泡沫の夢〈4〉
六本の巨大な蛇を背中から生やし、二本の赤い触手のようなものを振り回す赤目隻眼の魔王と呼ばれる存在は、この討伐作戦で第一の要と呼べる冒険者と対峙していた。
背中の蛇はそれぞれに意思があるようで、ばらばらに標的を変えながら炎の吐息を撒き散らしていて、有効な対処法が見つからない状況だ。
実力が不足している冒険者や水の精霊魔法を扱える者などは、港から海水を運び出し建物の消火作業に勤しんでいる。
戦闘に参加する者は神聖魔法の祝福と加護を受け、アカゼを囲むようにしながら攻撃を繰り返していた。
海竜戦で使用したバリスタ(据え置き式の大型弩砲)を撃ち込み、魔法を放ち、接近戦に持ち込む。
窮鼠の傭兵団による挟撃を開始するまでに、一本でも蛇の頭を減らしたいところなのだが戦況は芳しくない。
目前で圧倒的な火力と自己治癒力をみせる巨大な影に、白毛の戦士が得物のサーベルをくるくると回して首を傾ける。
正面から接近戦で迎え撃つ冒険者には、赤い触手が鞭の乱舞となって襲いかかってくる。
その攻撃をことごとく受け流すアルフィーは、シールドマスターと呼ぶにふさわしい戦いっぷりだった。
アルフィーが攻撃を受け、ハチ子がカウンターで斬り込む。
言葉にすれば簡単に聞こえるが、その動きはもはや英雄の領域に達している。
二人の感覚はどんどんと研ぎ澄まされていき、集中力は極限まで高められていた。
それ故に、ある違和感に気付く。
──赤い隻眼
──赤い二本の帯
──背中の六本の大蛇
死線の中に身を置きながらも何かが引っかかり、根拠のない焦燥感が生まれていく。
それが何故なのか理解できたのは、窮鼠の傭兵団による挟撃が始まる頃だった。
この街で最強の傭兵団による挟撃を受け止めるため、アカゼはさらに二本の蛇を背中から生やしたのだ。
その姿を見たハチ子が大きく目を見開き、息を飲み込む。
「ヤマタノオロチ……」
思わず、ぽつりと呟いてしまう。
八岐之大蛇とは、彼が元いた世界の神話に登場する伝説の生物だ。
背中に八本のダガーを差した彼は、その武器の名前をオロチと呼んでいた。
赤目発光で隻眼、赤いマフラーのような触手、八本の蛇……
「これでは、まるで……」
シミターを握る右手が震える。
その先を言葉にすることが怖かった。
「あーちゃんなん……?」
どうやら、アルフィーも気づいたようだ。
「そんな……そんなわけがありません!」
ハチ子が気を吐き、アカゼに向けてシミターを振るう。
アカゼはそれを赤い触手で受け流し、もう一方の触手で反撃の一手を放つ。
しかしアルフィーがハチ子の前に飛び出し、回転するような動きで受け流す。
「間違いないん、あーちゃんなん!」
ワーラットとしての嗅覚が確信へと導く。
自分が愛した男の匂いを間違えるはずがない。
「違うと言ってるでしょう!」
ハチ子が反論するが、その眼には明らかに動揺の色が見えていた。
しかし攻撃を受けるたびに、攻撃を放つたびに、その考えが正しいと感じていく。
「倒せってことなん……あーちゃん?」
アルフィーが攻撃を受け流しなら、後ずさる。
しかしアカゼは、後退を許してくれない。
うごめく影のような身体を、ずるりと詰めてくるのだ。
そして二本の赤い触手をアルフィーへと激しく打ちつける。
その痛烈な一撃は、アルフィーを吹き飛ばすほどの力だった。
触手は次の標的に向けて大きくしなり、溜めた力を解き放つ。
呆然とするハチ子に触手が当たる瞬間、またしてもアルフィーがそれを受け止めて吹き飛んだ。
「アルフィー!」
アルフィーは後ろに転がりながらも体制を立て直し、片膝をついて立ち上がる。
ペッと口から血を吐き捨てると、呼吸を一度整えて駆け出した。
「なんでそうなったのか分かんないけど、それがあーちゃんの望みなら、あたしらが倒すん!」
決意を固めたアルフィーが、ハチ子を守るように触手を受け流す。
その表情は完全に戦士としての厳しさを見せていた。
「何を言ってるのですか、アルフィー! そんなことをしたらアーク殿が!」
「あーちゃんを信じて、倒すんよ!」
戦意を失いかけているハチ子に対し、アルフィーが語気を荒げて返した。
「あーちゃんは、魔王を倒せって言うてるんよ!」
肩を震わせて、歯を強く食いしばる。
「あたしらの力で、自分を倒せ言うてるんよ!」
ハチ子には、なぜ彼女がそこまで感じ取れているのか理解できなかった。
しかし魔王が彼だということだけは、なぜか自分も確信していた。
「待っててね、あーちゃん。きっちり倒して、追いかけるかんね」
アルフィーの強い眼差しに、心臓を握られるような思いをする。
彼はこの世界の住人……泡沫の夢に倒されることを望んでいる……
だとしたら……これは、決別のための戦いだというのだろうか。
「俺を倒して前に進め……と、いうのですか?」
視線の先で、アルフィーが小さく頷く。
「ほんとに身勝手で……ひどい人」
いまだ揺らぐ決意を少しでも固めようと、シミターを強く握り直す。
しかし、やはり気持ちは揺らめいてしまう。
「この剣で別れの言葉を紡げと……あなたは言うのですか?」
ハチ子が頬を伝うものを拭いもせず、魔王を見つめる。
その眼は親愛する男に向ける時のものと同じだった。




