爪痕〈3〉〜明是ルート〜
ラブコメは止まらない
休憩のお供にどうぞ!
「とりあえず、あと三時間はループモードが継続されるみたいだ」
乱歩が再び、部屋の隅の椅子に腰をかける。
一方の七夢さんは、顔を真赤にしながら俺に視線を向けていた。
まるで「なに見てるのよ」と言わんばかりだ。
今のをスルーしろとか、なかなかの無茶である。
「つまりこの部屋の記録が始まる前に、内緒話をしておけってことね」
七夢さんが、ふぅと息をつく。
どうやら普段はこの部屋……というか、この塔全体が監視下に置かれているらしい。
「明是君。『ラット・ゴースト』がくれた時間には限りがあるから、質問はあとでお願いね」
あぁ、と頷く。
この間まで「アーク」だっただけに、妙な違和感を感じる。
聞かされた話は、これまでの復習プラスアルファといった感じだ。
雪山で、乱歩に聞かされたもの。
魔王になる前に、七夢さんに聞かされたもの。
新しい情報としては百年以上前に、地球で『緩やかな眠り』と呼ばれる第二氷河期が始まったことだ。
人類の三割が二百二十隻の巨大な宇宙船で宇宙へ避難することに成功し、月や火星への移民計画を進行しながら宇宙船の中で暮らしている状態にある。
残りの七割は地下シェルターで生活しているが、連絡はもう取れていない。
ちなみに俺は『バベル』と呼ばれる宇宙船にいるらしい。
正直、どの話も「へー」程度にしか思えない。
記憶がないというのもある意味便利なもので、俺にはただ受け入れていくしか選択肢がないのだ。
この船で生まれた俺は、両親とともに月にあるリゾート区画へ向かっていた。
そしてその時、不運なデブリ事故に巻き込まれた。
月のリゾート区画は金持ちや権力者しか入れないらしく、事故にあったスペースバスの乗客も、そういった特別な階級の人物ばかりだった。
そんな背景があるからか、軍用の医療機器や巨大なプロジェクトチームを作ってまで、乗客を救うことになったようだ。
ちなみに俺は、よくある商店街のガラポン的なやつで『月の旅行券』を当てただけの、ごくごく一般的な家庭らしい。
つまり俺が救われたのは、不幸中の幸いというやつだ。
これがもし一般階級のスペースバスなら、乗客全員見捨てられて死んでいたそうだ。
事故の原因は、ある衛星整備士によるミスによるものだった。
それが鈴屋さんの父親だということも聞かされた。
鈴屋さんの父親はその事故が原因で死亡、母親もすぐに死んでしまったらしい。
七夢さんは鈴屋さんの親戚で、彼女の面倒を見ることにしたそうだ。
そんなある日、鈴屋さんに『セブン・ドリームス・プロジェクト』とサルベージチームの話をしたら、彼女がサルベージチームへの志願を申し出たというわけだ。
「だから、彼女をあまり責めないでほしいの」
優しい表情だった。
七夢さんが鈴屋さんのことを何かと気にかけていたのは、そういう理由があったからなのだろう。
残念ながら今の俺には、現実世界での生活を含め、鈴屋さんが幼馴染だったという記憶もない。
しかし俺が鈴屋さんを恨む気持ちなんて、ある訳がなかった。
彼女にあるのは、感謝と好意だけだ。
「責めるとか、そんなことするわけないだろうよ。それよりも記憶が消される云々の話を、詳しく聞かせてくれよ」
そうだ。
鈴屋さんは今どこにいて、彼女の記憶はどうなったのか。
俺はそれが知りたいのだ。
「記憶の消去について、ね。通常、ドリフターをサルベージする時は異性が担当することになるの。理由は簡単。短時間で大きな信頼を得るには、恋人同士になることが手っ取り早いからよ」
つまりそれは、騙している……ということになる。
あまり気分の良いものではないな。
「でもそのまま帰還をすると、ドリフターが恋愛感情を持ち帰ってしまうことになる。そうするとね、本人に会おうとしてストーカー事件が起こってしまうのよ」
七夢さんが、ちらりと乱歩の横顔を盗み見る。
まさに南無子を探すセブンが、それに近かった。
「もちろんその逆のケース……サルベージャーがドリフターに対して、本当に恋をするケースもあるわ。だから、双方の記憶を消すという決まりが出来たのよ」
なるほど、と目を閉じて考える。
確かに互いの記憶を消せば、帰還後のプライバシーを守ることができる。
「でもよ、俺の記憶はこうしてあるんだが……乱歩も記憶があったからこそ、七夢さんを探してフラジャイルになったんだろ?」
乱歩が視線を落としたまま頷く。
「僕や明是さんは脳の欠損が酷くて、記憶の多くを喪失している。僕は『TOKYO2020』の後からの記憶が……明是さんの場合は『TOKYO2020』から『THE FULLMOON STORY』へドリフトした後の記憶しか残っていない。もしこの記憶を消してしまうと、僕らには何も残らない」
「そう……だから、特に記憶のないドリフターに限り『七夢』で過ごした記憶を消去しないという、特例措置がとられることになったの」
なるほど。
だからハロウィンの時に、セブンには南無子と恋仲だったという記憶があったが、南無子にはその記憶がなかったわけだ。
……んん?
