十月刀華〈6〉
「幻影剣の綾女?」
馴染みのある名前に、思わず聞き返してしまう。
「そうだ。黒き衣を身に纏い、闇を自在に操る女剣士だ。その刀は幻影を残し相手を斬り裂くという、妖魔軍の中でも新しい将軍と聞いている」
聞いている限り『残像のシミター』と『フロム・ダークネス』のことだろう。
しかし俺の知っているハチ子はアサシン教団に身を置きながらも不殺を貫いた女性だ。
到底、刀華の両親や門下生を手にかけるとは思えない。
「刀華は綾女を見たのか?」
「いや、直接は……妖魔のうちの一匹が、リーダー格の女にそう呼んでいたそうだ」
……ってぇことは主犯格がハチ子かどうかは分からないな、とひとり頷く。
ともあれ、これで俺の当面の目的は出来た。
刀華についていけば、そのうち綾女という女に会えるはずだ。
「某はこの道場と、十月紅影流を守らねばならない。七支刀に選ばれれば父上と母上、門下生たちの無念も晴らすことができる。当然、金や名誉も手に入ろう。ただ、この悲願を達成するまでは門下生が増えるとも思えぬのでな。貴公がああ言ってくれたのは本当に有り難かったのだ」
「記憶喪失の侵入者なのにか?」
俺が苦笑すると、刀華が首を横に振る。
「これでも人を見る目はあるのだ。貴公は不思議な空気を纏っているが、悪い男ではない。それに理由も聞いて納得できている。宿がないならば、しばらく道場にいてくれるといい。利害も一致しているだろう?」
「でも、俺は刀華についていくぜ?」
意外な返答だったのだろう。
透過は目を丸くして、見つめてくる。
「いや、これは某の戦いだ。貴公を巻き込むわけにはいかぬ」
「ここに居ちゃあ、刀華から剣を教えてもらえないだろ。それにな、またあいつらが来たら、次こそ殺られちまう」
「なんと情けない……いや、記憶がないのだものな。その体つきからして武道を嗜んでいたのだろうが……たしかに、今の貴公は弱い。師として、弱い貴公を置いていくことは無責任というものか」
刀華が、うぅむと考え込む。
「先生の近くで剣を見ていれば、それだけでも勉強になる。それにいつか門下生が増えた時、鍛えられた一番弟子ってぇのは必要な存在だと思うぜ?」
「まったく……貴公はよく口が回るな。いいだろう。明日の朝、すこし実力を測らせてくれ]
「いやだから、俺は弱いって」
「構わん。どれくらい弱いかも知っておかねば、この先の戦いに備えられんのだ」
言っていることは、もっともである。
俺はため息を交えながら、わかったと返事をした。
明朝、少し冷え込んだ道場の中に俺と刀華の姿があった。
昨日と同じく椿色の女袴姿で、腰には赤鞘の模造刀が差されている。
一方の俺は、大小長さの違う黒鞘の模造刀を借りていた。
「いつでも来い」
すぅと目を細めて左手で鞘を抑え、右手で柄を軽く握る。
さて、どうするか。
あくまで、俺の実力は隠しておきたい。
弱さを演じるとして、どうすればワザとらしくならないのか。
幻滅させすぎて、足手まといと思われも不味いだろう。
──強さの片鱗を演出する。
──教え甲斐があると思わせるんだ。
「行くぜ!」
俺を強く声を発し、刀華に向けて駆け出した。
ここでいきなり『シメオネステップ』を使うなんてことはしない。
あのステップは、熟練の武闘家にしかできない動きだ。
格闘術と気闘法は、封印しておいた方がいいだろう。
この世界に忍者がいるのかどうかも分からないのだから、術式は勿論、戦闘術も使えない。
そうなってくると、弱く見せるというのも難しいものである。
「いきなりそのような、雑な間合いの詰め方があるか」
刀華が呆れて構えに入る。
まったくもってその通りだが、俺本来の戦い方は基本こんな感じだ。
俺はそのまま拳を引いて、正拳を叩き込む。
ただし多少足をばたつかせて不格好にだ。
刀華は刀を抜くこともなく、ひらりと右側へ体を回転させて軸をずらす。
「まさか、いきなり無手で殴りかかってくるとは……」
そうだろう、呆れるほど大馬鹿者だろう。
しかし、ひとつくらいは驚かせてやる。
俺は突き出した拳を開き、払う動きで刀華の小袖の襟元を掴んだ。
「なっ!」
驚いた刀華が鞘を持ち上げて、模造刀の柄を俺の腹へと撃ち抜こうとする。
しかし俺は強引に襟を引っ張り、振り回すようにして刀華の後ろへと回り込んだ。
さて、本来ならここから締め技で仕上げるか刀で斬りつけるのだが……俺の反撃は、ここまでにしておくべきだろう。
突如、刀華が全体重をかけてしゃがみ込む。
とてもいい判断だ。
襟を掴んでいた俺は、そのまま引っ張られる形になり大きく体勢を崩した。
「真意・裏打ち!」
同時に鞘の鐺を跳ね上げてくる。
小さな動作で放たれる、鞘を使った背面攻撃だ。
俺は『見事』にそれを腹にくらい、呻き声を発しならがその場で蹲ってしまった。
やはり、この娘は強い。
レーナでも中級冒険者として、即戦力になり得ただろう。
ただこの強さが人外と相対した時に、どれほど通用するのかは疑問だ。
「だ、大丈夫か!」
刀華が慌てて俺の体を起こし、お腹を擦り始めた。
反射的に本気を出してしまったのか……手加減を忘れてしまった自分に、焦りにも似た表情を浮かべて心配してくれている。
実際かなり痛いのだが、ラフレシアの用意した防具が相当頑丈なようで怪我はしていない。
硬気功を使っていたら、痛みすら無かったはずだ。
「あぁ、大丈夫だ。少ししたら痛みも引くと思う」
それを聞き、安心したように表情を和らげる。
「まったく……なぜ、刀を使わないのだ」
「いや、まったく使い方が分からないからな。それなら奇襲を仕掛けた方が面白いかなって」
「たしかに驚いたが……うむ。良い動きではあった。中央で盛んな武術に似ている。もしかしたら貴公は、武術を嗜んでいたのやもしれぬな」
中央の武術……何に対しての中央なのか分からないが、中華要素があるのはそこなのだろうか。
もしかしたらそこには、シメオネのような武術家が存在しているのかもしれない。
「しかし、頑丈な体だ。某にはない柔軟で良い筋肉をしている。羨ましいくらいだ」
刀華が俺の腹部を擦りながら、左手で胸板や首筋を興味深そうに撫でてくる。
俺の防具は加圧シャツのようにピッタリとしているため、筋肉の形がわかりやすいのだろう。
「きっと記憶を失くす前は、腕の立つ男だったのだろう」
鎖骨を撫で、両手で腕の太さを確認し、俺を見上げ、そして目が合う。
そこで刀華が我に返ったかのように目を見開き、大きく息を呑みこんだ。
「あわっ、ちっ、違うのだ!」
慌てて数歩う後退り、両手をパタパタと忙しなく振り始める。
「と、と、と、殿方の体を、こんな……」
どんどんを頬を赤らめていく。
なんだこれ、可愛い生き物だな。
思わずニヤけてしまいそうだ。
「す、すまぬ。今日の稽古は、ここまでだ。旅の支度をしてくる!」
そう言って、刀華は逃げるように道場から出ていった。
どうやら俺は旅の同行を許されたようである。




