十月刀華〈5〉
風呂を終えた俺は道場にある縁側で座り、庭を眺めていた。
なんと落ち着く光景なのだろう。
あの『塔と階段ばかり』の宇宙船も住めば都だと思っていたが、自然が豊かで美しい仮想世界に入り浸っていたいという『フルダイブ・ジャンキー』の気持ちも理解できる。
茂みから聞こえる鈴のような心地よい鳴き声が、郷愁にも似た感情を呼び起こす。
「こんなところで、涼んでいたのか?」
俺があぐらをかいて浸っていると、寝間着姿の刀華がやってきた。
手には、徳利とお猪口を持っている。
「今日は世話になった。もてなすつもりが、飯の支度までされてしまった」
「文無し、宿無しの身であるこの俺に、住処と風呂に飯まで提供されたんだ。先生には、恩義しかありませんよ」
「せっ……よしてくれ。こそばゆいのだ」
少し気恥ずかしそうにしながら徳利を置くと、右手で着物の裾をそっと整えながら正座をする。
刀華は、さりげない所作の一つひとつが美しい。
「秋景殿、一献交えましょう」
ハチ子を想起させる言葉遣いに、思わずドキリと心臓を高鳴らせてしまう。
「如何した?」
俺が黙っていると、少し不安げに首を傾げてきた。
「いや、急に名前で呼ばれたからさ」
「驚いたのか。今は貴公よりも、名前の方が良いと判断したのだ。このお酒は、親睦を深めるためだからな」
「先生は律儀だな」
「だから、その呼び方はやめろ。こそばゆいと言っただろう」
そこで照れていたら、この先門下生が増えた時にどうするつもりなのだろう。
「昼間は某のことを、刀華ちゃんと呼んでいたではないか」
「あの時は門下生じゃなかったしな。なんて呼べばいい?」
刀華がお猪口にお酒を注ぐ。
「皆の前では『先生』でもよいが、そうでなければ『刀華』でよい。貴公は年上の殿方なのだ」
俺はお猪口を受け取ると、目の前で軽く掲げる。
「じゃあ、刀華と……俺は……まぁ好きに呼んでくれ」
「……では、これまで通り『貴公』と、『秋景殿』だ」
「んじゃぁそれで、乾杯」
そう言って、喉に酒を流し込む。
熱い感覚が喉の奥へと伝わっていく。
刀華のぶんがないのは、まだ飲めないからだろう。
一人で飲むのは何とも申し訳ない気分である。
「それにしてもな。昨日の夜中に会ったばかりの賊に対して、もてなしすぎじゃないか?」
「賊ではない。今は某の門下生だ」
真面目な表情で言い返される。
「たしかに自分でも驚いているが……これが運命でなければ、なんとするのだ」
「だとしても、こんな得体のしれない男に気を許すのは、少しばかり時期尚早だと思うけどな」
「それほどまでに困っていたのだ……」
刀華の声色が、わずかに揺れる。
「二年前、妖魔軍の将軍に某の両親と門下生が殺された話は聞いたな?」
黙って頷く。
妖魔軍について聞きたいところだが、それはあとでもいいだろう。
「あの頃……まだ未熟だった某は、父と親交の深かった『鳳月流』の道場に身を置いた。それから父の流派『十月紅影流』を習得するのに二年もかかってしまった」
「それで道場を再建するために戻ってきたのか?」
「それもある」
刀華が視線を落とし、拳をぎゅうと握る。
「しかし、それはまだ先の話だ。某には、やらねばならぬことがある」
今度はキッと月を睨むようにして顔を上げる。
「某の全てを奪った妖魔軍の将軍を、この手で倒すのだ」
仇討ちか。
なぜに泡沫の夢である彼女が、これほど酷い仕打ちを受けてしまったのか。
ただ普通に町民Aとして過ごしていれば、いいのではないのか。
これではまるでRPGのクエストだ。
「ここから七日ほど南に行くと、雑賀という街がある」
決意に満ちた目で刀華が続ける。
「雑賀の街では、妖魔軍を討伐するための『七支刀』と呼ばれる剣術家を選抜する試験が行われている。そこで選ばれた剣術家は、七人の剣神のうち一人から奥義を授かり、妖魔軍の将軍と戦うことになる」
試験……奥義の伝授……そして討伐。
いよいよ話の規模が、道場の再建どころではなくなってきた。
「某はその試験を受け、奥義を授かり、この手で仇敵を討つ! 妖魔軍の将軍、幻影剣の綾女を!」
刀華は拳を胸に当て、そう声を上げたのだ。




