最果ての斑鳩へ〈2〉
俺がこれから潜ることになる『最果ての斑鳩』は、麻宮七夢が設計した七つの仮想世界『セブン・ドリームス・プロジェクト』のひとつで、和と中華の要素が多く詰まった世界観となっている。
元々の制作会社は『羅喉』だ。
羅喉は仮想世界『THE FULLMOON STORY』を制作した会社と同じで、『最果ての斑鳩』はレーナから東方にある『国交がない超異文化国家』という設定で実装される予定だった。
つまり、未実装のまま『セブン・ドリームス・プロジェクト』に買われたのである。
そのため『最果ての斑鳩』における設定やルールについて、詳しく知っている人物は少ない。
七夢さんも今のところ事故の被害者をダイブさせていないため、深くは知らないらしい。
ただこの世界にある侍の奥義スキル『一閃』が「強そうだったから」という理由で、俺に習得させたということしか聞かされていない。
「……ってことは今はAIのみが稼働している、ある意味『無人』の世界なんだな?」
俺が手渡された薬を飲みながら、ラフレシアに話しかける。
ラフレシアは軍用蘇生ポッドの起動チェックを行なっている最中だ。
ちなみにこの薬はダイブ前に飲んでおくもので、ナノマシンに対して拒絶反応を起こさない効果があるらしい。
「あぁ。もし人がいるとしたら、ドリフターだけダ」
いつも通りガムを膨らませながら答える。
「ウイルスもいる可能性があるから、感覚共有エンジンは切っておくゾ」
「あぁ……いや、それは切らないでくれ」
ピタリとラフレシアの手が止まる。
そして、あからさまに抗議の目を向けてきた。
ラフレシアが反対するのは当然だ。
ドリフターである俺がウイルスの攻撃を受ければ、プラシーボ効果を発症し現実世界で癒せない傷を負ってしまう。
しかもラフレシアは、ウイルスが侵入した原因は自分にあると思い込んでいる。彼女に余計な罪悪感を背負わせないためにも、感覚共有エンジンを切っておくことが正解だろう。
それでも、俺は譲れなかった。
真っ直ぐに彼女の目を捉えて話を続ける。
「ハチ子はドリフターだ。もし彼女が危険な状況に陥った時、俺だけが安全というわけにはいかない。それに頭のどこかで自分は安全だとわかっていると、いつか必ず油断が生じる。それが原因で彼女を守れなかった〜なんて展開は、洒落にならないからな」
ラフレシアが黙って考え込む。
頭ごなしで否定をしないところは、彼女の美点だ。
いつだって味方でいてくれる、彼女にだからこそ言える我儘だった。
やがて彼女は、真剣な面持ちで口を開いた。
「鈴やんには言ったのか?」
俺が首を横に振ると、呆れた表情を浮かべる。
「怒られるゾ?」
「だろうね」
苦笑する。
いつものことだ、なんて思ってはいない。
鈴屋さんを心配させることは、悪いことだと理解している。
しかしハチ子を救うまでは、俺の考える『最善』で挑みたいのだ。
「あとで、しっかり怒られろ。その時は、オレも一緒に怒られてやる」
そして再び手を動かし始める。
「それからハッチィは、自らの名前を知っているという異色のドリフターだ。連れて帰るために必要な第一の工程、名前を思い出す必要はない。おそらく『最果ての斑鳩』は現実じゃないと、強く認識させるだけでいいはずだ。そしてソレはアキカゲにしかできない」
「俺にしかできない?」
「そうだ。ハッチィが信じるとしたら、アキカゲの言葉だけだ。だからもう、アキカゲにしかハッチィは救えないんだ」
他のサルベージャーでは救えないということか。
思っていたよりも責任重大だ。
「オレと鈴やんは長期ダイブをしたせいで、まだダイブができない。しばらくは、アキカゲの単独行動になる。まぁそれでも、バックアップができるように色々と考えてはあるケドな」
「おぉ、なにそれ?」
「まだ教えない。その時が来たら……ナ」
どうにも、合法的な手段とは思えない含みの持たせ方だ。
とはいえ俺のダイブも七夢さんが黙認しているだけで、非合法な手段である。
ここは楽しみにしておこう。
「少しお勉強だ、アキカゲ。アバターについてだが、基本的に『七夢』内ではログが残るから、他の世界から移動させるのは難しい。痕跡を残さず別の世界に移動できるのは、電脳世界に高い適応力を持つドリフターだけだ」
「え、そうなの? アルフィーの時はどうしたんだよ?」
「レーナにいる既存の泡沫の夢をハックした」
