鈴屋さんとワイバーン!〈6〉
ワイバーン編もいつの間にか第六回、思っていたよりも長くなってしまいました。
じわじわと話が進んでおりますが、今しばらくおつきあいください。
扉の向こうには脱衣所のような場所があり、そこを抜けるとそのまま外になる。
そこには天然の岩を削って作り出した、馴染み深い温泉露天風呂があった。
「まさに温泉じゃねぇか」
できるだけ、自然にあるものを生かしていて、どこか懐かしい風情を感じる。
和風とまではいかなくとも、岩風呂ってだけで随分とそれっぽく見えるものだ。
「これは、鈴屋さんも喜ぶぞ」
自然と顔がほころんでしまう。
「赤の疾風……君は、どこにいても騒がしいね」
不意に背後から声をかけられる。
見れば、クセのある金髪美形のキャットテイルが立っていた。
一糸まとわぬその姿は、線が細くどこか中性的だ。
むしろ、堂々としすぎてて「隠せよ、この野郎」と言いたい。
「自然の湯が、そんなに珍しいのかい? たしかにレーナでは、こういった湯は無さそうだけどね」
「……うるさいな。俺もレーナ生活が長いからな。温泉は珍しいんだよ」
ラスターが「温泉?」と首をかしげる。
……しまった。
こっちには、ない言葉なのか。
「まぁ獣人族も入れる湯は、とても珍しいけどね」
「そうなのか?」
「だね。王都なんて酷いものでね。ほとんどの店で“人間”と“その他”で線引きされているよ。その点ね、レーナは港町なだけあって、他種族にも寛容的で住みやすそうだね」
話しながら湯に入っていく。
……湯船に入る前にかかり湯しろよ……とか一瞬頭によぎったが、これも文化の……いや、そもそも世界が違うから仕方ないのかもしれない。
そう言えば、未だに鈴屋さんと貸し切り風呂に入ってるから、大浴場でのこっちの文化とか、ルールがよくわからない。
仕方なく俺も、かかり湯なしで湯船に足を入れる。
……いきなり湯船に入るのってかなり抵抗があるけど……
妙に背徳感があるのは、こんな俺にも少なからず良識ってものが残っているからだろう。
「そういやキャットテイルって、レーナで見かけないよな」
「あぁ……それはね。レーナには、ワーラットの王国があるだろう?」
「ラット・シー? それが、なんか問題あるのか?」
「問題というか、単純に仲が悪いのさ」
ラスターが、深い溜め息をする。
「それにね、あの繁殖力さ。さすがのキャットテイル族でも、あの数には敵わないからね。それに、俺たちの種族は個の意識が強すぎて、あまり徒党を組まないからね。ワーなんたら系みたいに、人間の姿へ変身できれば、ひっそりと住むこともできるだろうけど。だけど生憎と俺たちは、半獣半人だからね。ひと目でバレるんだよ。だから、レーナにはあまり近づかないのさ」
「じゃあ、なんでまたレーナに来たんだ?」
「……まぁ……住みやすいところを探して、放浪中に立ち寄ったってところだね」
彼らも自由そうに見えて、思っていたよりも苦労をしているようだ。
ラット・シーに近づかなければ、いいだけの話のような気もするが。
「怪盗団は、その食いつなぎってわけか」
「まぁね。羽振りのいい金持ち相手に盗みを働いていたら、いつの間にか怪盗団とか呼ばれるようになったのさ」
どんな大義名分があっても、盗賊は盗賊だ。
ただ、ここで俺が真面目に「人様のものを盗むな」と、抗弁を垂れても仕方がないだろう。
「アサシン教団とかは、どうなのよ。いい稼ぎになってるんじゃないのか?」
そこで、初めてラスターの表情が険しくなる。
「フェリシモ姉さんの話かな?」
「……だって、お前らもそうなんだろ?」
しかし、ラスターが首を横に振る。
