泡沫の夢〈3〉
終りが見えてきましたよー
アカゼはその巨体ゆえ、いくつかの建物を崩壊させながら港へとたどり着いた。
魔王に対する圧倒的な数による戦闘は、もはや戦争に等しい。
痛覚がないはずのアカゼも、時折、呻吟しているような声をもらしていた。
それが激戦からくるものなのか、それとも別の何かに心を痛めているのか、既に本人ですら解らない。
精神が少しずつ薄れていく、そんな感覚なのだ。
「どうして……」
その光景を屋根で遠巻きに見つめるエルフがいた。
美しい水色の双眸からは、涙がボロボロと溢れ出ている。
「なんで……なんで、こんなことしたの。七夢さん……」
その横で不機嫌そうに腕を組んでいた少女が、自慢のツインテールを片手で払いのける。
「あなたが、いつまでもサルベージしないからでしょ。タイムリミットよ、鈴屋さん」
七夢と呼ばれた少女は、エルフに対して苦言を呈する。
「あいつは元の世界に帰ることを選んだ。この世界を破壊することによってね」
アークはアカゼという本当の名前を思い出し、圧倒的な力を行使して世界を否定する。
ここが現実ではないというプロセスを踏んで、アカゼの精神は肉体への帰還を果たすのだ。
「まぁ、あなたの報告書を見せたのは悪いと思ってるけど……あいつも鈴屋さんに依存してたからね。こうでもしないと……」
しかし鈴屋さんは、頭を強く横に振って否定する。
「そうじゃない……そういうことを言ってるんじゃない。七夢さんは何も理解ってない」
どういう意味よと、七夢が睨むようにして目を細める。
「アカゼ君は、この世界を……泡沫の夢を否定したりなんかしない。この世界を否定なんてしない」
「……どういうこと?」
鈴屋さんが体を小刻みに震わせながら、絞り出すようにして説明する。
「アカゼ君は、この世界から否定される道を選んだんだよ。泡沫の夢に倒されることによって、この世界から消えることを選んだの!」
七夢が顎に指を当てて一考する。
確かにあの男なら、そういった歪な自己犠牲を選択しそうだ。
なるほど……魔王になって泡沫の夢から自らの存在を否定されることにより、この世界から排除されようとしているのか。
たしかに、それなら結果は同じである。
幸いにも魔王化した直後から、仮想世界と現実世界の肉体を繋ぐ『感覚共有エンジン』は切ってある。
今なら肉体への傷のフィードバックはしないだろうし、もし討伐されても問題ないだろう。
討伐されることが目的で魔王になった……それほど、共に過ごした泡沫の夢を信頼しているのか。
いや……だとしたら、あの男が本当に望んでいる結末は……
「なるほど……それなら、それで決まりね。あなたの役割も」
今度は鈴屋さんが眉をひそめて、疑問の色を窺わせる。
「あなた、彼に散々言われてたじゃない。それこそ最初から、ずっと……」
そうだ。
鈴屋さんは最初から、彼にこう呼ばれていた。
「ボス専用決戦兵器……つまり彼は、あなたに止めを刺してほしいんじゃない?」
鈴屋さんが、大きく息を飲み込む。
おそらく彼は最も街に被害が出ないルートで移動をし、海竜討伐の作戦を流用しやすいように港へと向かった。
彼と共に戦い、彼と共に強くなった泡沫の夢の手によって討伐されるためだ。
しかし彼の本当の願いは、それだけではなかった。
おそらく彼は『ボス専用決戦兵器』である自分に倒されるために、自ら『ラスボス』化した。
つまり私に、この物語に終止符を打てと言っているのである。
「あぁ〜あ……どうしてこうなっちゃうのかなぁ」
全てを把握した鈴屋さんが、指先で涙を拭うと僅かに笑う。
「これも私の贖罪なのかなぁ……」
自嘲気味にこぼしたその言葉に、七夢がそうではないと否定する。
「前にも言ったけど、あなたに罪はないでしょ。あれは不幸な事故なのよ? あなたの父親だって、あの事故で亡くなったんだし……誰もあなたを責めることなんてできないはずよ」
鈴屋さんに、この話をするのは何度目だろう。
それで納得しないことも知っている。
「だめだよ……私のお父さんが起こした事故が原因なんだもん。そのせいで、アカゼ君の両親も亡くなって……アカゼ君まで、あんな大怪我して……せめて私くらいは、私を責めていないといけないの。それに……幼馴染だもん」
それでも七夢は、悲しげな表情を浮かべて首を横に振る。
「その記憶までは回復しないわよ。たぶん両親のことも……現実世界そのものにすら、ピンとこないと思う」
それほどまでに、彼の肉体の損傷は激しかった。
おそらく仮想世界で得た記憶以外は、取り戻せないだろう。
「これでサルベージできるなら、それでいいんじゃない? どこかで折り合いをつけて、自分を許すことも必要よ?」
七夢としてはこの長期サルベージを、鈴屋さんの贖罪とするのが妥当だろうと考えていた。
それで本人が納得できるならと思い、サルベージチームに入れることを許可したのだ。
「それでも……だよ。やっぱり、私が背負うべき責任なんだと思う」
鈴屋さんはそう話し、決意を固める。
これで終わりにすべきだし、彼も私も夢から覚めるべきなのだ。
まさに、ここは『泡沫の夢』だった。
ここに来たのは、彼を救い出す贖罪のためだったのに……
いつの間にかこの美しくて幸せな世界から、自分も抜け出せなくなっていた。
「終わらせてくるね、七夢さん」
鈴屋さんは、そう儚げに笑うのだ。
 




