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爪痕〈11〉〜明是ルート〜

 それから三ヶ月が経つ頃──

 ラフレシアのおかげもあって、俺も随分と宇宙船の生活に慣れてきていた。


 一日の日課はあまり変わらない。

 運動と社会見学を兼ねて、宇宙船内の色々な塔へと出かけるのだ。

 あまりに遠いときは、泊りがけで出かけることもあった。

 何せ居住塔のある空間は、とてつもなく広い。端っこまで歩いて行くなんて、現実的ではないレベルだ。

 リニアバスという移動手段もあるのだが、いまだ周辺の探索ばかりである。


 運動といえば、何度かラフレシアとも手合わせを行った。

 彼女は『白毛のアルフィー』としてダイブしている間、感覚共有エンジンを使用していたため現実世界でも普通に強い。

 ちなみにウイルスの攻撃を受けたこともあるようだが、プラシーボ効果は発症しなかったようだ。

 それはつまり、ドリフターの資質はないということでもある。

 七夢さん曰く、俺や乱歩のようなドリフターは、ダイブシステムに対する適応力が極めて高いらしい。


 通常、長期間仮想世界にダイブしていると、脳の感覚領域が非常にアクティブになる反面、自己認識や論理的な要素が衰えていく。前頭前皮質の活動が低下し、他の感覚領域が刺激されているため、虚構と現実の区別がつかなくなるのだ。

 そうなってくると、仮想世界を現実と思い込んでしまい帰ってこれなくなる。

 また、強引に帰還させたとしても、ここが現実だと認識できない。

 七夢さんが、帰還した直後に現実認識の問答をするのは、このためだ。


 しかしドリフターの場合、そういった長期間ダイブによる弊害がなく、たとえ十年ダイブをしたとしても健全な精神のまま肉体にもどってこれるそうだ。

 もっともその間にウイルスの攻撃を受ければ、プラシーボ効果を発症して治療不可能な傷を負ってしまうため、おすすめはされない。


 とにかく俺とラフレシアは、とあることを調べたり色々と計画を企てたりと、ほとんどの時間を共有していた。

 唯一ひとりの時間があるとすれば、朝昼夕のランニングだけだろう。

 この日の夕方もそうだった。


「んじゃぁ、行ってくるよ」

 俺はそう言って、ARの機能がついた赤いマフラーをくるりと巻く。

 しかし、ラフレシアは決まっていい顔をしない。

 不満げにガムを、ぷぅと膨らませるのだ。


「アキカゲはいつも、どこを走ってるんだ?」

 ソファで寝そべりながら聞いてくる。

 手に持っているのは、プレミアがついているレトロゲームだ。


「普通に、その辺の公園めぐりだよ」

 ラフレシアが、更にガムを膨らませる。


「上野みたいな、か?」

 ギクリとしてしまう。


「読んだぞ、鈴やんとの物語」


 物語……出てたのか。

 たしか当事者である俺には閲覧不可項目になっていて、なんだかよくわからない技術で見れないらしい。

 どんなふうに書かれているのか読んでみたいものだ。

 今度、乱歩と七夢さんの物語でも読んでみるか。


「アレわかりづらくしてるけど、二人の間で決めたギリギリのワードだったな。鈴やんがアレを覚えてると思っているのか?」


 痛いところをついてくる。

 もちろん俺も、あんなあやふやな口約束を覚えてくれてるとは思っていない。

 ただ赤いマフラーをつけて歩いていれば、もしかしたら見つけてくれるのではと期待をしているのは事実だ。


「どうだろうな。ただ、そろそろ退院する頃だろ? もしかしたら、とは思ってるよ」

 ラフレシアは目を合わせることもなく、そう、とだけ答えた。

 彼女はレーナのアルフィーとして、鈴屋さんのことをどう思っていたのだろう。

 そしていま、この現実世界のラフレシアとしてはどう思っているのだろう。


「ラフレシアは会いたくないのか?」

 しばしの沈黙……というよりも熟考。

 それほど悩むことなのだろうか。


「会ったら喧嘩するかもネ」

 いかにも面白く思っていない口ぶりだ。

「なんでだよ。あんなに仲良かっただろ?」

「あれは仮想世界での話だ。ここだと状況が違う。オレにだって譲れないものがあるんダヨ」

「なんだよ、そりゃ」

 頭を掻いて聞いてみるが、やはり答えてくれない。

 仕方なく、そのまま外に出る。


 夕方になれば、船内も徐々に暗くなってくる。

 明るさで時間の経過を感じさせないと、人間の生活バランスが崩れるためだ。

 外灯もあるのだが、マフラーのAR機能を使えば辺りが明るく補正されるため、暗さはそれほど気にはならない。


 船内は温度管理がされていて、マフラーなんていう防寒具も必要ない。

 ストールならまだ見かけるが、真っ赤なマフラーなんてしている奴は皆無で、正直かなり目立つ。

 これなら鈴屋さんも、ひと目でわかるはずだ。

 

