アークと鈴屋さんの物語っ!〈1〉
いよいよです。
魔王アカゼの背中に生える八岐之大蛇が、宙を飛ぶエルフの少女へと全ての頭を向ける。
そして一斉に、強力な炎のブレスを放射した。
「戦乙女!」
鈴屋さんの召喚に応じて、金色の鎧に身を包んだ騎士姿の女性が現れる。
その背中とくるぶしには光の翼が生えていて、鈴屋さんを守るように空中でぴたりと静止した。
次の瞬間、鉄をも溶かす炎のブレスに襲われるが、戦乙女は大きな盾でそれを受け止める。
まるで流れの強い川に突き立てられた一本の剣のように、ヴァルキリーは後退することなく炎をかき分ける。
既に『風の精霊シルフ』と『勇気の精霊ヴァルキリー』を同時に召喚している鈴屋さんは、この世界において理の外側に位置する存在だ。
二体同時召喚はゲーム内でも、敵側である天使系のボスしか使えない。
「氷雪の魔狼!」
今度は『氷の精霊フェンリル』を召喚する。
この時点で鈴屋さんは、南無子と同様にチート的な行為をしていることがわかる。
しかし彼女の同時召喚は止まらない。
「風の王!」
ランプの魔人のような風体をした『風の精霊ジン』が現れ、八岐之大蛇の一頭を風の刃で霧散させる。
「大地の巨獣!」
巨大なサイのような姿をした『土の精霊ベヒモス』が、大地を割りアカゼの動きを封じる。
「不死鳥!」
鈴屋さんが天を指すと、燃え盛る炎を身にまとった巨鳥が現れアカゼの体を焼いた。
その姿はまるで、戦の女神のようだった。
精霊そのものを召喚することだけでも、この世界の住人にとっては未知の能力だ。
それを上位精霊まで複数同時召喚しているのだから、まさに神の御業である。
いかな魔王とて、この攻撃を耐えられるわけがない。
既に勝敗は決していた。
圧倒的な火力で身を焼かれ、腕を裂かれ、背中の大蛇を粉砕されていく中、アークは自らが名付けた二つ名『ボス専用決戦兵器』を見つめる。
もはやこの体は、いうことを聞いてくれない。
自分の意志とは別に暴れまわるのだが、鈴屋さんがその全てを尽く封殺していく。
ついには二本の赤い触手までもが焼かれてしまい、いよいよ攻撃手段がなくなってしまった。
薄れゆく意識の中で、このまま滅ぼされれば万事解決だろうと考え始めたとき、魔王の巨躯が大きく歪んだ。
そして滅びゆく体から抜け出すようにして、ひとつの影が飛び出す。
人の形をしたソレは、恐るべきスピードで空を蹴る。
体は魔王と変わらない、黒く塗りつぶされた何かだ。
ソレは二本のマフラーのようなものを靡かせて、黒い片刃の剣を右手に握る。
そして明確な殺意を持って、鈴屋さんに襲いかかった。
「あー君……」
ぽつりと馴染み深い名前を口にする。
「あー君……あー君……」
今にも泣き出しそうな顔で、何度も呼びかける。
彼は許してくれないだろう。
私は全部を知っていたのに、彼には何一つ事実を話していないのだから。
私はいつも、逃げて騙して甘えていたのだから。
自分がネカマであることを最初に話し、その上で彼を利用し、最後にはネカマなのだから自分のことは諦めてくれと突き放す……それが最初から決められていた、私と彼の物語なのだ。
その終止符がいま打たれる。
彼の手で私が倒されて、彼もこの世界から消えて、それでこの物語は終わりだ。
私の記憶のほとんどは消され、彼の記憶から私も消える。
仮想世界での感情や記憶なんて、現実世界に持ち込むべきではない。
それは往々にしてトラブルの原因となる。
だからサルベージャーとドリフターには、記憶を消すという決まりがあるのだ。
「このまま終わりだなんて……やだよ。あー君」
この言葉に嘘はない。
最後くらい穏やかな別れの時間がほしい。
自分なら、その時間を作れたはずなのだ。
しかし私は、物語を終わらせることから逃げてばかりいたせいで、その時間を取りこぼしてしまった。
この結末も自分が招いたのだ。
「あー君……」
私は彼の気持ちをすべて受け入れる。
「あー君……」
それが恨みであろうと、受け入れるのが当然なのだ。
「あー君……あー君」
記憶が無くなる前に、私を叱ってほしい。
恨み節の一つでも言って、罰を与えてほしい。
