長月白露〈4〉
「秋景殿はぁ、明日の朝からぁ、某とぅ、修行だっ!」
大変ご機嫌麗しい刀華ちゃんが、小さなお猪口を高々と掲げて、声高らかに宣言する。
「これからぁ、毎朝だからなっ!」
ちなみに耳の先まで真っ赤に染め上げている。
無事依頼を達成した俺たちは、旅籠の主人から目一杯のおもてなしを受けることとなった。
湯はもちろん、それぞれに七畳ほどの部屋を割り当てられ、こうしてご馳走も用意されたわけだ。
こういう生活も冒険者っぽくて、中々に良いものである。
どこか懐かしくも感じられた。
「おい、白露のおっさんよ」
「なんだ、秋景の旦那よ」
「なに刀華に、酒飲ましてんだよ」
「いや拙者も、まさかお猪口一杯で、こんなになるなんて思わなかったのよ」
「くぉらぁ〜聞いてるのかぁ、秋景殿ぅ〜!」
刀華がポクポクと紅色の鞘で、俺の頭を小突いてくる。
これ明日になっても、ちゃんと記憶に残っているのだろうか。
「秋景殿はぁ〜某の一番弟子でぇ〜、いずれは十月紅影流を広めるのだぞぅ〜。わかっておるのかぁ〜?」
「いてぇ、いてぇって。わかったから」
「ならばなぁ〜もっと鍛錬をしてだなぁ〜もっと強くなっ……てぇ、だ……な……」
刀華が急に、大きく船を漕ぎ始める。
どうやら活動限界が近いらしい。
「でもぅ秋景殿はぁ……飯はぁ、うま、い……の……」
そして遂には、バタンと倒れてしまった。
「寝てしもうたぞ。愉快な嬢ちゃんだ」
「まぁ、見てて飽きないな」
俺は苦笑しながら、刀を抱きしめるようにして眠る刀華を引っ張り、布団に押し込む。
こうして見ると、普通の少女である。
「旦那、まぁもうちょっと飲もうや。男同士の酒も悪くなかろう」
「じゃあ、あとちょっとだけな」
徳利を持ち上げる白露に、自分のお猪口を差し出す。
そういえば俺は、男同士でお酒を飲んだ記憶があまりない。
レーナだと俺の相手はハチ子かラット・シーの住人で、現実世界ではラフレシアだった。
こんど帰ったら乱歩でも誘うか……と、イケメン眼鏡の顔を思い浮かべる。
「なぁ、旦那。儂は此度の依頼で、面白いものをいくつか見たんだが……」
白露の眼光が鋭く光る。
「旦那、いったい何者よ?」
俺はその迫力に押されて、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
まるで剣先を向けられたかのような感覚だ。
「なんのこと……」
「いやな」
白露が俺の言葉を遮るようにして続ける。
「旦那を疑うわけじゃないんだがぁ……あの後、小便ついでに屋敷を見に行ったのよ」
──見られたか。
小便のついでとはよく言う……やはり食えぬ男だ。
刀華が寝てくれて助かった。
「儂と嬢ちゃんで八匹屠っている間に、旦那は二十匹も屠ったのかい?」
言い逃れは出来そうにない。
これはどうしたものか……
「しかも、だ。どの小鬼も、綺麗な横一文字で一刀のもとに両断されている。そのような剣術、儂は見たことがないぞ」
「あぁ……まぁ、その」
鼻先を掻きながら、これ以上は隠せないと判断する。
「あれが合流したらやばいと思って、倒しておいた」
白露が顔を上げて顎先を指でつまみ、目を閉じる。
なにか考えているようだ。
「旦那は藪漕ぎをして、整備された山道を走る儂らよりも、早く屋敷に到着したと?」
「身軽で素早いんだよ、俺は。猿みたいにな」
「そのうえ儂らが八匹屠るよりも早く、二十匹を屠った……か」
黙って頷くと、白露がさらにううむと首をひねる。
「嬢ちゃんの話だと、旦那は訳あって剣術を使えない弱虫のはずだがぁ、それは嘘……なのだな?」
「そうだ、な」
ふむ、と白露が首を縦にふる。
「では旦那がその実力を隠して、嬢ちゃんを見守って旅をしているとしよう。次に残る問題は、この嬢ちゃんだ」
「問題?」
「あぁそうだ。この嬢ちゃん、年の割に相当な使い手だ。が、しかし小鬼退治では、一度も刀を抜いておらん。どの攻撃も、鞘を急所に叩き込むだけだ。それと旦那の行動は、何か関係しているのか?」
抜刀をしていない?
たしかに俺も、刀華が抜いたところは見たことがない。
しかし刀華は、これまでも討伐をしたことがあると言っていたが……
「俺については、まぁ色々あるんだ。刀華を見守ってるってぇのも嘘じゃない。別に俺が戦えることを、刀華に明かしてもいいんだが……あまり目立ちたくないってのが本音だ」
「なるほど、強さを隠すとは臆病者よ。だが、その気持はよくわかるぞ」
「それにな、刀華から剣術を教わりたいのも事実なんだ」
実際、俺のスキルがどう使えるのかも分からないし、この世界での戦闘がどんなものか見極めておきたい。
ハチ子を救うために、失敗は許されないのだ。
「うむ……なるほどな、相わかった。旦那のことは、それでいいだろう。嬢ちゃんにも黙っておこう」
「有り難いね。刀華については本人に聞いてくれ。つっても刀を抜かないことに関しては、もう少し様子を見たい」
「それも心得ておこう。まぁ、多少の予想はつく。十月紅影流と言えば、妖魔軍に皆殺しにされたという“アレ”であろう?」
「あぁ……だとしてもだよ。話すかどうかは刀華次第だ」
「道理だな。明日の朝にでも儂の方から、それとなく聞いてみよう」
少しばかり気づかれるのが早すぎたか。
しかしあの時は、あまり選択肢がなかった。
どうしたものか……と、この時の俺は頭痛の種が増えた気分だった。




