七支刀選抜試験(17)
「秋景殿」
決戦前夜のことである。
唐突に襖の向こうから、刀華の声が聞こえてきた。
「起きているか? 秋景殿」
みんなと夕食をとってから、三〜四時間は経っている。
明日に備えて、そろそろ寝なければいけないはずなのだが……斯く言う俺も、お布団の中にいる。
「眠れないのか?」
廊下に向けて声をかけてみるが、返事がない。
俺は仕方なく起き上がり、手早く布団を畳んで部屋の隅に置いた。
ちなみにスーズーは「水雲凛が夜這いに来ないか、押入れの中から見張るの!」と息巻いていたのだが、睡魔に負けて眠ってしまったようだ。
「どうした?」
俺が襖を開けると、寝間着姿の刀華が両手を後ろにして立っていた。
寝間着というか、俺の薄い知識から言うならば浴衣だ。
黒い生地に美しい蝶の絵が描かれた、月夜に映える浴衣だ。
とりあえず可愛いとしか言葉が出てこないし、俺はもうただの女好きなのかもしれないと、柄にもなく自己嫌悪に陥りそうだ。
「その……早く寝なければいけないのは、承知の上なのだが……一献、付き合ってはくれぬか?」
すっと酒瓶を見せてくる刀華。
眠れないから酒でも、ってところか。
刀華にしては、何とも珍しい行動である。
「おぅ、いいぜ」
言いながら部屋の中に通そうとすると、刀華が首を横に振る。
「その……偶然にも外で梯子を見つけてて、ですね……たまには、屋根の上で月見酒でも……と、思うのですよ」
「なんで、デスマス口調?」
変な丁寧語に、思わず吹き出してしまう。
しかし、ますます珍しい。しかも、わざわざ屋根の上で飲むなんて、な。
そんな事するの、俺くらいしかいないと思っていたぜ。
いやまぁ、レーナでも俺くらいだったか。
「カカカッ、相変わらず面白いなぁ刀華は。いいぜ、行こう」
俺はそう言うと、刀華の持っていた酒瓶を預かり、外に向かった。
外に出て宿の裏手に回ると、刀華の話していた通り、屋根に向けて梯子が立てかけられていた。
火事のときに使うやつだろうか。
木製だが、しっかりとした造りだ。
正直、俺なら上までひょひょいと登っていけるのだが、ここは普通の人らしく梯子を使うことにする。
刀華も浴衣姿でありながら、器用に上ってきている。
というか、なんとなく身のこなしが軽い気がする。
足取りが軽やかというか、慣れているというか、とにかくそんな印象だ。
さすが、普段から鍛えているだけのことはある。
俺は刀華が無事上ったところを確認すると、大通り側に向かい腰を下ろした。
「失礼する」
刀華が視線を合わさぬまま、俺の隣にちょこんと座る。
妙に距離が近い気はするが、まぁ気のせいだろう。
「では、一献」
にゅっと、お猪口を差し出す刀華。
俺はそれを受け取ると、互いに酒を注ぎあった。
「明日の勝利に」
「おぉ、それいいな。じゃあ、明日の勝利に」
そう言って、お猪口を軽く掲げる。
刀華が用意したお酒は辛口で、大人向けな味だ。
このチョイスも刀華がしたのかと思うと、俺の好みを考えてのことだろう。
「髪を切ると若く見えるな、秋景殿は」
まじまじと見つめてくる。
俺にとっては馴染み深いツンツンヘアーだが、刀華にとっては物珍しいものなのかもしれない。
「まるで、彼の人のようだ」
そう呟き、寂しそうに笑う。
例の想い人と同じ髪型で、思い出していたのか。
まじでそいつは、刀華を置いてどこに行ったのだろう。
名前でも聞き出せれば、ラフレシアに探してもらえるかもしれないが。
「俺、似てる?」
「似てるかどうかで言えば、似ている。貴公の方が大人ではあるがな。すまぬな、忘れてくれ。少し郷愁に駆られていただけだ」
「んまぁ、昔の男と重ねて見られるってぇのは、恋愛ものにはありがちで……」
「何を言っておるのだ。そんな誰かの代役みたいな恋慕、抱けるわけがなかろう。それは、彼の人にとっても失礼だ」
真剣な眼差しで返された。
本当に好きなのだろう。
刀華は、本当に真っ直ぐだ。
「こうしてな、彼の人とも過ごしたものなのだ」
こうして……
屋根の上で飲み明かしたのだとしたら、それはまた奇遇である。
「会いたいのか?」
刀華は少し驚いた表情をみせ、やがて静かに頭を横に振った。
「まだだ。今は何よりも、綾女を見つけ出さねばならないのだ。彼の人の話は、それからなのだ」
「いやな、軽口を叩きたくはないけどさ。これで道場再建の目処が立つなら、女の幸せってのを優先させてもいいんじゃないか?」
わずかに戸惑いを見せる。
「俺としては復讐するにも危険が過ぎるし、本当に綾女がやったという証拠もないし、あまりおすすめは出来ないな。もし復讐を放棄して、道場の再建とその男を探すってぇなら、俺も手伝うぜ?」
「……秋景殿……」
「俺じゃ不服か?」
刀華がやはり、静かに頭を横にふる。
「……ずるいな、貴公は。そんな言い方をされたら、断る方が難しいだろう……」
「まぁ一度くらい真剣に考えてみても、いいと思うけどな」
刀華が視線を落とし、深く頷く。
少しは俺の考えが届いたか?
「ありがとう。心の片隅にはとどめておこう。まぁ、そういうわけには、いかないのだがな」
そしてすぐにまた、切なげな笑みを浮かべるのであった。




