鈴屋さんと鍋奉行っ!〈6〉
ラブコメと本編の同時進行です。
お楽しみください。
「跡形もなく消えた……」
ハチ子が自分に言い聞かせるようにして呟いた。
「あぁ。でも戦闘の跡は残っていたから、場所を間違えていたとは思えない。そもそも、忘れていったニンジャ刀も落ちていたしな」
「それは狐につままれたような話ですね」
艷やかな唇に指を当てて考え込む。
南無子ですら原因を解明できなかったのだし、ハチ子に答えを求めるのは間違っているのだろうが、それでも話したというだけで幾分気持ちが楽になる。
「アーク殿がもといた世界でいう、神様による世界の改変でしょうか?」
「神様による世界の改変……あぁ、製作者側のアップデート的な意味か。そうだな、たぶんそれに近いと思う」
地形や人物を自由に設定し配置できるというのなら、これはもう期間限定のイベントのようなものだ。
たしかにハチ子の言う通り、この世界を自由に変えられる“運営”のような存在がいるのなら、それはハチ子たち“この世界の住人”にとって、神様に等しい存在だろう。
そうなってくると、俄然いけ好かない存在だ。
俺たちを盤上の駒にして遊んでいるつもりか、と思ってしまう。
「消えていたはずのネヴィルさんが現れ、消えていたという記憶もない。それはつまり、泡沫の夢の記憶も自由に改変ができるということでしょうか」
記憶の改変……AIに設定として埋め込むだけなら、確かにできそうだ。
しかしそれは……
「私も簡単に記憶を消されたり、存在そのものを無くされたりしてしまうのですね」
その儚く切ない言葉が、重く伸し掛かる。
命どころか存在自体を握られていて、その考えや記憶も自由に操作できるのだ。
それがどれほど恐ろしいものか、当事者以外には理解できないだろう。
それ故に掛ける言葉を見つけられない。
軽はずみな同情など逆効果にしかならない。
「ふふ……まさに『泡沫の夢』ですね。もしそれが本当なら、この背中の傷も簡単に消されてしまうのでしょうね」
儚げに笑顔を見せる。
「アーク殿と過ごした事実を残したい。そんな、ただ一つの願いも叶えてもらえないのでしょうか」
その瞳が僅かに潤んでいく。
これだけの事実を受け入れて自我崩壊を起こすこともなく、ここまで過ごせてこれたのは、紛れもなくハチ子の強さだ。
その強さの根源に俺があるというのなら……
「大丈夫だ。もし戻ることができたなら、どんな手を使ってでもハチ子さんを探し出す。もし記憶をなくしていたなら、俺が何度でも信頼を勝ち得て思い出させてやるさ」
自信たっぷりに俺はそう言った。
ハチ子は少し驚いた表情を見せて、やがて小さく頷く。
「はい……そうですね。そうしてください。そうすればきっと私は何度でも、あなたを想うことができます。この気持をまた『最初から』味わえるのなら、それもまた幸せです」
そうして笑顔を見せられるのだから、ハチ子は本当に強い。
この笑顔を守りたいと心からそう思えた。
「でもその時は、鈴屋と一緒にお願いしますね」
「鈴屋さんと?」
ハチ子が肩を少し上げて、こくりと頷く。
「そうしないと、ハチ子はきっと嬉しさのあまりに、アーク殿を襲ってしまいますので」
「襲うって?」
「ハチ子は、こう見えて肉食なのですよ♪」
そう言って、ザブリと立ち上がる。
慌てて視線をそらすと、フフ……という笑い声が聞こえてきた。
「着替えたいので先に戻りますね。私のことは気にせず、ゆっくりしてください」
「……お、おう」
おそらくは、いたずらっぽく笑っているのだろう。
俺はとてもハチ子の方へ視線を戻せそうになかった。
ハチ子が脱衣所から出ていった音がしたところで、俺は湯の中へ頭ごと沈めた。
こうしていると全ての雑音が遮断され、思考が冴えていくような感覚が生まれる。
どうすれば戻れる?
戻ったら、まず最初に鈴屋さんを探さなくてはならない。
次に探すのは、南無子だろう。
そしてハチ子たちがいるこの世界と、どうやって繋がるのかだ。
そもそもモニター越しにやっていたオンラインゲームだ。
完全に意識をとばすVRなんて、漫画やアニメでしか聞いたことがない。
あらためて、ここは何なんだ。
「ブハッ」
湯船から勢いよく出ると、顔を両手で拭い髪をかきあげる。
「来れたんだから、出られるはずだろ」
来た時と同じ方法でというならば、俺の意思で来たわけではないのだから、出る方法もまた第三者の介入が必要なはずである。
ではなぜ、俺なのかだ。
俺と鈴屋さん、南無子に何か共通点でもあるのだろうか。
あの二人が何かを知っていそうなのも関係しているのだろうか。
「帰還への条件とか、あるのか?」
だとすれば、それを満たすには……しかしそれ以上は考えがまとまらない。
情報源がないのだから八方塞がりだ。
あのドッペルゲンガー『魔神バルバロッサ』が生きていれば、俺の知り得ない情報をもっと聞き出せたのかもしれない。
もしくは、魔族ならば何か知っているのか?
