夢現の境界線(9)
寅虎が半歩、足先を前に滑らせる。
あくまでも慎重な攻めだ。
見た目通り、クールで冷静なのだろう。
「まぁ、俺から提案したわけだし……」
独り言のようにつぶやき、すぅと息を飲み込む。
そして次の瞬間、地を蹴って一気に間合いを詰める。
寅虎が後ろへと下がり距離を保とうとするが、俺はそれを許さない。
さらに空中へと体をひねるようにして飛び上がり、左足を大きく回す。
ステップインからの飛び後ろ回し蹴りだ。
しかし寅虎は目を大きく見開いて、上体を反らしながら鼻先でそれを回避する。
俺はそのまま体を一回転させて、今度は寅虎の足を払うべく超低空の回し蹴りを放つ。
「おぉ」
寅虎が感嘆のため息をもらしつつ、小さく飛び上がって回避をする。
さすがは武術家だ。
僅かに見せる笑顔が、余裕を感じさせる。
これで俺のターンが終わったと思っているのだろう。
しかしシメオネに武術を叩き込まれた俺の攻撃は、ここで止まらない。
流れる動きで地面に右手をつき、勢いよく片手逆立ちをするようにし、空中の寅虎に向けて踵を跳ね上げる。
シメオネから学んだ、弧月蹴りという技だ。
「おおぉっ!」
寅虎はとっさに腕をクロスさせて俺の踵を受け止めると、その力を利用するように、ふわりと後ろへ着地した。
あれをガードできるとか、とんでもない反射神経の持ち主だ。
「今の技は……」
寅虎が少し驚いた表情を浮かべる。
「ふむ。君の流派が知りたくなった」
彼女はそう呟くとすぐに目を細めて、構えに入った。
「だから、流派なんてないって」
「ふむ。だが、師はいるはずだ。君が自分で、その技を編み出したわけではないのだろう?」
「まぁ、それに近いのはいたけど」
「ふむ。ならば、七割だ。本気でいこう」
今度は寅虎が、距離を詰めてくる。
七割という言葉に少し引っかかるが、それならこっちは全力で迎え撃つのみだ。
「味わうがいい。究極の領域にまで高められた、我が武術を」
おぉ……厨二病だ。
このお姉さんは、絶対にこじらせているぞ。
その証拠に、ちょっと身震いをして酔いしれておられる。
「行くぞ!」
寅虎が吠え、壁に向けて走り出す。
そして勢いのまま飛び上がると、壁を蹴り、俺に向けて跳び蹴りを放ってきた。
三角とびとか、リアルで初めて見たぞ!
「飛竜三連脚!」
技名と共に体を大きく捻り、左足をしなるようにして回転させる。
見るからに重そうな攻撃……これは、受けたら不味いやつだ。
俺は咄嗟に足を大きく開いて重心を落とし、ステップを踏んで体を揺らせた。
シメオネ直伝の超回避術、シメオネステップだ。
蜂のようにゆらゆらと緩急をつけて舞うこの動きは、そう簡単に捉えられない。
その証拠に俺は、寅虎の空中三連続蹴りをスイスイと躱していく。
「フフ、なるほど!」
寅虎が何故か嬉しそうに、笑みを浮かべていた。
そして不自然極まりない動きで、着地から高速でステップインをしてくる。
その速さは、まさに驚愕そのものだ。
「蒼天に帰せ! 蒼天撃!」
突進から放つ、胸部への掌底打ちだ。
まともに食らえば、一瞬で呼吸ができなくなるだろう。
しかし予め低い姿勢で動いていた俺は、寅虎の掌を額で受け止める。
そして力の向きをそらすように、左後方へと首を振った。
「くっ!」
見事、寅虎の右手は俺の左後方へと滑り、そこに大きなスキが生まれる。
俺はそのまま彼女の懐に入り……
「徹し!」
彼女の胸に右手のひらを押し当て、練っていた気を一気に叩き込んだ。
「…………」
二人の動きが止まる。
彼女は俺が何をしたのか理解できず、きょとんとしているようだ。
そして俺は……なぜ気が発動していないのか理解できず、きょとんと……
……あああああ!
そうだ、この現実世界に『気』なんてないんだ!
「おぃ……」
俺が口元をひくつかせて、彼女の顔を見上げる。
なにやら俺の手のひらにはやわらかいマシュマロが、モニュモニュと……モニュモニュ……
「おぃ……それが、その技の残心か?」
目が怖い。
クール女の冷徹な目が怖い。
「ざ、斬新だろ?」
フッと、寅虎が涼やかな笑みを浮かべる。
「いつまで揉んでんだ、ゴラァァァ!」
俺の渾身の返しに対し、寅虎は容赦のない膝蹴りを顎に入れてきたのだった。




