泡沫の夢〈5〉
アルフィーがアカゼの猛攻を、盾とサーベルでいなしていく。
その後ろで、ハチ子は踏み出せないでいた。
決意の固まらない自分の弱さに比べ、アルフィーの真っ直ぐな強さを見ていると、戦士としてだけでなく女としても負けている気がしてしまう。
しかしアルフィーが自分を守り反撃に転じようとしている以上、いつまでもじっとしている訳にはいかない。
気持ちが固まらないままワンピースに封じ込められた闇の精霊シェードの力を使い、アカゼとの距離を詰める。
闇となって移動している間は、あらゆる攻撃が自分には通じない。
アカゼも同様に闇のような不定形の身体をしているが、物理による攻撃は通っている。
きっとあれは闇のように見えるだけで、闇そのものではないのだろう。
「なぜ……」
大きくしなるようにして迫りくる赤い触手を、再びシェードの力を使って回避する。
「なぜですか!」
困惑していても、戦況は容赦なく進んでいく。
赤い触手は、彼のトレードマークだったマフラーを現しているのだろうか。
あの鞭のように速く強い攻撃を受け止められるのは、アルフィーくらいだろう。
自分が攻撃を当てるには、さらに距離を詰めるしかない。
「とにかく、近づかないと……」
姿を闇に変えて移動をし、実体化すると同時に攻撃を受け流す。
まさに、ギリギリの攻防だ。
そうして巨大な闇のような……全身を墨で塗り潰したかのような体に接近する。
目の前で見ると、もはや人や生物のそれではない。
異形そのものだ。
これが本当に彼なのか、と思ってしまう。
「くっ!」
迷いを断ち切るように、残像のシミターで五連撃を放つ。
彼が得意としていた技『数え五斬』だ。
この技は残像のシミターの『残る斬撃』の効果により、何倍もの威力を発揮する。
それはまさに、影を削り落としているようだった。
「きいてる!」
たまらずアカゼが大きく仰け反る。
痛覚があるのかどうか怪しいものだが、見ようによっては苦しんでいるようにも受け取れる。
それは本来、格好のチャンスだった。
しかしハチ子の頭に「これが、もし本当に彼なら……」という考えがよぎってしまい、追撃ができない。
アカゼはその瞬間を逃さず、赤い触手で反撃を試みる。
これはかわせないと直感するが、またしてもアルフィーが攻撃を受け止めた。
「アルフィー!」
白毛の戦士は自ら体を回転させながら勢いを殺し、着地と同時にまた駆け出す。
ギラギラと目に闘志を宿し、まるで自分の気持ちをぶつけるかのように、そして彼の気持ちを全身全霊で受け止めるかのように挑んでいく。
彼が仲間に引き入れたシールドマスターのなんと強いことだろう。
またしても自分の弱さが、周りに迷惑をかけてしまっていた。
しかし自分は彼女のように戦えない。
どんな姿であれ、もしも『アカゼ』が『彼』であるならば、斬ることなど出来ないのだ。
「アーク殿!」
叫びながら、左手をアカゼに向けて開く。
確認しなくてはならない。
確信では足りない。
できる限りの確定を……その確認をせねばならないのだ。
その手段が、ひとつだけ自分にはある。
「リターン!」
これまで彼と共に幾度となく叫んだ言葉を放つ。
次の瞬間、ハチ子の目頭から顎先へと熱いものが溢れ落ちていった。
自分の左手に、彼の愛用していたダガーが現れたのだ。
「あぁ……あぁぁぁっ!」
思わず声を上げてしまう。
間違いない。
目の前にいる魔王は彼なのだろう。
どういう経緯で魔王を身に宿したのか……
どうして、そんなことになったのか……
いや、そんなことはどうでもいい。
こうなった以上、彼を倒す以外に選択肢はなくなった。
助ける術など無いのだろう。
別れを語らう穏やかな時間すら、もう望めないというのだろうか。
このような突然の決別を……
このような結末を……
「容認できない……私は到底、受け入れられません!」
高ぶる感情に身を委ね、アカゼの隻眼に向けてダガーを投げ放つ。
そしてすぐさまトリガーを発動し転移をすると、そのままアカゼの大きな眼に自分の顔を近づける。
「せめて声を……あなたの声を聞かせて!」
フォーリングコントロールの指輪で落下スピードを極限まで落とし、アカゼに向けて問いかける。
「私は、あなたとは戦えない!」
迫りくる赤い触手に、両手を広げて戦闘の放棄を示す。
触手はぐるぐると巻き付いて、あっという間に全身を包み込んでしまった。
視界が真っ赤に染まり何も見えない。
身動きをとれなくもないが……これはアカゼの攻撃ではなさそうだ。
やがて聞き馴染んだ声が頭の中に響いてきた。
『戦ってくれないのか、ハチ子さん』
あぁ、やはりアーク殿なのですね……と、目頭が一層熱くなる。
『俺を止めてくれるのは、泡沫の夢であってほしいんだが……』
辛く、優しい声だった。
「私にはできません、アーク殿……それなら私を、あなたの手で」
不条理なわがままを突きつける彼に対し、こちらも不条理な言い分を突き返す。
そうすれば、彼がどうしかしてくれるのではと思ったのだ。
『この体は、この世界を破壊することを目的とされているみたいでさ……あまり言うことを聞いてくれないんだ。だから、できるなら少しでも干渉できるうちに、皆の手で送還してほしいんだけどね』
そんなこと知ったことではない。
極論、自分はアーク殿以外どうでもいいという考えが根底にある。
そんな身勝手で利己的な自分が、本来アルフィーたちと肩を並べて戦う権利などないのだ。
それならばここで、彼の手で存在ごと食われてしまいたい。
「いくらアーク殿の頼みでも、私はそれを拒否します」
赤い触手からは、不思議と優しいぬくもりを感じられた。
『どうしても戦えないというのなら……』
やがて彼は囁くように告げる。
『夢現の転生を……最果ての斑鳩へ……』
次の瞬間、赤い触手の中で強い光が生まれていった。
光は視界のすべてを白に塗り替えていき、ハチ子の意識すらも奪っていく。
やがて光は徐々に弱まっていき、ハチ子の姿とともに消えてしまった。