アークと鈴屋さんの物語っ!〈6〉〜鈴屋ルート〜
あの日、レーナは季節外れの大雪に見舞われていた。
そんな中、私とあー君は雪化粧をした墓地まで足を運んでいた。
「……鈴屋さんさ……もしこのまま……」
彼が目を合わせずに呟く。
もしも帰れなかったら……と、不安を口にしようとしているようだ。
「あー君」
私はその言葉の先を制するように、彼の右手を強く握った。
「このままだとしても、あー君と一緒だよ」
言葉に嘘はない。
もし彼が、このままこの世界に囚われてしまったなら、私も一生を費やしてここに残るつもりだ。
「……じゃぁ……もし、もどったら?」
彼は、もし現実世界に戻ることができたら、その時は会ってくれるのかと言いたいのだろう。
しかし、私と彼が会うことはまずない。
たしかに彼の場合、現実世界の記憶が全く戻らない状態に限り、ここでの記憶を消されずにすむ可能性がある。
しかし私の記憶は、間違いなく消されるはずだ。
「それは、あー君次第かなぁ〜。その時は上野動物園にでも連れてってよ」
「なぜ、上野なの」
彼が苦笑する。
「だって、ボートとかもあるし……美術館とかも好きだし……」
「ボートとか、また妙に定番かつ古風な……」
いいでしょ、と口を尖らせて返す。
上野は『TOKYO2020』内にあった大きな公園のことだ。
彼は現実世界の記憶を消失している。
いま彼の頭に残っている記憶は、『七夢』内の『TOKYO2020』で過ごしたものだけだ。
だから、待ち合わせ場所を決める事に意味はない。
そもそも月の目が見ている間は、会話がログとして残る。
私が現実世界の話をした時点で、記憶の抹消が適用されるだろう。
「わかった、もしいきなり戻るような事があったら、上野公園を赤いマフラー付けて探し回るよ。鈴屋さんは……なんか目印ないの?」
……違うの。
そんな場所はないんだよ、あー君。
「ん〜ん、教えない」
そこで私は、少しだけ面白いことを思いついた。
「私が赤いマフラーしたあー君を、先に見つけるの」
自分で言って、くすくすと笑う。
もしこのことを彼が覚えていてくれたなら、私が彼を見つければいい。
私と彼は天を衝く巨大なモニュメントの前で、そう誓ったのだった。
塔と階段と通路しかないこの街にも、公園と呼ばれる区画がいくつかある。
夜はあまり近づきたくはないけれど、彼がいるかもしれないと考えると、はやる気持ちを抑えることができなかった。
「上野に近い条件……」
小さく呟いて、イヤリングを二度タップする。
すると視界に電脳スクリーンが重ねられる。
目の前の風景に、バーチャルの視覚情報を重ねて表示する『AR方式』の端末だ。
直接脳に働きかけて目の前にある世界を『仮想的に拡張する』という、現代では当たり前の技術である。
「検索。博物館か美術館……その近くに水場がある公園、少し大きめの」
視界に矢印と文字が、いくつか浮かんでいく。
『条件に70%以上で一致した検索結果を表示します』
脳内に音声が流れ込んでくる。
候補箇所は三つあるようだ。
それぞれの風景を表示させるが、やはり上野とは程遠い。
「とりあえず、一番近い場所に案内して」
視界に映る矢印と文字が減っていく。
『目的地までの昇降数1624段、ナビゲーションを開始します』
段数を聞いて目眩をしてしまいそうだが、今はそれよりも彼を探すことで頭がいっぱいだ。
こんな時『不便の中にこそ在る便利』とかいう無駄な理念のせいで、まともな昇降機が少ないこの街を呪わしく思う。
幾つもの階段を駆け降り、通路を渡り、また階段を駆け昇り、通路を渡り……
「さいあく……ほんと……運動不足すぎ……」
切れる息を落ち着かせようと、胸に手を当てる。
次にダイブする機会があれば、『感覚共有エンジン』を使おうかと考えてしまうほどだ。
小さく弱々しい光を放つ外灯を頼りに、通路を進む。
富裕層が住んでいる塔と違って、一般塔がたち並ぶこの辺りの治安は、お世辞にも良いとはいえない。
特に夜の時間は人気も少なく、身の危険を感じてしまう。
それでも彼ならば、私がこうして『朝まで我慢できずに行動してしまう』ことを予測してくれるんじゃないか……そう思えてならなかった。
きっと、彼はいる。
その一念で、最後の階段を降りていく。
足の力が抜けてしまいそうになりながらも通路の奥へと進むと、簡素なアーチ状の看板が現れた。
『目的地、ヒーリングパークに到着』
ナビゲーターの音声が頭に流れる。
私はイヤリングを長くつまみ電脳スクリーンを閉じると、ゆっくりと公園の中へ足を踏み入れた。
こんな時間に公園へ来たのは初めてで、些か緊張感が高まってしまう。
少し開けた公園の中には数少ない緑が植えられていて、申し訳程度に水も流れている。
