爪痕〈9〉〜明是ルート〜
「しかし、あんまり人に見せられない部屋だよな……」
俺はハートの形をしたソファに身を預け、白湯を喉に流し込んでいた。
「片付けた感ゼロだな」
床の上にはレトロを通り越して骨董品レベルのゲームが、乱雑に置かれている。
服と下着とゴミだけは、どこかに隠したのだろう。
窓は透過から不透過へ自由に調節できる優れものだ。
ラフレシアは部屋の中を見られたくないからか、外から見えないよう不透過にしている。
今は俺の希望で、外の景色が見えるようにマジックミラーのような状態になっている。
部屋の中には家具らしい家具もなく、あるのは彼女が使っていた大きめのベッドくらいだ。
台所は使った形跡すらない。
そんな中でひときわ異彩を放っているのが、このハート型のラブソファである。
ソファとベッドしかないのだから、自然と俺の居場所がここになってしまうのは仕方のないことだろう。
まさかベッドで一緒に寝るわけにもいかないし、しばらくはこの恥ずかしいソファが俺の相棒となるはずだ。
ゆったりとしたフリースっぽい素材の部屋着に身を包んだ俺は、すっかり落ち着いてしまっている。
こんなものが自宅で作れてしまうとは、すごい時代だ。
あのプリンターボックスは外からパイプで繋がれており、遠隔操作で素材も補充できる。
食べ物などは作れないが、多種にわたる素材を多様な技法で編み込んだり、市販のナノマイクロマシンを埋め込んだりも出来るらしい。
原理を聞いても理解できそうにないので、そういう便利な箱だというふうに認識にしてある。
「お、言いつけ通り白湯を飲んでるな。感心、感心〜」
ラフレシアがワインを片手に持ち、俺の隣にボスンと座る。
あの店では薄暗くて気づかなかったが、このラブソファは真ん中に向けて傾斜がついており、自然と体が寄ってしまうような造りになっていた。
というかラフレシアは、そんな事とは関係なくガッツリ俺にもたれ掛かってきている。
「お前ね……あの店で口説くなとか、自覚しろとか言ってたけど、今のお前の距離感こそ誤解を招くぞ?」
しかしラフレシアは俺の肩に背中からもたれたまま、直接ワインに口をつける。
酒には強いらしいが、このまま酔っ払ったら俺が介抱することになるんだろう。
「口説くなとは言っていない。自覚して口説けと言っている」
「あぁ、まぁそうなんだろうけど」
「あと、誤解なんかじゃない。オレはアキカゲのことを……その……誘ってるゾ?」
そこで急に照れるなよ……返す言葉に困るじゃないか。
俺が無言でいると、ラフレシアが肩を落とすような仕草をする。
「ヘタレだなぁ、アキカゲは……」
しみじみと言われた。
「いや……ラフレシアと会ったのは今日が初めてなんだぞ。それなのに、何でお前はさ……俺の世話役を買って出たり、こうして好意を寄せてくれているような素振りを見せるのかさ……俺には理解できないんだよ」
ラフレシアが床にワインを置くと、ゆっくりとした動作で俺の膝に頭をのせてきた。
「おい……」
「こうしてるとな」
ラフレシアが言葉を遮るように続ける。
「何ていうか……不思議と安心するんだ」
少し甘えるような口調で、俺の腿に手を置く。
見たところ家族もいなそうだし、中身は普通の寂しがり屋な少女なのかもしれない。
「アキカゲには、これをプレゼントしよう」
ラフレシアはそう言って、ポケットからキーホルダーを取り出す。
見れば、先程プリンターで造られていた黒猫のキーホルダーだ。
