十月刀華〈1〉
反射的に重心を落とし、腰に差した刀に手をかける。
しかしその不用意な行動が、さらに相手を刺激してしまった。
「動けば斬る」
黒髪の女が足を静か滑らせ、腰の刀に手を伸ばす。
二年以上ひとが住んでいない廃墟だと言っていたが、これはいったい何の手違いだ。
しかも目立つなと言われていたのに、いきなり戦闘はまずいだろう。
「待ってくれ。そんなつもりはない」
両手を軽く上げて戦う意志がないとアピールをする。
しかし女は警戒心を緩めない。
「人が住んでいるとは、思っていなかったんだ」
なんと苦しい言い訳だ。
これで納得するとは到底思えない。
「物乞いや宿無しにしては、随分と羽振りのいい得物を差しているな」
冷静で、よく通る声だ。
その強い口調に風格すら感じる。
「賊の類か? ここには金目の物なんてないぞ?」
今にも刀を抜きそうな姿勢で、ゆっくりと近づいてくる。
「宿に困ってただけで寝れればどこでも……このまま退散するから見逃してくれないか?」
「……納得するには足りぬな」
女が、すぅと目を細める。
このまま強引に逃げ出したほうがマシだろうか。
いや、下手に実力を見せるよりも、ダメもとで作り話をでっち上げた方がいいだろう。
「街につく前に野党に襲われたんだ。命からがら逃げ出したものの、見事に文無しになっちまった」
あからさまに訝しむ目をしてくる。
しかし、話は聞いてくれているようだ。
「その証拠に、俺は腹ペコだ」
腹を抑える仕草を見せると、ようやく警戒をといてくれた。
「ここは宿でない。通りに出て南に向かえば安い宿もある。そこならば、飯も食えよう」
どうやら、文無しは信じてくれなかったようだ。
まぁ見逃してもらえただけでも、有り難いというものだろう。
俺は軽く頭を下げると、両手を胸の高さまで上げたまま廊下へと向かう。
まだ、後ろから斬られるのではと警戒しながらだ。
「おい」
あと少しで外に出られるというところで、声を掛けられる。
「貴公が腰に差している物は、飾りではあるまい。貴公は強いのか?」
俺は静かに首を横に振る。
「道具が立派なだけで、腕はかっらきしで……だから野党相手に、ひぃひぃ言って逃げてきたんだ」
「……そうか、ヘタレなんだな」
少し残念そうに言われる。
というかダイブして早々に、そのワードを投げつけられるとは思ってもいなかった。
ラフレシアが聞いたら腹を抱えて笑うだろう。
俺は軽く頭を下げて外に出ると、大通りへと向かう。
通りは提灯がいくつかぶら下がっているだけで薄暗く、人通りも少ない。
「どこに行っても、まずは宿探しなんだな」
そもそも廃墟を拠点にするはずが、どうしてこうなったのだ。
帰ったらラフレシアを苛めてやろうと心に決める。
目を凝らしてみると、遠くの方に旅籠と書かれた提灯が見えていた。
あれが先ほど言っていた宿だろう。
「つぅか、金はあるのか?」
独り言をつぶやきつつ、体をポンポンと叩いていく。
どう見てもない。
まさかの文無しスタートだ。
「あいつ、武装に頭が行き過ぎて金のことを忘れたな」
さてこれは困ったぞ……と、腕を組んで辺りを見渡す。
その辺で寝るにしても、けっこう目立ってしまう。
どうしたものか考えながら、とりあえず先ほどの道場までもどる。
「やっぱり、あそこか」
俺は周りに人の気配がないことを確認し、助走をつけて音を立てないように優しく壁を蹴る。
そしてそのまま屋根の縁に手をかけ、するりと屋根の上まで登ってしまう。
ここの建物は、ほとんどが平屋だ。
テレポートダガーが失くなったとはいえ、もともと忍者である俺にとってこの程度の高さは事も無しだ。
俺はそのまま屋根の上を進み、庭の方へと向かう。
「とりあえず、ここで寝ちまえばバレやしないだろう」
流石に屋根の上までは見に来まい。
朝になるまでの我慢だと自分に言い聞かせ、俺はその場で眠ることにした。
どれくらい時間が経ったのだろう。
チュンチュンと、スズメの鳴く声が聞こえた。
こんなに虚しい朝チュンがあっていいのだろうか。
早くも鈴屋さんが隣にいればな、などと考えてしまう。
「うん……」
あさひが眩しい。
軽く手を当てて目をかばう。
「起きたか」
突如、陽の光を遮るように影が生まれる。
驚いて目を開けると、そこには若い女が膝を抱えて座っていた。
年齢は十六歳くらいだろうか。
凛々しく精悍な目付きをした、品格が漂う女性だ。
身長はそれほど高くない。おそらく、百五十半ばくらいだろう。
手入れの行き届いた黒髪を両サイドと後ろの三箇所でまとめていて、後ろで纏めた髪は腰までの長さになっていた。
着物は腿が見えるくらいまでたくし上げていて、その下には黒くてぴっちりとした布のパンツを履いている。
昨日差していた刀は見当たらない。
「あ……」
驚く俺に対し、女は両手を頬に当て呆れたような表情を浮かべた。
「雨漏りがしていたから、今日は瓦を直そうかと思ってたんだが……」
見れば、庭から梯子がかけられている。
つくづく最悪のタイミングだ。
「追い出されたからと言って屋根で寝るか? 貴公は本当に文無しなんだな」
俺が黙って頷くと、女はやれやれと息をついた。
「某は、十月 刀華と申す」
真っ直ぐに見つめてくる。
強い志を持つ剣士の目だ。
「俺は……明是 秋景だ」
刀華は一度だけ頷いて立ち上がると、手を差し伸べてくる。
「空腹だと言っていたな。来い。茶屋で団子でも馳走しよう」
そう言って、僅かに笑顔をみせてくれたのだ。