閉鎖的な船内の生活において癒やしの空間として設けられたエリアだが、どうやら夜になると別の表情をみせるようだ。
何人かの男女が、ベンチに座り談笑している。
おそらく今夜のパートナーを探しているのだろう。
船内には非公式ながら、こうした夜の社交場を黙認しているエリアがある。
もっとも七夢さんに聞かされていただけで、まさか実際に自分が来てしまうとは思ってもいなかった。
さすがに、こんな場所にいないよね……
でも、もしかしたら……それに、せっかく来たんだし……
とりあえず帽子を深く被り、空いているベンチに座る。
しかし、とても顔を上げられそうになかった。
「ねぇ、おねぇさん。今夜の相手……」
「ごめんなさい」
顔を上げずに言葉を返す。
向こうからしたら、何しに来てるんだという話だろう。
その後も何人かの男女に声を掛けられたが、顔を見ずに首を横に振る。
「はぁ……わたし、何やってんだろ……」
ふと自分の馬鹿げた行動に気づき、ため息をついてしまう。
こんな時間に……こんな場所に私が現れるなんて、彼も考えはしないだろう。
普通に「安全な昼間に来いよ」と、言われそうな気がする。
「バカみたい……」
今日はもう帰ろうと立ち上がったその時、私の右手首を誰かが掴んできた。
私はビクッと体を大きく震わせて、掴んできた人の顔を確認する。
「彼女ぅ〜ひとり?」
「ねぇ、寂しいの? 俺らも寂しいんだけど〜」
「とりあえず、うちらの部屋に移動しない?」
最悪だ。
気がつけば私は、お酒の臭いがする三人の男に囲まれてしまっていた。
「うわっ、超美人じゃん!」
ひとりが私の帽子を取り上げる。
とっさに顔を隠そうとするが、腕を掴まれていて動けない。
いつの間にか、もう一方の腕も掴まれていたようだ。
「超ラッキー!」
「ねぇねぇ、いい薬があるんだけどさ」
最悪だ。
本当に最悪だ。
こんな時間に出会いの意味合いを持つ場所へ来てしまった、自分の迂闊さに腹が立つ。
「行かないから。ねぇ、痛いんだけど」
キッと睨むが、それも逆効果のようだ。
三人は下卑た笑みを浮かべて喜ぶだけだった。
「やだっ、痛い! 離し……」
両手を振りほどこうとするが、力では全く敵いそうにない。
あげく口を手で抑えられてしまう。
「ほらほらぁ〜こんな時間に一人でってさぁ〜誘ってたんでしょ〜?」
「…………っ!」
「まさか知らないで、ここに来たなんて言わないよねぇ〜?」
悔しさのあまりに涙が出てしまう。
どうして、こうなるのか。
私は彼に会いたかっただけなのに……
半ば力ずくで公園から連れ去られそうになり、だんだんと抵抗することが虚しくなってきていた。
レーナは、こんな場所ではなかった。
泡沫の夢はみんな優しく、暖かかった。
どうして現実は、こんなにも最低の世界なんだろう。
彼の顔が……レーナで出会った住人の顔が次々と浮かぶ。
その中でひとり……
暗い紺の髪を頭部で一つにまとめている凛とした女性。
それでいて時折、可愛いらしい表情を見せる女性。
私と同じく彼のことを強く想っている女性が、私に何か問いかけてきている気がした。
──鈴屋、呼ばないのですか?
呼ぶ?
呼ぶって何を?
──あなたが私に言ったんですよ?
ハチ子さんに?
何を言ったの?
──呼べばいいだけだと言ったじゃないですか
呼べばいいだけ?
だから、誰を?
──ピンチの時は名前を呼べばいいって、私に言ったのは鈴屋ですよ?
名前を……
たしか屋根の上で襲われた時に……
──ほら、あの人の名前を呼んでみて、鈴屋
あぁ……
あぁ、そうだった……
私は思い切り頭を振り、押さえつけてくる手のひらに噛みついた。
男が小さな悲鳴を上げて手を引いた瞬間、ありったけの思いを込めてその名を叫ぶ。
「あー君!」
同時に抑えつけていた感情が、堰を切って溢れ出した。
「あー君! あー君、助けて!」
ぼろぼろと涙が溢れ、景色がどんどんと歪んでいく。
声の大きさに焦りを覚えた男が、再び私の口を塞ごうとしたその時だった。
突如として目の前で旋風のようなものが生まれ、あっという間に三人の男が吹き飛んでしまう。
そして私の視界に、赤い何かがふわりと降りてきた。
──ほらね
驚きのあまり声を失っていた私に、赤いマフラーが優しく巻かれる。
──アーク殿は来るんです。そういう人なんです
「悪い、鈴屋さん。遅れた」
目の前で、髪をひとつに束ねた青年が優しく微笑む。
そして彼は、私を守るように背を向けた。
いつも見ていたその背中に、私は声も出せず涙をこぼしてしまった。
冒頭は「第11部分鈴屋さんと二人の誓い!」の鈴屋さん視点になります。
後半のハチ子さんは「第199部分ハチ子と鈴屋さんの露払いっ!〈5〉」でのやり取りですね。




