ハチ子との再会(14)
スーズーの羽からキラキラと舞い落ちる鱗粉の効果は、まさに治癒魔法のようだった。
パタパタと傷の周りを飛んでいるだけで、みるみる治癒してしまうのだ。
飛ぶのに疲れた場合は、刀華がスーズーの足を握って軽く振るだけでも鱗粉は落ちてくる。
ただ逆さになって振られている様子は、まるでふりかけのようで基本的な人権が皆無である。
顔を真っ赤にしながら縦に振られているスーズーの姿は、不憫極まりない。
現実世界に戻ったら、もの凄い愚痴を言ってきそうだ。
最終的にスーズーは目を回し、そのままダウンしてしまった。
今は白露も大人しく部屋の中で眠っているし、刀華も眠ってしまった。
俺は久々の“血湧き肉躍る戦い”ってやつに当てられてしまい、寝付けずにいた。
仮想世界とはいえ眠らねば、現実世界の脳が疲弊してしまうのだが……
「眠れん……」
酒を片手に月を見上げる。
ここはレーナとは違って、月の色が変わらない。
それでも満月の美しさは変わらない。
屋根の上でぼんやりと月を眺めながら、ちびちびと酒を飲む愉しみ方も変わらない。
なにか、こう……懐かしい感じがする。
ノスタルジーに浸れるのは、俺が少しは歳を重ねた証なのだろうか。
ただこんな時、レーナだと大抵は誰か邪魔が……
「可怪しいな」
背後からの声。
そう、レーナならよくあったことだ。
しかしここは、レーナではない。
「今宵、ここの当主が夜襲を受けるはずだったのだが……何故、こんなにも静かなのか。貴公は何か知っていそうだな」
女の声だった。
忘れるはずのない声だった。
振り向くとそこに立っていたのは、暗い紺の髪を結んだ鋭い眼光の女性だ。
おおよそ戦闘には向いていなさそうな黒いワンピース姿で、右手には青白く光るシミターが抜身で握られている。
そして、その腰には見覚えのあるダガーが刺さっていた。
「ハチ子……さん?」
声が震えた。
胸の奥で鉄が溶けたかのような熱さを感じた。
何かが喉の奥まで込み上がる思いがした。
そこに立っていたのは、レーナにいた時と同じ姿をしたハチ子、その人だったのだ。
「貴公は……」
俺は言葉を待つこともできず、気がついた時にはハチ子を抱きしめていた。
あまり力を込めると、壊れてしまいそうな華奢な体だ。
ちゃんと食べれていたのだろうか。
これまで、どうしていたのだろうか。
どれほど不安だったのだろうか。
溢れる思いを何一つ言葉にできず、油断をすれば目頭から熱いものが流れ出そうで……
「このっ……」
ハチ子が俺を突き放し、シミターを構える。
「この痴れ者が! 某は妖魔軍の将軍であるぞ!」
冗談……ではなさそうだ。
本気で戸惑っているように見える。
記憶が混濁しているのだろうか。
「妖魔軍の将軍……幻影剣の綾女……だっけか?」
ハチ子が眉を寄せて訝しむ。
「そうだ。知っていての狼藉か。それとも、恐れを知らぬのか」
「恐れるわけあるか。俺だよ。ちょっと見た目が成長しちまってるし、眼帯もしてないから分からないか?」
首を少しだけかしげ、口を噤む。
思い出そうとしているように見える。
「ほら、赤いマフラーをしてさ。何度も一緒に戦っただろ?」
「共に……? 貴公は妖魔軍ゆかりの者なのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
こんな説明をしている時点で、俺のことを思い出せない証拠だ。
どうしたものかと考えていると、ひとつ良い案を思いつく。
こなったら何でも試すべきだ。
俺はすぐさま、ハチ子に向けて大きく手を開く。
そして久しぶりに、あの言葉を口にした。
「リターン!」
次の瞬間、俺の右手にダガーが転移する。
あぁ、これだよこれ。
懐かしいな、俺の相棒よ。
「なっ……何をした!」
ハチ子は突如として消えたダガーに狼狽していた。
「まだ、思い出せないか。なら……」
今度はハチ子に向けて、ふわりとダガーを投げた。
ハチ子はやはり怪しむ表情を浮かべたまま、ダガーを受け取る。
「トリガー」
次の瞬間、ダガーを握るハチ子の目の前に転移を果たす。
驚いたハチ子は、大きく目を見開いて俺を見つめる。
「これは……妖術の類か?」
……駄目か。
これは一度、七夢さんに相談したほうが良さそうだ。
いや、何なら会わせた方が早いかもしれない。
「なぁ……このまま俺と一緒に、遊郭に行ってくれない?」
ハチ子の手を握ったまま、真っ直ぐに伝える。
そして、まるで時間が止まったかのように静寂が続き、やがて……
「こっこっこっ……」
「こ?」
「このっ、痴れ者がっ!」
ハチ子は顔を真赤にしながら、俺の手を振りほどく。
そしてテレポートダガーの柄を、雷火の如く鋭い動きで俺の腹に叩き込んできた。
「おぅっふ!」
思わず体をくの字にして蹲る俺を、ハチ子がふるふると震えながら睨みつけてくる。
「痴れ者がぁっ! このっ……このっ……痴れ者がぁぁぁぁっ!」
あまりのことに語彙力を失っているようだ。
ハチ子はもう一度おなじ言葉で俺を罵ると、屋根から飛び降り闇の中に消えてしまった。




