鈴屋さんと鍋奉行っ!〈5〉
ずっとハチ子さんのターンです
休日のお供にどうぞ
「そうか、レイシィは元気にやっているのか」
ネヴィルさんが、心から嬉しそうな笑顔を見せる。
「はい。今や看板娘ですよ♪」
近況報告をするハチ子の表情も明るい。
沈んだ気持ちでいるのは俺だけだ。
「しかしなぜ雪の中、このような山奥に来たのだ?」
「それは……アーク殿と私で氷茸を探しに」
「氷茸……?」
ネヴィルさんがその名を聞き返し、やがてあぁと頷いた。
「なるほど。それで“二人”で来たということか」
今度は俺とハチ子が、顔を見合わせて首をかしげる。
「そうか、君たちは好い仲なのだな。そうであったのなら、あの時そう言ってくれれば私も気を利かせたのだが」
やはり言っている意味がわからない。
ハチ子も俺と同じらしく、曖昧に頷いているだけだ。
「今日は俺たちの他に、客はいないのか?」
「あぁ、男の客が一人だけいるが……これが静かな男でな。飯と風呂の時にしか部屋から出てこないのだ。今日は、もう部屋から出てくることもないだろう。気兼ねなく二人で湯を楽しむといい」
「二人……」
ちらりとハチ子が視線を向けてくる。
いや、ここの風呂は混浴じゃないぞ……と目で訴えてみたが、伝わっている様子はない。
「部屋は一番奥になる。よければ先に湯をすませるといい。食事ができたら、部屋に運んでおこう」
ネヴィルさんはそう言って真鍮製の鍵を手渡すと、最後にもう一度笑顔をみせた。
「まぁ、とりあえず風呂でいいかもな」
ハチ子が頷くのを確認し、扉の鍵をひねる。
扉はガチャリと重々しい音を静かな廊下に響かせる。
そして二人で部屋の中に入り、俺は思わず足を止めてしまった。
部屋は簡単な家具と小さなテーブルに椅子が二脚、あとは大きめのベッドがひとつあるだけだ。
大きめなベッド……どう見ても二人でひとつって意味である。
「これは……なんか誤解されたかな?」
俺が引きつった顔でつぶやく。
一方のハチ子は、マフラーで口元を隠し部屋の奥まで進むと、さっさと荷物をおろし始める。
「二人ですし、夫婦か何かだと思ったんでしょう」
背中越しに聞こえてきた言葉に、俺はわざと気のない返事をする。
意外にも、ハチ子のほうが冷静なようだ。
ここで俺が動揺を見せるわけにはいかない。
「いや……まぁ、寝袋もあるしな。俺は床でも……」
「昨夜は、ひとつの寝袋で寝たんですよ? 今さら同じベッドで寝ても問題ないかと思います」
やはり背を向けたままで、冷静に返される。
たしかにジャイアント・マンタの密着度に比べれば、広いベッドのほうが、よほど健全である。
言ってることは間違えていない……気はする。
「まぁ、そうか」
「そうですよ。とりあえず、お風呂をいただきましょう、アーク殿」
ハチ子は冷静な表情のまま、手ぬぐいと着替えの準備をし始める。
このままいつまでも、“どこで寝る問題”を話していても、仕方ないと思ったのだろう。
こうなってくると、俺ばかり意識しているようで恥ずかしい。
俺も黙って頷くと準備を始めることにした。
暗くなった廊下を突き当りまで進み、右に折れると左右に扉が現れる。
前と変わらず左の扉に「Male」、右の扉に「Female」と彫られた木のプレートが掛けられていた。
ただし「Male」の扉には、さらに上から「改装中」の木札が掛けられている。
一方の「Female」側には、「家族貸し切り」という真新しい木札が……って、おい。
「混浴……ですね」
さすがのハチ子も、僅かな惑いを見せる。
しかし、それでもすぐに冷静さを取り戻し扉を開ける。
