鐘の音(2)
一方、アークは……俺は、というと……
現実世界と斑鳩の世界を行き来し、時折記憶の断片を見るということを繰り返してきた俺にとって、記憶を整理するという行為は、部屋の片付けとよく似ていた。
こうして散らかった記憶を整理しておかないと、いざという時に見つからなくなってしまうのだ。
俺はハチ子のログアウトを確認した後、自分ひとりでもログアウトできないか試してみた。
結論から言ってしまうと、あっさりと成功してしまった。
なぜ急に、出来るようになったのかは分からない。
ただただ早く現実の世界に帰りたい、その一心で試みたのだ。
もしかしたらハチ子が現実世界にもどれたことが、関係しているのかもしれない。
「うわ、自分でログアウトしたのカヨ! ダメだ、まだ出るナヨ。アキカゲは怪我してるんだゾ!」
随分と驚いているのは、ラフレシアだ。
どうやら、フィードバックして受けた右脇腹の傷を、治療している最中だったらしい。
ラフレシアが先にログアウトしてくれていて助かった……というか、俺の身を案じて早めにログアウトしたのだろう。
「この傷、たぶん痕が残るゾ」
少し低めの声で、ラフレシアが言う。
傷が残ってしまうのは、ドリフターに発症しやすいプラシーボ効果のせいだ。
正直、そんなことは微塵にも気にならない。
なんならすぐに出られなくて、もどかしく感じてしまうほどだ。
けっきょく俺は、そのままポッド内で半日以上も寝かされてしまった。
ポッドの外に出られたのは、明け方のことだ。
「お疲れさま、あーにぃ!やったね!」
ポッドを出て、すぐに彩羽が飛びついてきた。
思えば、彩羽に抱きつかれたのとか、久しぶりな気がする。
「あ……つい、ごめん」
勢いでの行動だったのだろう。
すぐに、少し気まずそうにして離れる。
俺はというと、やはり気まずそうに笑うことしかできなかった。
「それより、成功だよ! ハチ子さん、気がついたって!」
「本当に? よかった……あぁ、本当によかった」
俺が小さく拳を握ると、彩羽が優しく微笑んでくれた。
「さっき、七夢さんから連絡があってね。またすぐ寝かされて、覚醒処置室に移動することになると思うけど」
「覚醒処置室?」
「アキカゲが目覚めた、あの部屋ダヨ」
あぁ、あそこか。
そういやあそこは、ラフレシアと初めて出会った場所だ。
「え……ってぇことは、今日出てくるの?」
「どうだろう? もしかしたら、かなぁ?」
それでも、嬉しそうに頷く彩羽。
……にしても……
そうか、早ければ今日なのか。
「なんというか、心の準備が……」
「アホカゲ、今さらチキるんじゃねーゾ?」
ラフレシアに、ビシッと頭を叩かれる。
「お、おう。今さら恥ずかしがるとか、なしだよな」
当たり前だ、と呆れ顔を向けられる。
こいつは俺が目覚めたあの日、どんな気持ちでこの部屋を出たのだろう。
あの日からずっと……いや、もっと前から俺のことを助けてくれていたラフレシアには、感謝の気持ちしかない。
「じゃぁ、オレはソロソロ行くゾ」
ラフレシアがド派手な蛍光グリーンのコートを羽織ると、いつものスニーカーに足を突っ込む。
行き先は、もちろんハチ子の部屋だ。
この後の展開は、俺の時と同じだろう。
ハッキングしながらハチ子が眠る部屋まで潜入し、覚醒を確認する。
その後、ハッキングされた部屋で七夢さんたちが状況を説明。
健康状態に問題がなければ、そのまま外に出て来れるはずだ。
あとは『社会復帰支援プログラム』の世話役が、ハチ子を迎えに行く。
ちなみに今回の世話役は、彩羽である。
「鈴やん、あとは任せたゾ」
「うん、任せて♪」
満面の笑顔で、Vサインを返す彩羽。
ほんと二人とも、めっちゃ仲いいですね。
それよりも気になるのは……
「何を任されたの?」
「ん〜と……まずその髪を切って……髭を剃って……それから着替えて……」
「待って。なんか、俺の知らないところで話が進んでる?」
「だって、あーにぃ。ほっといたら、そのまま会うつもりだったでしょ?」
「そのままじゃ、ダメなの?」
俺が素朴な疑問で聞いてみると、女子二人が、これでもかと大袈裟に項垂れた。
「アホカゲ……」
「ほんと、馬鹿だよねー」
二人して、ドン引きである。
にしても……酷すぎません?
「いやでも……なんか、いかにも気合れましたって感じも、恥ずかしいだろ!」
「あのね、気合いを入れろって話なの! こういう時は、わかりやすくていいの!」
「アホは任せて、行ってくるワ」
呆れ顔のまま出ていく、ラフレシア。
一方の彩羽は、明らかに何かを企んだニシシ顔で、にじり寄ってくるのだった。