「オレとおそろいだ。大事にしてくれよな」
「お……おぅ、ありがとう。なんで黒猫なの? 流行りのキャラか何か?」
その質問に対しては、違うよとだけ答えられた。
「さっきの質問の続きだ。アキカゲのことは、ずっと前から知ってるよ?」
ラフレシアがそのまま体を回転させると、足を組んで寝転がり、頭を上に向けてくる。
まっすぐと俺の目を見つめてくる汚れのない双眸に、なぜだか吸い込まれそうな思いがした。
「今から少し、昔話をしよう」
彼女はそう言って、少し儚げに笑った。
時間は三年前、彼女が十五歳だった時に遡る。
早くに両親をなくし、生活に困らない程度の遺産を手に入れた彼女は、勝手気ままな生活を送っていた。
彼女はその時から有名なゲーマーで、ウィザード級のハッカーだった。
特に彼女が気に入っていたゲームは、当時人気だった『THE FULLMOON STORY』だ。
「あのゲームはやり込んだよ〜。仲間との戦争イベントは熱いし、冒険もできるしね〜」
「あぁ……まぁ、つい昨日までいた世界だから、なんとなくわかるけど……戦争イベは無くなってたなぁ」
「そりゃそーだろ。危ないもん」
たしかに彼女の言う通り、何も知らないドリフターが戦争ゲームに飛び込んだら、それこそトラウマになるかもしれない。
その辺は、七夢さんが改良したのだろう。
「なのにさぁ〜、いきなりサービス終了してさぁ」
「そうなのか?」
「そうだよ〜。誰かが起こした事故にスペースバスが巻き込まれてさぁ〜、月のリゾートに行こうとしてた金持ち共を助けるために、7つのフルダイブワールドを利用するとかでさ〜。強制的にサービス終了されたんだよ〜」
むぅ、と言葉を飲み込む。
俺がその当事者であることも、七夢さんがそのプロジェクトリーダーだったことも知っての台詞だからだ。
彼女は、それはもう不満あり気に口を尖らせる。
「しかもだよ? その時のプレイヤーのデーターを使って、AIを作るとか言うんだ。オレの入れない世界で、オレの分身が勝手に作られて生活するとか、おかしいだろ?」
泡沫の夢のことだろう。
たしかに、彼女の言い分はもっともだ。
下手したら自分の分身が見知らぬプレイヤーと、肉体的な関係をもつ可能性があるわけだ。
女性なら尚のこと、嫌かもしれない。
「まぁだから、七夢はクローズドシステムを使っているんだろうけどね。AIとはいえ、元となっている人格は一般市民のものだ。何かあったら問題になりかねないしな」
なるほど。
それもあって完全な管理下の中、サルベージャーしか入れないようにしたのだろう。
七夢さんなりの配慮だ。
「それでもオレは、あの世界に未練があってね。ハッキングをして入り口を見つけたんだ」
「……すんげぇな。本当にハッカーなんだな、お前」
「そうだ。オレはラット・ゴースト。どんなところにだって、入っていけるんだ」
ラフレシアが肩をすくめながら、少し得意げに話す。
「それで、フラジャイルになったのか?」
しかし、それには首を横に振って否定する。
「オレはひっそりと、あの世界を楽しんでいただけだよ。でも、ひとつだけ間違いを犯した。かつての仲間に、入り方を教えちまったんだ」
ラフレシアが少し動揺しているように見えた。
「それから一気に入る方法が広まりかけて、オレは慌ててその入り口を閉じたんだ。でも、他の入り口を見つけ出したプレイヤーが現れて……」
「小泉乱歩か……」
「彼は違うよ。彼は……言うなれば、オレの被害者だ」
被害者?
