雑賀へ
昼下がりの街道で、スーズーが腕を組んだままクルクルと回っている。
まるで古のスポーツ、アイススケートの選手のようだ。
最も彼女の場合は浮遊能力を使って舞っているだけなので、技術的なことは何一つしていない。
考え事をしながら、無意識のうちに回っているだけである。
「うぅ〜ん。移動した時に抜け落ちたのかなぁ」
でっかい独り言だ。
抜け落ちた……は、ハチ子の記憶のことを言っているのだろう。
あれから俺は寝ていたスーズーを起こして、ハチ子に会ったことを報告した。
しかしまぁ〜いま思い出しても、あまりに唐突すぎる展開だ。
もしかしてあれは夢だったのでは……と、自分の記憶を疑うほどである。
だがしかし俺の目の前に現れたのは、紛れもなく『ハチ子』その人だった。
何せ外見だけでなく、身につけている武具までも同じだったのだ。
少なくともこれで『幻影剣の綾女』が、ハチ子だと断定していいだろう。
「一時的ならいいんだけど〜もし全部だと大変かなぁ」
今度はくるくると回りながら、右へ左へと蛇行する。
たしかにスーズーの言う通り、もしハチ子の記憶がなくなっていたとしたら大変なことになる。
なぜならハチ子に俺の記憶があれば、俺がこの世界を否定し、ハチ子がそれを信じてくれれば連れて帰ることができるはずなのだ。
しかしもし記憶がない場合、鈴屋さんが俺にした時と同じように信頼を得るところから始めるという、非常に手間と時間のかかる手順を踏まねばならない。
「あの娘があーにぃのことを忘れるなんて、あり得ないんだけどなぁ」
それは……俺も、そうであってほしいと願うところである。
しかし先日のハチ子の様子を見る限り、明らかに記憶の欠落を読み取れた。
俺のダガーを所持しておきながら、テレポートの効果を知らないんだから間違いない。
「スーズー殿。先程からフラフラと目の前で飛ばれて、なんというか……邪魔だぞ」
刀華が真っ直ぐに突っ込む。
ちなみに刀華には、ハチ子と会ったことは話していない。
刀華にとって『幻影剣の綾女』は仇敵であり、話がややこしくなりそうだからだ。
俺にはやはり、ハチ子が人を殺すなんて出来ないと思うのだ。
もしまたハチ子と会えた時には、刀華のことを含めて聞いておかねばなるまい。
「うるさいなー。いま考え事をしてるのー」
「そんなことをしてるから、秋景殿とぶつかったのだ。また、ぶつかってしまうぞ?」
「別に〜あーにぃにならいいし〜ていうか、あーにぃがぶつかってきたんだし〜だいたい、あーにぃはスケベだから喜ぶでしょ〜?」
「ひ、酷い言いわれようだぞ……いいのか? 秋景殿」
刀華が口元をひくひくとさせながら聞いてくるが、俺は苦笑いを浮かべるだけである。
もはやこの扱いも現実世界では日常茶飯事だし、今さらスケベであることを否定はしない。
事実は事実として、甘んじて受け入れようの精神である。
「秋景殿は、スーズー殿に甘くないか? まさか本当に、こんなのが好みなのか?」
「こんなのって、どういう意味かな?」
「種族が……というか、サイズが違いすぎるであろう?」
「愛にサイズなんて、関係ないと思うかな?」
「そなたのサイズが小さすぎると言っておるのだ」
「私からしたら、あーにぃのサイズが大きいだけなんですけど!」
「いや、秋景殿のサイズは普通であろう?」
「あぁ、もう! だーかーらー、私はサイズなんて気にしないって言ってるの!」
「いや……あの、ふたりとも。さっきから凄い誤解を生む言い方をしててですね、俺は何だか恥ずかしいです」
「誤解?」
「なんと申しましょうか……たしかに俺のサイズは普通くらいですし、厳密に言うとスーズーの半分くらい?」
二人が顔を見合わせる。
やがて同時に顔を真赤にしていき……
「あーにぃ、サイテー!」
「な、な、な、な、秋景殿っ!?」
声を揃えて、眉を寄せる二人。
いや、俺は悪くないはずだ。
「旦那、もてるねぇ」
「そう見えるのか、この野郎」
白露の皮肉めいた笑みに、俺が目を細める。
ちなみにあの戦いの後、俺と白露は一番弟子の相馬が帰ってくるのを待ち、相馬にだけ“事の顛末”を説明した。
春風はもちろん、刀華やスーズーにも話していない。
今後また十四朗が現れることはないだろうし、相馬が用心しておけばいいだけの話だ。
しかし、いま思えばだ。
ハチ子はなぜ、あの夜襲のことを知っていたのだろう。
十四朗と鋼山の会話からは、誰かに指示されたような様子はなかった。
少なくともあの二人と、ハチ子の接点はないはずだ。
だとしたら妖魔軍の将軍が、こんな場所まで単騎で来る理由が分からない。
もしあのまま夜襲が行われていたら、ハチ子はどうするつもりだったのだろうか。
何もせずに帰ったのは、夜襲が行われなかったからか?
やはり何か、訳がありそうだ。
「それで、次はどこに行くの?」
スーズーが俺の鼻先まで飛んできて、ペチペチと叩く。
「んあ……どこに行くんだ、刀華?」
「うむ。次は、いよいよ雑賀だ」
「おぉ、ついに試験か?」
刀華が頷いて応える。
「着いてすぐにとはいかないが……まぁ雑賀は大きいからな。ゆっくり見てみよう」
「そうか。白露のおっさんは、そこでさよならか?」
「おいおい、そりゃあまりにもつれねぇじゃねぇか。袖すり合うも、他生の縁っていうだろう?」
「何だよ。まだ俺と刀華の二人旅を邪魔する気かよ」
「んあっ、秋景どのっ!?」
顔を真っ赤に染め上げる刀華と、後頭部をゲシゲシと蹴ってくるスーズー。
そのとき俺は、なぜか深い郷愁を感じていたのだ。