 と……そこに、いつもは表示されないナビゲーション矢印が現れた。

 ドクロネズミのマークが出ていることから、ラフレシアが送ってきたものだろう。

 かるく空中でタップすると『条件に近い公園はここだ』というメッセージが付いていた。

 なんだかんだ手助けしてくれるのだから、ありがたい。

 俺はその日からラフレシアに従って、その公園に行くことを日課としたのだ。






 あれから公園に通って何日目のことだろう。

 俺は腕の中で、わんわんと派手に泣いてる鈴屋さんの頭を撫でていた。

 それがガラの悪い男どもに絡まれたせいなのか、再会の感動からなのか、背負わなくてもいい罪悪感が少しは軽くなったせいなのかは分からない。

 とにかく彼女は、よく泣いていた。


 俺はというと、やっと会えたという気分だ。

 まぁここまで七夢さんやラフレシアが、お膳立てしてくれたのだ。

 会えないわけがなかろうよ。


「少しは落ち着いた?」

 優しめのトーンで聞いてみると、鈴屋さんがこくんと頷いた。

 俺は彼女の肩を抱いたまま、とりあえずベンチに座ると、少しの沈黙を楽しんだ。


「いつ退院したの?」

 鈴屋さんの状況はある程度聞かされていたが、退院の日程までは俺も知ることは出来なかった。

 だから彼女の口から「今日だよ」と聞かされた時は、思わず吹き出してしまった。

 彼女もまた、社会復帰初日から激動の一日を迎えてしまったからだ。


「あー君は、何してたの?」

 心地の良い呼び方だ。

 やはりこの呼び方のほうが、しっくりくる。


「色々とあったぜ〜。紹介したい人もいる……」

「それより、あー君」

 かぶせ気味に聞いてくる。

「さっきのキスのことなんですけど」

 淀みのない綺麗な黒目が、じっと見つめてくる。


「う……なに、もしかして怒られますかね?」

「そうじゃなくて……その……あれはアレで、とても素敵ではあったのだけど……」

 少しだけ赤くなって目をそらす美少女。

 端的に言って、死ぬほど可愛い。


「いつの間に、あんなに積極的になったのかなって」

「へ?」

「だって、もっとヘタレだったじゃない」

「ひどっ!」

 思わず声を上げて反論してしまう。

 しかしよくよく思い起こせば、この三ヶ月やたら「ヘタレ」と言われていたので少し耳が痛い。


「アキカゲはヘタレだからなー、仕方ないよなー」

「そうそう〜。あー君って、もっとヘタ……」

 そこまで言って鈴屋さんがピタリと止まる。

 ぎょっとして振り返ると、後ろの茂みから蛍光グリーンのコートに身を包んだラフレシアが、にゅっと身を乗り出してきた。


「よっ、さっきぶりだな、鈴やん」

 ラフレシアが右手を上げて挨拶をすると、ベンチに足をかけて俺の右側に座ってくる。


「あ、あの……ラフレシアさん。先程はどうも……」

 警戒心マックスで頭を下げる鈴屋さんに対し、ラフレシアはいつも通り不愉快そうにガムを膨らませる。

 一方の俺はというと、ラフレシアが俺よりも先に鈴屋さんと会っていたという事実に驚きを隠せないでいた。


「鈴屋さん、なんでラフレシアのことを知ってんの?」

 とりあえず鈴屋さんに聞いてみる。

 ちなみにラフレシアは、ARで何か作業をしているようだ。

「さっき、あー君の家に行った時に……」

「え……俺の家しってるの?」

「だって、私の家と同じ塔だもん」


 唖然とする。

 つまり公園なんかで探し回らなくても、普通に鈴屋さんの家の前にいればよかったのだ。


「アキカゲはバカだなー」


 思わずラフレシアにジト目を向けてしまう。

 ……わざとだ。

 知ってて黙っていたな。


「それはそうと二人共、この動画を見たまえ」


 ピコンとARが反応する。

 視界の端に『ラフレシアさんからの動画データです。データの共有をしますか?』という文字が出ていた。

 俺と鈴屋さんは顔を見合わせて、それぞれ同時に『YES』の文字を押してみる。

 自動で再生された動画は、つい先程のキスシーンだった。


「キャアッ!」

 思わず顔を覆う鈴屋さんに対し、俺がラフレシアの頭をパシンと叩く。

「なに撮ってんだ、おまえはっ!」

「記念だ、記念。見ろ、鈴やんが悲劇のヒロインのように泣いて、自分に酔いしれてるゾ」

「そ、そんなんじゃないしっ!」

「ナレーションも入れといたゾ」

 そう言って、ニヤニヤと笑みを浮かべるラフレシア。

 動画の終わりでは、徐々に画面全体が真っ白になっていき……


『二人はずっと一緒なのだから──』


 という文字だけが、ゆっくりと浮かび上がってきた。

 とたんに鈴屋さんが、なぜか俺の肩をバンバンと叩きながら悶絶し始める。

 どうやら羞恥の極みらしい。

 見ようによっては、喜んでいるようにも見える。

 とにかく可愛い。


「お前な……」

「これもプレゼントしよう」

 またしても、ピコンとARが反応する。


「なんだよ。また動画か?」

 俺は半ば呆れながらそれを許可する。

 鈴屋さんも左手で顔を覆いながら受け取ったようだ。

 そこに流れてきた動画は……


『覚えているか? アキカゲ。あの時も……リザードマンニクスと戦う直前に、オレがこうしてアキカゲの目を覗き込んだのを……』

 膝枕をしながら俺を見上げて涙を流すラフレシア。

 そして動画が進み……

『きっと、アキカゲの他にもいるんだ……オレが……オレが……』

 そこで俺がラフレシアの首を左手で掴み、無理矢理に唇を塞いだ。


 塞いだっ!?


「お、お前、動画を加工したな! 俺は間に指を挟んだはずだぞ!」

「鈴やん、アキカゲが積極的になった理由はこれなんよ〜」

 ケタケタと笑うラフレシアに、鈴屋さんが小刻みに震えだした。


「ちょっと待って、あなたアルフィーなのっ!? ていうか、あー君、サイテー!」

「待て、落ち着け、捏造だ。動画の解析をしてくれぇ!」

 俺の悲痛の叫びから、鈴屋さんが動画の解析をしてくれるまで、三十分はかかってしまった。

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