少し話が見えてこない。
「フラジャイルと呼ばれる集団を追い出すことは、けっこう簡単に出来たんだ。でも、ウイルスは無理だった。あれは巧妙に偽装プログラムを使っていて、一度侵入すると見つけることが難しかったんだ」
ウイルス……ウイルズのことだ。
あの世界では死体に宿り、倒しても倒しても現れる存在で、ドリフターの体に消えない傷をつけて座標を紐付けする役割を持っていた。
「しかもだ。ドリフターがそのウイルスに傷つけられると、現実の体にも傷がついて……修復できないんだ」
ラフレシアが小刻みに震えだす。
瞳も声も揺れている。
「小泉乱歩が目を失ったのは、オレのせいだ」
涙が頬に線を描く。
「それは違うだろ。そんなものは、タラレバの結果だ。ラフレシアは悪くない」
慰めようと頭を撫でる。
しかし彼女は首を横に振って、自分が悪いんだと話を続ける。
「オレは彼の本……乱歩と七夢が帰還するまでの物語を読んで、初めてその事実を知ったんだ。すぐに、オレが入り口を教えたせいだと思ったよ。だからオレは、小泉乱歩に会いに行ったんだ」
ラフレシアが俺の手を握り、自らの頬に押し当てる。
手の甲に涙のぬくもりが伝わり、思わず彼女の手を強く握り返してしまう。
「彼もアキカゲと同じことを言ってたよ。君は悪くないって。でも、それじゃあ納得できなくて、オレに何かできないかって聞いたら、不正な手段……フラジャイルとしてあの世界に行き、記憶をなくしているだろう七夢を探したいと言ってきたんだ。オレは勿論、それを手伝うことにした」
そうか、あいつはそうやってフラジャイルになったのか。
本当に七夢さんのことを愛していたんだろう。
あらためて、凄い男だと感心してしまう。
「それから一年くらいして……乱歩が、別のドリフターを見つけたと教えてくれた。オレは、これ以上ウイルスの被害者が出ないように、そのドリフターを守りたくて再びダイブをしたんだ」
涙を浮かべながら、彼女は微笑む。
そして俺の前髪をかき上げると、左の義眼をまっすぐに見つめてきた。
「間に合わなかったんだ。その人は、俺がついた頃にはもう左目を失っていたんだ」
ボロボロと大粒の涙をこぼしていく。
「覚えているか? アキカゲ。あの時も……リザードマンニクスと戦う直前に、オレがこうしてアキカゲの目を覗き込んだのを……」
自分の心臓が、ぎゅうと握られた気がした。
「オレが興味本位で、七夢に入ったせいで……オレのせいで、あーちゃんの目を奪ってしまったんよ」
そこで堰を切ったように、ラフレシアが声を上げて泣き出した。
俺は驚きのあまり、すぐには言葉を見つけられなかった。
「お前……アルフィーだったのか?」
絞り出すように呟くと、ラフレシアが俺のシャツにしがみつくようにしながら何度も頷いた。
「ごめん……ごめん、オレのせいなんだ。オレのせいで……」
それを、ずっと抱えていたのか。
それを抱えながら、あんなに明るく俺のそばに居てくれたのか。
シールドマスターとして、何度も体を張って俺を守ってくれていたのか。
たまらず、強く抱き起こす。
震える彼女を……その震えを、力任せに押さえつけようとする。
「オレが余計なことをしたから……オレのせいで消えない傷痕を……」
「言うな……もう言うな」
「きっと、アキカゲの他にもいるんだ……オレが……オレが……」
激しい情動に押されて、彼女の首を左手で掴む。
そしてその唇を上から塞ごうと、顔を近づける。
「…………っ!」
ラフレシアが、ビクンッと大きく体を震わせた。
そして目を大きく見開き、俺を見つめてくる。
やがて落ち着いてきたのか、俺の右手をぎゅうと握る。
そして……
「なに、この指……」
俺の人差し指を握りながら、目を細めてきた。
「いや……本当にキスするわけにいかないし……指ごしならいいかな……なんて」
「ヘタレ」
また株が下がったらしい。
「でも、いまのはドキドキしたゾ」
少し、はにかんで笑う。
「色んな角度から録画しといてよかった」
「なんだと、録画されてるのか?」
「細かいこと言うな、アキカゲー。これなんか角度によっては、キスしてるようにしか見えないぞ。ちょちょいと加工すれば……」
「やめんか、ばかもの」
いつもの調子だ。
まだ涙で頬が濡れてはいるが、先程みたいに顎先で雫を貯めるようなことはない。
「なんだっけ。びっくりして忘れちゃったじゃナイカ……」
「俺なんか記憶の大半がないんだ。忘却は生存本能であり、必要な処世術だ」
ラフレシアが見上げてくる。
「いいのかな?」
「誰かが決めることじゃないし、俺が決めていいんなら、答えは『いいんだよ』だ。俺は、この目の傷も数少ない記憶として持っていたいからな」
じっと無言で見つめてくる。
俺も……たぶん乱歩だって、ラフレシアを責める気持ちはないだろう。
俺たちに必要なものは、今と未来だ。
過去に受けた傷は、自分が自分として生きた証であり、それ以上でもそれ以下でもない。
俺が軽く首を傾げて笑うと、ラフレシアが小さく頷いた。
「うん……甘えるね」
俺は胸にうずくまってくるラフレシアを、もう一度強く抱きしめた。