さらりと答えるウィザード級ハッカー。
たまに、こいつが恐ろしい。
「なんダヨ、その顔は。そもそもレーナにいた『白毛のアルフィー』は、『THE FULLMOON STORY』でオレが使っていたアバターだ。それに泡沫の夢として動いていたAIも、ゲームで遊んでいた時のオレを勝手に解析して造られたものだ。乗っ取ったのではなく、一時的にアカウントを返してもらったダケだからな?」
なるほど……まぁ、言っていることは間違っていない。
「じゃあ、あのアルフィーって今はどうしてるんだ?」
「オレがログアウトした時点で、泡沫の夢として勝手に動いてるはずだ。だから他の世界へは、コンバートは出来ない。何度も言うが、痕跡を残さずに移動できるのはドリフターだけなんだ」
「なるほど。でもよ、既存の泡沫の夢をハックするのは出来るんだろ? それってつまり最果ての斑鳩でも、適当にアバターをハックできるってことじゃないのか?」
ラフレシアが手を止めて、ジト目を向けてくる。
「アキカゲがそれを嫌うと、オレは思ったんだが?」
「うっ……」
たしかに……泡沫の夢には独立した人格や個性を感じたし、生きていると思えた。
それがたとえ現実世界の誰かを元にして作られたAIだとしても、他人が好き勝手に操っていいものではないだろう。
「じゃあ今回は、本当に俺一人なのか」
「そうなるナ。ただし鈴やんは『セブン・ドリームス・プロジェクト』に所属している。いわゆる『公式』のアバターだ。麻宮七夢が認めれば、サルベージャーとして堂々と他の世界にコンバートできるだろう。オレは……無理ダナ。まぁ〜いろいろ考えてあるから、安心シロ」
にししっと、悪そうな笑みを浮かべている。
なにか企んでいるようだが、先程のバックアップの話につながるのだろう。
「それからナ……麻宮七夢の協力で、アキカゲが前回ドリフトした時の記録と、ハッチィを強制ドリフトさせた時の記録を解析させてもらった。そのおかげで、アキカゲのアバターをコンバートする前にちょちょ〜いとイジれるんダケど……何か希望はアルか?」
「希望?」
「そうだ。バレずにイジれるぞ。チートだ、チート」
また、悪そうに笑みを浮かべる。
こういう行為は、ハッカーの血が騒ぐらしい。
「強くてニューゲームか。いやでも七夢さんには、あんまり目立つなと言われてるからな。いいよ、前のままで」
「前のままだと、テレポートダガーは無いぞ?」
なぬ、と思わず身を乗り出す。
「魔王アカゼ戦で、ハッチィがリターンを使って持って行ったダロ。アキカゲがそのままハッチィをドリフトさせたから、今の所有者はハッチィだ」
「あぁっ! そうか、そうだった」
「あとな。流石にまんま『あーちゃん』の姿で行ったら、月の目に見つるかもしれないからナ。まぁバレても、麻宮七夢がなんとかしてくれるとは思うケド」
ふむ、と顎に手を当てる。
派手に動けない。
とはいえ、新規アバターでゼロから育てるのはバカバカしい。
「じゃあ取り敢えず、見た目は今の俺の姿をトレースしよう。装備は『最果ての斑鳩』にあっても変じゃない物で……あとは任せるよ。あぁでも、スキルは全部持ち込みたい」
「了解だ。アキカゲのスキルが使えそうな……侍と忍者っぽいやつで、前とは違う装備を見繕ってやろう」
ラフレシアが、空中で何かを打ち込み始める。
なぜか楽しそうだ。
「初期ダイブの場所は、二年以上ひとが住んでいない廃墟にするゾ。とりあえずそこを拠点に使うといい。まずは世界を理解するために、現地で泡沫の夢を一人捕まえて親密になれ」
「親密にって……一人で良いのか?」
「そうだ。目立ちすぎないように、一人に絞るべきダ。色々聞き出して、利用しろ」
「うぅん。俺、そんなに器用なことは出来ないぞ」
「オレもソウ思う。まぁだから、とりあず頭に置いておくだけでいいダロ」
とりあえずは一人、誰か利用するしかないわけだ。
ハチ子の影を追うにも、まず世界を知らないと話にならない。
これは中々の長期戦になりそうだ。
「オレの準備は夕方には終わる。アキカゲも……最後の準備を終わらせておけ」
「あぁ……そうだな」
七夢さんと乱歩とは、何度か打ち合わせをしてある。
システム関係は、ラフレシアと七夢さんに任せておけばいいだろう。
であるならば、俺がしばしの別れの挨拶をしておくべき人物は一人だけだ。
俺は黙って頷くと、ソファから立ち上がった。