「アサシン教団に席があるのは、姉さんだけさ。俺とシメオネは本当に、ただの盗賊でね……シメオネに至っては、姉さんがアサシン教団に入ってることも知らないだろうね」
そんなもの、隠し通せるものなのだろうか。
あぁでも、あの怖い姉さんなら出来るかもしれないな。
「というかね、そのことは隠してるからね。妹の前では、話さないでくれるかな?」
「そりゃもちろん、かまわないけどよ……なんでまた……」
ラスターが、少し考える素振りを見せる。
話すかどうか迷っているようだ。
やがて、軽く首を傾げて説明し始めた。
「俺達は孤児でね……って言っても孤児院なんて、すぐに追い出されたから、まっとうな生き方なんてできなかったけどね。姉さんはね、俺達を守るために体を売って、それでも足りない分を補うために、盗賊ギルドに所属したんだ。そこで姉さんの才能が開花して、アサシン教団にスカウトされたってわけさ」
あぁ、これは聞きたくない話だった。
……なんだよ。
ますます、あの姉さんとはやりづらくなったな。
「姉さんは、俺たちが盗賊ギルドに入ることは許してくれても、アサシンになることだけは許してくれないのさ。なぜだか、わかるかい?」
あぁ……と、俺が呟く。
そんなもの、シメオネを見れば一目瞭然だ。
「シメオネはね、たしかにいい育ちではないけど……俺と姉さんにとって、最後の希望みたいなものでね。あいつが、まっすぐに生きてくれれば……何かひとつ救われる気持ちになるんだよね」
言葉を返せなかった。
当事者以外が、口を挟めるものではない。
かける言葉のどれもが、薄っぺらいものにしかならない気がした。
「ろくでもないのは、俺たちだけで十分なのさ」
ラスターが、乾いた笑いを見せる。
「どうだい、君のことだから“案外いい奴だな”とか、思ったんじゃないかな?」
「はっ……ヘヴィな人生で勝負するってんなら、俺もそこそこのものだからな。お前や、あの姉さんが油断のならない相手だという認識は変わらないぜ」
「君って男は曲がらないんだねぇ」
呆れるラスターの言葉を遮るように続ける。
「まぁ、でもな……シメオネが、まっすぐに育った理由はよくわかったよ」
そこで初めて、ラスターの表情が少し柔らかくなった。
ちょうどその時、ガタンっと扉が閉まる音がした。
俺達の他に男の客はいなかったはずだが……と一瞬考えるが、答えはすぐに判明した。
「これはこれは……客人、私も失礼するよ」
姿を現したのは、ネヴィルだ。
……え、客がいるのに入るの? と、一瞬戸惑ってしまう。
日本の旅館では、ありえないシチュエーションだ。
しかしラスターが平然としているところを見ると、こちらでは普通のことなのだろうか。
ネヴィルさんは、かなり体が引き締まっていて、俺やラスターよりもよっぽど筋肉がついている。
ちょっと羨ましく思う俺がいる。
「うちの湯はどうかな?」
渋く低い声で聞いてくる。
「あぁ……えっと……こういった湯は初めてで」
ネヴィルは「それはよかった」と、僅かに微笑む。
しかしその表情からは、感情のぬくもりを感じられない。
どこか、仮面のような印象を受けてしまう。
「時に客人、この山へは何をしに?」
思わぬ質問に、一瞬答えに詰まった。
しかし、時間をかけるわけにもいかない。
「ん〜〜観光というか、息抜きというか」
とりあえず返答を濁してみるが、ネヴィルはあまり納得がいかないようだった。
「このような山、別段見るべきところもないだろう? ましてや、最近ではワイバーンが出没すると言われているのだ。何もわざわざ……」
「いやここに、いい湯があるって聞いたんでね。少し前に、彼の連れのエルフ女が怪我をして、その療養目的でここに来たのさ」
……おぉ、ラスター、ナイスフォローだ!
