鈴屋さんとバレンタインでぃっ!〈1〉
短めの話になります。
サラッとどうぞ~
俺は元の世界の知識から、多くのものをラット・シーで商売に転用してきた。
しかしひとつだけ、未だに言えないものがある。
それは──
「アーク殿〜」
ある晴れた昼下がり、赤のチェック柄のスカートに、ぴっちりとした黒革のパンツを履いたハチ子が、屋根の上から軽やかに着地してくる。上に羽織った温かみのあるベージュ色のケープが、ハチ子によく似合っていてお洒落で可愛い。
碧の月亭では鈴屋さんと双璧をなすほど人気があるのだが、本人が俺以外との国交を一切断絶しているため、言い寄る男が皆無の状態だ。本人がどれほど自分の人気に気付いているのか、甚だ疑問である。
何せこうして並んで歩いているだけで、周りの男どもから恨めしそうな視線をこれでもかと注がれるのだ。
「アーク殿は、アーモンドは好きですか?」
何故にいきなり、アーモンド。
それが可憐に屋根の上からダイナミックに登場し、目をキラキラと輝かせながら聞くようなことだろうかと思ってしまう。
これはまた何か企んで……いやいや、なにか鈴屋さんにでも吹き込まれたのだろうことは、すぐに理解できた。
「好きだけど、なんで?」
「そうですか、好きなのですか」
今度は小さく折りたたまれた紙へ、熱心に何かを書き込んでいく。
「では、ワインは好きですか?」
今度は何だ。
さっぱり話が見えてこない。
「まぁ、好きだな」
なるほどなるほど〜と、また何か書き込んでいく。
「マリアージュがお好みなのですね。なるほど〜」
マリアージュ……なにかと混ぜる気なのだろうか。
「では、ここでラストクエスチョンです」
「お、おぅ……」
「チョコレート色と、白色なら、どちらが好きですか?」
チョコだ。
これはチョコレートの話だ。
せっかく隠していたのに、それを聞いたらバレバレだろうよ、ハチ子さん。
「えっと、ホワイトで……」
「なるほど、ホワイトチョコですね!」
「お、おぅ……」
うっかりハチ子が鼻歌を歌いながら、メモに書き込んでいく。
俺は心のなかで、もう言っちゃってますよ〜とツッコミを入れつつ、黙ってその様子を見守る。
ハチ子は満足げに何度か頷くと、メモを4つに折ってポケットにしまった。
「ありがとうございます、アーク殿。あっ、ハチ子は急用が出来ましたので、これにて失礼いたします!」
そう言って、市場の方へと駆け出した。
白々しいを通り越して可愛すぎる。
これは知らないふりをすることこそ、紳士の対応ってものだろう。
そうか、バレンタインか。
鈴屋さんが吹き込んだんだな。
俺がラット・シーの商売ネタで、ひとつだけ言えずにいたイベント……それがバレンタインだった。
賢明で健全な男子諸君なら、きっと理解してくれるだろう。男の口から、このイベントを説明する気恥ずかしさを。
それは、俺にくれよと言っているようなものだ。
チョコが欲しいと、言っているようなものなのだ。
そして、立案者がもらえなかった未来を想像してみたまえ。
とんだ恥晒しである。
そんなこともあり、このイベントだけは俺からは言えなかったのだ。
「あーちゃん〜」
今度は、真っ黒な編み上げのロングブーツに黒のパンツ、白いシャツの上に黒革のジャケットという、ロックな着こなしを見せるアルフィーだ。
お前ら、すっかりお洒落だな……と、心のなかで突っ込んでおく。
俺だけ通年相も変わらずの忍者姿で、なんだか悲しくなってくる。
「どしたん?」
「いや……アルフィーの格好を見ていたら、己のアイデンティティについて深く考えさせられる思いがしたのだ」
「どゆことなん? あたしの脚線美が見れなくて、残念ってことなん?」
「なにをどうしたら、そう受け取れるのだ。俺はお前の頭が残念だ」
「ふぅ〜ん。その割に、いつもチラチラ……」
「やめいっ! 天下の往来で、俺の性癖を白日の下に晒すんじゃねぇ」
その答えがすでに認めていることになるのだが、これ以上俺の株を下げるわけにもいかない。
「んで、なんだよ」
ため息まじりに話の先を促すと、アルフィーがするりと腕を絡めてきた。
「んとなぁ、あーちゃん。甘々なんと〜ほろ苦なんと〜……どっちが好き?」
チョコだな。
間違いなく、チョコの話だ。
「ビターだな」
「ふんふん、ビターチョコなん」
アルフィー、お前も言ってしまっているぞ。
しかしこれもスルーしなければ、紳士とは言えまい。
「んじゃぁ〜食べさせてもらうならぁ〜、手とぅ〜、口とぅ〜、どっちがいいん?」
「そりゃぁ、どうせ食べさせてもらうなら口で……ってお前、なに言ってんの?」
なるほどなん〜と、アルフィーが何度も頷く。
どうもハチ子とアルフィーは、話を聞いていないようだ。
頭の中はチョコレートで、いっぱいなのだろう。
「んふふ〜あーちゃん、覚悟しぃなぁ〜」
アルフィーは俺の腕を開放すると、果し合いでもされそうな台詞を残して市場の方へと消えていった。
これは……もらえると思っていいんですよね?
確定演出ですよね?
おれ、浮かれちゃいますよ?
これで全然バレンタイン関係なかったら、俺、泣くからね?
そう心の中で呟いていると……
「あー君、やっと見つけたよ〜」
真打ちの登場である。
茶色のアンクルブーツに光沢感のあるロングスカート、ロング丈の黒ニット……と、こちらもまたモデルのような着こなしだ。
わずかに俺の心音が高まってしまうのは、致し方ないことだろう。
「あー君はさぁ〜、生のが好き?」
「へ……?」
えっとこれは、チョコの話ですよね……って、聞いていいんですかね。
これ、何かのトラップですかね。
色々な罠を感じるのは、何故なんだぜ。
「えっと……なんの話ですかね?」
「だから〜なんか食べるとするじゃん? 生と、そうじゃないのとなら、どっちが好き?」
「さっぱりわからんのだが……元の世界で寿司は好きだったから、生が好きだ」
「なるほど〜生派ね〜。また難しい方選ぶね〜」
鈴屋さんが腕を組んで、う〜んと考え込む。
「この世界、生クリームがないからなぁ……」
うん、チョコだね。
確定ですよね。
ここまできて裏切るなんて展開、ラブコメとしては定番すぎて逆にないはずだ。
「なんか代用品がないか、南無っちに相談してみるかぁ」
鈴屋さんが大きな独り言を呟き、南無邸に向かって歩き出す。
ここ数日、南無さんは不在なはずだが帰ってきたのだろうか。
それより何より、俺はどこで、どんな気分でこれを待ち続ければいいのか。
期待と不安が入り混じり、とても平常心ではいられない。
何も知らないフリをする側の身にもなってほしい。
「とりあえず……」
そうだ。
とりあえず、何も貰えなかった時のことを想定しておこう。
下手に期待をして勝手に落ち込むなんてパターンだけは、御免被りたい。
俺はそう心に決めると、碧の月亭で待つことにしたのだ。




