長月白露〈5〉
次の日の朝。
俺はほろ酔いのまま床についたせいか、朝までぐっすりと眠れたようだ。
まだ少し重い瞼をゆっくりこじ開けると、おぼろげに人影が映っていた。
「起きたか」
そこには、何故か刀華が神妙な面持ちで正座をしていた。
どうやら俺が起きるのを、ずっと待っていたようである。
「お、おはよう」
真意がつかめぬまま、恐る恐る挨拶をしてみる。
思い当たることと言えば、朝練に出遅れたとか……いやしかし、時間までは決めていなかったはずだ。
「秋景殿」
刀華が視線を畳に落とす。
そして両手を内側に向け指先を揃えると、深々と頭を下げ始めた。
「昨夜のお恥ずかしい行為、無礼の数々、魂から平伏申す。まことにかたじけなかった!」
「昨夜の……あぁ、覚えてるの?」
「恥ずかしながら、はっきりと……それはもう……はっきりと」
ほほう、はっきり記憶に残るタイプなのか。
鈴屋さんとは真逆だな。
しかしこの先も酒を飲むたびにやらかしては、自己嫌悪に陥るのだろう。
そう考えると、土下座したままプルプルと震える刀華が気の毒になってくる。
「か、か、か、かくなる上は、腹を切って詫びを!」
おぉ、なんか武士っぽいことを言い出したぞ……などと楽しんでいる場合ではない。
腰に手を伸ばそうとする刀華の細い手首を掴み、力ずくで動きを封じる。
「止めるな、止めてくれるな、秋景殿!」
「いやいやいや、なに物騒なこと言ってんの」
「このようなこと、もし父上が生きておられたら……!」
「今いない人のことを考えても、仕方ないだろうよ」
なおも暴れる刀華を押さえつけようとした時、俺はあることに気づいた。
「ていうか、刀華。刀はどうした?」
「……へ?」
俺が手首を離すと、刀華は慌てて腰に右手を伸ばす。
しかしその手は何も掴めず、虚しく空を切るばかりだった。
「ない……ない! 某の紅鶴一文字がない!」
あからさまにパニクる刀華が、俺的には可愛くて仕方がない。
ものすごくコミカルである。
「めずらしいな。あれほど肌身離さず持っていたのに」
「当たり前だ! 紅鶴一文字は、某の命よりも大事なのだ!」
刀華が頭を抱えて、部屋を飛び出す。
しかしすぐ隣の部屋から「うわぁぁぁ」という絶叫が聞こえてきた。
そして頭を抱えながら、俺の部屋にドタドタと戻ってくる。
「ない、ないのだぁっ、秋景殿ぅ!」
「おぅ、いったん落ち着け。朝からの行動を思い出してみろ」
「朝から……?」
「そうだ。昨夜はその『紅鶴一文字』で、俺の頭をポクポク叩いていただろ?」
うっ……と、刀華が口ごもる。
「木魚みたいに」
「かたじけない……」
「俺が布団に運んだときは、刀を抱きしめなが寝ていたぞ? 朝はどうだったんだ?」
刀華が目を覆いながら考え込む。
かなり長い沈黙が続き、やがて……
「やはり、ない……朝起きた時には、もう持っていなかった」
ふむ。
と、なると……白露のおっさんにも聞いてみるしかないな。
「そういえば今朝、白露のおっさんから話かけられなかったか?」
「白露殿? いや、まだ見ておらぬが……」
「うん? 朝になったら、刀華に色々聞いてみようと言ってたような」
しかし刀華は首をかしげる。
この展開……物語でよくある展開だが、まさかな。
「いかがした、秋景殿?」
嫌な予感がした俺は、白露の部屋へと駆け込む。
昨日はつい色々と話してしまったが、会ったばかりのおっさんをそこまで信用してよかったのか?
あの男はたしかに、油断できないと感じていたはずだ。
俺は酔って眠る刀華を、一人にすべきではなかったのだ。
「入るぞ、おっさん!」
返事も待たず、勢いよく襖を開ける。
しかし部屋はすでに蛻の殻で、白露の姿はどこにもなかった。
それどころか、旅の荷物すらない。
「やられたか?」
俺の焦りを見て、刀華もようやく事態を飲み込めたようだ。
いよいよ、これは刀を盗んでトンズラされたという線を疑うしかない。
十月紅影流の跡取り娘が持つ大業物『紅鶴一文字』だ。
売れば金になると、誰でも考えつく。
「秋景殿、これは……文か?」
刀華が蛇腹折りにされた和紙を手に取り、不安げに差し出してきた。
俺は黙って、パラパラとそれを開いていく。
手紙には短い言葉でこう記されていた。
『武士の魂は預からせてもらったでござ〜る』
その一文を見るなり、刀華がうーんと倒れてしまう。
どうやら本当に持ち逃げされたようだ。
「あのタヌキ親父め」
しかしこれは、俺にも責任がある。
まだ近くにいるか?
いや、今から追いかけたところで、見つけられるとは思えない。
俺は気を失った刀華を抱きかかえながら、どうすればいいか思考を巡らせていた。




