチ子は抵抗することもなく、俺に身を任せているようだった。
俺は深呼吸をひとつし、ハチ子の薬指にゆっくりと指輪を滑らせる。
「アーク殿、これ……」
ハチ子が、少し驚いたように呟く。
見ればその指輪は、レーナでハチ子にあげた指輪と同じデザインだった。
きっとラフレシアがデータを抜き取って、プリンターで作ったのだろう。
「持ち帰れて、よかったな」
「……はい」
ベールのせいで口元しか見えないが、嬉しそうに笑みを浮かべているようだ。
「では、私も……」
ハチ子が指輪を手に持ち、俺の左手の薬指にゆっくりと着ける。
なんだろう。
俺はこの時、本当に結婚するんだなという実感が、確かに感じ取れていた。
「じゃあ二人とも、向き合って?」
鈴屋さんの指示に従い、ハチ子と向かい合う。
「じゃあ……誓いの口付けを……」
口付け……そうだ、これがあるんだった。
……えぇ?
鈴屋さんの目の前でか?
いや……でも、さっきしたしな。
というか……さっき感極まって、しちゃったじゃん!
本来なら、ここで初めてすべきじゃなかったのか!
「あ・あ・く・ど・の♪」
ワタワタとしていた俺に、ハチ子が小声で囁いてきた。
「ベールアップですよ、アーク殿。 遮りを上げることで、二人がひとつになり、共に歩んでいくことを意味するんですよ♪」
さすが、よくお知りで……。
しかしここまできて、ハチ子に恥をかかせるわけにはいかない。
俺は意を決して、ハチ子のベールを持ち上げる。
そこには……
美しく成長したハチ子が、憂いの表情を浮かべて、見つめていた。
ゆっくりと目を閉じるハチ子に、俺は再び唇を重ねる。
その瞬間、またしても強い光とともに鐘の音が鳴り響いた。
「ここに……二人の結婚が、成立しました!」
わぁ、と人の声が聞こえた。
「あーにぃ、おめでとう!」
二人で鈴屋さんの方に視線を戻す。
そこにはドレス姿の彩羽が、涙を浮かべて立っていた。
その後ろには、やはりドレス姿のラフレシア。
なぜか、ラフレシアも泣いている。
どうやらARの景色は消えて、もとの舞台に戻ったようだ。
観客席からも、たくさんの声が聞こえていた。
最前列にいたのは、七夢さんと乱歩だ。
少し離れたところには、寅虎と龍竜の姿も見える。
そして……
「やるじゃないかぁ、ロメオ!」
何故かシェリーさんや、ラット・シーの面々が見えた。
「ちきしょう、まじかよ、アークさん!」
大袈裟に驚いているのは、グレイだ。
「パパー!」
うわ、ミケだ!
どう説明すんだ、これ!
「第二婦人は、オレっすよ!」
「ば、バカなこと言って、アークさんを困らせるなよ!」
「なんで、ルクスが怒るんスか」
いつも通りのリーンと、ルクスのコンビだ。
「ふふふ、やはりこうなったか。めでたいな。貴公ら、必ず道場に顔を出すのだぞ」
落ち着いた表情で、笑みを見せる刀華。
「これは、いったい……」
俺が目を丸くしていると、七夢さんの声が聞こえてきた。
「彼らには、マジックアイテム“遠見の水晶”で、見てもらっているわ。いわゆる、ライブ映像ってやつね」
「なんちゅうことを……」
「ちなみに都合の悪い言葉は、泡沫の夢には聞こえないようにしてあるから、安心して。この会話も、聞こえないようになってるわ」
さすがというか、なんというか……相変わらず万能だな、七夢さんは。
遠くにいてよく見えないが、ドヤる顔が目に浮かぶぜ。
「あなた達には、必要でしょ? これは、あなた達が結んだ絆なんだから」
「なんだよ、泣かせる気か?」
「今日くらい、二人で泣きなさい。あらためて、おめでとう。二人とも……本当にここまで、よくがんばったわね」
ばかやろう。
我慢できるわけないだろう。
俺は溢れ出る熱い涙を拭い、ハチ子を強く抱きしめる。
「ハチ子は、幸せ者です……」
「それは俺のセリフだよ」
いつまでも鳴り止まない鐘の音を聞きながら、俺とハチ子は何度も涙を拭うのだ。




