夢現の境界線(2)
ここは本当に現実世界なのか──
それとも微睡む夢の中なのか──
その境界線はいつも曖昧で──
故に忘却された真実は──
夢現の世界に今も眠っている──
「アキ〜、置いてくぞ〜」
宇宙港の出発ロビーで荷物を預け終えた親父が、大きく手を振って呼びかけてくる。
「待ってよ、父さん」
ちょっとした待ち時間に彩羽へのお土産を探していた俺は、慌ててそれを切り上げた。
月面リゾートは、塔の中でも“高層階の住人”しか行けない憧れの場所だ。
いわゆる“お金持ち限定”の娯楽施設である。
俺がこれから行くところは、そんな場所だ。
だからといって、別にうちが裕福なわけではない。
たまたま親父が“月面リゾートの宿泊券”を当てただけだった。
「土産なんて、向こうで買えばいいだろ?」
親父の意見は、もっともである。
ただ、この船から出たことがない俺にとって宇宙港は初めてなわけで、高ぶる気持ちを抑えられないのである。
十八歳の男子にとって、これはちょっとした冒険なのだ。
だから「幼馴染の彩羽にお土産を……」と、浮かれて土産物屋に飛び込んだ俺を誰が責められよう。
ちなみに彩羽は十四歳になったばかりで、まだあどけなさが抜けない妹のような存在だ。
あの年頃の女の子が何を貰えば喜ぶのか、俺には皆目見当がつかない。
やはり定番のチョコクランチとかでいいのだろうか。
もしスペースバスの模型なんて買っていったら、思いっきりジト目を向けてくるだろう。
「アキ、何してるの? お父さん行っちゃうわよ?」
今度は母親に呼ばれてしまった。
「わかったってば」
まぁ親父の言う通り、お土産なんて月面リゾートに着けばいくらでも売っているだろう。
なにも今から探す必要はない。
それでも俺は、後ろ髪を引かれる思いで土産物に視線を送り、両親の後を追って出発ゲートに向かった。
スペースバスは、他の移民船や月面への移動に利用される小型宇宙船だ。
定期便などはなく、予約定員制でしか運行していない。
そもそも移民船では、ほとんどの住人が自分の生まれ育った船で生活をし、一生を終える。
普通の住人は、他の船に行く必要がないのである。
そのためスペースバスを利用するような人種は、高階級で政治的な仕事をしているか、腕利きのエンジニアか、よほどの金持ちかのどれかだ。
つまり俺みたいな一般人が、こうしてスペースバスの豪華な椅子に身を預けること自体、奇跡に近いのである。
「アキ、本当に通路席でいいのか? 窓際のほうが色々見えるぞ?」
「子供じゃないんだから、今さら外見てときめくかよ。夫婦水入らずで座ってろよ」
俺が呆れて返す。
スペースバスは窓際に二席、通路を挟んで中央に二席、そしてまた通路を挟んで窓際に二席という造りになっている。
それが八十列ほど並んでいて、俺がいるのはその最前列である。
席は一席一席が独立した造りで、フルにリクライニングすれば快適なベッドになるだろう。
これに寝そべり、ゲームでもしながらお菓子をつまめるとか天国である。
ぜひとも親父殿と母上様には窓際で仲良く座っていただき、俺は俺だけの贅沢な時間を心ゆくまで楽しみたいものだ。
「お前は、母さんと窓際に……」
右の通路から、ナイスミドルな男の声が聞こえた。
うちと似たような会話だ。
どうやらお隣も、三人家族らしい。
たしか、俺たち以外は普通の乗客のはずだ。
つまり“高階層に住む金持ち”ということである。
「いいよ。お父さんはお母さんと座って。私は、こっちで大丈夫だから」
朝露のように澄んだ声だった。
無意識のうちに、視線を向けてしまう。
そこには深い紺色の髪を肩まで伸ばす、凛とした雰囲気のお嬢様が立っていた。
歳は同い年か年下か、といったところだろう。
フレアシルエットの可愛いワンピースに身を包んでいて、スタイルの良さが後ろ姿からでも見て取れた。
あまりにも可愛いくていつまでも見惚れていると、やがて彼女も俺の視線に気づいてしまう。
あせった俺が慌てて頭を下げると、彼女はとびきり素敵な笑顔を返してくれた。
「お隣、よろしくお願いしますね」
「お、おぅ」
彼女から澄んだ瞳を真っ直ぐに向けられ、思わず言葉をつまらせる。
俺なんかにかしこまるとか、どんだけ良いとこの娘なんだ。
「あのさ、席に面白そうなゲーム入ってたから、あとで一緒にやらない?」
今度は彼女が、少し驚いた表情を見せる。
軽率だっただろうか。
それでも月までの道中、お話くらいはしたいのだ。
俺がしばらく返事を待っていると、彼女はやわらかな笑顔を浮かべた。
「どんな、ゲームですか?」
彼女は嫌がる素振りも見せず、嬉しそうに返事をしてくれる。
控えめに言って、とても良い娘である。
「潜入ミッションもの。敵に見つからないように潜入して、目的を達成するみたいなやつ。潜入が苦手なら、派手に敵を殲滅してもいいんだけどね」
「潜入なのに、全員倒してしまうのですか?」
少し引いている。
どうやら本当にお嬢様らしい。
家ではあまり、過激な内容のゲームを遊ばせてもらえないのだろう。
「いや、そこは自分に合ったプレイスタイルで大丈夫だよ。誰も殺さず、誰にも気づかれずっていう遊び方もあるし……どちらかと言えば俺もそっちの方が得意だし、よかったら教えようか?」
「誰も殺さず任務を遂行……スパイ映画みたいで良いですね、それっ! ぜひ、教えてください」
思いのほか食いついてきた。
スニーキングプレイが好きとか、ますます俺と気が合いそうだ。
彩羽がやると、いつも正面から派手にロケット・ランチャー撃ちまくりの“火力ゴリ押し脳筋パワープレイ”だからな。
あいつは潜入ゲームの美学ってのを、わかっていない。
忍者のように道具や知恵を駆使して、音もなく潜入し立ち去るのが美しいのだ。
……それにしても、この娘。
月までの短い時間とはいえ、旅のお供に最高の相手じゃないか。
俺はこれから二人で冒険を始めるような感覚に、思わずニヤニヤとしてしまった。
「ブランケット、母さんの分を借りてくるけど……」
彼女の父親が立ち上がり、声をかけてくる。
「綾女もいるか?」
彼女はそれに頷いて応えると、ようやく席につき、もう一度俺に笑顔をむけてくれたのだ。