あとで、鈴屋さんに口裏を合わせておかないとな。
「なるほど。それでは、ここでゆっくりしていくといい。きっと、よい療養となるだろう」
そうさせてもらうよと、わざと気のない返事をする。
「時に客人。山頂でワイバーンに遭遇したのだったな。どうやって逃れることが出来たのだ?」
なかなかに、しつこい男だ。
さて、これにはどう答えるべきか。
「どうやっても何も……ひとりは気を失っていたしな。夢中でさ。視界に入った馬に飛びついて、走らせたんだ」
「……そのような状況で、どうやって馬のある場所まで逃げられたのか、不思議でならないのだ」
ほんとに、しつこいな。
それはテレポートダガーで……と言いかけるが、ラスターがそれを制する。
「彼は、盗賊の心得があるからね。遁走術にも長けているのさ」
「なるほど……では、冒険者か何か、ということかな?」
「そんなところだね。とは言え、俺達は、まだまだ駆け出しでね。さっきも話した通り、今回は休息をとりに来たのさ」
話しながらラスターが、ざっと立ち上がる。
「少し長く入りすぎたよ。俺達は、先に失礼するね」
目を細めながら、にこりと笑う。
普段のラスターを知っているだけに、それが作り物の笑顔だとすぐにわかった。
俺もそれにならって湯から離れると、簡単に体を拭き部屋着に着替える。
ちらりとラスターの方に視線を向けると、彼は黙ったまま顎で宿に入るよう促してきた。
その目は、どこか厳しい。
「ちょっと俺の部屋によって行きなよ」
ラスターが廊下を進みながら、小声でつぶやく。
視線を合わせずに言うあたり、俺に選択肢はないらしい。
一応、自分の部屋を覗いてみるが、鈴屋さんとハチ子の姿がない。きっと2人も、湯に入っているのだろう。
ラスターの部屋では、シメオネがベッドの上で大の字になって眠りこけていた。
「シメオネ……」
「んにゃぁ〜、兄様?」
まだ寝ぼけているのか、眠そうに目をこする。まるで、猫が顔を洗っているようだ。
「シメオネ……赤の疾風に丸見えだぞ。はしたない」
「あ……しっ……ぷぅ?」
柔らかそうな体を起こす。
俺はというと、気まずさ全開で目をそらしていた。
「あっ……アークさみゃっ!?」
ガバッと大きな音を立てて飛び起きた……んだと思う、見てないけど。
紳士として、見てないアピールはとても大切です。
「に、に、に、に、兄様っ、そういうのは早く教えるにゃ!」
「また全開ひらいて寝てる、お前が悪い」
相変わらず、厳しい兄様だ。
実は溺愛しているくせに、とか突っ込みたくて仕方がない。
俺はとりあえず木の椅子を引いて、彼らのベッドに向けて座る。
ラスターは自分のベッドに腰を掛けると、シメオネにもちゃんと座れと促した。
「さて。君はさっきの会話、どう考えているのかな?」
「ネヴィルさんのか? そうだな……微妙なところだけど、ひょっとしたら探られていたのかな」
「ひょっとしなくても、探られていたね。あれは間違いなく、何か関係しているよ」
……言い切るね……
たしかに、そうも考えられるけど。
レイシィの笑顔がちらついて、安易に決めつけたくないんだよな。
「さて、そう仮定してだ。もう、山頂の探索はしないほうがいいだろうね」
「なんでだよ?」
「ワイバーンに襲われたのに、また山頂に向かうとか。明らかに、ワイバーン目当てだと思われるだろう?」
「え〜。じゃあ、もうアークさみゃと行かにゃいのか……」
シメオネが、少し残念そうな表情を浮かべる。
「そこで、ね。俺は、この家を調べたほうがいいと思うんだけどね」
やっぱりそうなるのかと、ため息をひとつする。
「家探しは、俺とシメオネの本分だからね。君が良ければ、今夜にでも行動に移すがどうだい?」
「どうするにゃ、アークさみゃ」
やる気に溢れる怪盗団に対し、俺はやはり気分が乗らない。
しかし、このままでは打つ手が、なくなるのも事実だ。
どちらにしろ、ネヴィルさんに対し白黒はっきり付ける必要はあるだろう。
「わかった……けど、行くのは俺とラスターだ」
ラスターが眉を寄せる。
「……見張りのつもりかい?」
「自分で行かなきゃ、不安なだけだよ。それに部屋を、もぬけの殻にするわけにもいかないだろ?」
ふむ、とラスターが考えるようにして頷く。
正直なところ半分本音で、半分は見張りだ。
こんなこと、全部丸投げにできるわけがない。
「まぁ、俺はかまわないけどね。じゃあ今夜、扉を一度ノックをするからそれを合図にしよう」
極めて涼しい顔を浮かべているラスターに、俺はしぶしぶと頷くのだった。
定番の温泉ネタなのに男風呂かよっ!…と、自分で突っ込んでしまいました。
鈴屋さんとハチ子が温泉で女子トークとか貴重そうなんですが、一人称なのでどうしても書くわけにいかず残念です。
…こっそり外伝として書き溜めますかね。