そして、少しでも……私が背負う罪を償いたい。
ぐんぐんと迫る真っ黒な剣先に、目を閉じて受け入れる。
彼の意識は、もうないのかもしれない。
しかし、これがそうだというのなら、それこそ私の望みは叶うのだ。
そう思い、その時を待つ。
しかし、いつまで待っても剣が私を貫くことはなかった。
どうしたのだろうと、ゆっくりと目を開ける。
剣先は私の喉元でピタリと止まり、どす黒くうごめく影もまた微動だにしていなかった。
そして──
「ずるいぜ、鈴屋さん」
アカゼが穏やかな声で囁いた。
思わず涙が溢れ出てしまう。
「どうして……どうして?」
自我を取り戻したこと、私を叱らないこと、なぜあれだけのことがあって、いつものように優しく話せるのか理解できなかった。
アカゼは構えを解くと、無造作に左手を口の中に突っ込んだ。
そして何かを握って引き抜く。
私が首を傾げて見つめていると、彼は私に向けて左手を差し出し、ゆっくりとその手を開いた。
「これ……?」
そこにあったのは四つに折りたたまれた、小さな羊皮紙だった。
どこかで見たような気もするが、思い出せない。
「読めってこと?」
アカゼが黙って頷く。
手紙か何かだろうけど……と、羊皮紙を開いていく。
中はやはり手紙のようで、拙い文字でこう記されていた。
──あー君へ
何も言わずに、いなくなってごめんね
あー君のことだから、いっぱい心配してくれたよね
ちょっと色々あって、今は会えないけど
すぐにもどるからね
あのね
なんて切り出せばいいのか、分からないんだけど
これからもあー君のそばに、私は必ずいるから
もし私に、何か変だなって思うことがあっても
私を信じてね
お願いします
あと恥ずかしいから、この手紙は読んだらすぐに食べてね
これはお願いじゃなくて命令だよ
鈴屋──
覚えている。
これは私がこの世界に来て、初めて四日間のログアウトをした時に、彼に向けて書いた手紙だ。
魔王となって、体内に残されていたログをもとに再製したのだろう。
しかしこれが、どうしたというのか。
やはり首を傾げて、見つめ返す。
「ごめんな。鈴屋さん」
なぜか彼が謝る。
「何があっても、鈴屋さんを信じるって約束したのにな」
黒い影が徐々に薄くなっていき、彼の顔が現れていく。
「約束破りの大馬鹿野郎は、俺だったぜ」
いつもの明るく優しい笑顔が、そこにあった。
その瞬間、感情が堰を切って漏れ出す。
抑えつけていた情動が荒れ狂い、全身を熱く駆け巡る。
「どうして? 見たんでしょ? ぜんぶ嘘だったって、わかったんでしょ?」
気がつけば、駄々をこねる少女のように声を荒げていた。
「あぁ〜まぁ……ショックではあったけど……」
彼が苦笑する。
「でも信じるって約束を思い出したらさ、なんつぅか……鈴屋さん、演技下手じゃね?」
唐突な話の展開に、返事を忘れてしまう。
「いやだって……あの報告の鈴屋さん。あれ、演技だろ?」
あぁ……
あぁ、だから……
「あんな辛そうな無表情、見たことないからな……俺でも演技だって見抜けたぜ。で、そう考えたらさ……実は鈴屋さんって、演技がすげぇ下手なんじゃねぇかって思ったのさ」
だから……
「俺が普段から見ていた鈴屋さんが本当の鈴屋さんで、そもそも演技なんてしてなかったんじゃないか……ってな……信じろって、そういうことだろ?」
だから私は……
「そんなの……あー君の都合のいい考えだよ。私はずっと、あー君に嘘をついていたネカマだよ?」
彼がニヤリと笑う。
「カカカ、嘘つきめ」
そして刀を振りかざす。
「夢から目覚める時がきたぜ。俺の名前は明是 秋景。ま、ここでの生活以外だと、それしか覚えてねぇけどよ」
爽やかな笑顔だった。
彼はきっと、事故の前の記憶は取り戻せない。
そして私は、この世界での記憶を失う。
私達が再び出会うことは、ないだろう。
「私……私の名前は、鈴屋──」
しかし彼は、その先の言葉を遮るように自らの胸へ刀を突き刺した。
瞬間後、二人の間に強い光が生まれていき、私たちはログアウトをしたのだ。
次回より、現実世界になります。