「ウイルズ……」
脳裏によぎった魔族の名を口にする。
あの魔族を呼び出せば、何か聞き出せるのか?
会話の通じる相手ではなさそうだが……それにリスクも大きすぎる。
ただ、強引にきっかけを作れる可能性はある。
悪手には違いないが……
湯船から上がり、ぶつぶつと独り言を口にしながら、手早く着替えを済ませる。
いつの間にか、すっかり日も暮れてしまったようだ。
薄暗い廊下にもどると、ほのかにスープの香りが漂っていた。
食事の準備ができたのだろう。
俺はハチ子を待たせるのも悪いと思い、部屋へと足を急がせた。
問題から目を背けてしまえば、温泉に食事に……最高かよ! と言いたくなる状況だ。
ややもすると、今日は全てを忘れて楽しんでしまおうかと、現実逃避モードに入ってしまいそうだ。
「ハチ子にいい思い出が残せるなら、それも悪くないか」
それも俺にとって大事なことだ。
後悔が残らないように、出来ることは全て行うべきだろう。
そんなふうに考えながら部屋の前まで戻り、俺は小さな異変に気づく。
──扉が少し開いている
ネヴィルさんが料理を運んでいるのか?
いや、それにしては物音がしない。
ハチ子が先に戻っているはずだが、人の気配もない。
なによりも言いようのない胸騒ぎが、これでもかと警鐘を鳴らしている。
ダガーは……部屋に置いてきたままか……
「リターン」
声を圧し殺してつぶやく。
次の瞬間、右手にダガーを握る感触が生まれた。
ひとつ深く呼吸をすると、足音を殺して扉に近づく。
そして、ゆっくりとダガーの刀身を部屋の中に向けていった。
ダガーの刀身に人影は映っていない。
俺はダガーをくるりと回して逆手に構え、左の肩で扉を少しずつ押し開いていく。
広がっていく視界の中に、やはりハチ子の姿はない。
テーブルの上には二人分の食事が用意されている。スープからは湯気も立っており、運ばれて間もないことが見て取れた。
争った形跡も見当たらない。
ハチ子のシミターも壁に立て掛けられたままだ。
ネヴィルさんが、ここまで食事の準備をして連れて行ったとは考えにくい。
連れ出されたのかと考え、窓を静かに開けて外の様子をうかがう。
キラキラと雪が舞う中、降り積もった新雪に足跡は残っていない。
少なくとも外に出てはいないようだ。
であれば……次に疑うべきは、部屋から出てこないという客か。
とりあえずテレポートダガーを外に放りなげ、静まりかえる廊下へと戻る。
鍵穴から光が漏れている部屋は、ひとつしかなかった。おそらく例の客がいる部屋なのだろう。
俺は足を滑らせるようにして扉の前まで移動すると、そのまま聞き耳を立てる。
ドアノブを静かに回すと抵抗がない。どうやら鍵は開いているようだ。
「いきなり暴れられては敵わないからな。すまないが、しびれ針を使った」
男の低い声がした。
「安心しろ。しばらく動けないが効果は短い。アヤメ、お前に聞きたいことがある」
──その名を聞いた瞬間、カッと頭の中が真っ白になった
考えるよりも早く扉を開けて、部屋の中に飛び込む。
最初に見えたのは、ベッドで横たわるハチ子だ。
次に灰色のロングコートを着た男……フードで顔は隠れていて見えない。
「ま……」
男が何かを話そうとするが、俺の動きに迷いはない。
距離を取ろうとする男に対し、シメオネ直伝の膝蹴り『雷火』を叩き込む。
ドンッと重い気の爆発音が聞こえ、男がくの字に崩れ落ちる。
「ぁ……ぁく、どの」
ハチ子が、かすれた声で俺を呼んだ。
まだ体が痺れているのだろう。
このままここで守りの戦闘をするのは危険だと直感し、止めを刺さずにハチ子を抱き上げた。
「トリガーッ!」
瞬間後、雪が舞う外へと転移を果たす。
「少し距離を取るぞ!」
俺はそう言って、ハチ子を抱き上げたまま雪の中を駆け出した。
「の……あぁくどの……」
緊迫した状況の中、なぜかハチ子は顔を赤くして首を横に振り続けるのだ。