いや、おかしい。
それだと七夢さんには、乱歩をサルベージした時の記憶がないということになる。
「じゃあ、お前ら……なんで今、そんなにラブラブなわけ?」
「らっ……ラブラブなんかじゃないしっ!」
「そんな顔を真っ赤にして否定されてもよ……」
七夢さんが、唇の端をひくひくとさせながら口ごもる。
見かねた乱歩が、代わりに説明を始めた。
「七夢はハロウィンの後、クローズドシステムにあったサーバーのバックドアから、自分の記憶データーを引っ張り出したんだ。不正を犯してまでね」
「ちょ、ちょっと!」
「それで僕と恋仲にあったことを思い出してくれて、僕に会いに来てくれた」
「こら、それ言っちゃ駄目だからっ!」
「それからかな。僕達みたいに、ドリフターとサルベージャーが本当の恋に落ちることもあるんだ、と思うようになってね。必ずしも記憶を消すことが正しいとは限らないと、考えるようになったんだ」
「駄目だからぁぁっ……」
「だからね、明是さんや鈴屋さんの記憶を残すようにしてくれたんだよ。もちろん規則を破ってまでしてね」
「おねがい……ほんと、もう……しんじゃう」
恥ずかしさのあまり両手で顔を覆う七夢さんとは対象的に、乱歩はクールそのものだ。
本人はまったく恥ずかしくないらしい。
「なるほど、恋に生きたわけだ。乙女だねぇ〜」
「あ、あんたね……」
涙目の七夢さんが面白い。
本当に南無子なんだなと心から思える。
「そういうことだから。これは、もう僕のものだ。手を出さないでほしい」
「ふぇっ……」
ぐいっと七夢さんの腰に手をまわして引き寄せる。
若干、引き気味に頷いてやる。
なんという真っ直ぐな青年だ。
こんな男、本当にいるんだなと感心してしまう。
七夢さんが押し切られたわけだ。
「そうか。じゃあ、鈴屋さんの記憶はあるわけだ」
少なくとも俺は、それが聞けて満足だった。
「彼女はまだ覚醒していない。それに『感覚共有エンジン』を使用せず長期ダイブをしていた。もし目覚めたところで、リハビリに三ヶ月はかかるだろう」
「感覚共有エンジン……?」
「それについては、この部屋の記録がされた状態でも説明できる。あとにしよう」
「……俺は会いに行っていいのか?」
しかしそれには、七夢さんが首を横に振る。
「言ったでしょ。表向きは、あの子の記憶は消えていることになっているの。この塔の中でボロを出すわけにはいかないのよ」
つまり、鈴屋さんが退院するまでの三ヶ月は会えないということか。
「俺はこれから、どうすればいいんだ?」
七夢さんが少し考える素振りをみせる。
「この部屋の記録が始まったら、目覚めたふりでもしてちょうだい。そこから現実認識の問答、現状の説明をマニュアル通りに行うわ。明是君の場合、お昼頃には外に出られるはずよ」
「昼って早っ! 普通もっと検査とか色々するんじゃねぇの?」
「あなたの場合はもう動けるし、話せるしね。健康状態が確認できたら、本人の帰宅の意志を尊重するのよ」
「帰宅って家の記憶もないのに……いきなり宇宙船とか訳のわからん所に放り出されてもよ」
「大丈夫よ。そのために『ラット・ゴースト』と契約したんだから」
俺が首を傾げていると、七夢さんが説明を続ける。
「彼女にはウイルスやフラジャイルが、これ以上『七夢』に入らないよう協力してもらうことになってるの。で、その契約を受ける代わりに、あの娘の出してきた条件があってね。一つは明是君が目覚めたら、その日中に退院させること。もう一つは『社会復帰支援プログラム』の世話役を、彼女に任せることよ」
また知らない間に、話が進んでいる。
たしかに俺には選択肢がないのだが、おもしろくはない。
「社会復帰支援プログラムってなんだよ?」
少し不満げに言ってみるが、七夢さんは気にしている様子もなかった。
「文字通りよ。あなた達みたいな、記憶や身寄りのなくなったドリフターを支援するプログラムよ。当面の住居や生活費、何なら仕事の斡旋も行うわ。明是君の場合は、物語の収益があるから大丈夫だと思うけどね」
「物語……そういや、そんな話もあったな」
「もともとはあなた達みたいなドリフターが、帰還後も困らないようにしているものだからね。ありがたく貰っておきなさい」
知らない間に印税生活とは、なんともラッキー……なのだろうか。
「あなたの場合は、現実世界の記憶すらない。だから付きっ切りで、ここでの生活を教えるスタッフが用意されるの。彼女はその役目をやらせろ、と言ってるのよ」
「なんだよ、それ。ちょっと怖くないか?」
相手はフラジャイルの生みの親だ。
なにか企んでいるのでは……と、勘ぐってしまうのは仕方のないことだろう。
「まぁ……大丈夫でしょ。それに明是君だって、ここでの生活とか、文化とか、常識とか、色々と教えてくれる人が傍にいてくれたほうが良いんじゃない?」
「そりゃあ、そうだけどよ……」
「とりあえず三ヶ月で、ここの生活を知りなさい。それはとても重要なことよ?」
正論ではある。
いきなり外に出ていっても、俺にとってここは異世界と変わらない。
宇宙船の中での生活なんざ、さっぱり想像もつかない。
俺はあきらめたかのように頷き、あの得体のしれないハッカーの姿を思い出していた。