「ちゃんと隠せば問題ありません。さっさと、入ってしまいましょう」
女性側からそう言われてしまうと、俺の選択肢はなくなってしまう。
風呂の入口で押し問答をするほうが恥ずかしいし、何よりハチ子に恥をかかせてしまうだろう。
俺は“大丈夫、目を閉じればよいのだ”と自分に言い聞かせて、扉の奥へと足先を運んだ。
脱衣所ではハチ子に背を向けて、手早く服を脱ぎ捨て腰に手ぬぐいを巻く。
そのまま視線を向けないようにしながら外に出ると、天然の岩を削って作り出した温泉露天風呂が現れた。
「カカッ……やっぱり温泉ってぇのは嬉しいものがあるな」
お湯は乳白色で、白く濁っている。
しかも、雪景色の中にある露天風呂だ。
自然と頬が緩んでしまうが、これは日本人なら仕方のないことだろう。
このシチュエーション、気持ちが昂ぶって然るべきというものだ。
俺は嬉々として備え付けの手桶にお湯を汲み、思いきり体にかける。
「あっちぃぃ!」
思っていたよりも湯は熱く、俺は思わず声を上げてしまった。
湯の温度も確認せずにぶっかけるとか、我ながら阿呆すぎる。
「慌てすぎですよ、アーク殿」
後ろから、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
妙に艶っぽく聞こえるのは、なぜだろう。
俺は声の主を見ないように、そのまま湯船へと身を沈める。
湯は思っていた以上に白く濁っている。これなら体は見えそうにない。
これは助かるな……と、腰に巻いていた手ぬぐいをはずして頭にのせる。
「くぅぅぅ〜、たまらんなぁ〜」
言いようのない開放感。
その、一瞬の気の緩みが不味かった。
俺は何気なく、ハチ子の方へと視線を向けてしまったのだ。
ちょうどハチ子は俺に背を向けて、湯船に左足を差し込んでいるところだった。
「私も失礼します」
手ぬぐいを前に当てているため、白くて美しい背中が目に飛び込んでくる。
ツヤツヤとした光沢を見せる背中には、一筋の傷跡が走っていた。
あれは、リザードマン・ニクスに受けた傷だ。
太陽神『アデス』の司祭にでも頼めば、神聖魔法で綺麗に傷跡を消すこともできただろう。
しかしハチ子は、それを望まなかった。
俺と過ごした証にしたい……そう願い、傷痕を背に残しているのだ。
その気持ちには、胸が熱くなる。
「な、なんですか?」
俺の視線に気づいたハチ子が髪をかきあげながら、白く濁る湯船へと目を落とす。
「いや、背中の傷が見えたから」
「あぁ……」
少し気恥ずかしそうにしているのは、背中を見られたことに対してなのか、つながりを残す話を思い出してなのか……おそらくは後者なのだろう。
少し嬉しそうに笑みを浮かべているのだから、間違いないはずだ。
「本当に嫌じゃないのか?」
「嫌? そんな訳ないじゃないですか。アーク殿は背中に傷のある女は嫌ですか?」
「んな訳ないだろ。さっきだって、めちゃくちゃエロい目で見てたわ!」
「ふぁっ、そういう意味じゃなくて……」
わたわたとして顔を赤くするハチ子が可愛い。
「もう、またそうやってからかって……それよりも、着いた時に困惑されていた理由は何だったのですか?」
ハチ子が少し首を傾げるようにして、俺の様子をうかがってくる。
「困惑というか、狼狽というか……そうだな、話そうか」
こくりとハチ子がうなずく。
その真っ直ぐな双眸からは、すべてを受け止めて共に支えるという強い意志が伝わってきていた。
そこで俺も、ようやく覚悟を決める。
「話はワイバーンの時まで遡るんだが……」
俺は記憶の奥底にしまっておいた秘密を、ゆっくりと説明していった。




